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2015-12-30

2015年も、大変お世話になりました

もう2015年も終わりですね。ありがたいことで、今年も様々なお仕事をさせていただく機会を得ました。普段はあまりメディア露出告知などをしないため、自分でもどんな仕事をしたのか網羅的に振り返ることなどできないのですが、いくつか印象的なものをピックアップしたいと思います。

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2015-09-02

義理の祖父に、特攻隊「伏龍」について聞いてきた

今年の8月15日、16日に帰省しまして。その際、義理の祖父に、戦争中の話を色々聞かせてもらいました。帰る前から、「レコーダー持っていくから、戦争のことを聞かせてほしい」と伝えていたら、色々と資料も用意してくれていました。ありがたや。


義理の祖父は、「伏龍」の隊員でした。「伏龍」を簡単に表現すると、潜水服を着て、爆雷のついた竹槍を持ち、水中に潜って、近づいてきた敵に自爆攻撃をするというものです。「水際特攻隊」「幻の特攻兵器」「人間機雷」等、様々な異名がついています。その時に聞いた話は、TBSラジオで「人間機雷『伏龍』隊員だった義理の祖父との対話」と題して放送したのですが、貴重な証言だと思うので、放送したインタビュー部分の文字起こしを掲載したいと思います。


f:id:seijotcp:20150902165037j:image


以下、文字起こしと、ごく簡単な補足のみ掲載。

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2015-08-30

ディズニープリンセスと幸せの法則』誤植等一覧

2014年、星海社より『ディズニープリンセスと幸せの法則』という本を出しました。



好きな作品群について論じることのできた思い入れのある一冊です。しかし、驚くほどに誤植が多いまま世に出てしまいました。気付いただけでも、100を超える誤植・ミスがあります。7月末に「今年中に出したい」と依頼をいただき、打ち合わせを重ねてお受けすることにしたのですが、スケジュールがとにかくてんやわんや。要所で締切も伸ばしてしまいましたが、他方で編集の方にとって初めての担当本だったこともあってか、ゲラが来るタイミングがずれこみまくり、ゲラ全体をまとまった形でチェックできたのは5時間。誤字などは編集部のほうで数人体制で直していただけると言われたので、文意・論旨に専念してゲラチェックをしたのですが、甘い判断でした。見本段階で色々気づいて報告した際、担当は「すぐ2刷りで直しましょう」と意気込んでいました。それからだいぶ経ちましたが、どうも重版はなさそうな気配です。こういう仕事の仕方は二度としてはいけないと思いました。申し訳ございません。


以下、誤植一覧をまとめていきます。気付いたら増やしたり加筆したりします。

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2015-08-17

広島平和記念資料館の被爆人形は、「怖いから撤去」なのか?

8月1日〜3日の間、ラジオ番組制作のため、広島市内で取材を行ってきた。「被爆をいかに語り継ぐのか」がテーマだった。定番の広島平和記念資料館も訪れたが、資料館は現在、改修工事が行われている。2010年に公表された「広島平和記念資料館展示整備等基本計画」に基づき、建物の老朽化対策に加え、「被爆の実相をより分かりやすく伝えるため」にと、展示内容も見直されるためだ。


ところで今回の取材では、街の声などを聞く中で、広島平和記念資料館に展示されているジオラマ人形、通称「被爆再現人形」についての話題が何度もあがった。被爆再現人形は、リニューアル後には展示から撤去されることになっている。


この撤去に関して賛否があるが、主にネット上で、「被爆人形が<怖い>というクレームを受けて撤去されようとしている」と話題になったことがある。


痛いニュース(ノ∀`) 「『人形が怖い』との意見で被爆再現の人形撤去へ…原爆資料館

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1754786.html


Naverまとめ「【悲報】『人形が怖い』との意見で被爆者の人形を撤去の方針…原爆資料館」

http://matome.naver.jp/odai/2136358548947606601


これらのまとめサイトでソースとなっているのは、中国新聞が掲載した以下の記事だ。


原爆資料館の被爆者人形撤去へ 実物資料重視へ広島市 来館者には賛否

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=9116


なお、「痛いニュース」では「『人形が怖い』との意見で被爆再現の人形撤去へ」とタイトルがつけられているが、まとめられた元スレッドのタイトルは、「原爆資料館:被爆再現の人形撤去へ」というもので、元々の中国新聞のタイトルのまま。これを、「痛いニュース」や「Naverまとめ」などが、タイトルを改変し、一部の反応を抽出してまとめ、拡散していたことがわかる。しかし、少なくとも市側は、「人形が怖がられるので撤去する」とは言っていない


中国新聞の記事の中では、確かに


この日、市議会予算特別委員会で議題に上った。委員の一人が「旅行代理店のアンケートに、人形が怖いとの意見があった」と指摘。石田芳文・被爆体験継承担当課長は「本館リニューアル後は、展示しない方向で検討している」と述べた。本館は16〜17年度に改修を計画している。

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=9116


というやりとりが紹介されている。そのため、委員が紹介した「人形が怖い」との意見を元に、撤去が決定されたとの印象が与えられる。では、実際にはどのようなやりとりがあったのか。


委員の質問が行われたのは、「平成25年度予算特別委員会」の3月14日(2013年)。委員はそこで、先立って旅行代理店にアンケートを行ったと述べつつ質問を行っている(参照)。


ここでの主なテーマは、資料館の入館料についてだった。その流れの中で委員より、アンケートの中に記されていた「ろう人形の展示が怖いので,怖くない順路もつくってほしい」という意見も紹介されている。これに対して、広島市の被爆体験継承担当課長から、「このろう人形については,一応リニューアル後は展示しないという方向で検討している」と回答されている。


ちなみに人形の撤去そのものは、計画が公表された2010年7月時点で既に明らかにされている。基本計画の段階で既に、「ジオラマ模型」について、「本館(被爆の実相)では、実物資料の展示を中心としたありのままを伝える展示とするため、撤去や代替展示が望ましい」と記されている(参照)。だから担当課長も、「(そもそも)リニューアル後は展示しない」と応じたわけだ。


だが、このやりとりが抜粋され、中国新聞で紹介されると、委員「旅行代理店のアンケートに、人形が怖いとの意見があった」→広島市「リニューアル後は、展示しない方向で検討している」という流れで意思決定されたかのように読めてしまう。しかし、実際のアンケートの要望も、「別の順路をつくってほしい」というものであったし、委員も「撤去」を要望してはいない。さらには、撤去そのものは、質問が行われる前から決定されていた。中国新聞の記事には誤りは書かれていないが、やや紛らわしいと言える。


その後広島市は、人形の撤去について、ウェブサイト上に次のように記している。


凄惨な被爆の惨状を伝える資料については基本的にありのままで見ていただくべきという方針の下、この度被爆再現人形を撤去することとしたものであり、見た目が恐ろしい、怖いなどの残虐な印象を与えることなどを懸念して撤去するものではありません。(…)

被爆再現人形は、非常に印象に残り、当時の情景を伝えているという展示だというご意見があります。しかし、一方で被爆者の方は、無残な遺体がたくさんあり、男女の区別さえつかず、親子でさえ見分けることができない情景を体験されています。そうした状況からは、被爆再現人形に対して「原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった」といったご意見もあります。展示をご覧になられる方の見方によっては、原爆被害の実態を実際よりも軽く受け止められかねません。来館された全ての方々に悲惨な被爆の実相を現実に起こった事実として受け止めていただき、こうした惨劇を今後二度と繰り返してはならないという思いを心に刻んでいただきたいと考えており、そのためにも誰が観覧しても個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要と考えております。

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1371543633862/index.html


平和資料館には、現在も多くの実物展示が行われている。また、写真や動画も多く展示されており、その中には、被爆者の身体が映されたものも多い。そうした中で、「Session-22」で取材した際、広島平和記念資料館・副館長の増田典之氏は、「怖い<から>撤去というのは都市伝説的」であり、むしろもっと「原爆の悲惨さを伝えるため」にこそ、リニューアルの中身を検討したいという趣旨のことを述べていた。


一方で、人形撤去反対の署名活動なども行っている、撤去反対の活動をしている方のロジックを見ると、「例え作り物であっても、直感的に子供達に訴える」「最も強烈なメッセージを発してきた『被爆再現人形』を撤去しなければならない、明確な理由がない」と反論していることが分かる。すなわち、「怖い<から>という理由で撤去するな」という主張がなされているわけではない(参照)。


署名を行った方はその後、請願を行い、議会で請願内容の説明もしている。


資料館リニューアル全般につきましては、資料館更新計画や基本計画、また資料館展示検討会議の議事録などを拝見する中で、拝観ルートの見直しや実物展示により被爆の実相に迫り、被爆者や御遺族の心情に寄り添っていくという趣旨は理解できたものの、人形撤去に導いた明確な議論や理由が見当たらないため、人形撤去が妥当という解釈に至ることができません。なぜ、現代の最新技術を用い、もっと被爆の実相に迫る人形をといった、これまでの人形展示を発展させる建設的な議論が出てこないのでしょうか。

平成26年 9月29日総務委員会−09月29日-01号


要は、「怖いから撤去する/怖いから撤去などとんでもない」というところが論点になっているのではなく、「人形が被爆の実相を伝える手段として何が適当か」「意思決定のプロセスはどうあるべきなのか」といった論点がとりあげられていることが分かる。これに対し、広島市の市民局長からは、人形は常設展示からは撤去するものの、保存したうえで、企画展などの際には活用したいと応じている(参照)。


最後に雑感を。平和記念資料館を見学・取材してみて驚いたのは、館内の多くの場所が撮影可能であり、また熱線により変形した瓦など実際に触ることのできる実物展示も多いこと。また、海外からやってきたひとが多く、館内も多言語対応していること。そんななか、被爆再現人形の前で写真を撮る人は多く、国内外問わず多くのひとが足を止めていた。写真を撮り、SNSなどでアップし、人と語り合いたくなる――。被爆再現人形は現状、そうした「目玉」の一つとしての機能を帯びているとは言えそうだ。


被爆再現人形でなければダメだとは思わない。議会でも、代わりに「3DCG」などはどうかいった提案が議員から出ている(参照)。とはいえ、人形には人形の機能がある。だからリニューアルするのであれば、人形同様、訪れた人が足を止め、写真を撮り、「広島平和記念資料館に行ってきた」と人に見せ、語り合いたくなるような展示をしてほしい。もちろん、生存されている被爆者の方々が納得されるようなものであるという前提のうえで。

2015-04-02

曽野綾子氏が『新潮45』にて、産経コラムの一件を「愚痴」っていた

曽野綾子氏が『新潮45』(2015年4月号)の連載コラムで、産経新聞のコラムをめぐる騒動について触れている。南アフリカを例に出し、人種に基づいて居住区を分けた方がいいと主張する内容のコラムを産経新聞に記したことから、発想が人種隔離政策「アパルトヘイト」そのものだと批判を浴びた一件だ。


『新潮45』での連載タイトルは「人間関係愚痴話」であり、今回のコラムのタイトルは「第四十七回 『たかが』の精神」となっている。何が「たかが」なのか。その答えは本文に書いている。


麹町の大使館に着くまでの間に、私はシスター(※引用者注:曽野氏が通訳を頼んだ知人)に「ねえ、『たかが』って英語でなんて言うの?」と尋ねた。

「たかが、って、どういうこと?」

「たかが小説家のエッセイです、と言ってほしいのよ。いい小説家もいるけど、悪い小説家もいるのが、この世界の特徴です。でもいずれにせよ、たかが、なのよ」

(…)ただ私は作家だから、どこの国にもこっそりと規則を破る人間はいるだろう、そういう人たちをある種の作家は好んで描くものだと思う。それも人間性の一種なのだ。その可能性を大使にご説明するのに、「たかが作家の書くことですから、本気になさることはないのです」とシスターに言ってもらう必要性を、私は予知していたのである。

(…)皆が情熱をこめて要求した、作家の「謝罪」とは一体どういうものなのだろう。作家は古来、いい人であるとか、学問的に正しいとか、徳の高い人であるとかいう保証はどこにもなかった。今もない、と私は思っている


つまりコラムの趣旨としては、「たかが」小説家の文章に対して騒ぎすぎだ、というもののようだ。そのため内容も、連載タイトルにあるように、自分を批判した者たちへの「愚痴」がメインとなっている。たとえば、「特定非営利活動法人 アフリカ日本協議会」をはじめとした数々の抗議文に対して、次のように記している。


しかし一作家が、誰かを代表するということもなく、自分の考えを書いていることに対して、さらに私が現実に人種による差別的行為をしたり、示唆したりしているのでもないのに、謝罪と記事の撤回を要求する、ということに私は驚きを感じた。今の日本はこういう国だったのか、と理解した。

(…)一人の人間の中にも、必ず悪魔と天使の要素が、それぞれに存在する。しかしその比率を、人間、ことに他人が断じたり裁いたりしてはいけない、と私は思っている。


また、メディア各社の取材、およびネット上での反応に対しては、次のように記している。


肩書一つ正確には書けなかった新聞や通信社が、こうやってヘイト・スピーチを繰り返し、そこに覆面のツイッターが群衆として加わって圧力をかけ、どれだけの人数か知らないが、無記名という卑怯さを利用して、自分たちは人道主義者、曽野綾子は人種差別主義者、というレッテルを貼ることに無駄な時間を費やしている、その仕組みを今度初めて見せてもらって大変ためになった。私は覆面でものを言う人とは無関係でいるくらいの自由はあるだろう。


曽野氏にとっては、自分が「アパルトヘイトを肯定した」と評価されることは「ヘイト・スピーチ」にあたるという認識のようだ。批判相手をひとまとめにし、聞く価値のないものだと矮小化するのは、流言拡散者もよく用いる手段ではある。ちなみに、「そういう意図はなかった」「自分を批判するのは時間の無駄」といった表現も、流言拡散者がよく口にする。


だが曽野氏の「応答」では、肝心の「自分の文章がアパルトヘイト肯定に読めるか否か」という点について論理的な説明がなされない。物書きであれば、自分の意図とは別に、文章がどう読まれるかが重要となるにもかかわらず、本人の意図や作家論などに回収してしまっている。これは「逃げ」のように思えるが、おそらく曽野氏の場合は「無自覚」だ。「天然」と表現する人もいるかもしれないが、この言葉は軽すぎるように思える。そもそも「黒人」という大括りなワードでその人の行動を語る行為そのものが問題ではないか――。以前、ラジオ番組で曽野氏にインタビューした際、そうした趣旨の質問を行ったが、氏はまったくピンときていなかった。曽野氏は、黒人は他の人種とは「実際に」行動様式が違うという認識で、そのことを前提に話をすることは「差別ではなく区別」であり問題ないと信じているようだった。


ところで、コラム冒頭では、曽野氏が南アフリカ大使館に招かれ、モハウN・ペコ駐日特命全権大使とやりとりしたことが紹介されたうえで、次のような話を聞いたということが記される。


まずその時、私が明らかに当時知らなかったことを大使に教えられたので、その点を私はここで真っ先に報告したい。それは「パス法」と呼ばれる明らかに黒人を差別した法律で、我が家の秘書に出してもらったウィキペディア(日本語版)によると、南アに住む十八歳以上の黒人すべてが、身分証明書を白人地区内では常に携行しなければならない法律だった。これはアパルトへイトの象徴的悪法だったので、一九九一年に廃止されている。私が南アを初めて訪問したのは一九九二年だから、この法律は前年から正式に効力を失っているので、私の説明役を買って出てくれた政府側の女性も、もう過去のことに触れる必要はないと思ったのかもしれない。しかしそれ以前には黒人はこの身分証明書を提示しなければ家の売買も居住もできなかった。従って一つのマンションにどういう人が何人なら住めるか、ということはパス法で厳しく管理されており、その検査に通った人も勝手に一族全員を呼び寄せて二十人も三十人もに【ママ】住まわせるなどということはできないし、そんな人は一人もあり得なかった、と大使は明言された。私はそういうお話は、私の書くものの中で一番早い機会に原稿にいたします、とお約束したので、その後一番早く締め切りが来たこの『新潮45』の冒頭でこうして報告するわけだ。


曽野氏は大使からは、コラムに書いたような実態は存在しないのではないかという指摘を受けたようだ。その事実を記すのは重要だ。たとえウィキペディアであっても、苦手なネット(曽野氏は僕のインタビュー時、ネットのことを「エレキ」と表現していた)を使ってまで確認しているようでもある。ただし曽野氏はその後の文章で、次のように記している。


近代的なマンションでは、使える水の量に制限がある。屋上のタンクの容量は、一軒当たり、四、五人が住む計算しかしていない。しかし(大使はそういう例はないとおっしゃったが)たまたまこっそり大家族を招じ入れる不心得な家族がいると、マンションの水はすぐ枯渇するだろう。私が聞かされた実例なるものは、例外か話の上で全くの虚構か今となってはわからないけれど、私自身は話を捏造していない。


自分は聞いた話を書いた。自分の意図としてはアパルトヘイトを肯定したつもりはない。そんな自分の文章に騒ぐなんて大げさであり、非難する側にこそ問題がある、ということのようだが、これでは先に大使の言葉を引用したのが台無しである。


確認しておくと、曽野氏は産経コラムにて、ここでいう「不心得な家族」を「黒人」という人種の特徴だと括り、「白人は逃げ出し」たと書いた。「聞かされた実例なるもの」を、自らの主張のために記したのは曽野氏であり、そこには氏の「思想」が宿る。ある時は大家族主義だと褒め、ある時は不心得な家族と難じているが、黒人と白人を「区別」して語っていることには変わりなく、その発想に基づいて提言する氏の態度・思想こそが批判されていることに、まだ無自覚のままでいる。また、聞いた話を書いただけだから責めるなというのであれば、あらゆる誤報もスルーされてしまうことになる。もしかしたら曽野氏にとって「記者と作家の区別」を行っているだけなのかもしれないが、もちろん僕はそんな「作家論」は支持しない。


さて、曽野氏のコラムには、僕の名前も出てくる。


私の方もインタビューを申し込んで来た各社の担当者に一つずつ質問をさせてもらうことにした。私はいつも仕事には義務だけでなく、人間探求に関する勉強や楽しみの部分も残しておきたかったからだった。私は談話を欲しいと言って来た記者自身が、私がエッセイの中に登場させた水のでないマンションに仮にいたとしたら、住み続けるかどうかに答えて欲しいと言った。別に「社を代表なさらなくていいんです。あなたの個人的なお答えでいいんです」と私は言い、イエスでもノウでも、返事をくれたところには、回答をすることにした。週刊文春、共同通信のうちの一人、ジャパンタイムズ、朝日新聞、週刊ポスト、光文社、の記者たちは電話口で即答をくれた。読売新聞は、そのような問いには答えない、と言ったので、私も返事を書かなかった。テレビ局の女性は、散々条件を挙げ、苦悩を声ににじませたあげく、叫ぶように「私は住みます!」と答えた。また共同通信のうちの一人は「住み続けます」だったので、私は「どんなふうにして?」とつい尋ねてしまった。すると「水を運んだりして」ということだった。荻上チキ氏は、ご自分の名前のついたラジオ番組を持っていらして、それに出るようにと言われたので、私は同じ質問をした。すると「まず水が出るように試みる。水がないと自分はいられないが、それは人種差別の故ではない」という答えだった。そんな条件は改めて言わなくても誰もがやることだ。やはりこの方は、人道的ではない、と言われることが非常に怖い方なのだな、と思って聞いていたが、私は約束通り録音取材に応じた。


事実、曽野氏にインタビューを申し込んだ際、氏から条件として、「水のでないマンションにあなたは住み続けるか」という質問に答えろと伝えられた。僕はこの時まず、「馬鹿な質問をするものだな」と率直に思った。さらに、曽野氏の場合、仮に「はい」とでも答えたら、「ほれみたことか」とでも言いそうだ、それほどいちから説明しないと伝わらないのだろうか、と思った。そこで、「イエス/ノー」で答えることはせず、「改善の方法を模索した上で、水が出ない状況が続くなら引っ越しを考える。ただしそれは、隣人が黒人だから、ではない」と答えた。


氏の「人間探究」によれば、この答えは「人道的ではない、と言われることが非常に怖い」からだと解釈されたようだ。実際は、氏の問いに疑念を抱いていたゆえの回答だったのだが。ただ加えておくと、自分は特段「人道的」だと思わないが、それでも確かに僕は「他人から人道的ではないと評価される」ことを怖いとは思っている。そして、社会が「人道」を放棄することが怖いからこそ、産経新聞というメディアに曽野氏のコラムがそのまま載ったことも怖かった。だからこそアパルトヘイトの問題をラジオ番組で取り上げたし、シノドスでもとりあげている。それに対し、あくまで僕などが過剰に「人道的」ぶっているだけだと位置づける曽野氏の認識もまた、怖い。日本財団で南アフリカ支援にも関わった人物でもある氏にしてこの認識……。逆に、氏のコラムを「怖い」と思った人たちが少なからずおり、抗議の声をあげたことは、とても心強く思える。


なお、産経新聞は、次のような見解を示している。


「コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」

「コラムはアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱したものではなく、曽野氏ご自身の体験から、生活習慣の違う人同士が一緒に住むのは難しいという個人の経験を書かれたものと受け止めています。ただ、このコラムを掲載したことで、不快な思いを抱かせてしまったことは私たちの望むところではなく、大変遺憾に感じています」

http://www.sankei.com/column/news/150306/clm1503060007-n1.html


一方で他記事では、曽野氏擁護の記事も掲載している。


http://www.sankei.com/column/news/150220/clm1502200007-n2.html

http://www.sankei.com/life/news/150222/lif1502220012-n2.html


今後、移民問題などがクローズアップされていく中で、様々な問題がごちゃまぜになり、個々のトラブルや事例を「人種」や「国」に還元して語る言説がますます出てくることが予想できる。その意味では、問題を先取りして提示して見せたコラムでもある……が。そうした「誤った語り口」を解きほぐしていくことで、誤った暴力や政策を生まないようにすることが重要なんだよね。というわけで、自分のメディアだけど、秀逸な論考なので下記をリンク。


【参考】

「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治

亀井伸孝 / 文化人類学、アフリカ地域研究

http://synodos.jp/society/13008

2015-01-27

[]また上杉隆氏が(以下略

またまた、上杉隆氏の番組で誤情報を流された。今回はその拡散に、ロンドンブーツ1号2号の田村淳氏も加担している。番組では、次のような言及があった。


川島ノリコ:オプエドの中でも色々な意見があってっていう。

上杉隆:それがまた健全なんですけれど。番組内で意見が分かれて。

田村淳:そうですね。色んな意見があっていいわけですから。俺と反対の意見なんだからって、嫌いになったりしないですもん。普通の人って反対意見が一つあったら友達じゃなくなるみたいな感覚を持っているでしょ。

川島:小学生みたいな感じですよね。いま、中でも「いじめみたいだね」というつぶやきがいくつかあったんですけど。

上杉:普通の人よりも、もっと酷いのは日本のメディアの人なんですよ。僕と意見が違う人いっぱいいるんですけど、意見が違う度にどんどんどんどん敵が増えていくんです。でも、違うのは当たり前じゃないですか。だから、ぼくは人格攻撃してないのに、僕と意見が違うと「あいつはダメだ」「あいつは敵だ」となるんですよ。それがね、ジャーナリストの先輩に限って、全員そうなっていくんですよ。

田村:へえー

上杉:すごいなぁと思って。

田村:俺の中で違う意見を持っている人があらわれたら、「えっ、何でそういう風に思うの」って知りたくなっちゃう。

川島:そうですよね。いろいろ話していると、「あっ、そうか、そういう風に思うから、感じるのは、じゃああなたの意見ですよね」って。

田村:話し合うと意見が変わることもあるんですよ。当然、人間だから。その場合、意見を変えた時に、「お前は考えがブレている」と言われるんですよ。

上杉:はははは(笑)。

田村:そんなことないですよ。だって、はじめての意見に触れて、自分の考えが変わることなんて生きていて楽しいことじゃないかと思って。

上杉:本当にそう。

田村:それを、否定する材料を見つけるのが上手い人は、どんな角度からでも否定してくるんで。だから、俺が一番やりたいのは、俺の事、誹謗中傷してる人と直接会って話したい。どこまで理解し合える仲になるか俺は試したいですよ。

川島:その方たちが出てきてくれるかどうかですよね。

田村:でもね、目の前には来ないと思うから、電話番号を出したこともあるんですけど、かかってこないですよね。

上杉:来ないですよ。だって、僕も色々な批判をしているけれど、そういう意味では堂々と話し合いたいわけですよ。だから、池上さんにも4か月くらいやっているけど来ないと。これ、ジャーナリストの人がそうなんですよ。津田大介さんもそうだし、江川紹子さんもそうだし、荻上チキさんもそうだし。異論があるから、戦ったから、違う意見の方が面白いわけじゃないですか。でも、依頼すると、全部拒否。でも裏ではツイッターでは悪口言っているわけですよ。

田村:ははは(笑)。

上杉:だったら、話し合って、こっちが行くんだからと。来てもいいし、行ってもいいし、どういうやり方でもいいから、と言っても駄目なんですよ。

田村:会った方がプラスしかないですけどね。違う意見なんだということを確認し合うこともプラスだから。

上杉:意見の違いで論争するほど面白いことはないじゃないですか。だってタダですよ。自分と違う意見というのは批判とか異論ってのは、自分にとっての情報だから、自分を成長させるのに。同じ意見の人だけ固まったって成長止まっちゃうじゃないですか。

(池上彰氏Dis、上杉氏新刊宣伝などあって)

川島:あともう一つですね、ずっとあった問題と言いますか、オプエドにもたくさんツイートが……淳さん少しだけ大丈夫ですか。上杉さんのことなんですけど。

田村:はい。

川島:「荻上チキさんについて上杉さんから取材申し込み自体無かったと本人がおっしゃっていましたが。」

上杉:うええええええええ?

川島:こういうつぶやきがですね、今は松本さんという方なんですけれども。その他の方も……

上杉:チキさんに今つぶやけばいいんじゃないんですか。

川島:はい。荻上チキさんに対しての問題が沢山呟かれて。

上杉:取材申し込みしましたよね。

川島:でも、荻上さんは「来てない」と。ネットで言っている。

田村:駄目ですよ。ネットで返しちゃ駄目ですよ。

上杉:駄目ですよね。

田村:直接お話しましょうよ。

上杉:自分で、事務所もちゃんと言っているんで、ぜひ。こういうね、嘘をついちゃだめだよ。やっぱり。

川島:そうですね。

上杉:それは無いでしょ。

川島:でも、それを信じていらっしゃる視聴者の方は……。それも私にも来るんですよ。

田村:へえー

川島:上杉さんはそういう風に言っているけど……

田村:ぼくはチキさんと一緒に番組をやったことがあるんですけど、まあ明快な解説してくれますよ。だから、そんな二人が相まみえたらどういう風になるのか、俺は見たい。

上杉:朝生で一緒に何回か出たことあるんだけど。

川島:だからきっと、間に入っている人たちが色々こう。

上杉:そうそう。あと、本人も確認していないでそんなことを言う。ぼくは荻上チキさんが朝生に出れなかった時の取材っていうのは、ウチのスクープを基に、テレビ朝日がなぜそういう風にやったかという。テレビ朝日は自主規制の取材をしたんですよ。田原さんとか5人くらい。テレビ朝日の取材だから、荻上チキさん関係ないわけですよ。「テレビ朝日が自主規制した」という取材をしてそれを書いたわけです。で、そこにいくらね、取材していないと言ってもそれは関係ないわけですから。だって小島慶子さんだってそうだし、していないです、それは。だってテレビ朝日側の取材だから。それを基に言っていると思ったら、それは荻上さんの勘違いだし、その後そういう勘違いが無いようにと。ということで出演依頼を含めてしているのには対しては、出演依頼をして、30秒くらいでしたっけ、30秒くらい? で……

田村:オプエドにチキさん来てもいいんですよね。

上杉:もちろんです。もちろん。もちろん。こっちも出てもいいんですよ。TBSとか。

田村:お互いに行きあうのが一番良いですよね。

上杉:それを断って来たんですから。出ないと。

田村:へえー

上杉:だから議論をしないと、話はつかないし、少なくとも他の業種と違って、ずっと言っているんですけど、ジャーナリストとか評論家は口で糊しているわけですから。これで商売しているわけですから。ここは、きちんと下げちゃだめだと思うんですよ。

田村:そうですね。チキさんぜひ、上杉さんそんな悪い人じゃないんで。ぜひ。

上杉:ぜひ。TBSでも、いつでも良いので。シノドスもなんでもOKと。オプエドももちろんOK。

田村:それでまた、オプエドが面白くなるし。

上杉:全然OK。

川島:そうすると、それを今まで問題というか、気にしていた視聴者の方も、スッキリするかもしれないですからね。

上杉:本当に、そういう様な、周りのね、噂だけでどんどんどん論が立っていく。

川島:そうですね。

田村:本当ですね。

上杉:デマもそうだけどね。僕がなんでデマと言われているのか、最初からもどって皆さんきちんと調べてください。


相変わらずのようで、以下、例によって箇条書き。


・まず、上で読まれたツイートはこちら

・川島ノリコ氏が読み上げたこのツイートはそもそも間違い。正解は「朝生の件では上杉氏からの取材は受けていない」「デマを流されたことをブログで指摘したら、唐突に出演依頼が来たが断った」であり、このツイートはこの両者の時系列を混同している。それをそのまま紹介する川島氏も問題である。

・上杉氏の「取材申し込みしましたよね」というのも間違い。「出演依頼」には「取材」の件は一切触れていない。メールには単に、「新しいメディアのありかたについて」というテーマで当番組に出演してくれ、という内容だった。

・そもそも、こうしたツイートでの伝聞を元に、他人に対して「嘘をついちゃだめだよ」などと評価するような人の取材を受けても、良質な記事になるとは思えない。

・上杉氏は、「テレビ朝日側の取材だから」僕には取材する必要はなかったという理屈を述べている。それならやはり、「取材依頼」は出していないということになるのだが。

・ちなみに、この上杉氏の理屈については首をかしげる。テレビ局と出演者の間にトラブルがあった今回、それぞれの言い分や経緯を確認するために、双方に取材しようとするのは普通だろう。実際、多くの記者が、テレビ朝日にも僕にも取材を申し込んできた。しかし、上杉氏はテレビ局側の取材だけで十分と考えたようだ。

・僕の主張に関しては確認をしないでいいと言いつつ、上杉氏は前回の番組中で、僕のことを「えー本人がなんか一生懸命、自分に圧力がかかったと言っていますが、全然違います」「取材しないで、思い付きをツイッターなどに書いていたのが荻上チキさんということで」と、デマと共に嘲笑した。僕の対応について調べもせずデマを流したわけだが、今回の動画ではそのことを誤魔化している。詳しくはこちら→ http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141202/p1

・今回の番組でも、「それは荻上さんの勘違いだし、その後そういう勘違いが無いように」と言っているため、上杉氏の認識は今でも変わっていない。取材どころか、ツイートさえ読めば確認できる事実すら確認できていない。

・というか、「ジャーナリスト」なのであれば、文章でレスしてもいいはずなわけだが、やたらと有料番組に出ろ出ろ言うのは、自己宣伝にしか見えない。

・上杉氏が「デマと言われている」理由は単純で、上杉氏がデマを流したからである。


最後に、田村淳さんへ。

僕は芸人としての淳さんを尊敬しています。しかし、いまあなたが加担しているのは、炎上ビジネスです。

デマを流し、嘲笑した人がいて、その人が「反論あれば番組に出ろ」と言っている。そんな状況であなたは、事情もよくわからないまま、「面白いから」「見たい」という理由で出演を促す。実に無責任な行為だと思いますし、淳さんの信頼も損なう行為だと思います。

当然、僕がその番組に出演しても何の得にもなりません。自分の関わるメディアに彼を呼ぶことについても、僕は損しかしません。見ている人への説明であれば、このブログで書いたほうがあの番組より多くの人に届きますから、これで十分です。

あと、当たり前のことを。「悪い人じゃない」ことは、仕事の良質さを保障しません。念のため。これからも何かと気を付けてください。


(2015年最初のエントリがこれでいいのかという気もするが、更新が少ないとこうなるのだ)



【関連】

朝生の一件で、上杉隆氏にデマを流された事案まとめ

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141202/p1


また、上杉隆氏のネット番組で誤情報を流された事案について

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141223/p1


「裏をとっている」とは何か

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20120323/p1

2014-12-24

学習指導要領および保健体育の教科書において、性的少数者の存在が無視されている件

先日、「週刊SPA!」にも書いたけれど、大事だからブログにも書いておこうと思う。2016年、学習指導要領の改定が行われる。そうした中、「change.org」において、「クラスに必ず1人いる子のこと、知ってますか?〜セクシュアル・マイノリティの子どもたちを傷つける教科書の訂正を求めます〜」という署名企画が行われている。


日本の保健体育の教科書にはかねてより、性的少数者(セクシュアル・マイノリティ)に関する記述がないことが問題視されてきた。まず、実際の教科書はどうなっているのかをみてみよう。


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【中学保健体育】

出版社年度書名ページ項目主な記述
大日本図書H23/24中学保健体育58〜59思春期の心の変化への対応異性に関心をもち、好きだと思う気持ちは心を豊かにしたり、毎日を生き生きと過ごす活力を与えてくれたりする面もあります。異性とよい関係を築くためには、男子と女子とでは性に対する考え方や行動が異なることを、おたがいが十分理解することが大切です。
学研H23/24中学保健体育16〜17性とどう向き合うか思春期になると、性機能の成熟に伴って、性のことや異性への関心が高まったり、性的欲求が強くなったりします。また特定の人と親しく交際したいといった。友情とは違う感情も生まれてきます。
大修館書店H23/24保健体育60〜61性への関心と行動思春期になると、心の面でも変化が起こってきます。自分が異性からどのように見られているか異性の目が気になったり、性についてもさまざまなことを知りたくなってきます。また、異性とふれあいたいなどの異性への関心も高まってきます。
東京書籍H23/24新しい保健体育14〜15異性の尊重と性情報への対処思春期に入り、生殖機能が成熟してくると、自然に異性への関心が高まり、友情とは違う感情が生じてきます。また「異性のからだに触れてみたい」といった性衝動が生じる場合があります。/「【やってみよう】あなたが異性に求めたり望んだりすることはどのようなことか、例を参考にして、5つ挙げてみましょう。」

【高校保健体育】

出版社年度書名ページ項目主な記述
大修館書店H24/25現代高等保健体育66〜67性意識と性行動の選択思春期は性にかかわる意識も大きく変化する時期です。男女とも異性への関心が高まってきます。同時に性的な関心も高まりますが、その強さやあらわれ方には、個人差はもちろん、男女の間にも明らかに差があります。
大修館書店H24/25最新高等保健体育66〜67性への関心・欲求と性行動「異性と親しくなりたい」という気持ちや性に対する関心は、思春期になるにつれて男女ともに高まってきます。しかし、性的欲求の強さやあらわれ方には、男女の違いがはっきりとみられます。
第一学習社H24/25高等学校保健体育62〜63思春期の心の成長思春期は異性に対する関心や異性と親しくしたいという欲求が強くなってくる時期ですが、性に対する意識や行動のしかたは個人差も大きく、男性と女性でもちがいがあります。

http://nikkan-spa.jp/766230

こちらには、引用元である教科書の写真を掲載しております。あわせてどうぞ。


ご覧のとおり、いずれの保健教科書にも、「思春期になると異性への関心が高まる」と記されている一方で、性的少数者に関する記述は皆無だ。


日本では、学校教育法等に基づき、各学校でカリキュラムを編成する際の基準を定めている。その基準となる「学習指導要領」には、次のように記されている。


段階項目学習指導要領の記述
小学校思春期の体の変化思春期には、初経、精通、変声、発毛が起こり、また、異性への関心も芽生えることについて理解できるようにする。さらに、これらは、個人によって早い遅いがあるもののだれにでも起こる、大人の体に近づく現象であることを理解できるようにする。なお、指導に当たっては、発達の段階を踏まえること、学校全体で共通理解を図ること、保護者の理解を得ることなどに配慮することが大切である。
中学校生殖にかかわる機能の成熟思春期には、下垂体から分泌される性腺刺激ホルモンの働きにより生殖器の発育とともに生殖機能が発達し、男子では射精、女子では月経が見られ、妊娠が可能となることを理解できるようにする。また、身体的な成熟に伴う性的な発達に対応し、性衝動が生じたり、異性への関心などが高まったりすることなどから、異性の尊重、性情報への対処など性に関する適切な態度や行動の選択が必要となることを理解できるようにする。なお、指導に当たっては、発達の段階を踏まえること、学校全体で共通理解を図ること、保護者の理解を得ることなどに配慮することが大切である。
高等学校思春期と健康思春期における心身の発達や健康課題について特に性的成熟に伴い、心理面、行動面が変化することについて理解できるようにする。また、これらの変化に対応して、自分の行動への責任感や異性を尊重する態度が必要であること、及び性に関する情報等への適切な対処が必要であることを理解できるようにする。なお、指導に当たっては、発達の段階を踏まえること、学校全体で共通理解を図ること、保護者の理解を得ることなどに配慮することが大切である。

どの段階でも、誰もが「異性への関心が高まる」ことを前提としている。しかし、これには問題がある。実際にはこの社会には、異性への関心が高まらない者も多くいる。例えばコンドームメーカーの相模ゴムが国内で1万人以上に行っている調査「ニッポンのセックス」では、異性以外を恋愛対象とする者が6%〜10%程度は存在するという結果が出ている。


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男性…異性のみ 93.6%、同性のみ 4.9%、両性 1.2%、その他 0.3%

女性…異性のみ 89.8%、同性のみ 7.1%、両性 2.4%、その他 0.7%

出典:『ニッポンのセックス』相模ゴム工業 / http://sagami-gomu.co.jp/project/nipponnosex/


他の類似調査でも、少なくとも5パーセント前後は当事者がいるのではないかと語られてきた。こうしたデータ見ても、「異性」以外に関心を持つ者は少なくない。さらには「その他」に含まれる、例えば性愛に興味を持たない「無性愛者」なども存在する。実際に多くの当事者がおり、数々の統計的裏付けがあるにも関わらず、《誰もが思春期において異性愛に目覚める》かのような記述を行うのは、「ニセ社会科学」だと言える。教科書が子どもに嘘を教えていることになるので、ぜひ記述を改めてほしい。


何より、多感な時期に性的少数者の存在が不可視化されてしまうことは、様々な問題を引き起こす。例えばメディアでも、性的少数者をネタする表現も多い。学校でも生徒が、時には教師も含めた大人が「オカマネタ」などを口にするなどして、性的少数者を嘲笑する空気をつくりあげたりもしており、被いじめリスクも高い。丁寧に啓蒙することで、差別を減らしていくという役割を、教科書策定や教育に関わる人たちには担ってほしいと思う。