ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

クリントンでなければ

 米国の民主党大会が開かれているけれど、ヒラリー支持者の四分の一はオバマじゃなくてマケインに投票するだろうといわれていると報道されている。
 そんなにアフリカンアメリカンを大統領にするのはいやだと思っているコーケイジャンが多いということなのか?もしそうだとしたらいつまで経っても米国人というのは開かれない人たちだということか。理解できないね。

ご静養

 どうやら皇室の方たちは軽井沢で「ご静養」ということになっているけれど、毎日あっちに行ったりこっちに行ったりで、あれは「ご静養」とはいわないだろう。到着した翌日には朝から裏道を使って白バイが先導しておよそ10台くらいの車列を連ねてかつての開拓地に行ったかと思うと夜は駅前のホールでクラッシックのコンサートに行ったり、昨日は下仁田まで降りていって牧場を訪問したりと、「静」養じゃない。彼らも大変だけれどそれを警備している県警の警官たちも大変だ。雨の中じっと立ちつくしている。しかし、私服でいる、その立場をわかられまいとしているのか反対なのかよくわからない類の警察関係者が一番一般庶民に対して敵対的な視線を周囲に送っている。立場上しょうがないのかも知れないけれど、その視線にさらされると“あぁ、この人は私をまずいやつだとおもっているなぁ”と感じるのは自分に後ろめたさがあるからなんだろうかねぇ。

木曜日 新宿

 今月は今日の一回限りの保阪正康レクチャーに行く。来月は三回あるけれど、一回は出席できない可能性大。今日のテーマは戦後占領期の5人の宰相。
 5人の占領期の宰相を天皇に近い順においてみると、後の皇族籍離脱はあるもののもちろん東久邇稔彦幣原喜重郎、そして意外なことに片山哲がきてようやく吉田茂。そして遙かに離れて芦田均だという。しからばそれぞれのGHQとの関係という点ではいかがかと見るとだれひとりとしてマッカーサーとの間で信頼関係を築くことができたとはいえないだろうというのだ。就任期間が長くなった吉田茂が煩雑にマッカーサーとの間で手紙のやりとりをしていることは袖井林二郎が「吉田茂=マッカーサー往復書簡集」で明らかにしているように知られているようだけれど、その書簡は親しみ、あるいは信頼というものを明らかにするものではと手もないようだ。
 保坂は吉田茂の娘にして自民党幹事長の麻生太郎の母親である麻生和子にインタビューをした経験を持っているのだそうだ。ちなみに保阪正康麻生太郎と同年齢だという。「三人の息子の中でも一番優秀だったのはハーバードで物理を学んだ長男だったそうだが、彼は事故で死んだ。次男は麻生セメント。そして三男が太郎だが、吉田と比べると政治的な力量がないからねぇ」と評したのだそうだ。
 保坂は松代の大本営跡地を見に行ったそうだ。率直に「本当にものを考えない馬鹿が権力を持ったら何をするかわからない」とその印象を語った。周辺住民を一週間で強制退去させ、延べ300万人の労働者をある意味強制的に従事させたものだといわれているようだ。昭和23年に昭和天皇行幸した際に「無駄な穴を掘っていたというが、それはどこか」と聞かれたそうである。つまり天皇にはこの工事は知られていなかったことになる。
 保坂が紹介してくれた文献のうちで、年報日本現代史の創刊号「戦後五〇年の史的検証」(東出版1995)所収の論文に“「過去への取り組み」とは何を意味するのか?”(ベルト・パムペル著:ベルリン自由大学政治学部、オットー・ズーア研究所、山口定訳:立命館大名誉教授、日本政治学会理事長)がドイツの過去に対する取り組みについての基準を提言していて、私たちもこの視点でこの国を見てみることの必要性を示唆していて興味深い。私たちの国は吉田茂が作り出したというよりも選択の結果としてそうなってしまった日米関係を今もそのまま漫然と連続してきてしまっていて、その日米関係は一度はシャッフルされなくてはならないのだと保坂もいう。
 もう一冊入手したものは1949年に宮内府から宮内庁になったときの初代長官である田島道治の日記を入手した著者がまとめたものであるが、様々な周辺の人々との関わりについて述べている。意外なことにこの本を入手してみて「田島家資料」について書かれている章がとても興味深かった。
帰りにいつものように紀伊国屋まで歩く。
入手した書籍。

戦後五〇年の史的検証 (年報・日本現代史 (1995))

戦後五〇年の史的検証 (年報・日本現代史 (1995))

 こちらで入手可能。最新号は第12号で2007.05刊行。
昭和天皇と田島道治と吉田茂―初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から

昭和天皇と田島道治と吉田茂―初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から

いつものように地下の水山にて「チャンポンうどん」を戴く。冒頭の写真がそれ。夏なのにこれが美味しい。

Beer Fest in Azumabashi 2008

 隅田川吾妻橋のたもと、親水公園で今日から開催されている「吾妻橋フェスト Beer Fest Azumabashi」が断続的に降る雨の中、本当に開催されるのかどうかわからないまま、友達とむかう。到着したら雨は不思議に上がっていて、これから4日間のイベントの皮切りに和田多門くんが歌い出す。夕闇のとばりが降りていく中、ギター一本の和田多門が熱演。彼は実はしゃべりも面白くて、「私は歩く梅雨前線と呼ばれています」と切り出す。本当のことをいうと私も「雨男」なのだ。
 ちょうど一年前のこのイベントで楽しく聴かせて貰った「Sala's Bank」のお二人がまた今年もきれいなハーモニーを聴かせてくれた。さて、明日からの三日間の天気やいかに。