映画祭、文学フリマと、秋ですね。

大塚英志第三回“文学フリマ”“幻視社”
このブログでも時々紹介している。⇒『「壁の中」から』のkingさんが仲間と同人誌(画像)を発刊しているのですが、11/14に“文学フリマ”秋葉原)に出品します。興味のある方は覗いて下さい。そして、お求め下さい。⇒【御案内】です。

四方田犬彦/坪内祐三(7/29記・旧ブログ移動)

◆雑誌「新潮」今年の2月号で『1968』四方田犬彦『1972』坪内祐三が対談しているのですが、渡部直巳の『68年の作家』について触れている。

四方田 あの当時、僕の中にはハイカルチャーサブカルチャーという区分はなかったです。坪内さんの世代だってそうだと思うんですけれども、そういう文化的なヒエラルキーがあってから何かやろうというのではなく、まずモノがあった。だから、漫画もあんなに夢中になって読むことができたんだと思う。
四方田 すごいですよ、ニーチェを百万人が買ってしまう国というのは。それで、筒井康隆が『火星のツァラトゥストラ』という軽妙な短篇小説を書いたりしてね。/ハイとローの話ですが、ああの当時、僕が吉本隆明という名前を覚えたのは、『COM』という漫画雑誌に岡田史子吉本隆明の詩を引用しているからなんです。それまでは漫画がハイクラスな思想とかかわるということはありえなかったのに、はじめて道筋ができたのが六十八年ということです。七十年代の始めに新潮社の翻訳を通してブルガーコフの『悪魔のマルガリータ』を読み出したとき、「何だ、これは、ローリング・ストーンズの『悪魔を憐れむ歌』の筋と同じじゃないか」と思った。後になってミック・ジャガーの伝記を読むと、「あのころブルガーコフが英語に訳されたばかりで、みんなで読みふけった」と書いてある。六十八年にソ連から秘密裡に原稿が持ち出されて、英訳が出たブルガーコフを、すぐにミック・ジャガーが曲にする、それをゴダールが映画にする。東京の高校生が夢中になる。これがわずか一年の出来事です。そういう流れがあったんです。
四方田 そういう当時の印象を思い起こすと、年齢的に同学年なんだけれども、 渡部直巳が書いた『かくも繊細なる横暴ー日本「六十八年」小説論』(筆者注:目次 第一章 古井由吉の「狂気」の一撃・転用・延命 第二章 後藤明生による「健康(ユーモア)」の企て 第三章 大江健三郎の(無)頓着をよぎるもの 第四章 中上健次の過激な「交錯線(いらだち)」 第五章 金井美恵子の「境界線(フィクション)」)というのは、何かちょっと違うなという感じがしましたね。彼によれば、「六十八年の作家」というのは五人いるということで、それが古井由吉大江健三郎後藤明生中上健次金井美恵子となっている。その五人が、隠喩を乗り越えてエクリチュールを実践している、と強調する。旧世代の埴谷雄高などは隠喩ばっかりだが、六十八年の五人は隠喩を否定していて、彼らは日本のヌーヴォロマンだ、というふうに論を持っていくんだが、これは幾らなんでも無理があると思う。/渡部が言いたいことはわかるんです。ログ=グリエが五十八年に「自然・ヒューマニズム・悲劇」という有名な論文を書いていて、「来るべきヌーヴォロマンは隠喩というものを敵にしなければいけない。すべて人間中心主義であるような隠喩から、物自体を描かなければいけない」と、そういう図式を立てるんですね。渡部はその枠を応用して、何とか日本の六十八年の作家を当てはめようとしてるんだけれども

◆金井さんの『文章教室』の講師である現役作家をこの五人の作家から強引にカリカチュアして○○さんをモデル仮説して読んだんですが、ぼくの勝手な読みです。
グッバイ、レーニン! [DVD]ヴァンダの部屋 [DVD]青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!映画千夜一夜〈上〉 (中公文庫)

蓮実重彦/中原昌也

◆11月は学園祭ですね、今日、メールで、京大経済学部の『ガラパゴスプロダクション』から映画談義のイベント案内が来た。これが、びっくりするような組み合わせである。よくぞ、実現できたものだと、思います。学生達に拍手喝采です。中原昌也の格闘技が通用するか聴いて見たい。
■出演:蓮實重彦(評論家*元東京大学総長)×中原昌也(作家*ミュージシャン)
■開演日時:11月21日(日)午後2時30分(午後2時開場)
■会場:京都大学法経七番教室
■入場:一般600円 学生500円
詳細は『ガラパゴスプロダクション』をクリックして下さい。映画も観たいですね、             

■日時 ?11月20日 15:00−?11月22日 15:00−
■会場  法経本館東ウィング地下
■上映作品  ?『ヴァンダの部屋』(葡/独/仏 180分)
        ?『グッバイ、レーニン!』(独 121分)
灰とダイヤモンド』 (波蘭 102分)

ゴダール

私の唯一の意図は、なにかを言うことにあるのではなく、人々になにかについて語りあわせることにあります……なにかのための撮影をすることにあるのではなく、ある一定のやり方で撮影すること自体にあります《なにかのために》ということがあるすれば、それは、なにかをおこすためです。/私はそれによって、事実を……真実のなにかを含んでいると同時にばかげたなにかをも含んでいる事実を、提示することが……主張することができるようになります。あのときおこっていたことのなかには、興味深いなにかと真実のなにかがありました。それに六七年のフランスにおいては、《あの子供たちはばかげている》という意見に対しては、《そんなことはないさ》と言いかえすことができました。そして今では私には、《六八年のあの子供たちはきわめてまじめだった。かれらはきわめてまじめなことをしていた》という意見に対しては、《いや、それでも、かれらにはいくらかばかげたところがあった》と言うことができます。−ゴダール著『映画史 ?』325より

◆当時、フランスも日本もアメリカも連動していたある種のグローバルの浸透があった。でも、今はかような知のグローバルはなくて、クソリアリズムのグロバールしかないのではないか、そしてその仕掛け人、主役達は大人になった60年代の子供たちでもあるのです。 

♪武田徹6/1記(旧ブログより移動)

ジャーナリズムが硬直した権力関係の地勢図を描きがちなのは、権力分析の道具を持たないからでもあるだろう。たとえば、ぼくは『調べる、伝える、魅せる!』の中でエスノメソドロジーの会話分析の方法を、取材における権力構造の分析に使うことを提唱した。そのときは社会の権力構図の分析以前に、ジャーナリズム自身の権力に注意深くあるためにそんな分析の導入が必要だとされていたが、この方法はそのまま社会の中の言葉によるやりとりに応用が可能で、一般的な権力分析の調査解析にも使えるはずだ。ジャーナリズム論は印象批評的なものが多く、せいぜいが統計調査を盛り込む程度で、科学的分析理論を持ち出すものは少ない。そこはまさに致命的であって、ジャーナリズムはもっともっと(自然・社会・人文科学の方法を導入して総合的かつ)科学的に解剖されるべきだと思うし、また理論論な分析の道具を自らの武器としてゆくべきだと思う。理論的なジャーナリズム批評とジャーナリズム実践を同じ地平で繰り広げてゆく、そんなことが教育の場で出来ればと思うのだが。ジャーナリズム論の文脈の中で、たとえばエスノメソドロジーの理論を引用するのが見られるのは珍しいと自負します(もちろんエスノメソドロジーって何だという人にもきちんと説明しますのでご安心を)ー武田徹ブログよりー

◆テープ起こしをおやりになるプロは“エスノメソドロジー”のことはよく分かっていると思いますが、『調べる、伝える、魅せる!』の会話の分析(68頁〜)で、ぼくのような素人にも概略分るように説明してくれている。しかし、滞りなく続く自然な会話の進行法則に、往々にして違反する会話者が登場する。

前の話が終わっていないのに割り込んできたり、指名されていないのに話を始める。あるいは逆に指名されているのに沈黙をもって返す……。こうした逸脱が起きるのは権力関係の反映だと考えられる。

◆ぼくは結構、権力がないのに、会話でこんな振舞いをしている(反省)。会話分析では同時発話や沈黙の長さを正確に記述する特殊な記号を用いながらテープ音声データーを書き起こしてゆくらしい。かような方法を取材でも採用すべきだと、取材の場の力関係のあり方と、そこで語られた内容を総合的に検討する作業が重要と指摘している。武田さんが立ち上げたジャーナリズム学校は年寄りにとって、メディアリテラシーの勉強にも叶ったものであるが、「若者きたれ」なので残念です(笑)。
『ジャーナリスト・コース』参照:『ぴぴさんレビュー』