(政界地獄耳)こんなでたらめでよく胸が張れる - 日刊スポーツ(2018年7月20日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201807200000268.html
http://archive.today/2018.07.20-011030/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201807200000268.html

★22日が会期末とはいえ、事実上20日で今国会は閉じられる。思えば働き方改革国会は一般労働者より裁量労働制の方が労働時間が短いとする資料を作成したものの、数字がでたらめと野党が指摘。厚労省裁量労働制データ改ざん発覚からスタートした。19日、同省の省内監察チームは調査報告書を発表し「不適切な資料を作成・公表した責任は免れ得ない」と指摘し、処分が発表された。
★労基局長が戒告、事務次官と次官級の厚生労働審議官が訓告、労基局の総務課長(前労働条件政策課長)と労働条件政策課長が厳重注意。公務員にとっては厳しい処分かもしれないが、世間から見れば過労死など働く者にとっては命と生活が懸かる法案をでたらめなデータを使い、国会と国民をだまそうとした責任は重いはずだ。また厚労相も何らかの責任を取るべきだと思うが、政府や党は相変わらず「何の問題もない」のだろうか。
★森友・加計疑惑の追及はさまざまなデータや資料が出てきたものの、野党の追及をよそに逃げ切ったかに見える。だが公文書が堂々と改ざんされ、莫大(ばくだい)な税金が投入されたことなどから徹底的な検証は必要なはずだ。政府や党が「一点の曇りもない」を証明すべきだが、極めて消極的だ。これは今後に禍根を残すばかりでなく疑惑として残り続ける。参院の定数を6増させることも自民党お手盛りで成立した。この時代に議席を増やすにはそれ相当の合理的説明と、国会改革や衆参の役割など相当の改革案を示してからの定数増の議論にすべきだが、参議院で約6時間、衆議院ではわずか3時間の審議で成立した。与党はよくこんなでたらめに胸を張れるものだ。ばくちの合法化もほぼ根拠なく可決した。ひどい国会だった。(K)※敬称略

君が代判決 強制の追認でいいのか - 朝日新聞(2018年7月20日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13595828.html
http://archive.today/2018.07.20-000615/https://www.asahi.com/articles/DA3S13595828.html

憲法が定める思想・良心の自由の重みをわきまえぬ、不当な判決と言わざるを得ない。
入学式や卒業式で君が代が流れる際、起立せずに戒告などの処分を受けた都立高校の元教職員22人が、それを理由に定年後の再雇用を拒まれたのは違法だと訴えた裁判で、最高裁はきのう原告側の敗訴を言い渡した。

理由はこうだ。

再雇用はいったん退職した人を改めて採用するもので、その決定にあたって何を重視するかは、雇う側の裁量に任される。原告らが不合格となった06〜08年度当時は、希望者を全員再雇用する運用もなかった――。
物事の本質に踏みこまない、しゃくし定規な判断に驚く。
戦前の軍国主義と密接な関係がある日の丸・君が代にどう向きあうかは、個人の歴史観や世界観と結びつく微妙な問題だ。
二審の東京高裁はその点を踏まえ、「起立斉唱しなかっただけで、不合格とするような重大な非違行為にあたると評価することはできない」と述べ、都教委側に損害賠償を命じていた。この方が憲法の理念に忠実で、かつ常識にもかなう。
原告たちが長年働いてきた教育現場から追われたのと同じ時期に、都教委は、別の理由で減給や停職などの重い処分を受けた教職員を再雇用した。さらに年金制度の変更に伴い、希望者を原則として受け入れるようになった13年度からは、君が代のときに起立斉唱せず処分された人も採用している。
都教委が一時期、教職員を服従させる手段として、再雇用制度を使っていたことを示す話ではないか。そんな都教委のやり方を、きのうの判決は結果として追認したことになる。
最高裁は11年から12年にかけて、日の丸・君が代訴訟で相次いで判決を言い渡している。起立斉唱の職務命令自体は憲法に反しないとしつつ、「思想・良心の自由の間接的な制約となる面がある」と述べ、戒告を超えて減給や停職などの処分を科すことには慎重な姿勢を示した。再雇用をめぐる訴訟でも、教委側の行きすぎをチェックする立場を貫いて欲しかった。
個人の尊厳を重んじ、多様な価値観を持つことを認めあう。そういう人間を育て、民主的な社会を築くのが教育の使命だ。そして、行政や立法にそれを脅かす動きがあれば、権限を発動してストップをかけることが、司法には期待されている。
その両者が役割を果たさなければ、社会から自由や多様性は失われる。この判決を受け入れることができない理由である。

国会前集会「政権、国民だました」 - 東京新聞(2018年7月20日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201807/CK2018072002000139.html
https://megalodon.jp/2018-0720-0906-23/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201807/CK2018072002000139.html

国会前でキャンドルを手に安倍政権の退陣を訴え、声を上げる人たち=19日夜、東京・永田町で

公文書改ざんや国会での法案採決の強行など政治腐敗が深刻だとして、安倍政権の退陣を求める集会が19日夜、国会前であった。市民ら約8500人(主催者発表)が「国民をだまし、数の力で居直り、懸念の強い法案を押し通した。西日本豪雨の対応も初動遅れで許せない」と、汗だくになって怒りの声を上げた。
市民団体「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が主催。通常国会の会期末を前に、野党6党派の幹部も登壇した。東京過労死を考える家族の会前代表の中原のり子さん(62)は、「働き方」関連法で取り入れられた高収入の一部専門職を労働時間規制から外す高度プロフェッショナル制度に言及。「この政府は過労死を本気で止めるつもりがない。馬車馬のように働かせ、残業代を払わず、労働者の未来を奪う」と訴えた。 (辻渕智之)

(石垣 陸自受け入れ)議論は尽くされたのか - 沖縄タイムズ(2018年7月20日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/286324
https://megalodon.jp/2018-0720-0908-53/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/286324

何を根拠に受け入れを判断したのか。最初から配備ありきの出来レースだったのではないか。疑問の晴れることのない唐突な発表となった。
石垣市平得大俣への陸上自衛隊の配備計画を巡り、中山義隆市長が18日の記者会見で、配備の受け入れを正式に表明した。配備への協力体制を構築し、国から用地取得や施設建設などで要請があれば、事務を進めることを庁議で確認。組織決定を後ろ盾に、受け入れ表明に踏み切った。
2016年12月に防衛省の諸手続きの開始を了承してから、「国防は国の専権事項」として、事実上受け入れを容認しながら、1年半も判断を明確にしてこなかった。
情報をオープンにし、市民との議論を深めることが首長の役割と強調していたが、配備予定地域での意見交換会を短兵急に設定し、住民らが一方的と反発する中で強行した。全市民を対象にした意見交換会も約200人と少なく、賛否が分かれて引き続き開催を求める声もあったが、十分に対応しなかった。
会見では「賛成反対の意見は議論を重ねて出尽くした」と結論づけ、反対する住民には「議論がかみあわない」と突き放すような言いぶりだった。果たして市民の声を傾聴し、議論を深めてきただろうか。配備が必要と考えるなら、その必要性を理解してもらう努力を尽くしただろうか。決してそうは思えない。
配備予定地域の反発は顧みず、防衛省側が進める手続きを認容して既成事実を重ねてきた。出来レースの1年半と批判されても仕方ない。

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中山氏は、国防や安全保障は「国の専権事項だから受け入れないとの判断は基本的にない」とも述べている。
仮に国の専権事項であったとしても、地域住民の意思を無視して、自衛隊施設の建設が許されていいわけはない。地域の理解を欠いた安全保障政策は必然的にぜい弱性を抱えた「砂上の楼閣」となる。
地方自治体の首長は、そこに住む人々の命や暮らし、民意、そして地域の長期的発展に責任を持ち、そのために権限が与えられている。
その首長である中山氏が、国の専権事項を理由に、「配備を受け入れないという判断はない」と語るのは、専権事項との言葉を前に、自身の責務に対する思考が停止していると言わざるを得ない。
地域住民の暮らしや将来への不安に対する配慮を欠き、国の施策に地域の実情を反映させない対応は、民主主義や地方自治の理念にももとる。

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石垣での陸自配備を含め、防衛省与那国島宮古島沖縄本島奄美大島での自衛隊配備を進め、島しょ防衛の強化を着々と進めている。
石垣や宮古での配備でもそうだが、防衛省は住民への情報開示が不十分なまま進めようとしている。
政府は配備・増強について「抑止力を高める」と強調する。だが、その一方で、安全保障のジレンマで、隣国との緊張を高める恐れもある。
不測の事態が起これば、被害を受けるのは住民である。住民との議論や理解がないまま推し進めてはならない。

埋め立て承認撤回へ 国は土砂の投入をやめよ - 琉球新報(2018年7月20日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-764843.html
http://archive.today/2018.07.20-001019/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-764843.html

米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、翁長雄志知事は来週、埋め立て承認の撤回を表明する方針を固めた。
沖縄防衛局は8月17日に埋め立て予定地への土砂投入を開始すると通告している。翁長知事の撤回方針は、知事選や国政選挙で繰り返し示されてきた「辺野古移設反対」の民意に沿った、当然の判断だ。「必ず撤回する」と以前から述べていただけに、むしろ遅すぎるくらいだ。
国は県の撤回に応じて土砂投入をやめ、辺野古新基地工事を中止すべきだ。
辺野古新基地建設を巡っては、2014年の県知事選で建設阻止を訴えた翁長知事が誕生し、15年10月に埋め立て承認を取り消した。国と県との訴訟に発展したが、最高裁は16年12月に県による埋め立て承認の取り消しは違法だと判断し、県の敗訴が確定した。
埋め立て承認の撤回は、工事を止めるために知事に残された「伝家の宝刀」だ。ただ、取り消し訴訟では県が主張した、自然環境に著しい悪影響を及ぼす問題や地方自治の侵害であるとの主張が受け入れられなかった。
最高裁審理が約3カ月とスピード判決だったことを含めて考えれば、撤回をしても国が法的措置で工事を再開する懸念もある。裁判が短い期間で終わり県にとって厳しい結果になる可能性もある。
11月18日投開票の県知事選をにらみ、県は撤回の効果を最大限に発揮する時期を模索していたという。
今回、県は今年見つかった軟弱地盤の存在を基に工事の危険性を指摘した。大浦湾の工事区域には地盤強度を示す「N値」がゼロを示す地点が複数含まれている。「マヨネーズ状」と称されるその場所に、国は重さ約7千トンの鉄筋コンクリート製のケーソンを設置する計画だ。
軟弱地盤に対応し地盤改良工事をするなら、公有水面埋立法に基づいて提出された設計概要の変更に当たるため県と再協議する必要も出てくる。しかし国は、沖縄防衛局の地質調査結果の報告書が軟弱地盤を指摘しているのに、「まだ調査中で、証明されていない」との立場だ。
そもそも国は今進めている護岸工事に関しても、事前協議が終わっていないと県が主張しているにもかかわらず「停止する必要はない」と強行している。自然環境や安全性を無視して、遮二無二に工事を進めようとする姿勢は明確だ。
県は17日に代替施設建設事業の即時工事停止を要求する行政指導文書を沖縄防衛局に発送した。即時に工事が中止されないと判断すれば撤回表明し、防衛局から弁明を聴く「聴聞」手続きを開始する。
撤回後は県と国との法廷闘争が再び始まるだろう。県は撤回の論理をしっかり構成し、大多数の沖縄の民意を背景に不退転の決意で臨んでほしい。

<金口木舌>米ニューヨークのタイムズスクエア。世界各地からの観光客でにぎ・・・ - 琉球新報(2018年7月20日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-764838.html
http://archive.today/2018.07.20-000817/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-764838.html

米ニューヨークのタイムズスクエア。世界各地からの観光客でにぎわう街の真ん中にサッカーコートが現れた

▼サッカーを通じて貧困と闘い、地域に力を与えようと活動する非営利組織「ストリートサッカーUSA(SSUSA)」が主催するタイムズスクエアカップ。14日の大会には貧困地域に住む子どもたちやホームレスの人たち、賛同企業など全32チームが参加した
▼文化や金融など世界の最先端をいくニューヨークは格差が深刻な街。SSUSAは子どもたちやホームレスの人たちがサッカーを楽しめる居場所づくりと、教育や医療などの福祉サービスにつなぐ役割を果たす
▼ローレンス・カン代表は「支援してあげる、してもらう」関係に疑問を持ち、一つのボールを追い掛け、楽しみながら社会変革につなげる挑戦を続ける。大会は歓声があふれ、道行く人が応援した
那覇市国際通りにも昨年12月、サッカーコートが現れ、スポーツを通じて社会の課題解決を目指す「さんかくエキスポ2017(第6回ダイモンカップ)」が行われた。ニューヨークを視察したダイモン代表の糸数温子さんは「思いと課題は世界共通」と語る
▼ダイモンカップが目指すのは「誰もが誰かのセーフティーネットであり続けられる社会」。楽しい時間を共に過ごせる寛容な社会こそが、お互いのゴールをアシストする。