グランド・フィナーレ 阿部和重

グランド・フィナーレ

グランド・フィナーレ

芥川賞受賞の表題作は、少女趣味(というきれいな表現ではおさまらないが)が妻にばれて離婚、溺愛する娘とも会えない男が、郷里に戻り、自殺志願かもしれない二人の美少女の救済を通して自ら再生していく、という話。短いが、読ませる。うまい。神町は再生の舞台だから、『シンセミア』よりは、東根市民に受け入れやすかったろう。他の作品は、まあ、どうでもよいという感じ。本にしようもないパンフレット文をついでに載せた、という感じすらする。

神仏習合 義江彰夫

神仏習合 (岩波新書)

神仏習合 (岩波新書)

神仏習合を社会的・政治的背景や要請の点からとらえなおしている好著といえる。▼神祇官制度で、祈年祭(としごいのまつり)・月次祭(つきなみのまつり)・新嘗祭(にいなめのまつり)などの際、朝廷公認の神社の祝部(はふりべ)を神祇官に集め幣帛(みてぐら)を班給する意味は、皇祖神の霊力の宿った稲穂を土地の神々の稲穂に混ぜ、種籾とすることで絶大な霊力が豊かな収穫を期待できる、ということで、自発的な皇祖神ヘの感謝の気持ちを引き出し感謝の初穂の名目で租税を取り立てることにある。それが、8世紀後半になると、幣帛を受け取りに来なくなる。地方豪族が神を祭ることで支配を維持する(=祭祀の中に支配の論理をすべりこませる。国家規模で実現したのが律令国家)ことができなくなった。これが、神宮寺の建立、神が仏になりたいと願い出す背景。▼雑密の流行。生産力の向上で、富める者が発生、物を持つ欲望に対する罪の意識が生じる=仏教の受容。国家は神宮寺を公認することで、私営田領主を組み込む。▼怨霊信仰。密教僧の影響もある。相模国に頼義が八幡大菩薩を勧請し、頼義・義家が菅原氏長者を招いて寺を建て、天神を。東国に八幡神と道真霊を導入・統合し、武士の棟梁へ。怨霊信仰には、令外官体制からはみ出した旧貴族層や、延喜の荘園整理令(寄進の認否を国司の裁量に。結果、私営田→負名化による公領化)によって没落した郡司・私営田領主層が怨霊を生み出す。王朝国家は、道真霊を長いことかけて取り込み、御霊会をカーニバル化する。▼罪そのものよりも結果としてのケガレ忌避に応じる形で摂関期から院政期にかけて浄土信仰が広まっていった。▼本地垂迹説と中世日本紀は、ケガレをものともしない武士政権に対抗し、王権神話を仏教的に改造して信仰秩序を再編成したもの。