Hatena::ブログ(Diary)

喜びカタツムリの歩み

2017-09-24

2017-09-23

9月27日Gordon Divinity School卒業50年記念集会へ備えてー留学中両親から受け取った手紙の再読 その1

9月27日Gordon Divinity School卒業50年記念集会へ備えてー留学中両親から受け取った手紙の再読 その1

☆9月27日を中心に、Gordon Divinity School卒業50年記念集会が、ニューイングランドの母校で開催されます。
 私は残念ながら参加を断念しました。その日に備える一つの方法として、留学中両親から受け取った手紙を再読したいのです。

1964年晩秋、母から
「お手紙拝見いたしました。
一生懸命にやって居る様で安心しました。私も其の後体の調子もよくなってなんとか家事をやって居ります。大分寒くなって来たので、無理はしない様にして居ります。
 月曜日に小川さん(TCCで学んでいた婚約中の君代)が来訪して、クリスマスカードを買って来て貰いました。其の時どうかと思って薄いズボン下を一緒に送って貰いましたが、外出の時使って下さい。何だか寒いのではないかと心配して居ります。
 この間はお金の事が書いてないので、どうしたかと思って居ます。十一月まで学校の方に払ってあったと思いましたが、其の後はどうしたらよいのですか。いくら位送ったらよいか其の方法もどうしたのが一番便利か至急知らせて下さい。今後の経済的の事くわしく知らせて下さい。アルバイトも中々最初はむづかしいでせうから。今株も下落してゐますので、まとまったお金は先に一寸知らせて貰いたいと思います。
 何か送れそうなもので食べたいものがありますか。最初の手袋や靴下着いたでせうか。随分寒くなった事と思いますが、心配して居ります。冬の衣類はあれで間に合いさうですか。ほしいものは早目に言って下さい。大分送るのにひまがかかる様ですから。
 小川さんも毎週来てくれて手伝って居ります。学校が遠いので気の毒ですが、少しでも家に慣れた方がよいと思って来て貰ってゐます。
・・・では体に気をつけて下さい」。

☆長男であるにも関わらず、神と富には変えね仕えることが出来ないと私は極端な歩みを始めたにも関わらず、両親はそんな私を全面的にサポートしてくれました。

2007年6月5日JEA総会における、大阪太郎先生講演への応答、その2、JEAとアッセンブリーに対する問

2007年6月5日JEA総会における、大阪太郎先生講演への応答、その2 JEAとアッセンブリーに対する問

JEAに対して。
 アッセンブリーの加入に対して否定的な意見があった事実。その理由とそれを認めた過程の事実確認。
 この営みと現在JEAがクリスチャントゥデイ取材拒否をめぐり生じている事態と深くかんれんしていないか。

▲▲奪札鵐屮蝓爾紡个靴
 JEAに加入を希望した、眞の理由はなりか。
現時点で、それをどう評価するかの検証。

私自身としては、組織や予算を中心としない、聖書的エキメニズムです・Biblical Ecumenismのお道です。「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」を信じるとの信仰告白の、今、ここでの体現はどのような生き方、生活と生涯なのか。これこそ、私にとって、クリスチャントゥデイの現場で求めているものです。

順天堂大学樋野興夫先生の報告

順天堂大学の樋野興夫先生の報告

☆樋野先生との個人的な対話も、ますます深まり広まるのを覚えます・

「宮村先生
感謝申し上げます。
樋野

第5回「楕円形の心」
思いやりの心 〜 学者的な責任 & 人間的な責任 〜
敬老の日9月18日)「地域がん診療連携拠点病院事業 公開講演会『がん患者 家族への処方箋』[主催:伊勢崎市(伊勢崎市民病院)後援:伊勢崎佐波医師会](絣の郷 円形交流館に於いて)で、特別講演『がん哲学外来 〜 思いやりの心〜』をする機会が与えられた。
筆者の「特別講演」の前の伊勢崎市民病院の先生の、ニューモア溢れる、患者視点のご講演『乳がんの治療と診断 〜誰を想って、あなたは治療をしますか? 〜』には、大いに感激した。会場は、大盛況であった。講演会終了後は、伊勢崎市民病院 外科診療部長片山和久先生の運転で、伊香保温泉 福一での『がん哲学外来 伊香保シンポジウム』に向かった。

『がん哲学外来 伊香保シンポジウム』では、筆者は、国立病院機構沼田病院 院長 前村道生 先生の司会で、基調講演『原田明夫氏追悼記念〜今、ふたたび伊香保温泉〜』の機会が与えられた。
その後のパネルディスカッション『人生の邂逅〜不連続の連続性〜』は、『新島襄記念 がん哲学外来in 伊勢崎市民病院』『内村鑑三記念 がん哲学外来 in 国立病院機構沼田病院』、『がん哲学外来 in万座温泉』の方々、懇親会は、東京方面からも参加され、大いに盛り上がった。
翌日の早朝、筆者は、伊香保温泉街を散歩した。「365の石段」を登りながら、1897年、日本が誇る国際人・新渡戸稲造(1862〜1933)が保養した旅館を静思し、新渡戸稲造が、伊香保温泉の保養中に『農業本論』(日本初の農学博士取得)を書いたことは、想い出した。
翌年は、アメリカでの保養中に『武士道』を完成させた。まさに、「人生は、もしかしたらこの時のため」を実感した。

筆者は、2006年 現在、国立がん研究センター理事長・総長の中釜斉先生と、会長を務め、『日本疾患モデル学会総会〜「過渡期の指導原理と新時代の形成力」を求めて〜』も、開催したものである。
思えば、2002年、原田明夫氏(元検事総長・東京女子大学前理事長)と「伊香保温泉福一」で、新渡戸稲造(1862〜1933)の生誕140周年シンポを開催した。
今回は、15周年記念ともなった。秋分の日(9月23日)山崎製パン総合クリエイションセンターに、於いて、講演の機会を与えられた。「医師の2つの使命〜学者的な責任& 人間的な責任〜」の趣旨で語った。飯島延浩 社長も出席され、大変想い出深い、一時となった。

ヘブル13:7への小さな応答ー健忘症からの解き放ち その1 「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい」(ヘブル13:7)

ヘブル13:7への小さな応答ー健忘症からの解き放ち その1
「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい」(ヘブル13:7)

★過去の恵みとその応答を覚えることこそ、今現に注がれて恵みを認め、恵みへの積極的に応答する道と判断します。
 私の記憶や記録が残る範囲内で小さな試みを始めます。

☆西上尾福音教会宣教開始十周年記念に当たって書いた文章
「うれしいニュースを聞いて」
イエスの御名を賛美します。
 西上尾福音教会宣教開始十周年記念の知らせを聞き、心より感謝します。
 上尾の地で、ジーンズ、プライス宣教師が宣教に従事し始めたころを知る者の一人として、十年前西上尾福音教会誕生のニュースを大いに喜びました。
その理由の一つはこうです。上尾での働きが始められる際、将来上尾に複数の教会が形成され、互いに協力して新しい開拓伝道を始めることが出来るように、埼玉県の西北部で礼拝の生活をおくっていた人々の幾人かは祈り願っていました。ですから西上尾福音教会誕生のニュースは特別の響きをもって伝わって来ました。
あれから十年、様々な経験を積み重ねながら、上尾での主の働きは、今新しい段階を迎えていると期待します。二つ、三つから、四つ、五つの教会の誕生への道を進まれて行くように。これからの十年、父なる神様の祝福が貴教会の上に豊かにありますように。
 このような機会ですので、もう一つ、上尾開拓開始の前後に話されていた事を書かせていただきたいと思います。上記の上尾に複数の教会がとの願いは、秩父地方の諸教会のため祈り、支えるアンテオケ教会的群れの形成との期待と結び付いていたのです。しかし、もう一つの方向についても話題になったことを記憶しています。それは、埼玉県の伝道から千葉県の伝道への広がり、そして東京の下町へとの展開です。
 あれから二十年近い年月が過ぎようとしています。今、西上尾福音教会十周年のうれしいニュースを沖縄首里でお聞きしながら、有野牧師ご夫妻の学生時代、特にクラスでの姿を思い出しています。お二人の母教会について思い巡らします。
また、一九六三年に初めて訪問し、その後四年間の主にある交わりを許され、昨年久し振りで尋ねる事が出来た、ジューンズ宣教師の母教会の人々について考えます。
さらに、一九七八年、念願かなって訪問できた、プライス宣教師のため祈り支えて来たカナダ教会の方々についても思い起こすのです。このように十年、二十年前のこと、さらにその背後にある、主の恵みに根差す貴い歴史を思うのです。そして今、この大切な十年の節目に、二十年近く前、話し合った千葉東京下町の方向について、主にある期待を持って西上尾福音教会の十年後、二十年後と重ねて新しく心に刻むのです。主にある期待をもって。そして見通す事が出来るように思えて仕方がないのです。
ジューンズ、プライス宣教師の祈りの奉仕は、いよいよこれから本格的になされると。今までのすべての経験が貴く用いられ、実り豊かな祈りの奉仕が進められる。その祈りの奉仕の中に、千葉東京下町の方向など含まれはしないとだれが断言出来できるでしょうか。
 この記念すべき時に、ピリピ人への手紙を皆様方とご一緒にお読み出来ればどんなに幸いでしょうか。それが許されない今、ピリピ人への手紙一章6節と二章13節をお送りしたいと思います。
 
 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリストイエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ一章6節)

 「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ二章13節)

宇都宮キリスト集会と私  

宇都宮キリスト集会と私
 

今から10年前、宇都宮の坂本(風間)道子姉から、沖縄の私どもに電話がありました。
幾つかの場所に問い合わせ、私たちの電話番号がようやく分かったとのことでした。
若くして癌で召されたご主人の闘病記・証の本を、二人で始めていたアートセンター・サカモトで出版したので、是非読んでもらいたいと沖縄にまで送って下さったのです。
 
1969年東京キリスト教短大で私の授業を受けていた坂本姉妹からの、それは本当に久し振りの連絡でした。
坂本姉と私の出会いは、1年生同士のそれでした。
私は留学から帰国後初めての授業、全くの一年生講師として教壇に立ち、坂本姉は文字どおり新入学の短大一年生。

10年前のあの時、今日に通ずる小さな出発があったのです。坂本姉から本を送って頂いただけではなかったのです。坂本姉の求めに応じ、首里福音教会の主日礼拝のテープを送り始めたのです。
 
初めは、全く坂本姉個人にテープを送っていました。
その後、テープを2,3の親しい方々と一緒に聞いていると坂本姉から知らせを受けました。
とこがが2000年10月、数名の方で「先生の」主日礼拝テープを用い礼拝を開始したいと「信じられな−い」電話を坂本姉から受けとったのです。
意外な話でした。「教会的な手続きをしないで主日礼拝を始める。それは問題だ」、これが、私としては当たり前の応答になるはずでした。
しかし「先生の」テープということばに、ひどく違和感を覚えたのです。
電話のやり取りのなかでの一瞬でした。「私のテープではない」、送られるのは「主のテープ」なのだと心刺されたのです。主ご自身のテープの使用法に対して、私の個人的な考えを絶対化して、あれこれ言い切れないと瞬間的に判断したのです。そして「主のテープ」の使用法について、宇都宮の皆様の考えに委ねると一歩引いたのです。

実は、上記に紹介した1969年道子姉との東京キリスト教短大の授業での出会いには、その前史とも言うべき、もう一つの出会いがあったのです。
1958年4月、東京キリスト教短大の前身日本クリスチャン・カレッジに、私は入学しました。そこは、大学でないばかりか、短大の認可もなかったのです。日本の学制上では、単に各種学校に位置づけられる存在でした。
ところが、学長ドナルド・E.ホーク先生の広い心と並外れた人脈の目に見える現われとして、実に多彩な方々がチャペル・礼拝の講師として来訪しておりました。
私がまだクリスチャン・カレッジの下級生であったとき、ある日のチャペルに、その後忘れることの出来ない人物が、説教者として登壇したのです。
その名は、風間正富。
そうです。道子姉の父上です。

確かに日本クリスチャン・カレッジの講壇には、多士済々な方々が登場していました。
しかし風間牧師は、文字どおり登場の仕方が、際立っていたものです。
講壇に立つや否や、驚くほどの声量で、祝詞をあげ出したのです。
礼拝出席一同が、呆気にとられ、度肝を抜かれる中で、尋常ならざる証が繰り広げられたのです。
13歳のときに、父親死去。新潟で神職に就く親族の養子となったのです。
そのときから、幼いながら神主の仕事を続けたそうです。
ところが19歳のとき、聖公会の教会が配布したトラクトを手にしたことを契機に、キリスト信仰へ。それがどれ程厳しい道であったかは、今日の時点からでも想像に難くありません(『評伝 風間正富』を書きたいほどです)。
ついには牧師への道へ。そうした激動の歩みの裏づけあっての、チャペルを震わす大声量の祝詞だったのです。
私がただ一度お会いした、あの時から程なく、風間牧師は50歳の若さで、主のもとに召されたのです。
風間道子姉との授業を通しての出会いと、父正富先生との礼拝堂でのそれが重なり合って、私の心の奥深く聖霊ご自身による刷り込みがあったと思われます。

 2001年3月に、少人数の方々は、「宇都宮キリスト集会」を設立、さらに自覚的な歩みを開始しました。
そこに集う数少ない人々の中に、東京キリスト教短大での教え子、八王子と青梅と隣接教会の親しい交わりを重ねていた、あの遠山兄とご家族がおられる。またまた驚きました。
 
その後、私はテープを送り続けると同時に、年に2,3度宇都宮を訪問。みことばをともに味わい、主をともに礼拝する機会を持ちました。
それは、宇都宮キリスト集会の集会に先立ち、同じく家の教会として誕生した、千葉県市川市の聖望キリスト教会へ、協力牧師として私が沖縄から出かける主日の夜でした。

1996年8月4日、5名の者が相集い、第一回の主日礼拝を開始して歩み出した、もう一つの家の教会・聖望キリスト教会と私との関係については、別の主の恵みの物語を話さねばなりません。
今ここでお伝えしたいのは、一つのことだけです。
開成中学1年5組のクラスメイトであった、大竹堅固兄の自宅。そこで主日礼拝を持つようになった家の教会・聖望キリスト教会誕生の最初から、高校の同期生でHiBAの働き人である吉枝兄、日本キリスト教団引退牧師である藤崎先生と私の三名が協力牧師となったのです。
それで、年に4回、聖望キリスト教会主日礼拝と午後の聖書の学びを担当するため、私は千葉県市川市まで通っていたのです。
聖望キリスト教会訪問の主日の夜は、宇都宮キリスト集会の集いに、馳せ参じたのです。

2003年5月、宇都宮キリスト集会がその小さな歩みを重ねる中で、日本クリスチャン・カレッジの先輩國吉新太郎・典子牧師ご夫妻の長男國吉陽一郎兄が、宇都宮キリスト集会の代表として立てられたことは、私にとり小さくない喜びでした。
國吉ご夫妻は、宇都宮でお父様が牧会していた日本基督教団の教会で牧会するとともに、一時期宣教師としてエクワドルで働かれました。
新太郎と典子ご夫妻ともに、若くして癌のため召されたのです。

さらに2004年4月からは、私が首里福音教会の担任牧師から協力牧師になり、首里福音教会主日礼拝テープではなく、宇都宮キリスト集会のための独自のテープを送るようになりました。そうした中で協力牧師にとの集会の求めに、私なりに応じたのです。
 その後は春と秋の総会を持ち、6ヶ月を回顧また6ヶ月を展望する意識的な歩みを重ねてきました。
 2006年4月、國吉陽一郎ご夫妻の長男愛太兄の受洗は、群れの初穂でした。
 愛太君の曽祖父祖父ともに牧師、四代目のキリスト者です。

2008年1月 坂本ご夫妻の長男大地兄の転入式。
風間正富牧師夫人、つまり道子姉の母上、さく姉は、坂本家族とともに生活、坂本宅の家の教会・宇都宮キリスト集会にとり、宝です。
小さな集会において、みことばそのままの恵みを見るのです。
「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。
    そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、
    あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、
    それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています」。
                   (競謄皀1章5節)

今後の歩み、お祈りください。
宇都宮キリスト集会牧師として、毎週主日礼拝のためのテープを送付。
年2回であった宇都宮キリスト集会訪問を4回に。
2回は、春の総会と秋の総会(回顧と展望)。
年4回の訪問のどの場合も、午後には聖書の味読会を。

田中正造について地元方々との学び。
岩波の田中正造全集を、ある思いを込めて手放しました。そうです。福音教団から招聘した首里福音教会新任牧師に。しかしすべては水泡に帰したかに見える状態になってしまったのです。
ところが、おっとどっこいなのです。
宇都宮キリスト集会の牧師として、地域の研究グループに加わる可能性があるのです。
坂本姉の出版の仕事の師匠で、一角の人物としか言いようのない方が、郷土出版社として田中正造の関係の本、こんなにあるのかと圧倒されるほどの数の本を、坂本姉に託して届けてくださったのです。

最後にひとつのことをお伝えしたいのです。
ときは、1923年(大正12年)9月1日、あの関東大震災
私の家族は、東京深川で被災しました。
そのため、祖母イネの郷里である、栃木県佐野市に一時移住したのです。
その佐野で、小学生であった父泰二は、聖公会教会学校に出席していたのです。
長男である私が高校卒業と同時に主に直接仕える道を選んでも、親戚一同がいぶかり,あきれるなかで、一切反対しなかったのです。
 そればかりか、私の日本クリスチャン・カレッジまた留学のため経済的援助を惜しみなくしてくれました。
 やがて父は、深川の、それも奇しくも聖公会の教会で受洗、その会員として召されました。その死の様に接し、末弟三郎は、キリスト信仰に、そして牧師の道へ導かれました。
栃木県の教会の牧師に導かれたのは、私にとり軽くない意味があるのです。

私が生まれる丁度10年前、内村鑑三は、『聖書之研究』の1929年10月号に、「楕円形の話」という重要な文を掲載しております。
 「真理は円形に非ず楕円形である。一個の中心の周囲に画かるべき者に非ずして二個の中心の周囲に画かるべき者である」と書き出されています。

 私にとって二個の中心とは、沖縄であり、宇都宮です。
 沖縄と宇都宮の中心に描かれる楕円形、その場を中心に。
君代と二人でキリスト信仰二人旅、ゆっくりラストスパートの思いで歩みたいのです。
お祈りいただけると嬉しいです。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くとも悪くてもしっかりやりなさい」
(競謄皀藤款錬伽瓠

「愛をもって真理を語り」
(エペソ4章12節、恩師パパニコルから受け継ぐ聖句)

  いつでも、誰に対しても福音の宣教ができる恵みを覚えて、一歩一歩なのです。 

「宇都宮キリスト集会と私」をめぐり、敬愛するお二人からの手紙。

一人は、石川福音教会の重元清牧師から戦場での連絡文。
沖縄における20年を越える年月、重元ご夫妻は私ども二人にとって常に主にある戦友。
 
「一方、勇気とは未知にかかわるものであるが、いわば拡がりは既に知られており、ただその深度と強度の点で未知なのである。後者つまり勇気の場合は、既知あるいは外延において既知になった未知の枠内において、強度の未知が存在する。この意味で、老年は勇気を要するのである。青少年はむしろ大胆の方に向いているのだから、老年青少年のまだ知らないような大変な勇気を必要とするのである。僕にとって老年は・・・、年を重ねるにつれてますます激しく吹きつのって罷まない嵐に対抗することなのである。
不安に胸をしめつけられながら絶えず風向きを窺い、苦労を重ねてゆっくりと右に左に進んでいく船のように、あるいは、危険な場所にさしかかって速度をおとす自動車のように、その中を進んで行く。何となれば、老年においては(そしてそれが老年独自の性格なのであるが)進むにつれて既知が未知に吸い込まれていくからである。このように厳密に規定された意味において、老年とは、幼な児が全く無力のままに自然の脅威に晒されている、あの幼年期に戻ることである。老年固有の叡智というと、諦めの境地に達した・・・すぐに言われるが、それは余りにも安易なむしろ人を馬鹿にした考えであって、実際には,途轍もなく・・・経験をはちきれんばかりに積み込んで重く水中にのめりこんだ船を、暗礁と荒れ狂い泡をかむ激浪との間をぬって、慎重に、労苦に労苦を重ねて導いていく、苦悩にみちた老船長にこそそれは似ているのである」(『森有正全集』 14 145、146頁 『日記』1970年5月4日)」。

主の御名を賛美します。
宮村先生。牧師就任式、おめでとうございます。
先生から送られてきた「宇都宮キリスト集会と私」を読みながら、熱いものがこみ上げて、涙が止まらなくなりました。
 上の文章は、たまたま読んでいた、森有正の「老年」について書かれたものです。
老年は、・・大変な勇気・・・」の所を読みながら、宮村先生の姿が浮かびあがってきたので、コピ−しました。(老年と語るのは失礼と思いつつ)。
 先生の勇気と冒険を主に感謝しつつ。」

もう一人の方は、新しく出会い、しかし旧知のごとき先達・蓮見和男牧師からの愛の文。
蓮見和雄先生との出会い、それは全く予期しない経過で実現したのです。
ことは、2003年4月、J.モルトマン博士が沖縄を訪問、一連の講演をなされたことに端を発するのです。
蓮見先生は、モルトマン先生の通訳として、やはり優れた神学者である幸恵奥様とご一緒にモルトマン先生に同行なさったのです。

ではモルトマン先生がなぜ沖縄を訪問することになったのか、またどんなことを語ったのか。モルトマンの沖縄への旅の記録集、新教コイノニアVOL.22号『人類に希望はあるか 21世紀沖縄への提言』(2005年、新教出版)に、その消息を見出すことが出来ます。
その中で、蓮見先生は、沖縄の篤信の信徒から先生のところに届いた一通の手紙がすべての始まりであると、明らかにされています。

「2001年四月、モルトマン七十五歳誕生の記念タ−タングがドイツのバ−トボルであって、帰ってきたばかりの時でした。・・・モルトマンを沖縄に招聘したいとの切なる願いでした。」(93頁)。
蓮見先生の最初の応答は、
「正直言って、半信半疑でした。というのは、世界的学者を招聘するには、あるキリスト教の団体や大学、教会を予想していたので、全く個人の願いに、私はとまどいました(強線、宮村)。『何とかして断りたい』というのが、偽らない気持ちでした」(同頁)。

偽りのない気持ちから、率直な返書が伝えられました。
「すぐに、『それは難しい。モルトマンはもう七十五歳だし、足がお悪いし、持病のゼンソクもお持ちだ。それに日本へは、もう五回も来ている』という意味の返事」(同頁)。

これで一巻の終わりか。
おっとどっこいなのです。

「そこにもう一度手紙がきました。私の心は、少し動きました。モルトマン自身に聞いてみなければ、私が勝手に判断はできない(強線宮村)と考え・・・野島牧師に、長嶺さんの二通の手紙のコピ−とモルトマンのところに行ってほしいとの依頼状を出し、同時に、モルトマンに長嶺さんからの依頼と、野島牧師が行くからとの手紙」(同頁)を蓮見先生は出されたのです。
「分をわきまえ、分を尽くすとは、このような言動なのだな」、胸にすとんと。

「沖縄の心とモルトマンの心とが通じあいました。モルトマンは快諾し、諸教会合同の招聘委員会をつくってほしいと手紙で言ってきました」(93、94頁)。

沖縄キリスト教書店でこの記録集をたまたま立ち読みしていたとき、驚いたことに蓮見先生が私のような者について記しておられるのに、気づいたのです。
「英語の通訳者は、前もってきめていた方が、急に出来なくなり、急遽、宮村牧師が選ばれました。それなのに、宮村牧師のすばやい、しかも的確に通訳に舌を巻きました。突然頼まれて、これだけできるのは、ただ者ではないと。・・・」(95頁)。
「・・・モルトマン神学は沖縄の地に、血となり肉となって、実を結ばせるでしょう。
長嶺さんの祈り、饒平名牧師組織力、村椿牧師ドイツ語力、宮村牧師の英語力、それらを支える、全教会の力が結集されたのだと思います。・・・」(95頁)。

 私は、蓮見先生に手紙を書きました。
「あの通訳は、英語力によるのでなく、神学力によるものだ」と。
「一寸の虫にも五分の魂」の心意気で。

「私は、モルトマン先生が聖書ですべてのことを読まれているのと全く同じように(あの宗教改革者が指し示してくださるように、聖書を恵みのメガネとして万物を直視する道)、聖書で沖縄を読み続けるべく歩んできた。それでモルトマン先生が話される前から、何を話されるか承知していたのです。すくなくもその大意を。それで先生の話を聞きながらは、ひたすら細部に意を注ぎ、自分を捨て、モルトマン先生のことばの下に徹底的に自分を置く(−アンダ−・スタンド−)ことを務めました。
 その意味で、英語力ではなく、神学力だ」と。

 蓮見先生は、この無鉄砲な発言を受け止めてくださったのです。
「あの通訳は、単に英語力でできるものでない。私の今までの経験から、そう断言できる」。

こうして、海の隔てを越えて手紙のやり取りを重ねたのです。
その上、今年2月28日、お二人の先輩神学牧会者・牧会神学者を訪問する機会すら実現。
 このような背景から、宇都宮キリスト集会牧師就任式にあたり、お心のこもった便りを書き送ってくださったのです。

「就任式のお知らせをいただいて、びっくりしています。
なぜかという,四月五日(土)私は、前々からかかわっていた宇都宮の「さつき幼稚園」(すずめの宮下車)に行ったのです。
 その幼稚園の落成式、学校法人になって初の開演式があったのです。
 実は前日から行ってホテルに泊まりました。
 朝テレビをつけると、キリスト教の番組をやっていました。中々よい番組で途中かでしたが、終わりまで見ました。
 「峰町キリスト教会」といっているではありませんか。
 私は一つの教会で、テレビの番組をもつことにびっくりしていたら、その日の落成式に、最初に独唱して下さった下村洋子さんは、ずい分前から存じていたのですが、そのご夫妻が峰町教会の会員。
 工事を請負った建築者も峰町の教会の人。
 一度この峰町の教会に行ってみたいと思っていたら、就任式の司式が峰町の牧師(同教会の安食牧師が、宇都宮キリスト集会牧師就任式の司式という、まさに火中の栗を拾ってくださったのです。それで式の案内にお名前を心からの感謝をもって記したのです。)。
それに下村さんの名も見えるではありませんか(就任式での独唱者として)。

 就任式にとんでゆきたい気持ちですが、日曜日は、世田谷千歳教会の礼拝とその後も何かとあって、どうしてもでられません。
 残念です。
                     蓮見和雄

 宮村武夫様                              」

 2月28日の訪問において、蓮見先生が21世紀において意を注ぐ課題として、沖縄、イスラム、そして朝祷会と明示なさったと重元先生に報告したところ、
重元牧師からのメ−ルには、
「 宮村先生へ
 蓮見先生の「朝祷会」発言は、目が洗われる感じがしますね。・・・」と。

キリストにあっても、友は友を呼びます。感謝。

パリ在住の40年以上の画家Tomoko KAZAMA-OBER姉とメール交換、感謝

パリ在住の40年以上の画家Tomoko KAZAMA-OBER姉とメール交換、感謝

 宇都宮の坂本道子姉の姉上とメール交換を開始することが出来、感謝しています。パリで40年間画家としてこられた姉妹との対話は、私にとって貴重な新しい経験の始まりです。

★宮村→Tomoko KAZAMA-OBER
「頌主
ある意味で初めてのメール、別の意味で長らくの主にある交流を感謝しつつのメールを、
差し上げます。
BCCで道子姉に差し上げたとおりの思いです。
主にあってよろしくお願いいたします。

忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代」

☆この背後には、宇都宮の坂本道子姉による配慮と備えが
「宮村先生

おはようございます。
いつもお祈りを感謝いたします。

姉偕子(ともこ)に話しましたのでメールアドレスをお渡しします。
姉はアーティストとしてたくさんの方々との交流があり、フランス、東欧、中欧、アメリカ、日本の国をはじめそれぞれの考えに接して感性も刺激させられることが多いかと思います。ヨーロッパで生きていく姉は他の日本人以上に他国の人との交流が深いようです。姉に備えられたアートとキリスト教は主の大きな恵みかと思います。

約40数年前にパリに一人で旅発ちましたが、パリでアーティストとして、妻、母として、どんな思いで生活して絵を描いてきたのかと…。
「神我らと偕に・インマヌエル」の偕子と長女に名付けた父の思いを心に留めていたようです。

姉の枕元には私が贈った宮村先生の著書がおいてあると電話で話していました。
・・・
主にありて
坂本道子」

★宮村→坂本道子
「道子姉
頌主
心のこもったメール感謝します。
「「神我らと偕に・インマヌエル」の偕子と長女に名付けた父の思いを心に留めていた」印象的です。
娘のいない私にとっては、輝きの言葉です。
私の著書のことも光栄です。
偕子姉との直接の交流が、新しい世界へ導いてくださる予感がします。

改めて偕子姉のメールアドレス感謝します。
日光の聖会に備えつつ。
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代」

☆Tomoko KAZAMA-OBER→宮村
「宮村様
初めまして風間偕子OBERです。
妹の道子からはいつもお噂をお聞きしております。
よろしくお願いいたします。
偕子」

★宮村→Tomoko KAZAMA-OBER
「偕子姉
頌主
 メール感謝します。
今後の交流楽しみです、よろしく。
https://youtu.be/Z6BeLx8g3FQ
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代」

☆Tomoko KAZAMA-OBER→宮村
「宮村様
あなたの聖書のお話お聞きました、ありがとうございます。
素敵な色のシャツで沖縄色ですね。

 何年か前の私の体験談を書きます。
夢か、白昼夢か、幻か、分かりませんが、その情景は昼間の空で、頭の後ろのあたりが金色に輝いた白い衣の天使が沢山空中に現れ、私に微笑みかけているのです。
この体験の直後、こんなに沢山のすごい天使達に私は守られているという素晴らしい感激で勇気づけられた事があります。私はそれらを見たいと欲していたのではないのですが、見せられたという感じです。
 それを元に ’天使軍団’ と言う作品を沢山造りましたが、天使は色は白ではなく、あらゆる美しい色を使用しました。
これをパリで発表した時、友人の画家(仏人ですが、オリジナルはユダヤ人)が気に入って小さい作品を買ってくれました。その時の友人の言葉が「この絵は私を守ってくれるから、大事に身近におきますね」と。
私は作品に関して何の説明もしませんでしたが、彼女は何か感じたのでしょう。
 その後別な仏人の作家からの紹介でパリのある教会での展示を要請され、もう既にできているこの’天使軍団’(サイズ130x97cm)2枚を発表したのです。発表するということはとても責任があることなのだと、この小さな出来事で知らされました。
 よく言われる事は私の作品に関して「あなたの作品を見ると元気が出るし、勇気付けられる」と言う言葉でこれはどこの国でも同様でした。
妹にも上記の話はした事があります。
 こういう事はあなたに書かないほうがいいのでしょうか?迷っています。
 偕子」

★宮村→Tomoko KAZAMA-OBER
「偕子様
頌主
 メール感謝します。
聖書における見えるもんと見えないものとの関係。
私が興味を持ち続け、様々な機会で共に考えて来ました。
頂いたメール、この課題に触れており刺激的でした。
私のコラムに実名か匿名で紹介できる可能性があるでしょうか。
以前、風間先生についてかいたことがあります。

日々祝福が豊かにありますように。
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代」

☆Tomoko KAZAMA-OBER→宮村

「宮村様
あなたのコラムに私の実名でかまいませんよ。

後から考えると、先日の’天使’の出来事の何年か前にその伏線があったと思われます。

20年以上も前に何回か北ポーランドのグダニスク(例のワレサのいた場所)の西のバルチック海のウエーバーでア-ト・シンポジューム(ヨーロッパのア-テイストを2週間程招待し作品を造り、発表させその街と人々の意識向上のための貢献)に招待され何回か参加しました。いろいろな所でア-ト・シンポがありますが、ここに招待される作家は所謂ステータスになるようなレベルだったのです。これは後から知りました。

ですからヨーロッパの素晴らしい作家にも会う事ができたのです。ホテルと食事つきで色々な作家との交流もできますが、言葉の壁がここではドンとありました。が作家魂はインタ-ナショナルでしかも直ぐ内心を読み取れる作家が沢山いたので言葉の壁は私にはあまり感じられませんでした。

しかし、ポーランド語・ドイツ語・ロシア語・リトアニア語・だったら話せるという作家の中で突っ込んだ話は無理ですね。テ-マが与えられた時もあり、絶対者・悪魔・男・女・天使、の5年間のうち私は女と天使の2年間あそこに行きました。描くにあたり遠い存在だった’天使’を私は個人に問われたのです。この様な経験を通し、あやふやな私に創作を通し真剣に問いただされたことに感謝をしており、’偕子’の名はどうしょうもない私本人よりすごくてこの名に引っ張られているようです...。ある有名なピアニストに偕子の意味を説明した時、その人は「私も(神と)偕にいる」と答えました。
偕子」

★偕子姉と道子姉の父上・風間牧師について、以下の思い出を書いたことがあります。
1958年4月、東京キリスト教短大の前身日本クリスチャン・カレッジに、私は入学しました。そこは、大学でないばかりか、短大の認可もなかったのです。日本の学制上では、単に各種学校に位置づけられる存在でした。
 ところが、学長ドナルド・E.ホーク先生の広い心と並外れた人脈の目に見える現われとして、実に多彩な方々がチャペル・礼拝の講師として来訪しておりました。
 私がまだクリスチャン・カレッジの下級生であったとき、ある日のチャペルに、その後忘れることの出来ない人物が、説教者として登壇したのです。
 その名は、風間正富。
そうです。道子姉の父上です。

 確かに日本クリスチャン・カレッジの講壇には、多士済々な方々が登場していました。
 しかし風間牧師は、文字どおり登場の仕方が、際立っていたのです。
講壇に立つや否や、驚くほどの声量で、祝詞をあげ出したのです。
礼拝出席一同が、呆気にとられ、度肝を抜かれる中で、尋常ならざる証が繰り広げられたのです。
 13歳のときに、父親死去。新潟で神職に就く親族の養子となったのです。
そのときから、幼いながら神主の仕事を続けたそうです。
 ところが19歳のとき、聖公会の教会が配布したトラクトを手にしたことを契機に、キリスト信仰へ。それがどれ程厳しい道であったかは、今日の時点からでも想像に難くありません(『評伝 風間正富』を書きたいほどです)。
ついには牧師への道へ。そうした激動の歩みの裏づけあっての、チャペルを震わす大声量の祝詞だったのです。
 私がただ一度お会いした、あの時から程なく、風間牧師は50歳の若さで、主のもとに召されたのです。
 風間道子姉との授業を通しての出会いと、父正富先生との礼拝堂でのそれが重なり合って、私の心の奥深く聖霊ご自身による刷り込みがあったと思われます」。

聖書をメガネに 『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』に学ぶ基本メッセージ 宮村武夫

聖書をメガネに 『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』に学ぶ基本メッセージ 宮村武夫

M・スコット・ペック著、森英明訳『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』(2011年、草思社文庫)
M・スコット・ペック著、森英明訳『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』(2011年、草思社文庫)

 かなり長時間をかけて熟読、やっと、あるいはついに読了しました。いろいろ線を引いたり、書き込みをしたりしました。ですから、本書の細部からも、新鮮な示唆を幾つも受けました。
しかし、今回報告したいのは、私なりに把握できたと判断する本書の中心点です。
 著者は、「悪」を軽視も、まして無視もしない。本書の副題、「虚偽と邪悪の心理学」が、この事実をよく表現しています。
悪の実態は、本書の書名、「平気でうそをつく人たち」が、物の見事に指摘します。そうです、うそです。
(1)あることをないかのように言う
(2)ないことをあるかのように言う
この両面を持つ1つの実態(参照:ヨハネ8:44)。しかし、同時に注目すべきは、著者は、善悪二元論のように、悪を絶対視しないのです。

 本書と並行して、毎日の「宮村武夫牧師5分間メッセージ」準備の1つとして読んでいるアウグスティヌス著『ヨハネによる福音書講解説教2』の66、67ページが、1つの明確な手引きを与えてくれました。ヨハネによる福音書6:70、71に見るイスカリオテのユダについての記述を講解している文書です。
 私なりに要約すると、以下の点を含む基本的恵みを無駄にする(汽灰螢鵐硲隠機В隠亜忙実です。
(1)悪、悪人は神のすべての善を悪用
(2)神は悪人の悪しきわざを善用
「悪人は神のすべての善を悪用し、それに対し善人は悪人どものなした悪をも善用する」
「主は彼の悪事を善用したもうた。主はわたしたちを贖(あがな)うために、自分が裏切られるのに耐えられた。見よ、ユダの悪事は善に変えられた」
アウグスティヌス著『ヨハネによる福音書講解説教2』66、67ページ)
M・スコット・ペックが本書において提示しているのは、アウグスティヌスが聖書の講解で提示している善と悪の関係であり、最後には善が勝つという希望についての彼独自の心理学説明です。そうです、悪は愛によってのみ封じ込め得るとのメッセージです。

 1963年から72年まで、M・スコット・ペックは、沖縄勤務を含む9年間、米軍所属の精神科医として働いています。その間に、米国のベトナム政策やベトナムでの米軍の行動に大きな疑問を持ち、そうした経験と思索を通して、本書5章「集団の悪について」が記述されています。

 私は、1963年から67年、ニュ―イングランドに留学。1986年から2011年まで25年間沖縄に滞在したこともあって、上記の「集団の悪について」の記述が心に深く刻まれました。
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◇1939年東京深川生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。2014年4月からクリスチャントゥデイ編集長、17年4月から同論説主幹。


http://www.christiantoday.co.jp/home/news/services/print.php?article_id=24487

2017-09-22

『過去20年におけるペンテコステ神学の深化』 −Gordon D. Fee の 「パウロの異言の神学に向けて」を一例として− 大坂太郎(中央聖書神学校講師)

2007年6月5日JEA総会における、大阪太郎先生講演への応答、その1 講演そのもの提示

『過去20年におけるペンテコステ神学の深化』
−Gordon D. Fee の 「パウロの異言の神学に向けて」を一例として−
大坂太郎(中央聖書神学校講師)

★2009年12月シンガポールの日本語教会に1箇月滞在奉仕した際、大阪太郎先生の名前を初めて耳にしました。
 あれから10数年、ますます深い共感をもって、大阪先生の言動に意を注いでいます。本論文も、2007年の時点と同様、今日の状況においても示唆に富む論考と覚えつつ、じっくり時間をかけて読みました。
 今回は講演そのもの提示、次回は私なりの応答を。

はじめに
今回の総会の総テーマは『世界宣教の潮流から見える日本の教会の課題と展望』であり、その中でJEA から発題者に与えられた課題は「世界宣教におけるアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の貢献」と「ここ20 年におけるペンテコステ信仰神学)の深化」についてであった。
 しかしながら、この二つの主題は夫々が十分に大きな領域である。特に第一主題について言えば宣教論は筆者の専門領域ではないし、筆者の前後には素晴らしい発題者がすでに用意されている。
 ゆえに本発表において筆者は以下の発表を自らの専門領域である新約聖書学に直接的に関連する第二の主題、特に国際的な神学の世界におけるペンテコステ神学の深化について論じ、そこからJEA に属する我々が特に
直面している課題と展望について考えたい。

 日本における過去20 年の福音派ペンテコステ・カリスマ派の関係は複雑な軌跡を描いている。1986 年にJEA が再編された当初より日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(以下JAG と略す)
は加入申請をしていたのだが、いわゆる「カリスマ条項」のゆえに、正式に加入が承認されたのは1988 年の第3 回総会からであった。1
 その後90 年代に入るとJEA は福音主義の中に拡大し、加盟団体に混乱を与えているペンテコステカリスマ運動に対して神学的な評価をし、「力の伝道」に関しての見解を発表した。2
 他方、ペンテコステ・カリスマ派の側からは『ハーザー』や『リバイ
ル新聞』が発刊され、ペンテコステカリスマ運動に同調する教会を「聖霊派」と呼び、「福音派」と対立的な構図で捉える論調が散見されるようになった。2000 年にはいのちのことば社より福音派ペンテコステ・カリスマ派を代表するリーダーによる対談、『21世紀への対話』が上梓され、両派の相互理解に一定の役割を果たした。3
 そのような状況の変化と海外の福音派においてはペンテコステ・カリスマのグループが重要な役割を担っているということもあり、2001 年、JEAは第17 回総会においていわゆる「カリスマ条項」を廃棄し、「開かれたJEA」となるにいたった。4
 しかしこれはゴールなどでは決してない。伊藤も正しく指摘しているように、JEAが教会の公同性を掲げ、共通の認識、理念の共有ということを真剣に考えるならメンバー全員が常に自己吟味と相互理解、そして建徳への努力を継続しなければならないのは自明である。5
 そこで本稿において著者は福音主義ペンテコステ・カリスマ派の相互理解を深めるための一助として、また近年におけるペンテコステ神学の深化の一例としてゴードン・フィーの異言に関する優れた論文、「パウロの異言の神学に向けて」6 を紹介する。
 フィーはアメリカのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の牧師の家庭に生まれ、南カリフォルニア大学哲学博士号を取得、その後ホイートン大、ゴードン・コンウェル神学校を経てカナダのリージェントカレッジの新約部門の教授となり、7現在はNew International Commentary on the New Testament シリーズの編集者としても活躍しており、著作のひとつ『新約聖書の釈義』は主流派福音派問わず標準的な参考書として用いられている。また前述の『21 世紀への対話』において内田はフィーを「ペンテコステの代表的な聖書学者であり、聖書学の世界で一流の学者として認められている」と高く評価し、それを研究するよう求めている。8
 それゆえ筆者は今回のJEA 総会においてペンテコステ派の側からフィーの論文を紹介し、そこから学ぶことは、世界的な宣教の潮流の中で成長、深化したペンテコステ信仰について理解を深め、かつ従来日本の福音主義教会の中にあった聖霊の働きに対する理解の相違からくる交わりの破壊と傷を癒し、再構築させる一助となるものになることを確信する。9
2
「パウロの異言の神学に向けて」の紹介
序論: 現状分析と趣旨
 フィーはまず異言の体験とその神学的主張がペンテコステ派を特徴付ける主要な文脈の一つであることを述べ、それはよく「新生とは別個な、そしてそれに続く体験」いわゆる「聖霊バプテスマ」という枠組みの中で理解されてきたと述べ、それは主に使徒行伝の記事から議論されてきたと言う。そしてこの聖霊バプテスマの受領のしるしとしての異言理解はパウロ書簡における異言理解にも一定の影響を与え、結果、ペンテコステ派において異言は
 聖霊バプテスマ」の最初の身体的なしるしとして、
△泙仁酖な賜物として個人的な祈りの言語、また公の集会では解き明かされることに伴う異言によるメッセージを伝えるものとして考えられてきたという分析をする。
 さらにフィーは上述の理解の結果、ペンテコステ派においては往々にして汽灰12-14 章においてパウロが主張している以上に集会における異言の価値を引き上げる状況が起こっていると言う。
 とは言えペンテコステ派のほとんどは異言をキリストにある生活の最高位に置いているなどということは当然ない。他の福音派同様、ペンテコステ派はその神学的強調点を疑いなくキリストの人格と働きに置いている。だがペンテコステ派の礼拝を特徴付ける異言の現われとその強調は結果として傍点は筆者)ペンテコステ派と他の主にある兄弟姉妹とを分ける、分岐のシンボルになってしまっていると説くのである。

 以上の状況分析を踏まえ、フィーは本論文の主旨を次のように述べる:
パウロの異言理解は競灰12:9「わたし(=神)の力は弱さのうちに完全に現れる」におけるパラドックスの内に認められるものであり、それゆえに異言は「強さ」(or 霊的優越をあらわすものではなく)、弱さを現すものである。10
 上記の主旨を証明するためにフィーは4 つのステップを用意する。それらは、
1)パウロ書簡における「力」と「弱さ」の概観し、
2)1コリントからパウロの異言についてのデータの検討し、
3)上述のデータがパウロの謎めいた表現とも取れるローマ8:26,27 の御霊による祈りとよく対応していることを指摘し、11
4)それらの「み霊によって祈る」ことに関するデータが弱さの中にある力というテーマに適うものであるかを指摘し結論付ける。

1.パウロ書簡における「聖霊」、「力」、「弱さ」の終末論的関連
 フィーはまず、パウロとその神学を理解するためには彼の神学的活動の全般にわたって聖霊が決定的な役割を果たしていることを認めねばならないと述べ、聖霊の働きは終末論的な枠組みの中で語られていると言う。その上でフィーは終末論と聖霊の関わりについて次の2つの焦点を挙げる。
 まず聖霊は旧約聖書の終末論的約束の成就として、未来が「すでに」来臨していることの証拠(evidence)となる。と同時に終末の最終章は「いまだ」到来していないから、この終末が突入した現世において聖霊は終極的な栄光の保証(guarantee)となると主張する。
 次にフィーはパウロ書簡に固有の「力」と「弱さ」のアンビバレンス(二重傾向)について論ずる。
 パウロ書簡における「力」は一方では聖霊の臨在を証明する可視的な表れとして明白に描かれている。(1コリ2:4-5; ガラ3:5; ロマ15:19) 特にガラ3:2-5などにおいて教会の中に奇跡が継続していた事実から見ると、パウロが宣教した教会は会衆の中に力強い聖霊の表れがあったということによって将に「カリスマ的」な共同体であったと言える。
 しかしパウロはまた聖霊の「力」と現在の「弱さ」との間にも密接な相関関係を見ている(ロマ8:17-27; 2 コリ12:9; コロ1:9-11)。
 パウロの視点に拠れば「キリストを知る」とは「(キリストの)復活の力を知る」と共に「(キリストの)苦しみに与る」ことであり、そこから考えるならキリスト者が受ける苦難は主ご自身が本当にその人の主となることを意味し、その結果主の模範に従う歩みは「キリストの苦しみの欠けたところを満たすもの(コロ1:24)」となるという分析がなされる。
 これらのことはパウロの説くキリスト者経験とその終末論的理解、即ち「すでに、、、いまだ(already…not yet)」の構造が強く反映された結果であるとフィーは言う。
 パウロにとっての「現世」と「来世」の緊張は、「現世」は全て苦しみであり、来世がすべて栄光であるというような単純なものでは決してない。寧ろ賜物として与えられる聖霊、また神の力としての聖霊によって、未来は確かにこの世界に突入していることが示されると同時に、現世の苦しみの中にも、キリストを死からよみがえらせた力が「すでに」働いているのだとフィーは主張するのである。
 続いてフィーはパウロに見るこのパラドックスは近代人に多くの難しさをもたらしていることを指摘する。現にこの「力」と「弱さ」を包容することに失敗した教会は、霊的生活の衰微を招くことになった。しかしパウロ並びに他の新約聖書の記者たちは幸せな緊張の中に聖霊と力を位置付け、保持していたのである。そしてこの「力」と「弱さ」の真ん中にパウロは「聖霊」を位置付けている。
 言い換えるなら「極端な中道主義」とも言えよう。そしてこの「極端な中道主義」こそパウロ書簡における異言理解の鍵になるとフィーは指摘している。

2.パウロ書簡における「異言」
 パウロが特に異言現象について論述しているのは1 コリント12-14 章のみであることはよく知られている。また種々の理解はあるにせよこの箇所における異言についての言及はコリント教会の異言の乱用を修正するためのものであり
(傍点はフィー自身による)、異言について更に神学的に教示するためのものではないことも既知のことである。その意味でここから異言の神学を構築するには当該箇所から導き出されるものを神学化する作業が不可欠であるが、注意深い分析により以下の結論が導き出される:
異言は御霊によって促された発話である(1 コリ12:7-11; 14:2)。
▲僖Ε蹐異言を実際の言語と理解していたかということについては不明確ではあるが、全般的な証拠から見るとそれはないと結論付けられる。
0杆世牢靄榲に話者(14:14)、聴者(14:16)にともに理解不能なものであり、それゆえに集会においては解き明かしが必要となる。
14:27-28 における集
会における規則および14:32「預言者達の霊は預言者たちに服従する」ということから考えると異言を語るものはいわゆる恍惚状態にいるとは考えられない。
グ杆世牢靄榲に直接神に向かって語られるものであり(14:2,5,28)、その内容は祈り、歌、祝福と賛美、および感謝である。
集会において異言を語ることをパウロは禁止していないが、それを勧めてもいない。むしろパウロは集会においては他者が理解できるように理解可能なことば、即ち預言を求めよと言う(14:1, 3-5, 6, 9, 12,16, 19, 24-25,28)。他方、個人的な祈りのためのひとつの賜物としては、パウロは異言に対し
て非常に高い関心を寄せている(14:2, 4a, 15, 17-18)。たとえそれが語るものにとって意味の判らないものであったとしても、そのような御霊による祈りは語っているものの徳を高めるからである(14:4)。
 以上の分析を踏まえ、フィーは特にその ↓、ぁ↓ァ↓Г侶誅世肇蹇璽8:26,27における「御霊によって祈る」こととの間にある重要な対応関係を指摘し、この「言いようもない切なるうめき(stenagmoi/j avlalh,toij)」の釈義的、かつ現象的な最上の結論はこれを「異言(glossolalia)」とし
て理解するべきであると主張し、更に自らがこの見解に至った12 のは以下の理由付けによることを示す。
 まず1コリント14 章とローマ8章の両者において御霊は信者の内に、また信者を通して祈るものであることが描かれており、それらが精密に呼応していること。
続いて「御霊の、言いようもない(avlalh,toj)うめきによるとりなし」という表現はパウロが初代教会においてごく通常的であった体験に訴えていると考えるのは理にかなっているということを取り上げる。
 というのはローマ書の読者はパウロを個人的には(名声については知っていたこそすれ)知らなかったからパウロ個人的な体験をもって説明するのでは説得に乏しいからである。そこでこの「御霊のうめきによるとりなし」という表現が表すものは何かと考えると、新約聖書には「異言」以外に目ぼしいものがないという事実がある。
 さらにパウロがローマ8:26,27 で「異言」ではなく「言いようもない切なるうめき(stenagmoi/j avlalh,toij)」という表現を用いたのは、純粋にその文脈との関連によるものであることが明白だから(ローマ8:22,23 における被造物のうめきと終末論的緊張の中で信徒もまたうめくということの関連)である。
 以上のことからフィーは確かにここでは「言いようもない(avlalh,toj
=unspoken)」という表現を用いてはいるものの、それは「無言の祈り」を指すのではなく、13 むしろ「自分の母語では決して表現し得ない、発声の伴った祈り(傍点は筆者による)」を示すと考えられると語る。
 このようにパウロがローマ8:26,27で語った祈りは「御霊による祈り」であり、この表現は実に1コリント14:15,16においても用いられている。ゆえに御霊によって祈るということはパウロにとって「異言」で祈ることになると理解するのは自然な理解であるとフィーは主張する。
 だからこそパウロはこの異言の祈りについて、別段証明するでもなくまた矛盾をも恐れずに、この現象を公共の場で表現することにプライドを持っていたコリント教会の人々に向かって「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を語す(祈る)ことを神に感謝していますが、、、(1コリ14:18)」と語っていたのだとフィーは結論する。

3.異言に関する神学的な提案
 以上、注意深く丹念な考察を経て、フィーは現代教会に対しての神学的提案をする。
仝什の教会が異言の位置付けについて考えるとき、まず必要なことはパウロ自身の異言についての見解である。
 パウロはある人々が議論するように異言をおぼろげな賛美だとこき下ろすこともなければ、コリント教会が、そして後のペンテコステ・カリスマ派の一部がしたように異言を過度に持ち上げてもいない。彼は異言を適正な位置に置くべきだと語っている。

異言現象自体については二つのことを覚えるべきである。
まずパウロの共同体における異言の使用に関する規則(1 コリ14:27,28)
から示すとおり、異言を語るものはいわゆる忘我状態の熱狂や制御不能の状態ではないということである。コリント教会において未信者が集会中に異言を語る人々を見て「気違い」と思うのは、その熱狂的な活動によるというよりもむしろ理解不能な言葉が語られることや、秩序の混乱によるものだとフィーは考える。
 つぎにいえることはパウロは異言を実際の言語であるとはみなしていない
ということである。確かにパウロは1コリ14:10-12において一般の言語を引き合いに出しているが、それはあくまで類比(analogous)に過ぎないと判断し、このことの理解についての切り口になるのは13:1 における「み使いたちの言葉(口語訳)」であるとの理解を示す。このことばは前後関係から考えると異言を指すのは明らかであり、14 歴史的文脈の研究は一般にコリント教会の人々がこの「み使いたちの異言」を天的な未来を自分たちが先取りした「しるし」として考えていたことを教えている。

0杆世語られる対象についてはそれが神ご自身に向けられるものであることは明白である。パウロは預言との対比を用いて異言の向かう先は神であることを明示しているし(1コリ14:2,14-15, 28)、同様にローマ8:26,27 においても、聖霊がうめき祈るのは信徒の心を通って神の御心にそうように祈るということからもそれが示されている。
 これを起点として考えると二つの考慮すべきことがあるとフィーは言う。
まずペンテコステ派で散見される「異言のメッセージ」、つまり「異言を用いて会衆に向けてメッセージが語られる」という事象についてのパウロ書簡からの支持は多くはないということである。異言とは本来神に向かって語られるものだからである。
 次に会衆での礼拝における異言の使用についてであるが、共同体を建徳していくという観点から、パウロが理解可能な言葉(i.e. 預言)を語ることを異言以上に重視しているのは自明である。もちろん解き明かしのついた異言についていえばそれを拒絶することはないが、共同体の礼拝の中でそれ(i.e. 異言+解き明かし)を熱心に求めることについては一定の留保があったことを示している。

ざ饌療な異言の使用については異なる状況において異なる見解が示される。 まず集会時であるが、パウロの1コリントにおける論調を支配しているのは共同体の「建徳」であるから、集会時においては会衆が理解可能であり、教会が建徳される言語による祈り(即ち「知性における祈り」)が語られるべきだ
と主張している。
 他方、同じくパウロは「建徳」という見地から、彼は個人の祈りのことばとしての「異言」の効果を認めている。確かに異言の祈りには「何が語られているか」の理解は祈っている本人にはなく、それゆえ知性は実を結ばない。にもかかわらず、御霊ご自身が聖徒のために執り成しをすることによって(ローマ8:26)個人の徳は高められるのである(1コリ14:4)。
 フィーはこのような理解をもつことは啓蒙主義に重度に影響された西方キリスト教圏においては衝撃的であることを認めているが、なおローマ8:27はこの種の建徳についての神学的な鍵となると述べている。
「御霊によって祈る」ことは神への信頼を表す。と言うのは神は御霊の思いを知っており、御霊はみ旨にかなったとりなしを聖徒に代わって成すからである。

ゥ僖Ε蹐僚末論的枠組みにおける異言の位置は以下のように考えられる。先に見たとおり、パウロの終末論的枠組みは聖霊が未来が既に到来していることの証拠であると同時に、将来に向かっての終局的な保証であるということであ
ったが、ここに御霊による祈りである異言を位置付けると何がわかるだろうか。
 まず考えられることはパウロ自身はそれをコリント教会が考えていたような、輝かしい未来が現在に到来していることの証拠としては捕らえなかったのだということである。それは寧ろローマ8:26,27が示すように、現世のあらゆる困難、苦しみ、弱さの中での聖霊の助けであり、それがゆえに「異言」は信徒に対して、究極的終末の来臨を待望させる契機を提供するしるしとなるのである。
 ゆえにパウロが異言や預言などの所謂「み霊の賜物」は現世のみのものだ(1コリ13:8-13)と語るのはごく自然の帰結であり、それはまたローマ8 章の文脈、即ち被造物すべての「うめき」に呼応して信徒の心のうちにある聖霊がうめき(異言によって)、とりなしながら主の復活と賜物として与えられた聖霊によって既に表された神の力が未来において究極の完成を見ることを待望するという理解とも非常によく符合していることが解るのである。

結論
 フィーは以上のべた神学的な意義は大きいと言って自らの論文を総括し、まずペンテコステ・カリスマ派における異言理解とパウロのそれとの間にある対比に着目する。
 「聖霊に満たされる」ということは満たされたものに力を与えることは確かであるが、ペンテコステ・カリスマ派において異言はしばしば「強者」の位置にいるものの証拠として考えられてきた。
 しかしフィーの分析によって明らかにされたことはパウロにおいてはある人が異言を語っているのはその人が「弱さ」の内にいることのしるしであるということである。
 というのは異言で祈るとき、人は「私たちがなすべき祈りについて全く無知である」からである。しかし実にその「弱さ」の中で私たちには私たちを通
して神の目的にかなわせるように祈る御霊の助けを体験するのである。15
 この「弱さ」を意味する異言理解はもうひとつの道を示す。確かに異言は制御不能の恍惚の中で語られるものではないが、他方一般理解における「制御可能」ということ以上の状況がそこにはあるともいえるということである。
 ある人が異言を語っているとき、その人は神が私たちに対して持つ純粋でまったく偽善のない愛を信じ、おのおのの人生における課題や問題のすべてを明渡し、あまつさえ人間のなかで最も不義な器官である舌をも神の裁量に委ねきっているからである。そこには絶対依存の構図がある。
 これが故にパウロは「知性の祈り(=他者のための祈り)」と「霊による祈り(=自らのための祈り)」の両者の必要性を主張した理由なのであるとフィーは主張する。
 更に「弱さ」の位置から祈ってゆくことを強く主張することによって、祈るものが自身がすべてのことに対して神により頼んでいることを確認し、その時に「弱さの中に働く力」が顕れるという図式が生まれるのである。表現を変
えれば、異言で祈ることによって、御霊こそが私たちの弱さの只中で神の強さが完成される唯一の道であることが解り、そこで弱さは信徒にとって究極の強さになる場所となり、その意味で異言による祈りは人間の弱さの只中における自由と力となるのである。

 最後にフィーは今まで展開してきた視点が正しければ、なぜパウロが異言についてこのようにわずかではあれ、積極的に語ったか、あるいはパウロが彼の個人的な祈りの生活における「異言の祈り」が異言を霊的強者のシンボルとして誇り、無節操にそれを用いることによって集会を混乱に陥れていたコリント教会の信徒たちよりも凌駕していたことをわざわざ主張したのが理解できると主張する。聖霊によるキリストの臨在は神の力と知恵との現れであるが、それは人間の弱さの中で展開されるものだからである。これこそがパウロがコリント教会に対し「十字架につけられたキリスト」以外について知ることを拒否した理由であり、またパウロが弱さと苦難と入獄と侮辱を知りながらも力を与える聖霊について大胆に語りえた理由なのだとフィーは語り、上記のことすべてを総合すると異言の祈りはパウロの神学的見解全体に合致するものであるとのべている。

結論にかえて
「パウロの異言の神学に向けて」が指摘する結論はフィーが生まれ育ち、また発題者が現在所属しているクラシカル・ペンテコステ派、即ち「新生とは別個の、そしてそれに続く体験としての、また異言をその受領の肉体的な最初のしるしとする聖霊バプテスマ」を教理とするグループにとっても、また啓蒙主義の影響を強く受け、ペンテコステカリスマ運動に対して一定の警戒心を持
ち、異言について非常にネガティブな評価をしている人々16にとっても共に「ラディカル」に感じるのではなかろうか。
 しかしながらこと彼の方法論についていえば、それは実に福音主義的な神学形成であることに異論はないだろう。フィーのしたことは聖書という「揺るぎない基盤」と真剣に格闘し、時には自分の過去の見解を修正しつつ、真理に肉薄していくという一連の作業であり、時には自らの信仰個条も例外なく再検討していく。17 これこそ私たち聖書信仰に立つものたちが模範に
すべき神学形成のステップだと筆者は考える。
 冒頭にも述べたように、米国をはじめとする諸外国においてペンテコステ派福音派の一翼を担う教派として認知されて久しいが、日本においては未だに「福音派」と「聖霊派」がとかく対立的に捕らえられているという、ある種悲しむべき現状がある。18
 私たちJEAに所属する者がそこから脱却し、前述した沖縄宣言に則り、『和解の福音』を福音派ペンテコステ・カリスマ派の間に具現化し、日本の宣教に共に参画するためには共通の聖書観を堅持し、その基盤の上で建徳的な対話
を「知性によって」続けていかねばならない。19
 地上における神の民は「すでに、、、しかし未だ」の終末論的緊張を生きる存在である。それは栄光の教会を待ち望む戦闘の教会であり、「改革された教会として常に改革されなければならない」20常に途上にある共同体である。ゆえにこのような交わりの場において聖霊の導きを求め、時に言葉の弱さに燃え尽きるようになったとしても、JEA全体の建徳のため、共同の対話を続けていくことが強く求められる。21
「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。(使徒10:47)」
 ルカ文書において聖霊は本来異邦人ユダヤ人をイエスキリストの信実の下に一致させる「しるし」であった。22 その聖霊に「派」という言葉付け足して用いてきた奇妙で皮肉な現代日本の宣教状況を打破するためにも23 その「弱さ」の只中で互いに聖霊の語りかけを聞き、また時には御霊ご自身
のうめきのとりなしに助けられつつ、「霊によって」祈り、歩むことを切に願うものである。

1 伊藤顯榮「開かれた福音派」『21 世紀の福音派パラダイムを求めて』(いのちのことば社、2006 年)26,27 頁。
2 倉沢正則「神学委員会−JEA 専門委員会の歩み−」『21 世紀の福音派パラダイムを求めて』(いのちのことば社、
2006 年)69 頁。
3 福音派からの対談者であった内田和彦はこの対談を終えた感想のタイトルを「相違点に勝る共通点を見出して」と
しているが、これは互いの相互理解が進んだ証左として捕らえられるものであろう。詳しくは内田和彦・万代栄嗣『21
世紀への対話福音派ペンテコステ・カリスマ派の明日』(いのちのことば社、2000 年)202-207 頁を参照のこと。
4 伊藤、「開かれた福音派」28 頁。
5 同上。
6 原題は、Gordon D. Fee , “Toward a Pauline Theology of Glossolalia” in Pentecostalism in Context ed.
Wonsuk Ma and R. P. Menzies (Sheffield:Sheffield Academic Press, 1997), 24-37.
7 伊藤顯榮「ペンテコステ的聖書解釈の問題」『真理の炎』(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団講壇編集委員
会:1989 年), 47 頁。
8 内田・万代『21 世紀への対話』32,197 頁。
9 JEA「第4回日本伝道会議・沖縄宣言
10 Fee , “Toward a Pauline Theology of Glossolalia”, 25.
11 このテキストにおける「御霊のうめき」を異言だと同定する解釈者はドイツ圏に多い。例えばO.クルマン、『新約
聖書における祈り』(教文館、1999 年)146-151 頁。E.ケーゼマン、『ローマ人への手紙』(日本基督教団出版局、
1980 年)453-454 頁など。他方、これを異言と認めないものも少なくない。特に日本の福音派においては小林高徳が
文脈上、異言による祈りとは無関係である」と断定しているが、その論拠はA.J.M. Wedderburn に依拠しているよ
うである。詳しくは小林高徳、「ローマ8:26,27 における祈り−パウロの宇宙論的終末論と苦難の中の友情−」『福音
主義神学』第35 号、91-110 頁。特に108 頁。
12 興味深いことにFee , “Toward a Pauline Theology of Glossolalia”, 29.によれば、フィー自身はかつてはロ
ーマ8:26,27 を「異言」と同定してはいないことを明言している。実際に80 年代に出版された Dictionary of
Pentecostal and Charismatic Movementsにおいてフィー自身が執筆した「パウロ書簡」の項目には「あるものはロ
ーマ8:26,27 を異言と見、実際に1コリ14:2 の関連から考えるとそのような祈りを含むめる可能性はあるが、この
コンテクストでは信徒が自身の限界のとき、すなわち言葉を見つけられないときの御霊がとりなしへと導くことを指
す(680 頁)」と述べており、1コリ14 章とローマ8:26,27 を対応させることには消極的であったことが伺われる。
13 Fee, “Toward a Pauline Theology of Glossolalia”, 30 の注15 においてフィーは、「何よりもまず古代にお
ける祈りと朗読は言葉を口にするという理解から考えると、祈りや朗読は声に出してなされたものであろう」という
が、これは説得的な議論である。
14 因みに新改訳は「御使いの異言」、新共同訳は「天使たちの異言」である。
15 異言の祈りをこのような「弱さ」との関わりで捕らえた小説に、田中小実昌の『ポロポロ』(河出文庫、2004 年)
がある。田中は独立教会の牧師をしていた父が異言の祈り(=ポロポロ)にいたった経緯について以下のような興味
深い分析をしているので以下に紹介する。「父は「信仰あやふやになり、不安なりません。ああ神様、どうしたこ
とでしょう?どうなるんでしょう?イエス様どうにかしてください」となやんで、うったえていたのではないか。(中
略)そんなふうに、苦しみながら祈っているときに、父はポロポロがはじまったのだろう。それは、その瞬間、見よ、
天は開け、なんていわゆる劇的なものだったのではあるまい。だいぶ前から、どうも、ぽこんぽこん、なにかがつき
あげてきて、そのたびに、祈りの言葉もとぎれ、こりゃおかしいな、とおもっていたのが、ひょいと気がつくとポロ
ポロわめいていた、といったぐあいではなかったのか。(中略) また父は自分が祈りの言葉を失っているのにも気
がつき、失った言葉をとりかえそうとするのだが、口から出るのはポロポロばかりで、といったことではなかったの
か」(『ポロポロ』31 頁)
16 一例を挙げるならばジョンR.W. ストット 『今日における聖霊の働き−聖霊バプテスマと満たし』(いのちの
ことば社、1978 年)172-177 頁。ここでストットは「聖書の神は理性的な神であり、非理性的なものや、理解できな
いものを喜ばれない(172 頁)」や「クリスチャンの祈りと賛美において、知性が積極的にそれに関わっていないよ
うなものは考えられないということであることは明らかである(174 頁)」と言っているが、これらのコメントは彼
の理性偏重主義を如実に表していると言える。これに対して、ワトソンは「この賜物(即ち異言)は非合理的、非理
性的、非論理的、愚かという意味ではなく、超合理的で普通の合理的会話のレベルを超えている」というが興味深い
コメントである。詳しくはD.ワトソン 『御霊にあって一つ』(栄光出版、1994 年)122 頁。
17 ウィリアム W. メンジース、「21 世紀の神学的課題」『CBC 論集(2003.4)』17 頁。ここでメンジースはアッセン
ブリーズ・オブ・ゴッド教団が元々は信条主義えを拒否する形で『基本的真理に関する宣言』が作られたのに、何時
の間にかこれが信仰箇条的なものになってしまったことを述べ、それを改変することの困難について述べるとともに、
神学の暫定的な性格についての理解は必要だろうと述べている。
18 渡辺睦夫 「“福音派”と“聖霊派”そんなに違うか?」 『リバイバル新聞』2007 年5 月6 日号。この記事で渡
辺は過去にペンテコステ派やカリスマの背景を持つものが米国福音主義同盟(NAE)の理事長となったことがあるこ
とを指摘している。また米アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の総理、トマス・トラスクはNAEの理事でもある。

2017-09-21

信仰の継承(世々の聖徒の交わり)                        宮村武夫先生壮行会説教

信仰の継承(世々の聖徒の交わり)
                川越牧師      
宮村武夫先生壮行会説教
                   
                詩編19編1〜5節
1コリントの信徒への手紙一15章3〜5節
★私たちのクリスチャントゥデイを中心とする働きと生活は、沖縄での25年の経験と出会いから切り離せません。
 この恵みの事実を、川越弘先生と重元清先生が呼び掛けて開いてくださった、私たちの送別会ではなく壮行会と強調された会での川越先生の説教が、年と共にさらにはっきり示してくれます、感謝。
 
☆「私が宮村先生の壮行会の礼拝の説教をすることは光栄なことです。
先生は25年間沖縄で働かれたということですが、私は2年前にこちらに来ましてちょうど交替になるような形になりました。私も先生と同じ25年間働けばちょうど90歳になるのですが、それだけ働くことは無理としても、なるべく長く沖縄で働きたいと思っております。
 
 宮村先生との最初の出会いは、1969年の春です。東京基督教大学の前身の東京キリスト教短期大学の学生の時でした。今から43年ぐらい前でしょうか。宮村先生はハーバード大学から帰り、東京キリスト教短期大学で教鞭を取られ、新約教団の寄居教会から通っておられた新進気鋭な先生でした。私たちは、先生の新約釈義の授業を新鮮な思いをもって受けました。

 今日の説教の題は「信仰の継承」、副題として「世々の聖徒の交わり」です。先生の講義を通しまして、私は私なりに信仰の継承、別の言い方をすれば教会の財産の継承と言いましょうか、「世々の聖徒の交わり」を経験しているということではないかと思います。
 パウロはコリントの信徒への手紙一の15章3節で、「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。」と記しております。
ここで「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです」と言って、神の言葉は受け継いで信仰は継承するものだと言うことを、語っております。私も宮村先生の新約釈義の講義から同じような経験をしております。あれから40年以上にもなりますが、その時の講義から問いかけられた神学思索が、私自身の血となり肉となって歳を重ねるごとに新しく確認させ、牧師としての新しい生き方を歩ませ、今日、ここに存在しているということです。
それは、1コリント12章12〜27節の釈義です。そこにこうあります。「体は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。私たちは…、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。…全てが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても一つの体なのです。…体の中で他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。…それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が喜ぶのです。あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」。
ここから、キリストの体なる教会の「個と全体」を教えられました。頭なるキリストの肢体のそれぞれが全体を担うことによって、個が個として目覚めて行くというパウロの論理です。それは全体主義個人主義とか言うものではなく、個が全体に愛をもって責任を担って行くことから、個である私が目覚めて行くということです。
 この教えが私の心を取らえ、神学校の図書館で村田四郎の「パウロ神学の根本思想」という書物に出合い、そこにコリント第一の手紙12章12〜27節の釈義がありました。戦争中に書かれた黄色く赤茶けた古い本でしたが、そこに同じようなことが書かれていました。戦争中の全体主義皇国史観の真っただ中で、全体主義でなく個人主義でもなく、キリストの体において個が全体に責任を持つことによって個人として目覚めるということです。そこでいっそうの確信が与えられ、ここから私の個人主義から抜け出すことができたのです。牧師になって、さらにこの認識がいっそう深められました。私自身の訓練や信徒を指導することにおいても、キリストの奉仕に関して教会全体の責任を自分自身の責任のこととして担うことから、個々人の信仰が建て上げられていくということを、私の生き方のテーマの一つとしてきました。

 私は、1982年1984年、同盟教団ヤスクニ委員会主催で、韓国の教会の視察に行きました。日本の植民地時代の朝鮮・韓国を巡る旅行でした。そこで衝撃を受けたのは、パゴタ公園に展示してある3・1独立運動のレリーフを見た時です。
 また提岩里教会の迫害の事件とチョン・ドンネさんに出合った時です。そこで天地がひっくり返るような驚きを感じました。これまでの私の知っている日本の歴史は、日本から見た歴史でしかなかったのですが、韓国の人たちから見た日本の歴史を知ったからです。日本は植民地政策で韓国の人たちをどれほどしえたげてきたことか、日本の教会は朝鮮・韓国教会に何をしたのか、知れば知るほど大きな衝撃を受けたのです。

 私は戦後生まれですが、ここから教会の戦争責任、教会の負の遺産を担うことを考えるようになりました。キリストの体なる教会の痛みを自分の痛みとして行くこと、過去の教会の罪責を自分の罪責として、自分の問題として担って行くべきことを、このパウロの言葉から考え始めたのです。
 そして沖縄に2度、同盟教団の靖国委員会のツアーでやってまいりました。そこで知らされたのは教会の負の遺産でした。沖縄戦の時、牧師たちは信徒たちを沖縄に残したまま疎開したために、ヤマト牧師たちへの不信感が強く根底にあることを知って、心を痛めました。
 私もいざ沖縄戦と同じ出来事に遭遇した時、すぐにヤマト疎開するような者でしかないと思って、自分が悲しくなったのです。そして、ここでも教会の過去の責任と自分にのしかかって来る責任を覚えたわけです。そのようなわけで、結果として私が沖縄に来ることになったのです。私がすることは、太平洋に石を投げるようなものでしかありません。
 
 私がここに至ったのは、宮村先生という器を通して知った聖書の言葉が、自分の中で光を灯していたからです。消えるどころかその光がもっと輝き出して、今の私を形造って宣教の道を歩み出させているということです。
そのようなことで、パウロは「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです」と言っておりますように、神の言葉信仰の生き方は、前の世代から継ぐものであることを、経験してきたわけです。こうして信仰の財産を受け継ぐといいますか、人間としての生き方の財産を受け継いで、この財産をこれから生きる次の世代に継承して行くということが、「聖徒の交わり」ではないかと思うのです。
 聖書を読むということは、一人で読むのではなく、信仰の先達や多くの兄弟姉妹と共に聖書を読んで真理を確かめると言うことと思います。それは古代から宗教改革から今日に渡って、世々の教会の兄弟姉妹と共同して聖書の真理を確かめ、恵みを共有しているということです。共同して信仰の真理を確かさと恵みを共有して次の世代がそれを担う、それが私たちの信仰告白ではないかと思います。
 科学は新しいデータ‐を調べて分析したりして発表することですが、10年後50年後100年後には、新しい発見と新しい発表がなされ、それに付け加えられたり覆えされたりひっくり返されたりします。学問はすべてそういうものです。
 ところが信仰告白は、それと性質が異なっております。神の言葉ですから、私たち人間は神の言葉を把握できませんので、多くの信仰者と共に聖書を読んで真理を確かめ合うのです。キリストから直接聞くだけでなく、前の世代の聖書の読み方を学びつつ、キリストから聞いて行くという仕方です。これまでの聖書の読み方や信仰告白を、習慣的にそして盲目的に受けとめるのではなく、今の時代を生きる者として、これまでの聖書の釈義や信仰告白をさらに鋭意に吟味して、そうして同じ神の真理をさらに新しく確認し、それを次の世代に継承することです。パウロは、「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです」と言っているのは、そういうことです。このことを私も信仰の先達から受けて同じ経験をしているのです。
 
 宮村先生は、これから千葉県の市川市で新しい生活を始められます。先生は自分のことを、「十字架を背負うカタツムリ」と言っておられます。じっくりと腰を落ち着いて、目の前にどんな障害があろうとも、いつも前に向かって歩き続けるカタツムリだというのです。先生は、また、歳を重ねて行くことは常に前に向かって歩むことなのだ。死を迎える生き方は、昨日よりも今日、今日よりも明日と一つ一つ常に前に向かって、目の前にある壁を超えて行く生きることだと言っております。このようにして自分の死を迎えることは、私たちにとって励みです。私たちに、キリストの復活があるために、このようにして歳を重ねて行くことが出来ることは幸いなことだからです。
 
 聖書には「世の終わり」という教えがあります。私たち信仰者はこれを希望として信仰の闘いをしております。「世の終わり」は、「世と世の慾が過ぎ去る」ことで、キリストの真理が世界を覆うことです。人間の慾と偶像礼拝は過ぎ去り、アルファーでありオメガー・始めであり終わりである神の真理だけが世界全体を包み、神の真理に完全に従ったキリストが世界の中心に立ちます。
 こうしてキリストが再びおいでになることは、十字架上で私たちの罪を償ってくださった御方が再びおいでになることですので、私たちにとっては、慰めであり希望です。キリストから信仰をいただいた私たちは、信仰の闘いをしているのですが、まるで敗北者のような信仰の闘いです。それでも、キリストの再臨は、十字架上で私たちの罪を償ったキリストが来てくださることですから、私たちの不完全な信仰と不十分な服従と奉仕を、キリストの方から完成してくださるために来てくださいます。ですから、足りない私たちの信仰と足りない奉仕であっても、私たちは精一杯差し出して行くようにしてくださいました。
 宮村先生は東京から沖縄を新しく見つめ、その視点からオピニオンリーダーとして後輩を指導して行くビジョンを持っておられます。
 私たちも同じように、沖縄のこの場所で、沖縄という歴史をもった中で、沖縄の課題を担いながら、教会形成と宣教の働きをして行きたいと思っています。私たちは世の終わりの希望とキリストの再臨というキリストの罪のゆるしの励ましの中にあって、励んで行きたいと思っています。
宮村先生もそう願っておられることではないかと思います。お互いにキリストの再臨を待ち望んで、与えられた務めを邁進して行くことが出来れば幸いです。
 タラントのたとえのように、自分に与えられた1タラントを地面に埋めるのではなくて、足りない信仰と足りない服従と奉仕であっても、キリストが償ってくださることを信じて、精一杯人生の終わりまで捧げて、お互いに歩んで行きたいと思います。

敬愛する順天堂大学樋野先生の、ますます対象が広がる証言の報告

敬愛する順天堂大学樋野先生の、ますます対象が広がる証言の報告

「宮村先生
感謝申し上げます。

樋野

第4回「楕円形の心」
『人の顔を輝かし、その顔の固さを和らげる。』〜人生は出会い 〜

島根大学医学部 3年生の「病理総論」の講義に赴いた(出雲市)。
病理学の教授からは「学生の感想もたくさんありました。いずれも先生の講義に感銘を受けたというものです。」と、心温まる励ましのメールが届いた。
講義に先だって、島根県大田市立病院の医師臨床研修推進室の方と面談した。今年10月「出張指導」の依頼を受けた。
前夜、故郷に帰郷した。翌朝、既に廃校になった『鵜鷺中学校』で、地元の人、同級生と「鵜鷺メディカル・ヴィレッジ」構想について語り合った。
その後、姉と母(94歳)が、車で、島根大学医学部病院まで、送ってくれた。車の中から、涙を流しながら、手を振る母の姿は、まさに『人の顔を輝かし、その顔の固さを和らげる。』(伝道者の書8章1節)である。

文京区立 汐見小学校 6年生に「がん教育」の授業の機会が与えられた。
1人も寝る生徒もなく、多数の質問もあり、お母さん達も、参観されていた。筆者の『鵜鷺小学校』(廃校)時代を語った。まさに、「Boys be ambitious !」(少年よ 大志を抱け!)である。筆者の最初の本『われ
21世紀の 新渡戸とならん!』(2003年)の『われ 21世紀の 新渡戸とならん新装改訂版』が、来年、出版される様である。驚きである。自分の思いを越えて、時は進むことを痛感する。

週末、広島で講演「がん哲学外来 〜 人生は出会い
〜」(三滝グリーンチャペルに於いて)の機会が与えられた。台風の進路と逆方向で、まさに「人生いばらの道にもかかわらず宴会」の心境であった。広島大学医学生も聴講し、広島在住の姉夫妻も来て下さり、久しぶりの再会は嬉しかった。充実した時であった。『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、——
』(ヨハネ15章16節)が、甦った。

筆者の新刊『がんばりすぎない、悲しみすぎなない。』(講談社)を購入された方もあり、会場でサインをした。「すぎない」は、まさに、『あなたは正しすぎてはならない。知恵ありすぎてはならない。−−悪すぎでもならない。愚かすぎてもいけない。』(伝道者の書7章16、17節)であろう。日々、学びである。」

城間喜代子姉訪問のメールを嶋本姉から受けて

城間喜代子姉訪問のメールを嶋本姉から受けて
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 2個月に1回拙宅で祈祷会を持つフェリア会の嶋本姉から、杉並の施設で生活をなさっている、城間喜代子姉を最近訪問なされた様子を伝えるメイルを頂

きました。
 嶋本ご夫妻の案内で、私たちが沖縄でよく存じ上げていた城間道子姉の四女・喜代子姉を、今まで2回も訪問しました。嶋本姉は、私たちが喜代子姉の母上を存じ上げていることを最初知りは驚かれました。私たちも、道子姉の四女を嶋本夫妻の近くに生活なさっているのも驚きでした。こうして主の恵みの出会いがなされたのです。

 喜代子姉の母上・城間道子姉が百歳を越えてオリブ山病院の老健施設オリブ園に入園中、月に一度首里福音教会の有志が訪問、園の主日礼拝に参加私が宣教、幸いな主にある交わりを重ねていたのです。
 道子姉ご夫妻は、首里の名家で泡盛酒造を家業としておられた中で、キリスト進行に導かれ家業をやめ、後に独自の健康薬を製造販売なさる歩みをなさった方です。喜代子姉は、母上からしっかり信仰を継承しておられ感謝です。

 さらにうれしいことには、喜代子姉が、戦後間もなく、平良修先生と外語学校の同級生であったころの思い出に話が弾んだり、長女姉が那覇バプテスト教会に属されておられ、国吉守先生の話題が出たりなどなど。訪問の最後に、力強く喜代子姉が祈られ、心満たされ帰宅したのでした。。
 今、喜代子姉が少しく体力が衰え、私も制約があって思うように訪問できない中にあっても、なおも許さている方法、恵の手段を通して、主にある交わりが続け深められるよう願います。

★喜代子姉の母上・城間道子姉は、「私たち三人で三百歳」とユーモアたっぷりの良し三人組の中心でした。沖縄から書いた、キリスト新聞のコラム、「百歳の励まし」を再録します。

「百歳の励まし」
「ヨセフは父の家庭と共にエジプトに住み、百十歳まで生き」(創世記50章22節)
 
聖書が年令を記している人物の中で、創世記のヨセフは、特に興味を引きます。十七歳(37章2節)、三十歳(41章48節)、百十歳(50章22節)と三回も年令を明記しています。 
1986年から沖縄に滞在していた25年の期間の中で、二十年近く毎月第4主日の午後,老健施設オリブ園の主日礼拝にあずかり続ける中で、ヨセフの記事は一段と親しみ深いものとなりました。八十代、九十代、さらに百歳を迎えて主の御名を讃美なさっている方々の姿に接しながら、おひとりびとりの十七歳をヨセフのそれに重ねて心に刻むようになったのです。十七歳のヨセフは、胎児(詩篇139篇13ー18節)から一つ一つの段階を経て、最後には家族や故郷から切り離され新しい環境に移されたのです。 
 またおひとりびとりの三十歳を、三十歳のヨセフを通し思い描くのです。逆境の中、次々に与えられた場で忠実に役割を果たし続け、三十歳にして生涯の使命を与えられたのでした。委ねられた使命を果たし続ける、あのヨセフの姿に重ねて各自の三十歳を透かし見るのです。
 何よりも三十歳から老健施設オリブ園での生活の場に至るまでの年月、沖縄の戦後の歴史のただなかを歩み続けられたおひとりびとりの歩みの重さに圧倒されるのでした。今,ヨセフのように(創世記50章19,20節)、ご自分の生涯を導いてくださった主なる神の恵みを認め告白し、主なる神の御名を讃美しておられる姿。
「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから」(50章25節)と将来への希望をご自身の存在をもって指し示し、接する者に生きる励ましを与えてくださっていたのです。
 百歳になられた仲良し三人組が、「私たち三人で、三百歳」と、なんとも魅力的な物言いで、訪問する私たちを励ましてくださった姿―城間、稲福、島袋三人娘―を忘れることができません」。
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2017-09-20

ニューイングランドの母校から学長選出にかかわる報告

ニューイングランドの母校から学長選出にかかわる報告

As part of the SEARCH for a successor to President Drew Faust, who has announced that she will step down next June, a student advisory committee has been selected. The committee is the third body that has been assembled to aid in the presidential search, following the faculty and staff advisory committees. 
These committees serve alongside 12 members of the Harvard Corporation, and three members of the Board of Overseers. The student advisory committee is comprised of graduates and undergraduates from across Harvard’s schools; they are as follows:

• Jyoti Jasrasaria (chair), Harvard Law School
• Grace Cho, Harvard Extension School
• Christopher Cleveland, Graduate School of Arts and Sciences
• Carlos Estrada Alamo, Harvard Medical School (joint with Harvard Business School)
• Thomas Fox, Harvard Kennedy School of Government
• Eamon O’Connor, Graduate School of Design (joint with Harvard Kennedy School of Government)
• Bora Plaku-Alakbarova, Harvard Chan School of Public Health
• Federico Roitman, Harvard College
• Lisa Utzinger Shen, Harvard Graduate School of Education
• Nina Srivastava, Harvard College
• Roodolph St. Pierre, Graduate School of Arts and Sciences
• Jacob Steiner, Harvard Law School
• Taylor Stewart, Harvard Divinity School
• Kelly Suralik, Harvard School of Dental Medicine
• Nathaniel Vincent, Harvard College
• Becca Voelcker, Graduate School of Arts and Sciences
• Andrea Weber, Harvard Paulson School of Engineering and Applied Sciences
• Kenneth Zauderer, Harvard Business School