Kawakita on the Web

2008-03-07

[] モバイル社会シンポジウム2008「モバイルが超えるシステムの境界」・対談「フィルタリングを求める社会とゾーニングの未来」 参加  モバイル社会シンポジウム2008「モバイルが超えるシステムの境界」・対談「フィルタリングを求める社会とゾーニングの未来」 参加を含むブックマーク

モバイル社会研究所主催のモバイル社会シンポジウム2008「モバイルが超えるシステムの境界」の二日目の対談「フィルタリングを求める社会とゾーニングの未来」に行ってきました。

もはや当たり前のものとして認識されつつある携帯電話での有害サイトのフィルタリングについて、技術としてのフィルタリングの話だけでなく社会の側でそれをどう理解しどのように運用していくべきかという議論が展開されました。


※要注:以下のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。

対談:フィルタリングを求める社会とゾーニングの未来

モバイル社会研究所・野網氏による調査の結果

2008年2月に中学生親子・約600組、高校生親子・約600組を対象に調査

  • ケータイ普及率
    • 中学生・・・約6割
    • 高校生・・・9割以上
  • 学校裏サイトの認知度
    • 中学生本人・・・約7割
    • 高校生本人・・・約8割
    • 中学生の親・・・約7割
    • 高校生の親・・・約7割
  • 学校裏サイトの利用経験
    • 中学生本人・・・9%
    • 高校生本人・・・20%
  • 学校裏サイトの利用意向
    • 中学生本人・・・8%
    • 高校生本人・・・8%
  • 学校裏サイトを現在利用
    • 中学生本人・・・3%
    • 高校生本人・・・5%
Web社会の進展による社会の変化
  • 「Web社会」とは
    1. 分散型ネットワークや共有文化に基づく自由な総表現社会
      (ネットベンチャー的、Web2.0的)
    2. 情報技術の普及によって集合行動・コミュニケーションが量的・質的に変化した社会
      (技術決定論的)
    3. 「モノ」から「情報」へ価値がシフトした状況で各人がコミュニケーションを再帰的に(自己)定義しながら渡る社会
      (情報社会論的、後期近代社会論的)
  • 情報技術の普及・進展を伴う社会変動により、政治・市場・文化・教育・家庭などの各領域に求められる役割・期待が従来のものから変容してきた。
  • モバイル教育・インターネット教育をどうするか、情報の流通経路をどうするかという情報アクセス・情報設計の議論だけでなく、情報技術の普及を前提としてどのような社会を構想・設計するかという議論も必要では。
Web社会の問題点と反応
  • 「ウェブの功罪」「ネット社会の”闇”」と呼ばれる現象
    • 誰でもインターネットに繋がるゆえに、集合知の叡智だけでなく、「子ども(未成熟な市民)」の参入による問題発生。
      • 注:「未成熟な市民」の比喩としての「子ども」(後記)
    • 意図しない情報の流通可能性、犯罪遭遇リスクの増加。
    • 分散ネットワーク上で問題発生時の一元的な管理・対応の不可能性。
  • Web社会の問題化の背景
    • 従来は情報へのアクセシビリティが「場所」「時間」「年齢」「身分」その他で区別・管理されていたが、Web社会の到来によって社会の様々な領域における従来の区別が相対的に弱体化。
    • 従来の区別の失効に対する不安やその発露としての対策ニーズの高まり。
    • これまで慣習やWeb以前のメディアを前提としてきた制度を再帰的に設計しなおす必要がある段階。
  • Web社会でのトラブル
    • 炎上:価値観の異なるクラスター間の齟齬に対して道徳感情・正義感に後押しされて過剰反応。
    • 新規参入者・ネットリテラシーが相対的に低い人を揶揄・排除。
    • 学校裏サイトへの懸念:教師・親・一部生徒の目の届かない所での情報流通への不安。
    • 意図しない個人情報の拡散(Winny、プロフ等)。
    • 出会い系サイト:大人を介さず子どもがコミュニケーション上で直接リスクを負う可能性。
    • ネット自殺・ネット心中:従来から存在したが手段が変化。
  • Web社会への対策としてのアジェンダ・セッティング
    • (被害者としての)「子ども」をインターネットから守れ。
    • (加害者としての)「子ども」からインターネットを守れ。
  • 情報設計の内容・導入要件も注意すべきだが、そもそもなぜフィルタリングが導入されるのかという社会設計と連動した形での議論、なぜ情報設計を行うのかという合意形成の必要性。
    • 楠ガイドライン(フィルタリング導入の要件の提案)
    • 現在のWebに対する環境整備のニーズが高まっているものの、特定の理想・価値観による一元的なルール設定・対処は様々なニーズの反映・有効性の観点から困難かつ非現実的。
    • インターネットを完全なる「自由/規制」「チャンス/リスク」という対比で考えるのはアンバランス。
    • 情報の非対象性、情報リテラシーの差、情報ニーズの違いをどのような形で取り入れ、棲み分け、各々の自由を実現していくか(「子ども」/「大人」、ネットリテラシーの高/低など)。
ゾーニングとフィルタリングの現状
  • ゾーニング
    • 適切な集合行動を導くための区別・配置。
    • レコメンデーション機能、アクセスポイントの設定、保護者の許可等の要所でのチェック等。
  • フィルタリング
    • 特定の属性を持つ人々の情報アクセシビリティを管理・制限・選別。
    • 学習・コミュニケーションの機会そのものを消失してしまう可能性。
    • すでに存在する「コンテンツ」への制限は可能だが、生成する「コミュニケーション」への制限は困難。
      • 学校裏サイトでの問題は「コンテンツ」か?「コミュニケーション」上のものか?
      • 極端な例では学校の外でインターネットでコミュニケーションすること自体を問題視。
    • 内容を問わずコミュニケーションそのものを失効(場合によっては不可視化)。
  • フィルタリングの方法
    • ホワイトリスト方式
      • アクセスOKのサイトのリストを作成、そのサイトのみアクセス可能。
      • コストは安いが、mixiやモバゲー等の勝手サイト*1へのアクセスが一律に不可能となってしまう。
    • ブラックリスト方式
      • アクセスNGのサイトのリストを作成、そのサイト以外にアクセス可能。
      • アクセスNGサイトを常にモニタリングしなければならないためコストが高い。
      • リストによる制限がザルになりがち(ドメイン変更等での回避)。
      • リスト追加基準の公平性・透明性の問題。
    • セルフラベル方式
      • サイト(管理者・運営者)による自己申告を利用。
      • 悪質業者のみブラックリストで制限。
    • ソーシャルブックマークによるホワイトリスト方式
      • 集合知によるホワイトリスト作成。
      • タグ属性による分類を利用。
  • フィルタリングの原理的な問題
    • ポルノ等のコンテンツ(画像・動画・文章・ページ等の対象)の規制には有効。
    • タグ・識別を付与することで制限する発想。
    • そもそものフィルタリングが導入検討される問題は出会い系サイト・学校裏サイトのいじめ等だが、コンテンツ規制の延長線上では原理的には対処のしようがない。
      • コミュニケーションはコンテンツのようにタグ分類で識別できない。
      • 人と人の相互行為にタグを貼り付けるのか(誰が?リアルタイムで?)。
      • コミュニケーションの場を規制しても、別にコミュニケーションできる場があれば発生可能性は存在。
      • コミュニケーションの結果は基本的に事後的にしかわからない。
  • 現在進みつつあるフィルタリングの方向性
    • プロファイリング型
      • ユーザーの属性によりコミュニケーションできる範囲を事前に制限。
        例)メール送信の年齢範囲制限、検索結果の年齢制限。
      • コミュニケーション制限だけでなく相手の存在自体を認知できない設計も可能。
    • モニタリング型
      • トレース可能なログ・証拠による監視。
        例)アクセスしたサイト履歴を保護者に事後送付。
      • 発信者の規制ではなくユーザー側の自主規制・抑止効果を期待、低コスト。
社会の側でどう考えていくか
  • 調査によると、フィルタリングを親の許可を得て解除したいと考えている子どもが半数、親が許可しないかもしれないが解除を望む子を合わせると4分の3の子どもが解除を望む状態。
    • 保護者はケータイ・インターネットの現状を教えることができない/教えていないため、安易に供給側でシャットアウトする規制・環境を望んでしまっているのでは。
    • フィルタリングの前に親-子、教師-生徒の社会関係の中で子どもたちの感覚・常識・リテラシーを養う教育を先に試みてみるべきでは。
  • 現状のインターネット・ケータイの利用状況は中高生のコミュニケーションを多様化、スキル向上に寄与しているのか?
    • 統計を見る限り学校裏サイトを利用している中高生は予想以上に少ない(中学生3%、高校生5%)。
    • 現状のインターネット・モバイルの利用形態は、実質的にフィルタリングがかかっていないにも関らず、あまりにも身近な範囲に限定されてしまっている。
    • リテラシーの向上のためにはときにリスクに直面したり失敗したりして免疫をつける経験も必要。
  • 学校裏サイトは実際は身近なコミュニティのコミュニケーションを補完する方向で機能している(身近なメンバーの相互確認)。
    • 身近なコミュニティ内で様々な失敗可能・再起可能なコミュニケーションのロールプレイングの場としても捉え直すことができる。
    • 現状の少ない利用状況(中学生3%、高校生5%)の中で発生した問題をフレームアップして規制をかけたりコミュニケーションの可能性自体をなくしてしまっていいか。
  • フィルタリング技術は人が(恣意的に)人にフィルタリングをかけるという方向へ進む可能性がある(デイリーミー現象)。
    • キャス・サンスティーンの議論では、アメリカではインターネットを利用して自分にとって快適な都合のよう情報環境を構築できてしまうがゆえに従来存在した公共性を成立させるための議論が成立しなくなってしまう可能性を危惧。
    • さらにインターネットが導入されて出会わなくてよかった者同士が出会ってしまうことで政治的議論が発生する以前にコミュニケーションから駆逐されてしまう現象も発生しているのでは。
  • 現状起こっている問題に対応するための対策議論だけでなくロングスパンの社会的設計・情報設計の議論が必要。
    • 子どもが置かれている状況を情報技術のみ・法規制のみでどう対応しようかという議論だけでは不十分。
    • 家庭・地域・教育等の領域で社会的に方法論が蓄積されていくことが必要。
    • 現在議論されているフィルタリング規制・法案が今後の情報技術の発展を阻害してしまう可能性も存在。
「大人」と「子ども」の違いとは、Web社会での成熟とは
  • Web社会では個別の場・サイトで期待される能力・リテラシーは異なってくるので、共通の「大人」「子ども」概念を導入することは難しい。
  • Web社会での「大人」の条件・成熟の条件は多元化されており、それぞれの場のニーズ・コミュニケーションの質が異なる。
    • 参加者による相互認証・相互ラベリング・相互監視のようなゾーニング・合意形成が可能か。
  • 現実社会で大人と認識されている存在がネット上では必ずしも「大人」であるとは限らない(安易にフィルタリングを望んでしまっている)ということをいかに自覚できるか。
    • ある種のチュートリアル(最低ランクのリテラシー獲得)を通過してからインターネットへアクセス可能とする構想は実現可能性があるかも。
    • ケータイにフィルタリングを導入したいとパブリックに発言するためには、ある種のスキルやリテラシーがないと有効でないとする仕組がむしろ必要ではw

今回の討論内容についてはモバイル社会研究所の未来心理で発表、情報環境ガイドラインも提示予定とのこと。

※要注:以上のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。

追記:2008-03-11

はてなダイアリー・雑種路線でいこうの楠さんによるフィルタリングに関する記事がアップされています。

追記:2008-03-13

参議院議員・松浦大悟氏の「マンガ論争勃発のサイト」でのインタビュー記事です。

*1:携帯電話インターネット接続サービスで閲覧可能なウェブサイトの中で、キャリア公式のカテゴリに収録されていないもの。

2007-11-04

kwkt2007-11-04

[] 映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』鑑賞  映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』鑑賞を含むブックマーク

あんまり映画館に行って観るつもりはなかったのですが、僕が(勝手に)信頼している映画レビューサイト「虚馬ダイアリー」のid:toshi20さんが封切初日に鑑賞されて大変誉めておられたので、109シネマズ木場のレイトショーで、山崎貴監督の映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を観てきました。

設定は前作から数ヵ月後ということで、前作のメイン人物はみな登場。前作よりも時代背景の描写は省略されており(「日本橋」と「羽田空港」と「特急こだま」くらい?)、まさに前作のその後の「物語」が中心でした。前作の物語の後を望む方々のためにまさに望まれるままの物語が展開。前作が前編としたら今回が後編といった趣。

観客は中高年の方々が多く、まあ物語は安心して観れるし、ベタで感動的だし、(想定されている)観客が望むものがすべて詰まっている感じではありました。終了後にところどころで拍手も。

ベタとかいろいろ言っていますが、僕も前作同様とあるクライマックスシーンでまた涙してしまいましたとも。あと鈴木社長(堤真一)が戦友・牛島と語り合うシーンがよかったです。ここは西岸良平テイスト(?)。

とりあえず観客に望まれている(であろう)ものをしっかり提供している2時間以上の力作・大作ということで。

muroyanmuroyan 2007/11/05 20:54 こんばんは。キーワードで飛んできました。ALWAYS、今日見てきました。雰囲気がいいんですよね。あの頃の時代描写とか。

kwktkwkt 2007/11/06 00:22 muroyanさん、はじめまして。コメントありがとうございます。今回は当時がまだ戦争体験と地続きだったという描写がいくつかあり(登場人物たちはお子様たち以外はみな戦前・戦中生まれなんですよね)、それがけっこう効いていた気がしました。

2007-11-02

[] 赤木智弘『若者を見殺しにする国』・雨宮処凛『生きさせろ!』購入  赤木智弘『若者を見殺しにする国』・雨宮処凛『生きさせろ!』購入を含むブックマーク

若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か生きさせろ! 難民化する若者たち
 10/26に発売されたはずの双風舎・赤木智弘氏著『若者を見殺しにする国』がamazonからようやく本日届きました。amazon、いくらなんでも配送が遅すぎ。一緒に購入したのが雨宮処凛氏著の『生きさせろ! 難民化する若者たち』。

先日とある「社会における『ギャップ』」がテーマのトークイベントに行ったところ、某先生が「若者の貧困」をとりあげていたのですが、そのとき雨宮処凛氏の名前は出てきたのですが、赤木智弘氏の名前は出てきませんでした。僕は並列で出てくるのかなと感じていましたが、ある方曰く、その先生の口から赤木さんの名前は出ないであろう、と。

両者はともに「若者の貧困」をテーマに論を張られていると感じますが、なぜ雨宮処凛氏の活動は好意的に評価され、赤木智弘氏は無視されてしまうのか。その違いは何なのでしょうか。

2007-10-09

[] 荻上チキ『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』購入  荻上チキ『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』購入を含むブックマーク

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書 683)blog「荻上式(旧・成城トランスカレッジ)」「トラカレ!」を運営されているchikiさんこと荻上チキさんの初の単著『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』が、本日ちくま新書より発売されたとのことで、渋谷ブックファーストにて購入しました。

インターネットが生活のインフラとなりインターネットに関係しない人・モノ・事がほぼ存在しなくなったと言っても過言ではない昨今において、Web上で起こっている現象を考えるために多くの人が見聞きしたことのある具体例を示し、必要な概念・単語を丁寧に解説し、背景や作動原理を分析するという内容です。

そこで起こっている出来事に過剰に防衛的になるのでもなく、逆にインターネットの可能性を楽観的に信じきってしまうのでもなく、眼前のディスプレイで起こっている出来事を僕らが解釈するための枠組を提供してくれているという意味で、まさに「ネット時代の『教養』書」といった趣です。

「そんなこと全部知っているよ!」というネットヘビーユーザーの方々は自らの行動を省みてみるために、ネットが生活上手放せないという方々は自分のネット上でのアクションがどんな可能性(善し悪し含む)を秘めているのかを知るために、そして新書という手軽な形式ですから、インターネットは便利だから使っているけど騒がれてる事件はちょっと怖いしよくわかんないよという方々、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』読んでみてWebで世の中が良くなるって書いてたけどそんなに良いことばっかり起こるってホント?って思われた方々には特にオススメな気がします。

  • トラカレ! ― 知と情報を繋ぐ人文系ニュースサイト ―
    http://torakare.com/

NEATNEAT 2007/10/10 00:13 タイトルは『ウェブ退化論』か『ウェブ0.2』にしてほしかったです(ウソ)。

kwktkwkt 2007/10/10 00:24 でもいい意味での解毒剤であることは確かなような気がします。かなり豊富なネット上の炎上事件を事例にして「暴走と可能性」を考察されています。ネットをある種の欲望の「増幅装置」と考えるならば善きことも悪しきことも増幅して発生するわけで、楽観主義にも悲観主義にも両極に振れることなく一面しか見ないでもなく目の前で起こっている現象を分析するという視点は重要だと認識させられた次第。

2007-09-10

kwkt2007-09-10

[] 『リンダ リンダ リンダ』鑑賞  『リンダ リンダ リンダ』鑑賞を含むブックマーク

ご存知の方々にとってはいまさらながらなのですが、山下敦弘監督の2005年のヒット作品『リンダ リンダ リンダ』をDVDで鑑賞しました。


とある高校の文化祭で軽音楽部の女子が急造バンドでブルーハーツの「リンダリンダ」を上演するまでの紆余曲折を描いた青春ドラマ。友情・恋愛・成長と青春ドラマの王道的作品と言え、高校生の輝かしくもはかなげな一瞬が見事に表現されていました。どうしてあの時期の女子ってあんなにカッコいいんでしょうね。


しかしそれだけではなく山下ファンには見逃せないシーンも盛りだくさん。特に男子陣w まともな男子はドラムの女子が想いを寄せる子くらいで、あとはもう登場する男子という男子のほぼすべてが笑えました。観た人にしかわからないネタですが

  • 最初に自販機にやってくる男子
  • 妹が電話している後ろで腕立てしている兄貴
  • コクる友人を窓の外から覗いている友人の男子

のたたずまいが最高w コクる松山ケンイチや山下監督の分身と思しき文化祭撮影メガネ男子もよかったです。どうしてあの時期の男子ってあんなに痛かったり笑える対象となってしまうんでしょうねw

2007-09-07 SiCKO

kwkt2007-09-07

[] 映画『SiCKO』鑑賞  映画『SiCKO』鑑賞を含むブックマーク

渋谷のシネマGAGAにて話題のマイケル・ムーア監督最新作映画『SiCKO』を観てきました。一応形式的に紹介するとすれば、国民皆保険制度のないアメリカの状況と国民皆保険制度が存在し医療費ゼロのカナダ・イギリス・フランス・キューバの状況を比較して際立たせることで「なぜ今アメリカに国民会保険制度が存在しない」を問いかけるドキュメンタリー作品。


9.11の際にボランタリーに民間救助を行ったための呼吸器系の後遺症に悩まされるも保障もなく保険もない人々をひきつれてテロ容疑者が収監されているというグアンタナモ刑務所の前で「収監者と同じレベルの医療を受けさせてくれ」と叫ぶパフォーマンスがあるものの、ドキュメンタリーの作り方の話は別として、扱われているテーマは日本の僕らにも身につまされるものだったように思いました。


(アメリカの)保険会社は利益確保のために保険給付を一定レベルに抑えるべく既往症でリスクが高ければ加入をはね、給付の際も過去の病歴・既往症を探し出して契約無効としたり、保険会社に関連する病院でなければ適切な治療が受けれず子が死んでしまった例など、医療が営利目的で運用される場合の副作用が様々な例を挙げて描写されます。アメリカでは国民皆保険は医療の「社会主義化」をもたらし非効率・非人道的・官僚的になってしまい国民の医療の自由が損なわれるとの言説が流通しており国民皆保険制度が成立たない様子も示されます。


その国民皆保険制度を運用しているカナダ・イギリス・フランス・キューバの人々のインタビューとアメリカの人々のインタビューの比較が極めて象徴的。ムーアは医師に問います。「これまで自分のところに来た患者・怪我人に対して保険に加入していないからと追い返したことは?」「入院患者が入院費を払えないからと病院から追い出したことは?」もちろん医師の答えはそんなことありえるのと言った感じの「NO」。アメリカの保険会社に所属していた(良心的な)医師は過去の自分の行為を苦渋に満ちた表情で懺悔します。「保険申請をはねつける医師ほど優秀とされる構造があった、自分がどれだけの人々に申請拒否をしてきたかを考えると耐えられない」と。医療が保障となっているかビジネスとなっているかという違い。一方の医師は患者を治療すればするほど評価され、一方の医師は原価を下げれば下げるだけ評価される構造。劇中でこんな趣旨の言葉がありました。「国民には健康と教育と(物事を変えられるという)自信が与えられるべきだ」と。


ベタですが言ってしまいます。日本は国民皆保険制度は存在するもヨーロッパの国々のような社会の(精神的)余裕はなく、自己負担は当然であり払えないのは自己責任、医療費の負担引き上げはやむなしといった雰囲気が強いと思います。マイケル・ムーア監督が「なぜ他国にできて自国にできないのか」と問いかけます。ヨーロッパでは高等教育費も無料だったり安かったり。日本では医療費や教育費(や住宅費)で個別の家庭・家計はどれだけの犠牲(という言葉が不適切であれば「機会費用」)を払ってきた/いる/いくのだろう。

本当に「豊かな社会」というのであれば上記の意味の「機会」の平等を実現すべく医療と教育はそれが必要な人々には可能な限り低コストで保障されるべきだと強く感じました。ベースがあればこそ皆が安心して「自由に」様々なことにチャレンジできるようになるのではないでしょうか。

マル激の神保さんによると今回のドキュメンタリーの作り方にもちょっと問題があるのではないかとのことでしたが、このようなテーマを扱った作品はアメリカのみならず日本においても十分に意義のあることだと感じました。また神保さん曰く、かつて日本が国民皆保険制度のよいサンプルだったものが現在は状況が悪くなっているのでサンプルとして選ばれなかったのではないかとのことでした。本当に他人事ではないです。

2007-09-01 You are (not) alone

kwkt2007-09-01

[] 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』鑑賞  『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』鑑賞を含むブックマーク

本日、109シネマズ木場のレイトショーの時間帯に庵野秀明総監督『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観てきました。昼間に渋谷にいたのですが渋谷の上映館であるアミュ−ズCQNは速攻で最終上映まで埋まっていました。今回は10年前のように映画館の上映時間繰上げまでは発生していないようでしたが、映画の日で1000円ということも手伝ってか、やはり多くの人が観に行っていたようです。ファンの方々の期待の高さからか映画館の周囲の雰囲気がちょっと違っている気がしました。


「序」の内容は基本的にはテレビ版の第1話から第6話のヤシマ作戦まで。昨今の映像技術が投入されており特に設備・軍事関係の画は10年前よりディテールまでかなり精密に描きこまれておりました。また新作シーンもかなりあり、旧作を観ている人も飽きないように工夫がなされていました。

ただ6話分+新シーンを98分に圧縮しているため、テレビ版で効果的に使われていた沈黙・間を使ったシーンは大幅カット。めくるめく話の進行・展開はちょっと性急な感があり(旧作を観ている人はあんまり問題ないとしても)旧作を観てない初見の方にはちょっとだけ不親切かもと感じました。まっさら初見で行くよりもテレビ版・第1話〜第6話(あるいは全話)を観てから行った方がいいかも。


今回、僕は追加されたセリフ「(ご)●●の◎◎を●●●ください」「私は(省略)●●●ます」がすべてだと思いました。そういう意味で主役はシンジ君ではなく「彼女」。劇中でも大変重要な意味のあるセリフでしたが、僕にはこのセリフはまさに「◎◎」であり「二射目」たる新展開の次回作以降の決意表明であり制作者の方々のやる気も込められている新劇場版全作を通じた壮大なオープニングになっているように思いました。そういう意味で「序」というタイトルの看板に偽り無し。*1

「序」本編の内容および予告の謎解は好きな方がいろいろやってください。僕はパス。とりあえず次回「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」も観に行こうかと。

[] TBSラジオ・竹熊健太郎氏×宮台真司氏「ヱヴァンゲリヲン新劇場版公開記念 深夜の緊急対談」情報  TBSラジオ・竹熊健太郎氏×宮台真司氏「ヱヴァンゲリヲン新劇場版公開記念 深夜の緊急対談」情報を含むブックマーク

TBSラジオにて9/2 25:40〜28:00で竹熊健太郎氏×宮台真司氏「ヱヴァンゲリヲン新劇場版公開記念 深夜の緊急対談」が放送されるそうです。観た人は要チェック。

追記

TBSラジオ・文化系トークラジオLifeのサイトにて番組のmp3ファイルが配信されています。

*1:それともテレビ版か10年前の劇場版かは失念しましたが「これは病人が作った作品」と評したという、ゲンドウのモデルとの噂もあった○○○氏への庵野氏からの10年越しの宣言かもとか意味もなく思ってみたり(←これはかなりどうでもいいことです)。

2007-08-19

kwkt2007-08-19

[] 『ナツカレ』買いに初コミケ  『ナツカレ』買いに初コミケを含むブックマーク

旧・成城トランスカレッジ、現・トラカレ*1という人文系サイトを運営されている荻上チキさんが宮台真司氏や内藤朝雄氏のインタビュー等を掲載した同人誌『ナツカレ!2007』をコミケで頒布されるとのことで、東京ビッグサイトでお盆の時期と年末に開催される世界最大規模の同人誌即売会であるコミケに、初めてとうとう(?)行ってきました。

はっきり言って想像以上のスゴイ人出でした。こんなに大規模に人が密集したのを見たのはいつぞや明治神宮に初詣に行って以来かと。この分野がすごく大規模な市場であることを実感しました。

初めて参加した人は迷うそうなのですが、それなりに彷徨いながらも『ナツカレ』は無事購入できました。いろんな意味でよい経験になりました。


id:rnaさんも『ナツカレ』目当ての初コミケだったそうです。

2007-08-18

[] 蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.18『日本の幽霊 Part2 ―魑魅魍魎から遠く離れて―』参加  蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.18『日本の幽霊 Part2 ―魑魅魍魎から遠く離れて―』参加を含むブックマーク

青山ブックセンターのABC BOOKFES 2007のイベントとして青山ブックセンターの上にある東京ウィメンズホールで開催された蓮實重彦氏による恒例イベント「蓮實重彦とことん日本映画を語る」のVOL.18『日本の幽霊 Part2』に行ってきました。

今回のテーマは前回に引き続いて「日本の幽霊」。前回が映画が伝統的に見えないはずの幽霊をどのように表象してきたかという話だったのに対して、今回は現代の日本映画の監督たちがその伝統との関係においてどのように幽霊を扱っているか、という話だったように思います。

導入として、映画の中でお化け屋敷が描写されている久松静児監督『氷柱の美女』が紹介され、作中の登場人物たちはお化け屋敷の幽霊に怖がるのですが作品を観ている方はそれがまったく怖くないこと、だから幽霊は「人間が演じてこそ」の恐怖ということが「化け猫」の例で紹介されました。また狐とともに人間を化かす「狸」が描かれてきた例が紹介されました。狸は人間を化かしても禍々しい結果を及ぼさないのですが、大曽根辰夫監督『七変化狸御殿』ではフランキー堺・狸がジャズを演奏し美空ひばり・狸が音楽にあわせてタイツ姿で意味不明な唄を歌うというすごいことになっていましたw それに拮抗しうるアナーキーな最近の狸物の例として鈴木清順監督『オペレッタ狸御殿』が紹介されました。

そして最近のJホラーと呼ばれる作品群が登場。前回の話でもあった画面のフレーム外から人間の「手」が出てくる恐怖、そして「子供」が何かしら関係しそこでテーマとして母親の「母性」が描かれていることが紹介されました。

また日本映画では作中の登場人物たちが幽霊ではなく「他界の気配」を感じる場面が多くあるとのことで、その「気配」がどのように表現されてきたかが紹介されました。黒沢清監督の場合は、風で木々やカーテンがそよぎ場に大気が流れることで何かの出現/消滅の「気配」が表現されているそうです。

また在るべき場所に居らず居ないはずの場所に居るという「存在」と「非在」が描写されている例が紹介されました。今そこに居た人が不意に居なくなる例、ある時間を経て人が居なくなる例、死んでいるはずの人間が普通に登場してそこに居る例などが様々な作品で紹介されました。

最近の日本映画では、他界とこちら側、存在と非在の間で人々が揺れ動くシーンが多いそうです。(錯視とは違った観点で)自分に見えていることが他人にも見えているのか、同じものを見ているようで見ていない/見ることができないのではないかという問題。そこから派生して、映画を観る体験も「原理的には」「民主的に」「平等に」同じものを観ることができるはずでいていかに異なったものしか観ることができないか、「皆が平等に可視的であることはありえない」という、ある意味「幽霊」よりもよっぽど恐ろしい映画を観る体験における「存在と非在」「可視と不可視」の問題が提示されました。


最後に楊徳昌(エドワード・ヤン)監督が2007年6月に亡くなられた追悼として、監督の作品ではなく監督が出演されている侯孝賢監督『冬冬の夏休み』が紹介されました。エドワード・ヤン監督の作品をまだ1本も観ていない人は反省して観る機会があれば観るようにとの仰せがありました。


追記:2007-08-24

今回のイベントの詳細なレポはこちらへ。

2007-07-27

[] 萱野稔人氏×北田暁大氏トークセッション「権力と正義」 参加  萱野稔人氏×北田暁大氏トークセッション「権力と正義」 参加を含むブックマーク

権力の読みかた―状況と理論『国家とはなにか』
 ジュンク堂の池袋本店だけでなく新宿店でもトークセッションが開催されるようになったようで、本日開催された萱野稔人氏×北田暁大氏トークセッション「権力と正義」(萱野稔人氏『権力の読みかた―状況と理論』出版記念)に行ってきました。


※要注:以下のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


両者の国家論のスタンスについて

  • 北田氏は『責任と正義』で「正義・公正(Justice)」の観点から国家の問題を論じた。
  • 萱野氏は『国家とはなにか』で「暴力」の観点から国家論を展開。
    • 簡単に国家はこうであるべきという「べき論」に行くのではなく、国家の機能分析の議論を展開している。
両者が重なり合う論点
  1. 国家を考える上で「物理的な暴力」「身も蓋もない暴力」を理論構成に組み込んでいくと問題意識。
  2. 両者とも再配分型のリベラルな国家のあり方を肯定するが、理論構成上はロバート・ノージックを重視。
    • ノージックは自然人たちの私的な処罰権・物理的な暴力をどう抑制し制度化していくかという国家論を契約論的な伝統に基づき展開。
    • ノージックの結論部分であるリバタニアニズム的見解に否定的。でも論理構成上ノージックを重視。
  3. 国家のしたたかさを真剣に受け止める。
    • 近年「想像の共同体」としての国民国家(Nation State)を批判・脱構築・相対化していく議論が広まった。
    • 国民国家は近代の産物であっても、それ以前から国家は存在しており、脱構築・相対化の作業の重要性は認めつつも、それとは異なる固有ロジックで国家というものが作動してしまう面があるという認識。
    • 存在論的国家論がずっと忘れられてきた。忘れている人に限って「国民国家を超える」「国家など存在しない」と主張してまいがち。
「暴力」から考える国家
  • 国家とは一定の領土の中で合法的な暴力を独占している、国家だけが戦争・逮捕・刑罰等の物理的強制力を用いる権限を持っている、という定義。
    • 暴力が行使される前は交渉の余地はあったとしても、いったん発動されてしまった暴力に対しては抑止する手段が最終的にそれを上回る暴力しかないとすると、好むと好まざるとに関わらず暴力の問題に直面する。
    • 暴力を暴力で抑止するという基本的な運動の上に国家が成立っているとするならば(実際それで成立っている)、はたして簡単に「国家を超える」ことが我々にできるのか。
    • 国家が集中的に独占・管理することでより暴力が組織化されて計算可能な方がよいか、個々人・各組織でバラバラに管理されていて暴力が予期不可能な方がよいか。明らかに通常は前者のほうがよい。
    • ホッブスの「自然状態」はフィクションだという物言いがあるが、それは現に事実上国家が独占的に暴力を管理している状態だから発生していないだけで、フィクションではなく実際に起こりえること。
  • 「国家を超える」のが思想的に正しくて国家の中に留まっているのは思想的に遅れているというところに価値基準を立ててしまうと、おそらくダメ。

国家による承認・アイデンティティの問題について

  • 同性婚事実婚を制度的に求める人たちは結局国家というものを前提としてしまっている」「制度上の社会的なマイノリティとしてマジョリティに対抗しているように見えても国家の正統性を再生産してしまっている」という批判がラディカルな立場からなされる。
    • マイノリティの社会的承認が重要な政治的課題であるとして、国家からの承認が国家を前提としているという批判スタイルははたして可能なのか/妥当なのか。
    • 国家による承認ですぐにナショナリズムを思い浮かべがちだが、国家は単に暴力を保持しているだけではなくて正統性を調達する必要性も持ち合わせている。自身の行動が「公的」であるという定義権も集中させている。
    • 現実に公的であることの定義権を(ある程度)独占している国家をあたかも存在しないかのように脱構築を図るのは、むしろ国家の剥き出しの暴力装置としてのあり方を黙認してしまうことになるのでは。
  • 国家による承認を二つのレベルにわけて考えるべき。
    • ひとつは権利の承認。国家は物理的な暴力を背景に、裁判所で法律を背景に判決を下し、社会に権利の体系を維持・構築していく。その最も基本的なものが所有権。誰にどんな権利が付与されているかを体系付ける。
    • もうひとつはナショナリズムにも関わってくる国家がその人に存在の価値を与えるという意味での承認。国家がその人の生命の価値を認めるアイデンティティの問題(典型的には靖国問題)。
    • 権利が社会の中に設定されることを最終的に保障する「もの」は何か。個人の所有権を最終的に保障する「もの」は何か。所有権を無視する場合は制裁を加えるという「暴力」。
  • 資本主義とは所有権を前提とした社会関係。所有権が国家の暴力によって維持されているとすれば、国家と資本主義の関係を見直さなければならない。
    • 資本主義がグローバリゼーションを通じて発展していけば国家は弱体化・消滅するだろうと言われてきた。しかし資本主義を成立させるための権利関係を保障するのが暴力しかないのであれば、資本主義は国家が今のところ必須と考えられる。
    • 所有権を確定し、所有権が侵された場合に処罰を行うのは誰なのかという問題をどう考えていくのかが社会契約論のスタート地点。
    • 議論の構成はロック的・ノージック的なものと近接しているが、結論としてはリバタリアン的な市場原理主義的な帰結には否定的な立場をとるとするとどういう論理展開となるのか(おそらく矛盾ではない)。

国家と再分配について

  • 福祉国家とは税金を取り社会保障として再分配すること。最近は財政難・社会意識の変化などで機能していないという現状がある。
    • 「再分配」を行わない国家は存在しない。国家自身のために使用する場合でも、例えば軍事基地を作る場合でも、それがすでにひとつの再分配として機能する。
    • 現在ネオリベと呼ばれる最小国家が富の再分配を行っていないわけではなく福祉国家と再分配の方法が異なる。福祉や公共事業での再分配ではなく、システム管理やテクノロジー育成、治安維持のための再分配を行っている。
    • 国家がどのような再分配を行うかということで常に政治的な議論・闘争が生まれ得る。
  • 国家がより福祉政策の方を実施するようになるには
    • 国家は国家にとって得策である限りにおいて福祉政策を行った。戦後の経済復興期において、共産・社会主義圏に対抗する意味もあり福祉政策を行い富を再配分し、国民がこれまで購入できなかった新たな生活必需品を購入し、企業が儲かりさらに税金が入りというサイクルが回っていた。冷戦構造が崩壊しそのサイクルの有効性がなくなってきた時点で政策転換が起こる。
      • 萱野氏は国家を暴力の集積装置としてとらえており、事後的に国家は正統性を調達するだけで必ずしも福祉政策・公共事業が帰結されるわけではない、でも方法はどうあれ再配分を国家は必然的に行いうる、という考えのように見える。
    • 国家を単なる暴力の集積装置のみではなく公的な正統性を維持していかなければならないものとしてみることで、福祉政策的なものを正統化できないか。
      • 北田氏は国家は暴力の集積装置でありつつも、国家はその正統性を主張し生成し続けていかなければならないという点が、国民の最低限の生活保障(social minimum)を担保するための福祉政策・公共事業の一定の根拠になりうるのではないかという点を論じていたように思える。
憲法第9条と萱野国家論について
  • 日本国憲法第9条の非戦/非武装という考え方は「暴力」を基本とする萱野国家論とどう接合されるのか。
    • 憲法第9条はあくまで対外的な規定。日本という国家の領土内での公的な暴力の独占という意味からすれば特に矛盾しない。
    • 非戦・非武装の規定をもっている国家は日本とコスタリカ。
      • コスタリカは集団安全保障の外交勢力バランスを利用した方が自前で軍隊を整備するよりも国防上効果的だからという地政学的な要因に負っている。
      • 日本は弟二次大戦で敗北し、アメリカ軍の占領下またはアメリカ軍の基地を国内に配置する安保体制という歴史的条件が前提となって、自前で軍隊は保持しない・紛争解決に武力を用いないという規定を持っている。
    • 第二次大戦後、連合国は旧枢軸国がまた暴走しないようその国の軍事力を管理しようとした。
    • 戦後レジームからの脱却」とは軍事力を管理される側からまた管理する側・軍事を公共事業にできる側になりたいということ。
    • 軍需産業はテクノロジーが集約され不況の影響も受けずに需要を生み出すので、資本主義の中でカネのなる産業であり再分配としても機能しうる。
    • 非戦・非武装は一定のコンテクストの中で成立しているものであり、国際社会の中では「合法的な暴力の独占」という事態は変わらない。

会場に東浩紀氏がおられ、以下の所見・応答がなされていました。

  • 本日の議論では国家が「軍事・治安上の保障」「経済的・福祉的な保障」「感情・承認の保障」を満たすことが一体となって話が進んでいた。
  • これら3つを果たして国家だけで満たすべきなのかという観点から、個々テーマでどうやって保障していくかという方向で議論を展開したほうが有効ではないか。
  • その3つが要請されるようになったのは近代国民国家になってから。なぜ3つがまとめて国家に要請されるようになったのかを歴史的に考えることが重要かもしれない。

※要注:以上のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


本トークセッションについては参加されたid:syakekanさんが簡潔にまとめられてます。

id:NEATさん情報提供。萱野氏が本トークセッションについて言及されているそうです。

NEATNEAT 2007/08/02 01:28 よほど印象的だったと見えて萱野さん自身もこのトークイベントに言及されていますね。

・萱野稔人 交差する領域 2007.8.1 第15回 〈権利〉と国家と資本主義
http://kayano.yomone.jp/?p=8

kwktkwkt 2007/08/02 01:35 NEATさん、情報ありがとうございます。さっそく追加しました。

syakekansyakekan 2007/08/02 01:35 凄い!KAWAKITAレポート復活ですね!

kwktkwkt 2007/08/02 01:39 syakekanさん、コメントありがとうございます。
本トークセッションはわかりやすくかつ大変勉強になる内容でしたね。