kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ソチ五輪・浅田真央選手6位入賞とシンキロー(森喜朗)の妄言

ソチ冬季五輪の女子フィギュアスケートで、浅田真央選手が6位入賞を果たした。

私は今回のソチ五輪の生中継を見ていない。ニュースで知るのみ。「日の丸飛行隊」とかなんとか、不愉快な言葉が乱れ飛ぶのにすっかり嫌気が差したからである。

それでも注目していた選手が3人いた。モーグル上村愛子、ジャンプの高梨沙羅、フィギュアの浅田真央の女子選手3人である。

私の予想は、上村選手が2桁順位、高梨選手は「金メダルを獲れるかも知れないし獲れないかも知れない」、浅田選手は「メダルなしの入賞」であった。上村選手は予想を上回る4位、高梨選手は予想を下回る4位、浅田選手は予想の範囲内の6位だった。

3人ともよく健闘したと思うが、好印象を残したのはなんといっても上村選手であった。前回のバンクーバー五輪では悲しい4位だったが、今回は喜びの4位であった。一度競技を退いて復帰したため、どこまでやれるかと思ったが、力を出し切っての4位に、本人も満足そうだった。

浅田選手がメダルには届かないと思ったのは、上村選手や浅田選手のライバル(あの城内実が大のお気に入りにしている)キム・ヨナ選手と違って、9年前に初めて注目を浴びて以来ずっと競技生活を中断することなく続けてきて、そんなに緊張した状態を長く続けられるかと危惧したからだ。世界のマスコミからは「求道僧みたいだ」などと言われていたが、そこまでやらなくても良いのに、とずっと思っていた。日本人は浅田選手のような生き方を好む傾向があるが、私には疑問だ。浅田選手から私が連想するのは、小泉純一郎に「痛みを耐えてよく頑張った」と「感動」された大相撲の元横綱貴乃花である。貴乃花は無理がたたって、そのあと長期休場して復帰したものの、一度も優勝できずに終わった。貴乃花は絶対にあの場所で途中休場すべきだった。浅田真央もどこかで休んでおいても良かったのではないか。結果論かも知れないが、キム・ヨナの生き方が正解だったよなあと思う。

浅田選手についても言えるかと思うが、高梨選手には特に「金メダル、金メダル」と煽り続ける期待が重圧になったのではないかと思う。冬季五輪で金メダル候補が敗れるたびに人々の口に上るのが今を去ること30年、サラエボで行われた男子スケート500m、黒岩彰の惨敗である。今回も高梨選手が4位に終わったあとネット検索をかけると、黒岩を引き合いに出している人が少なくなかった。中には未だに激しく黒岩を罵倒している者までいた。黒岩はサラエボ五輪の4年後のカルガリー五輪で銅メダルを獲っているのだが、そちらはきれいさっぱり忘れ去られている。勝手に人に期待しておいて、30年後になっても期待に応えてくれなかったと怒りを忘れないとは、とびっくり仰天した。私はこういう日本人(に限らないと思うが)の気質が嫌なのである。

しかし、こういう悪しき風潮の火に油を注ぐ大馬鹿者がやはりいた。森喜朗(シンキロー)である。


http://www.47news.jp/CN/201402/CN2014022001001611.html

森会長「負けると分かってた」 フィギュア団体で


 東京五輪パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相は20日、福岡市での講演で、ソチ五輪フィギュアスケート女子ショートプログラム(SP)で16位だった浅田真央選手を「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」と評した。フィギュア団体については「負けると分かっていた。浅田選手を出して恥をかかせることはなかった」と述べた。

 さらに森氏は、アイスダンスキャシー・リードクリス・リード組に関し「米国に住んでいる。(米国代表として)五輪出場の実力はなかったが、帰化させて日本の選手団として出した。アイスダンスは日本にできる人がいない」と語った。

共同通信 2014/02/20 21:47)

記事後半にあるアイスダンスキャシー・リードクリス・リードの2人が「日本に帰化した」という森の発言は事実に反しており、2人は帰化していない。昔、プロ野球王貞治を勝手に「日本に帰化した」ことにしてしまった人間が多数いたが(王氏は今に至るも日本に帰化していない)、シンキローの妄言には呆れ返るばかりだ。

鮫の脳みそをお持ちらしいこの珍獣は、2020年に行われる予定の東京五輪も仕切るらしい。猪瀬直樹はこいつを五輪から排除しようとしてこいつの逆鱗に触れ、それが東京都知事辞任につながったのではないかとの陰謀論も一部に流れているが、こんなバカがのさばっているから、五輪中継を見る気がなくなるのである。

選手の成功は簡単に忘れるが、失敗は永久に忘れない。そんなゴロツキスポーツ記者が「悲劇」を再生産する

下記ブログ記事を一読して呆れ返った。というより激怒した。


道新ブログ

☆沙羅ジャンプ4位。期待し過ぎた私たちも反省しなければ
2014年02月12日


 高梨沙羅のジャンプは2回目の失敗が響いて4位。1発で決まるジャンプ競技の難しさを改めて感じた。

 試合後のインタビューでもきちんと受け答えしていたが、カメラが正面をとらえなくなると、涙を見せていた。それを映し出すのも残酷、と思ったが、「金メダル、金メダル」と騒ぎ立てたマスコミ、そして僕も各雑誌のコラムや著作のなかで「金メダル最有望」と書いてきただけに、反省しなければ、と思う。17歳の少女にプレッシャーが重くのしかかっていたことは否定できないだろう。

 この結果を見て、真っ先に思い出したのが1984年のサラエボオリンピックのときのスケート男子500メートルの金メダル候補だった黒岩彰氏のことだ。

 彼は本番で10位。一般には名前さえ知られていなかった北沢欣浩が銀メダルに輝いた。

 このとき、僕は東京でスケート担当もしていたので、黒岩選手を何度か取材したが、いつも取り囲む記者が最後に質問するのが「オリンピックでの金メダルへの思い」だった。

 だれだって、欲しいに決まっている。

 それでも繰り返し聞く。聞く方としては、その思いが少しずつ大きくなっていくように原稿を作りたい。そうすると、どうしてもしつこくなる。

 それがプレッシャーになる。

 黒岩は、その後、国際舞台で活躍することなく、西武球団広報、同代表などを経て、橋本聖子氏などの勧めもあって、富士急の監督としてスケート界に戻って来た。のちのインタビューなどで、五輪当時に繰り返し聞く記者の質問に、イライラが募っていたことを告白している。

 だが、僕が黒岩を取材するときは、いつもおとなしい口調で、大学生とは見えない、大人びた言葉で、抱負を述べていた。

 その姿が、沙羅選手に重なったことがあった。あれだけ、静かに、ひと言ひと言を選ぶように話していると、きっと心の中にストレスがたまるだろうな、と。「応援してくれているみなさんのために」「女子ジャンプ界のために」「感動を与えられるように」そして、決まって「楽しみたいと思います」。17歳で、そこまで深く考えることができるだろうか。

 僕は本音を知りたかった。苦しい胸の内を明かした方が、本番にはプラスになると思っていた。

 今回のジャンプと心の葛藤との関係は本人しかわからない。あえて、いま、それを聞きたいとも思わない。聞いてもいけないと思う。

 取材する側は、沙羅選手を追いかけるのは、一定の期間だけである。五輪が終わってしまえば、しばらくは取材しなくなる。また、4年後に同じことを聞くかもしれない。

 沙羅選手の心の中を察してあげられる記者が何人残るのか、僕は興味がある。

 われわれも反省しなければならない。


この文章を書いた黒田伸という人間は、北海道新聞編集委員までを務めた元幹部級記者(現在はフリージャーナリスト)らしいが、あまりに酷い文章に開いた口がふさがらなかった。

呆れた理由は、赤字ボールドにした部分に尽きる。

黒岩彰は、サラエボ冬季五輪で惨敗したあと、「国際舞台で活躍することなく」西武球団公報になったってか? 冗談じゃない。馬鹿も休み休み言え。

黒岩は、サラエボ五輪で惨敗した直後の世界選手権で2位になったのを皮切りに、その後も国際戦で好成績を収めた。1987年の世界スプリント選手権で優勝し、二度目の五輪となった1988年のカルガリー五輪のスピードスケート男子500mで銅メダルを獲得した。

この黒田という男は1957年生まれらしいから、カルガリー五輪当時は30歳か31歳のはず。当然その当時も道新のスポーツ記者だったに決まっているから、黒岩彰の銅メダルは、その時点では間違いなく知っていたはずだ。

それなのに、黒岩の銅メダルをきれいさっぱり忘れる一方、高梨沙羅がメダルを取れなかったことで黒岩の惨敗を引き合いに出すくらい、サラエボ五輪の惨敗を執念深く覚えている。

黒岩の実績は全く覚えていないくせに、五輪でのたった一度の失敗は一生忘れない。しかもその後の同じ五輪での雪辱は「都合良く」忘れているというおまけつき。こんな新聞記者がいるから、選手にかかるプレッシャーが増幅されるのである。

スポーツ記者がこのていたらくでは、いつまで経っても「メダルの重圧に押し潰される選手」が跡を絶つはずもない。

黒田は、

沙羅選手の心の中を察してあげられる記者が何人残るのか、僕は興味がある。

などとしたり顔で書いているが、「沙羅選手の心の中を察してあげられる記者」の中に黒田自身が含まれないことはいうまでもない。

黒田伸のようなゴロツキスポーツ記者が、「悲劇」を再生産するのである。