同情が愛に変わり真の愛情が生まれ、本物の夫婦に

同情が愛に変わり真の愛情が生まれ、本物の夫婦に

{もし、あのとき、ナビルが明子さんに会っていな
 ければ、当時の英国は労働党政権だったから、英
 国へ亡命できただろう。でもナビルは、それまで
 考えたこともない国、日本へ行くことになった}
高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(12)
マルキストのエジフト人と結婚した明子さんの場合(9)◇
ナビルの人生を変えた明子さんの愛(その1)

同情が愛に変わり真の愛情が生まれ、本物の夫婦に

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(43)

▼△第一章 私はなぜ原発作業員となったのか△▼

東京電力福島第一原発正面に突撃・(その4)

●出せない写真が多い。あちこちに遺体があったからだ。

◆東電福島原発事故避避難者11万3000人の苦難を想いつつ

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(8)

▼△第一章 原発という犠牲のシステム〈8〉△▼
原発という犠牲のシステム(その2)・

「子どもには何の罪もない。痛恨の極みだ」

順不同ながら『はじめに(なぜ、福島と沖縄なのか)』から

沖縄の施政権が日本に返還されて、今日、40年を迎えた

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(12)
マルキストのエジフト人と結婚した明子さんの場合(9)◇
ナビルの人生を変えた明子さんの愛(その1)

同情が愛に変わり真の愛情が生まれ、本物の夫婦に

《「 ・City of Coventry Stadium (コヴェントリー - シティ・オブ・コヴェントリー・スタジアム 〈33000人収容〉:サッカー予選競技場) 私が感動したのは、そして、伝えたかったの はナビルの妻の明子さんについてである。 ウィーンでピアノの勉強をしていて、どのよ うなきかっけでナビルと知り合ったのかよく 知らないが、帰る国をもたない、また、お金 もないエジプト人の男に、 「私と結婚したら日本へ行って住める」 と考えをめぐらした明子さん、この男を救っ てあげたいと考えた明子さんの、このキリス ト教的な愛情に私は感動したのだ。 明子さんにとってナビルと結婚することは、 彼女には何の利益もなかったはずだ。 利益といえば無償の愛でナビルがそれに応え て、明子さんへの愛情を育んでいき、同情が 愛に変わって本物の愛情を抱くようになって、 のちに本物の夫婦になったことだ。 ナビルは明子さんによって日本という豊かな 国へ、そして、政治思想にこだわらないのん きな国へ行くことができたのだ。 もし、あのとき、ナビルが明子さんに会って いなければ、当時の英国は労働党政権だった から英国へ亡命できただろう。でもナビルは、 それまで考えたこともない国、日本へ行くこ とになった。 そして、初めはしがない英語学校の教師では あったが、のちに神戸製鋼という大企業に雇 われアラビア語という本来の自国の言葉を教 えることができ、それ相当の給料を得るよう になり芦屋に住むこともできた。 それでも故国へ帰国するということは諦めて いなかった。そして、結局は母国へも戻るこ とができた。 」》 ◎夫婦とは、何かと考えさせられるニュース を二つ。 いま、フランスの新任大統領、フランソワ・ オランド社会党前第1書記の“ファーストレ ディー”に注目が集まっています。ジャーナ リストのバレリー・トリルベレールさん。オ ランド氏とバレリーさんは、正式な結婚をし ていない事実婚カップルなのです。現在のフ ランス共和政が始まってから、事実婚の女性 が“大統領夫人”となるのは初めてのこと。 かたや、アメリカ大統領選の争点の一つとな っている同性同士の結婚について、オバマ大 統領が初めて認める発言をし、大きな議論と なっています。オバマ大統領は、アメリカの テレビ局の単独インタビューに答えて、「同 性のカップルも結婚できるべきだ」と明言し ました。アメリカの大統領では初めてのこと です。 ここで、問われているのは、真の夫婦愛(こ の表現自体があやしくなる)とは何かという ことです。私には大難題です。
BBC Olympic Flame Lighting - Torch Relay London 2012
(Savas Nikolaouさんが 2012/05/10 に公開) (つづく) (Y279-120) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(12)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(43)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−  「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】 

▼△第一章 私はなぜ原発作業員となったのか△▼

東京電力福島第一原発正面に突撃・(その4)

●出せない写真が多い。あちこちに遺体があったからだ。

《「――約束を守って車に戻った私は、車内で防護服とマスクを脱い だ。それをビニール袋に入れて巾着状態に縛り、履いていたバイク用 の防水ブーツを濡れティッシュで拭いた。 「防護服に付いた埃が舞うんだよ。これで被爆するんだ。ホールボデ ィ(原発等に設置されている外部、内部被曝を測定する機器)やった らかなりでるな。あーあ、やんなっちゃうな」 嫌味を言われてもどうしようもない。とにかくいまは逃げるのが先だ。 車は1F(東京電力福島第一原発)のフェンス越しに走り、北門に近 づいた。正門と比べて警備が手薄で、頑丈な4WDで体当たりすれば 容易に進入できるはずだ。 1Fの撮影が途中で頓挫したため業者に懇願し、双葉郡浪江町に向か った。1Fからわずか3、4キロのここは、震災後、捜索がほとんど 行われていない。 風邪用のマスクだけをして降車し、撮影した。出せない写真が多い。 あちこちに遺体があったからだ。瓦礫と化した町のバックには、1F の建物がはっき写っている。 その後、業者も観念したのか、3時間ほど近隣の撮影に付き合ってく れた。毎年、多くの花見客でごったがえす富岡町夜ノ森の桜並木には まったく人気がなかった。 午前中はぎりぎりで荷物を取りに戻った住民が多く、一部では渋滞に なっていたと聞いた。事実、私が1Fに向かう途中、バイクを運び出 している男性がいて、彼の愛車はプレミア価格で取り引きされるカワ サキのZ2だった。 ――」》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎昨年、12月16日、野田首相は「原子炉冷温停止」になったというこ とで、「福島第一原発事故収束」宣言をしました。この宣言は。世界 から見れば、ウソっぱちと、とられています。また、原子力を進める、 原子力村の総本山ともいえるIAEAでさえも、日本のやり方をおか しいといっています。

◆東電福島原発事故避避難者11万3000人の苦境を想いつつ

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(8)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】
▼△第一章 原発という犠牲のシステム〈8〉△▼
原発という犠牲のシステム(その2)・

「子どもには何の罪もない。痛恨の極みだ」

《「――山木屋地区の小中学生と幼稚園児約百人は、私が行った日の 翌日から、約一〇キロ離れた町中心部の学校・幼稚園にバスで通うこ とになった。 地区全体が政府の計画的避難区域に指定されたことから、一ヵ月以内 には大人も全員地区の外に避難しなければならないのだが、まずは放 射能の影響を受けやすい子どもたちから始めたのである。 保護者会では教育長が「子どもには何の罪もない。山木屋地区に何の 落ち度もない。痛恨の極みだ」 と述べたという。たしかにここに暮らす人びとにとって、福島第一・ 第二原発は、事故さえなければ、およそ縁遠い存在でしかなかったは ずだ。 遠く離れた原発の事故によって、慣れ親しんだこの地を離れなければ ならなくなるなどと、誰ひとり想像しななかっただろう。 ――」》
順不同ながら『はじめに(なぜ、福島と沖縄なのか)』から

沖縄の施政権が日本に返還されて、今日、40年を迎えた

《「――本書で私は、福島と沖縄について考えてみたい。 「福島」とはここで、東京電力福島第一原子力発電所で起きた過酷事 故とその影響にかかわる諸問題の名称である。また「沖縄」とは、在 日米軍専用施設面積の約七四パーセントが集中して基地負担の重圧に あえぐ島の名称である。 なぜ、福島と沖縄なのか。 福島の原発事故は、戦後日本の国策であった原発推進政策に潜む「犠 牲」のありかを暴露した。沖縄の米軍基地は、戦後日本にあって憲法 に優越する「国体」のような地位を占めてきた日米安保体制における 「犠牲」のありかを示している。 私はここから、原子力発電と日米安保体制とをそれぞれ「犠牲のシス テム」ととらえ、ひいては戦後日本国家そのものを「犠牲のシステム」 としてとらえかえす視座が必要ではないか、と考えた。 それはまた、二〇〇九年夏に生じた戦後日本初の本格的な政権の後、 眼前に展開された現実に促されてのことでもあった。 ――」》 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔夏〕 植物  全身で叱りし教師柿若葉
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
電気消し窓から入った月光がしなびたみかん明るく照らす
眞鍋翔伍(15歳)香川県

◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、 西川 正身 (翻訳)
成行き(outcome n.)
ある特定の種類の失望。例外があるのは規則のある 証拠、とするような程度の知性しか持ち合わせてい ない者は、ある行為が賢明であたったか否かを、事 の成行く、つまり、結果によって判断する。だが、 これは途方もないナンセンスであって、ある行為が 賢明であったか否かは、行為者がその行為を行った 時に持ちあわせていた英知によって判断しなければ ならないのである。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

ここだけの話にしておきましょう。
Let's keep this between you and me.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆

ソフィー・G・アンダーソン“髪をなおす少女”
(Young Girl Fixing Her Hair) (・個人蔵) ]  ◇ソフィー・ジャンジャンブル・アンダーソン (Sophie Gengembre Anderson, 1823年 フランス・パリ - 1903年3月10日 イギリス・コーンウォール・ファルマウス) フランス生まれのイギリスの画家。田園風景を背景にした子供 と女性の絵を専門とした。パリの建築家シャルル・ジャンジャ ンブルの娘として生まれ、母親はイギリス人。1848年のフラン ス2月革命から逃げるため、一家はアメリカに亡命。最初、オ ハイオ州シンシナティに住むが、後にペンシルベニア州マンチ ェスターに移り、そこで、イギリス人画家ウォルター・アンダ ーソンと知り合い、結婚する。最初は、ルイス・プラングの会 社でクロモリトグラフなど、肖像画を描いていた。1854年、家 族とともにロンドンに移住し、ロイヤル・アカデミーに作品を 出展する。1858年、一家はニューヨークに行き、1863年頃、ま たロンドンに戻った。それから30年、彼女はロイヤル・アカデ ミー、王立英国芸術家協会、他の画廊で広く作品を公開した。 彼女の初期の作品は、ラファエル前派と共通する、植物やその 他のディテールに対する並々ならぬ配慮が伺える。1903年、フ ァルマスの自宅で死去。
Sophie Gengembre Anderson (1823-1903)〈作品集〉
(amirselim さんが 2011/01/20 にアップロード) 【A collection of Sophie Anderson's work.  Song: Crazy by Julio Iglesias.  By: Amir Selim】