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喜びカタツムリの歩み

2018-07-18

「中絶やめよう」「小さないのちを守ろう」 マーチ・フォー・ライフ、市民ら250人が参加

中絶やめよう」「小さないのちを守ろう」 マーチ・フォー・ライフ、市民ら250人が参加
https://www.christiantoday.co.jp/articles/25813/20180718/march-for-life.htm
★辻岡ご夫妻が、「小さないのちを守ろう」の働きを始める前から交流がありました。
私たちの家族が、里子太郎を青梅キリスト教会牧師館に迎えるのと、ご夫妻が働きを本格的に進めるのが時間的に重なったこともあり、「小さないのちを守ろう」の働きは、私たちの歩みと深い結びつきを持つようになりました。
 沖縄時代、関東へ戻ってからも、辻岡ご夫妻との主にある交わりを重ねて来ました。その中心は文通で、辻岡先生の和紙に筆で書かれた達筆な本格的な手紙に、毎回圧倒されれました。
 私たち家族ばかっりでなく、末弟三郎牧師ご家族も、「小さないのちを守ろう」と特別

「1948年7月13日に現在の母体保護法の前身である優生保護法が成立したことを覚え、人工妊娠中絶に反対する市民らによるデモ行進マーチ・フォー・ライフ(March for Life)」(同実行委員会主催)が16日、カトリック築地教会(東京都中央区)を出発点に行われた。
毎年7月13日前後に行われ、今年は国内外から250人近くが参加。日比谷公園までの約1時間の道のりを中絶やめよう」「小さないのちを守ろう」などと書かれたプラカードを持って笑顔で行進した。
行進の前には、カトリック築地教会でミサが開かれた。参列者は、「受精の瞬間から始まる人の命は、その一つ一つが神のかたどりであり似姿であるという真理を、多くの人々と分かち合わせてください。経口中絶薬の解禁に向かおうとしている日本社会を正しい方向に導いてください」と共に祈りをささげた。
中絶に反対する市民らによる同名の運動は世界各地で行われている。米国では、中絶に関する規制を一部で違憲としたロー対ウェイド事件の連邦最高裁判決が出た1月22日前後に毎年開催され、今年も10万人以上が参加した。この日も、フィリピンや台湾、香港などで活動するキリスト教団体の関係者らが、日本での運動を盛り上げようと応援に駆け付けた。

行進前に開かれたミサで聖書のメッセージに耳を傾ける参加者たち
台湾で未婚女性の出産支援を行う「希望之光」のアニータ・ヘバード代表は、「日本の活動を励ましたくて今回参加した。日本にあるすべての教会の皆さんが、罪のない子どもたちの血が流されることを望まない神様の御心に目を開かれ、この活動に参加することを願っている」と話した。
協力団体の一つ、「小さないのちを守る会」の辻岡健象代表は、「今年は海外から多くの協力者が集まった。何よりもカトリックプロテスタントが一緒に活動できていることが良い。参加者は毎年増えていて、これからもっともっと増えていくように願っている」と話した。

日比谷公園(東京都千代田区)で行進後の集合写真に収まる参加者たち
行進の中に議員の姿もあった。昨年から参加しているという柏市議の上橋泉氏は、「今の日本が抱える一番大きな問題は、人間の命が大切にされていないこと。それを最も象徴的に示しているのが中絶」と話し、「われわれがもう一度人間の命の尊厳さに気付いて、中絶を減らしていく。これが、日本の活力を回復させることになる」と思いを語った。」



2018-07-17

2018-07-16

鄭氏からのメール、感謝。クリスチャントゥデイにとり励まし。

鄭氏からのメール、感謝。クリスチャントゥデイにとり励ましです。

https://www.christiantoday.co.jp/articles/25802/20180714/seisho-wo-megane-ni-114.htm
内田様、宮村様
この度も格別のお計らいを頂き、掲載して頂き誠にありがとうございます。

宮村様には、私の浅学菲才でかつ粗っぽい思索の、良い部分にのみ暖かいお心を持って目を向けて頂き、ご自身のお考えとの繋がりを示して頂きましたこと、ただただ恐縮するばかりでございます。
おつしやるように、私も聖書にございますように、我々人間のことばに、思考や道徳の根源が隠されていると思っております。
ロボットの研究を通して、その本質に少しでも迫って参りたいと存じますので、今後とも御指導。御鞭撻のほどを何卒よろしくお願い申し上げます。

鄭 雄一拝」。

2018-07-15

人間様々、同窓多彩

人間様々、同窓多彩

田中 大祐
2時間前
平成元年(1989年)卒ボート部OBの田中大祐です。
今日明日と、開成ボート部中3は長良川で開催されている全日本中学選手権競漕大会に参加しています。
今日は予選が行われて、5人乗りのクオドルプルが組1位、2人乗りのダブルスカルが組2位で、揃って明日の準決勝に進出しました。
準決勝では強豪チームとのレースになりますが、全力を尽くして頑張って欲しいです。

2018-07-14

聖書をメガネに 『東大教授が挑む AIに「善悪の判断」を教える方法』への応答・その3 宮村武夫

聖書をメガネに 『東大教授が挑む AIに「善悪の判断」を教える方法』への応答・その3 宮村武夫
https://www.christiantoday.co.jp/articles/25802/20180714/seisho-wo-megane-ni-114.htm
★今まで無縁と決め込んでいた分野での研究が、自分の長身的な課題と重なることを知り、人間大好きの思い新たに。

聖書の人間観
興味深い本書に対する応答の3回目として、第5回講義、第6回講義に焦点を絞ります。
第5回講義:道徳の階層を分類してみよう
第6回講義:道徳エンジンをロボットに搭載してみよう
第5回講義においては、「道徳」と「欲」と一見対立するかに見えるものを統合する「人間の行動の基」となる心の作用に注目し、道徳の階層構造を提示しています。
ロボットに搭載すべき道徳エンジンは、いかなるものであるべきか。私たちにとっては思いがけない目的に向かい思索を続けるのです。そのことによって「ロボットの振り見て、我が振り直せ」(163ページ)と言えるほどの心の寛容性と多様性を鄭先生は提示なさっています。
第6回講義において、音声感情認識を基にした「道徳次元の計測装置」が作成中との報告がなされています。新しい視野からの思索の深まりと計測装置の道具立ての組み合わせを、私は興味深く受け取りました。
新書版で、まったく他分野の私にとっても通読可能な本書は、終始私に聖書の人間観の基本再考(市川康則著『改革派教義学 第3巻 人間論』一麦出版社、2012年)を問い掛けてきたのです。今の時点で、2つの点に限り報告致します。
第一は、聖書を貫く創造者なる神と人間の関係です。万物の創造者なる唯一の神が、他の被造物と類似性を持ちながら、「神のかたち」として明確に区別して創造された人間・私。ですから、神から離れて人間を正しく深く豊かに理解することができないと同様に、人間から離れて神を知ることもできない。人間とロボットの関係と、創造者なる神と被造物・人間の関係の区別を越えて、なお類似性をも認めざるを得ないのです。
第二は、聖書に一貫する、神と人間のことばに基づく契約関係です。ことばが事実となり、事実に基づくことばにより、神と人間の出会いと対話が成り立っています。
人間存在の時と空間の広がりの中での多様多彩な展開。その歴史的事実を直視し、受け止め続ける必要性は、どれほど強調しても強調しすぎることがないのは確かです。
にもかかわらず、上記の2点、つまり人間が人間であり、私が私である素朴な事実への固着の思いを深めました。人間とロボットとの関係を主題とする本書が、励ましを与えてくれたのです。歴史や社会における分断やイズムによる亀裂の中を、私になお歩み続けるようにと。これは予想外の喜びでした。

経過報告。小さな本ですが、重要な指摘を学んでいます。 この指摘から、以下に再録する課題を再考したいと考えています。

経過報告。小さな本ですが、重要な指摘を学んでいます。
この指摘から、以下に再録する課題を再考したいと考えています。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1213406202132757&set=a.508715392601845.1073741826.100003901676704&type=3&theater&notif_t=feedback_reaction_generic&notif_id=1531591272703798

クリスチャン新聞の根田祥一 氏と私・ 宮村武夫のやり取り
深川生まれや宮村泰二の長男であることが、クリスチャントゥデイに関わる、小さくない要素かも。
★このやり取りを、日本同盟基督教団日本福音連盟また日本基督教団に属する方々の中から、どのように判断されるか、個人としての覚悟をもって公言なさる方が出現するのが大切と私は見通しています。

★父パウロ泰二とパウロ会
毎年6月の第一主日の夜に開いている、両親を記念してのパウロ会・家族会を、末弟三郎が牧会している足立キリスト教会をお借りして開いています。感謝。
 時に応じて、次の世代のために、父母のことを話し書くようにしています。パウロ泰二の召天は、1978年6月4日でした
父が10歳の少年の時に
父は、関東大震災の時、深川新大橋から祖母の実家の関係で、栃木県佐野市に疎開、10歳の少年はその地にあった聖公会教会学校に出席したのです。
 その結果は、直接直ぐに実を結ばないように見えました。
しかし後年私が高校時代キリスト信仰に導かれ、長男であるにも関わらず家業を継がず日本クリスチャンカレッジに進学した際、親族がいぶかる中で、父は私の行為に一切反対しないばかりか、留学を含め経済的支援をしてくれました。
 
 さらにその後20年近く年月を経過して、聖救主教会の故鈴木勉司祭から受洗したのです。パウロ泰二の誕生です。鈴木司祭は、私の開成の先輩で、生前親しい信仰の交わりを頂きました。
  父の聖救主教会との出会いも、父らしいものでした。父は、だれかれとなく誘って、深川から浅草でご馳走するのが好きでした。その浅草の串カツ屋のママとの話が弾み、「私の弟は、下町から開成へ」、「うちの息子も同じ」。「その弟が私が通っている冬木町の教会の司祭」、「うちの息子も、青梅の教会の牧師」。かくして、父は、鈴木司祭の姉上に導かれ、聖救主教会へ、感謝。
 疎開先の10歳の少年の心にまかれた種は、確かにむなしく地に落ちたのではない。父の召天を契機にキリスト信仰が確立した末弟は、足立キリスト教会を牧会しています。

★父と成沢炭鉱
父と成沢炭鉱のことを断片的に考えます。
現在は、いわき市の一部いわき市好間町大利成沢にあった、成沢炭鉱
戦時中、母典子は、私と次弟義男を連れて、東京深川からそこに疎開しました。
 戦後復員してきた父泰二が直接炭鉱の経営に当たるようになると、黒いダイヤと呼ばれ掘れば売れる時代の流れの中で、中小も小の小に過ぎない成沢炭鉱も急速に活気を帯びるようになり、大勢の人々が集まりました。
 30代半ばの父の生活と生き方は、長男の私の目から見ても潔いもので、それは後年のキリスト信仰の有り方にも通ずると私は理解しています。
 私は小学校4年生の時に東京に戻り、江戸川区小岩の祖母と一緒に生活するようになりました。その時は全く理解していなかったのですが、私の将来のため両親が備えをなしてくれていたのです。両親が東京へ引き上げてくるまで、休みごとに成沢で過ごしました。
 
成沢炭鉱、いわき市、福島県は、私の人格形成にとり、大きな影響を与えています(「神を愛し人を愛し土を愛す」宮村武夫著作 1 『愛の業としての説教』、宮村武夫著作1,268−270頁)。 

★この父、この友  
 1958年4月、日本クリスチャンカレッジに入学、寮の同屋は4名。現在まで、親しい交流を重ねれいるF兄から、昨日メールを頂き、喜び。
 F兄は、ず−うと後年になって私が初めて認めることが出来た父の父らしさを、初対面から見抜き、好いて下さっていたのです。
「お元気でご活躍のご様子なによりです。
8/30のユーチューブ拝見?しました。
久しぶりにお父さんのこと思い出しました。
JCC時代よく御馳走になりましたね。
すき焼きを御馳走になりに行ったあるとき、電話を受けておられたお父さんが「…相手を信用しないお方とはお取り引きできません…」と、きっぱりとした口調で話されていたことを覚えています。
お働きが祝されますように。
2014.8.30 FN
 あの当時、父は、江東区大島7丁目の広々とした石炭の貯炭場の一角に、母のアイデアを多く生かした自宅を新しく建て、私たちの家族は、小岩から引っ越していたのです」。

★同様に、クリスチャントゥデイに対する否定的言動根拠も、なんだらかんだら正当的に見える言い訳ではなく、本人も気づかない劣等感や利害関係に基づくとの見方も、一概には否定できないのではないか。

★上記の文章をクリスチャン新聞の根田氏に差し上げたところ、返答があり、その後、以下のようなやりとりがなされました。
 クリスチャン新聞とクリスチャントゥデイの関係について、大切な洞察を与えられるものと判断しますので、提示いたします。

根田 祥一
クリスチャントゥデイに対する「否定的言動」というふうに宮村先生には映っているようですが、そうではなく、クリスチャントゥデイが間違いなく異端である証拠・証言の情報に基づいた「指摘・批判」です。客観的な情報に基づいて冷静な判断をするのがジャーナリズムの責務だと思います。特に異端・カルトは全力を尽くして自分たちの正体を隠しますから、その実態を見抜くには、入ってくる情報を最初からバイアスをかけて取捨選択してしまうことなく、一つひとつ冷静に精査していくことが求められます。私がクリスチャン新聞に書いてきたことは、すべて客観的な証拠・証言に基づく「事実」です。クリスチャントゥデイ側は「根田の捏造」と決めつけていますが、そのバイアスのフィルターを通して読むのではなく、ひとりの言論人として吟味していただきたいと思います。

宮村 武夫
コメント受け取りました。
クリスチャントゥデイが間違いなく異端である証拠・証言」の内容とは、何ですか。
差し上げたと同じ文は、非公開グループ、「クリスチャントゥデイを議論しよう」に提示しています。根田兄からのコメントを、そのグループに紹介したいです。ご了解ください。

 クリスチャン新聞には、留学から帰って直ぐ、1969年に連載記事を書く機会を与えられました。ことば社から、1970年以来幾つものものを刊行させて頂きました。いわば書き手として育てて頂いたと言って過言ではありません。
 そのような私にとり、伝わってくることば社の様子の一面は、淋しいです。
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代

根田 祥一
クリスチャントゥデイが間違いなく異端である証拠・証言は、これまでクリスチャン新聞に書いた記事をご覧ください。でも、クリスチャントゥデイ側の捏造批判記事はバイアスがかかっていますから、そちらだけ読んでわかったつもりにならないで、きちんとクリスチャン新聞のクリスチャントゥデイ批判報道と、クリスチャントゥデイのクリスチャン新聞批判の両方をご自分の目で読み比べて、どちらが本当のことを書いているかご自分の頭でよく考えてください。クリスチャントゥデイの矢田さんや高柳さんから言われたことの受け売りではダメですよ。

宮村 武夫
自分の目と心で読み、自分の頭でじっくり考え、自分の言葉で刻む。これは、まさに、自他ともに認める、私が60年一貫しいて求めてきた道です。

★永田竹司先生が書かれているように、
「全体を振り返り、宮村論文には一つの特徴があると思う。消極的な表現を使えば、論文の言語世界を共有しない人のための第三者的説明言語ともいうべきメタ言語がほとんど無い。積極的に言い換えると、宮村論文はすべて、極めて主体的な論述からなっている。すなわち、著者自らが語る言葉、そしてその内容と主体的に深く関わっており、読む人を変え、また自らも必然であればすぐに変えられる可能性に開かれている姿勢で書かれた論文である。本書は、そこに宮村武夫先生が現存し、宮村先生と対話することができる論文集といえよう」(宮村武夫著作5『神から人へ・人から神へ「聖書・神学」考』340頁

★書き手である前に、読み手として
1年前に、以下のように書きました。「クリスチャントゥデイの記事を読むことは、現在の私にとっては大切な学びの機会です。本記事は、その好例の一つで、読み飛ばすのでも読み流すのでもなく、線を引いたり、書き込みをしたり、かなりの時間を注いで熟読しました。
 その労は豊かに報いられたと感謝しています。これだけの記事の内容をしっかり受け止めることができたのは、専門書などを読むのではなく、新聞記事として読めたからであると理解します。本紙の役割の一つが、専門書で取り扱う内容とレベルを、新聞記事特有の事実に基づく明快さで伝えることにあると理解し、本記事をhttp://www.christiantoday.co.jp/articles/17525/201511...」。1年後の現在、この傾向は、ますますです。書き手である前に、読み手としての充実を願っています。