思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と Twitter

2017-06-17 関東人の視野狭窄 vs 畿内人の視野狭窄

2017-06-13 昨日のツイート

2017-04-12 母語か母国語か(その4);クイア理論という奇妙な用語

SNSで「クイア理論」という耳慣れない用語が出てきたのでwikiで調べたら以下の文が出てきた。

思想的な背景;クィア理論の誕生に大きな影響を与えた思想家の一人がジャック・デリダである。脱構築によって、音声言語 / 文字言語、男 / 女、人間 / 動物、文明 / 野蛮などの二項のうち、前項が優位に立ち、第二項がそれを補っているとするデリダの論に大きな影響を受けている。

だが、音声言語を父に、文字言語を母に関連付けるというのでは日本人の問題意識とは離反してしまう。

だが、音声言語を父に、文字言語を母に関連付けるというのでは日本人の問題意識とは離反してしまう。


これはすでに論じたように「母語・母国語」から詰屈した「母語mother tangue・国語native langueage」の対語を使うべき。

http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20110531


母語というのは乳児期から始める状況依存の音声言語で、代表は「イナイイナイ、バー」

国語というのは文字の習得を伴う読誦言語で、こちらはその本文に関する文脈の説明とともに習得する言語。

両方とも状況ないし文脈に依存した言語なのであって、音声と形象の片方だけには関連付けることはできない。

2016-12-25 子育てとdual meaning

孫は近くの民間が経営する認可保育園に通っていて、そこでは2歳児クラスから「ハロータイム」という英語教育プログラムが週1で行われている。

それで家でも数を覚えるのに日英語で練習している。

まだ両手の指で「7」を作る練習もしているのだが、面白いことに気付いた。

指を9本出して「nine」、といってから両手を隠して「ない」というとすごく喜ぶのだ。

つまり三歳児にして誹諧のセンスは大ありということだ。


それで少し子育て中の事件を振り返ってみた。


まず、長男が小学校にあがって最初に上級生に遊んでもらったのがダジャレ遊びで「車は急にとまれない」というものだった。交通安全の相言葉を「9番のゾーンには駐車不可」とかけたものだが、我が家ではオトーサンは古典落語の蘊蓄では相当頑張るのだがオヤジギャグは嫌いで、そういうたぐいの会話がなかったから、長男にはそうとうインパクトがあったようで後々まで繰り返していた。

次がこれは兄妹とも気にっていた『おかえしのおかえし』と呼んでいた本をしつこく読まされたこと。

森の中に住んでいた狸の母子の隣に狐の母子が越してきて、引っ越しの挨拶をもらったお返しからお返し合戦がはじまる。何回も繰り返して、そのたびに「おかえしのおかえしのおかえしの ・・・・・・  お返しです」といわなくてはいけない。

そして驚くべきことに二人とも正確に繰り返された「おかえし」の数を認識しているのだ。

だからこっちがうっかり少なく言うと結構本気で「ちがう」と怒るのだった。

少したってからは、ニヤッとしながら数を間違える、という遊びをするようになって、二人とも私の表情を見ながら本気で怒るべきかどうか思案するようになっていった。

最後は絵本「のんたん」。

これは以前「クレヨン・ハウスとノンタンhttp://d.hatena.ne.jp/midoka1/20150501」でとりあげた


この本がなぜ1〜2歳児に人気があるのかと考えていくと、

これは「自他の差異」の解説書だからだ。


そう考えると

「おかえしのおかえし」は状況の差異で

「車はきゅうに止まれない」は文脈の差異。

そして「nine・ない」は形象の差異ということになる。

2016-10-30 『神話・伝承の研究;塚田六郎』

以前に書いた『祭暦』とつながる本に出合った。

http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20060602


この本の早い時期にオウィディウス(bc43-bc17)のことが出ていて、ギリシャ神話の体系化は

この人の『転身物語』が基本文献だとあった。原義の「メタモルフェーゼ」は蛇や虫の変態という理科用語となっている。

ところが、この変態の過程の「羽化」となると「アブダクション/飛躍」ともいわれ、メルロ・ポンティの重要概念につながるから注意が必要。