1901日目・・・十一月十一日(水曜日)・・・「1111」・・・TVのスペシャル・秦の始皇帝、秦王、姓は嬴(エイ)、諱は政(セイ)、即位した13歳、紀元前247年に陵墓建設開始。陵墓は中国陝西省西安北東30km、阿房宮の南80里に驪山建設・・・紀元前210年に49歳で死去・・・兵馬俑(ヘイバビョウ)は秦始皇帝陵(墓)の周辺にある・・・TVの「ドキュメンタリー(documentary)→読究面他理意(易)?」では兵俑8000体余りの各軍団の組織リーダーは「鶍冠(やまどりかんむり)」を被っており、その冠の上

 「交喙(いすか=鶍)」は、weblio辞典に「スズメ目アトリ科・crossbill・雄は全身赤黄色、雌は地味な暗黄緑色。くちばしがねじれて上下に交差しており、松かさをこじ開けて実を食べる」・・・更に他のブログを調べると「いかす(?)=鶍(国字)・交喙」・・・「イスカの嘴(くちばし・シ・喙)の食い違い=物事、話しの食い違い」・・・なるほど、ボク的には「イスカ=椅子化・伊須化・易数化」の食い違いである・・・
 それに、「インコ」は「鸚哥・音呼→秦吉了」とあったが・・・
 TVでは漢字の統一では「猪(ヰ・ゐ)」は「彘(テイ)」とせよ、との当時の秦帝国の地方官吏への木版での記録通達の説明場面があった・・・元々「彘(テイ)」の漢字はあったのか、それとも、「新字」だったのか・・・その統一漢字での「文字交換」の理由までは述べられていなかった・・・「猪(ヰ・いのしし)」=「彘(テイ・いのしし)=彑+上+矢+ヒ」は、既にボクのブログ日記には前回、調べて記述したが・・・
 「彑」は「互・瓦(かわら)→瓦斯(ガス)」に類字である。しかも、「彑=々」との説もある。すなわち、「彑」が「互」の意味する「字」ならば、「鶍冠」の「交喙(いすか=鶍)」は「相互・互換・互助・互譲・互選・交互・相互」の「交わる口の彖」であり、戦闘指揮の合図をする「交喙-冠」の兵士である。
 結論は「彖(タン)=一卦ごとに対する総論、総括、総轄、統一」の合図である・・・
 さらに「鶍」が「国字」ならば、「交喙(コウガイ・コウカイ)」の意味を知っていた日本に存在していた人物の「新漢字」であるハズ(筈→嵌事・嵌図)だが・・・?・・・これ、「笶=竹+矢」っちゃう・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 約伯 記
 ヨブ・・・「与分・余部」記
   ・・・・呼ぶ記(紀)
第27章
27:1
ヨブ・・・・・与文
       與文・・・壱與の記録
       夜分・・・天文・零(0)時
       輿奉・・・地理・地図・神輿
       世分・・・世代の部の分・元号年大
       世武・・・武士の世代・余武・代布・天武
       予伏・・・序文に伏(臥)す・古事記序文
       譽部・・・誉れの勲章
            誉田分・応神=王仁
       預部・・・預言の部分
            預金部
            伊豫讃岐の領域
       余分・・・アマリのブン
            贏(あまり・エイ=勝負に勝つ)
            贏輸or輸贏=損得
            操奇計贏(ソウキケイエイ)
            金貸し、金融の利子、利益
            融資・融通
            金を融(とか・鬲+虫)す
                   虫=中+ム
              鬲=へだてる・リャク・レキ
              鬲=一+口+冂+八+丅(丁)
            融→融解・融合・融点・融和
              渾融・・・渾然・渾沌
                   渾儀=渾天儀
                   渾→水の軍
                     褌(ふんどし)
                     衣の軍?→金武霊
              溶融
            商売の儲け
       四歩・・・将棋の戦法
       与舞・・・舞踏会・鹿鳴館

また
言葉を
つい(接い)で・・・ツイ出
          序で
          注いで
          告いで
          次いで
          継いで
          竟で・・・音+儿=立+日+儿
            竟=キョウ・キャウ
              おわる・ついに・結局
              つまるところ・ようするに
              究竟・畢竟=必竟
          対で・・・文+寸=亠(音)+乂+寸
言った、
27:2
「神は
 生きておられる。・・・「生きておられる」って?
             神は「生き物・生命体」?
 彼は
 わたしの
 義(ギ)を
 奪い去られた。
 全能者は
 わたしの
 魂(たましい・コン)を
 悩(なや・ノウ)まされた。
27:3
 わたしの
 息(いき・ソク)が
 わたしのうちにあり、
 神の息が
 わたしの
 鼻(はな・ビ)に
 ある間、
27:4
 わたしの
 くちびる(唇・脣・吻)は
 不義(フギ)を言わない、
 わたしの
 舌(した・ゼツ)は
 偽(いつわ・にせ・ギ)りを
 語らない。
27:5
 わたしは
 断(ダン・たつ)じて、
 あなたがたを
 正しいとは認めない。
 わたしは死ぬまで、
 潔白(ケッパク)を
 主張(シュチョウ)して
 や(止)めない。
27:6
 わたしは
 堅(かた・ケン)く
 わが義を
 保って捨てない。
 わたしは
 今まで
 一日も
 心に
 責(せ・セキ)められた
 事(こと・ジ)がない。
27:7
 どうか、
 わたしの
 敵(テキ・かたき)は
 悪人のようになり、
 わたしに
 逆(さか・ギャク)らう者は
 不義なる者のようになるように。
27:8
 神が
 彼を断ち、
 その魂を抜きとられるとき、
 神を信じない者に
 なんの望みがあろう。
27:9
 災(わざわい・サイ)が
 彼に臨むとき、
 神は
 その
 叫(さけ・キョウ)びを・・・叫=口+丩(丄+礀)
 聞かれるであろうか。
27:10
 彼は
 全能者を
 喜ぶであろうか、
 常(つね・とこ・ジョウ)に・・・常陸(ひたち・ジョウリク)
 神を呼ぶであろうか。
27:11
 わたしは
 神の
 み手について
 あなたがたに教え、
 全能者と
 共に
 あるものを
 隠(かく・イン)すことをしない。
27:12
 見よ、
 あなたがたは
 皆
 みずからこれを見た、
 それなのに、
 どうして
 むなし(虚し・空し)い者と・・・昿=曠=コウ
                   あきらか・ひろい
                   むなしい・おろそか
                   おおきい・おろそか
                   とおい・ひさしい
 なったのか。
27:13
 これは
 悪人の
 神から受ける分、
 圧制者の
 全能者から
 受ける
 嗣業である。
27:14
 その子らが
 ふえれば
 つるぎに渡され、
 その子孫は
 食物に
 飽きることがない。
27:15
 その生き残った者は
 疫病で死んで埋められ、
 その
 やもめ(寡婦・鰥夫)らは
 泣き悲しむことをしない。
27:16
 たとい
 彼は
 銀を
 ちりのように積み、
 衣服
 を
 土のように備えても、
27:17
 その備えるものは
 正しい人が
 これを着、
 その銀は
 罪なき者が
 分かち取るであろう。
27:18
 彼の建てる家は、
 くも(蜘蛛)の巣のようであり、
 番人の
 造る小屋のようである。
27:19
 彼は
 富める身で寝ても、
 再び
 富むことがなく、
 目を開けば
 その富はない。
27:20
 恐ろしい事が
 大水のように
 彼を襲い、
 夜は
 つむじ(旋毛)風が・・・旋風・積司
             積 字
             通務事
 彼を奪い去る。
27:21
 東風(トウフウ)が
 彼を揚げると、
 彼は
 去り、
 彼を
 その所から
 吹き払う。
27:22
 それは
 彼を投げつけて、
 あわれむ(憐・哀)・・・阿波例務=阿波踊り
             安和例務=安和の変・969年・安和二年
             安房例務=安房国(千葉)
                  魚の御食国
                  膳(かしわで)氏を司る
                  伴造氏(高橋と改称)が
                  磐鹿六雁命(膳氏の始祖)
                  が蛤(はまぐり)を捕り、
                  景行天皇に料理して献上
                  し、御食の膳臣を授かった
          磐鹿→伴造→膳臣→高橋→虫麻呂(浦島太郎)
            「泡・沫・淡・粟
             愍(愍笑・愍然・哀愍・憐愍
               不愍=不憫)」例務
             猿田毘古=アワたつ・そこどく
             猿女=宇受女→渦オンナ→鳴門の海音
             猨女君=天宇受賣命は
                 海鼠(なまこ)の
                 口を裂(割)いた
                「稗田」姓を後に称した
              ↓↑
             弘仁年間に
             小野氏
             和邇部氏
             が
             猿女君の養田を横取りし、
             自分の子女を猿女君として貢進
              ↓↑
            「類聚国史・巻19・猿女の条に記録
            (菅原道真撰、編纂
             宇多天皇の命を受け
             寛平四 (892) 年奉った)」
 ことなく、
 彼は
 その力から
 のがれ(逃れ)ようと、
 もがく(踠)。・・・摸臥句
27:23
 それは
 彼に向かって
 手を鳴らし、
 あざけ(嘲)り
 笑って、
 その所から
 出て行かせる。
ーーーーー
 ・・・阿波(淡路島)の領主が安房に追放か、左遷か・・・?
 承久三年(1221年)
 承久の乱
 小笠原長清阿波国守護
 息子の
 小笠原長経が守護代として入国
 長経の後裔からは、
 阿波
 小笠原氏
 三好氏
 安宅氏
 大西氏
 豊永氏
 などが出、
 四国の国人領主として戦国時代へ
 南北朝の内乱期の
 建武元年(1334)
 建武の中興
 阿波守護は
 小笠原氏に替わって
 足利一族である
 細川氏が任命
 戦国末期
 長宗我部元親
 1582年に
 阿波を制圧
 豊臣秀吉
 1585年の四国平定
 後
 阿波一国(住吉領を除く)を
 蜂須賀家政に与え、
 江戸期に
 蜂須賀家が徳島藩として存続
 阿波国を支配
  ↓↑
 では、「安房(千葉)」の情勢はどうか、「南総-里見-八犬伝曲亭馬琴)」・・・安房-里見氏の初期を舞台にした物語・・・ではないだろう・・・明治以後の「人事移動」だろう・・・ダレ?が・・・「発見伝」はまた、後日に・・・