ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

朋あり

 2002年に学校で一緒になったメンバーが池袋に来るよと云う連絡を貰ったので、出掛けた。バスで行くとおおよそ1時間かかるので、1時間半前に家を出たのに、バス停に行くと出たばかり。今のバス停は次に来るバスがどこにいるのかが数字で表れるのは良いのだけれど、行ったばかりだと「-」と出ていて、実に寂しいものがある。どうやら15分ほど待つ必要があるようだけれど、昨日までと較べたら比較にならないほど暖かいような気がする。風邪に襟を立てる必要がない、というのは大きいかも知れない。
 途中で何度も睡魔に襲われたりして、お尻が痛くなってようやく終点についた。池袋の東口は大きな家電量販店がいくつもあって、もの凄い案配になっている。元の三越ヤマダ電機だ。
 メトロポリタン口のビルがいつの間にかルミネになっている。そうか、あのビルは元々JRのものだったからなのかといったら、元々メトロトポリタンがJRのものだし、と聞いて驚いたのだ。
 1970年以前のこのあたりは豊島師範学校の跡地があって、万年塀で囲われていて、中がどうなっていたのか横を通りすぎるだけで全く見えないところだったという記憶しかない。1970年くらいから大規模に手がついたような記憶だけれど、それからは滅多に行くこともなくて久しぶりに行ったのがいつだったか忘れてしまったけれど、バブルの頃に通りかかって余りの変化に驚いたものだった。1960年代には東横デパートがあったと記憶している。ウィキペディアには「東横百貨店池袋店 - 1964年(昭和39年)6月、東武鉄道に売却」と書いてあるんだけれど、私が池袋に初めて行った1967年にはまだ東横といっていたのではないだろうか。上に名画座があって良く見に行った。その少し前に東急線の駅に置いてあった自動切符販売機そのものにお金を入れて取っ手をガチャンと押すと、出てくるのは正に電車の切符と全く同じものだったのが、映画館らしくなくて記憶に残っている。
 西口公園の周りに建っている呑み屋ビルにいってみると依然入ったのと違う名前になっているのだけれど、名前なんてどうでも良いからと、食べながら面白く話し続ける。とうとう5時間ほどいたようだ。それでも焼酎のお湯割りを3杯ほど吞んだだけだから、家に帰るとあっという間に醒めていた。久しぶりに会う友だちとは話が尽きない。

気になったす

 昨日の夕方日本相撲協会国技館で放駒理事長が記者会見をした。メールから八百長が見つかった件だ。彼はその時に立ち上がって頭を下げた。「すみませんでした」と。過去形だった。これが気になった。この事件が始まったばっかりで彼が過去形の挨拶をしたのは如何なものかと。「お騒がせをしておりまして、申しわけございません」と現在形で語られなくてはならないと思う。これはどこの業界でも不祥事が判明する度に行われる挨拶ではあるけれど、気になるのだ。

池袋 巣鴨

 前回のブラタモリが池袋から始まって雑司ヶ谷から目白の駅を見に行き、巣鴨に出てから染井霊園を通って古河庭園へという長丁場だった。池袋を除いてその殆どはここ数年にようやく行ったことがあるという場所で、それまでは聞いたことがあったって、毎日毎晩家と職場と呑み屋の徘徊だけだったから、実に狭い範囲で生活をしていたのである。
 多分今でも多くの現役労働戦士の諸兄は大して変わらない生活をしておいでなのであろうけれども、私のような大馬鹿もの労働者と異なるのは、現在の賢明なる方々は「呑み屋の徘徊」という実に非生産的で、且つ無駄な時間と金の浪費をほぼされずに、多分その余力をそうした周囲への関心に費やしておられるかもしれないが、この馬鹿者は巣鴨の商店街が中山道の一部なんだということも、古河庭園が高台にあることも、つい先日知ったばかりのことだったのである。
 つまり隠遁生活に入るまではその辺りには全く用事がなくて、用事がないところには出掛ける理由がなくて、そんな時間があったら寝床で惰眠を貪っていたかったのである。学生時代は勉強をする環境だったのに、勉強をせず、出掛ける金があったときには出掛けることもせず、たった一度の人生というのは立ち返ることができないという、実に理不尽且つ不合理なものなのだ。
 これが「やや、これはしたり、私は37年前からやり直すことにする!」という宣言と同時に実行できたら実に面白いと思う。面白いだろうけれど、これは困ったことも起きる。些細な感情のもつれから発生する犬も喰わぬものなぞに際しては、その度に「えぇ〜い、あの時に戻ってやる!」と宣言をしてしまって戻ったのは良いけれど、その度にまた面倒な手順をふむことになり、とうとう、一体全体これまでに何をしたんだったか、誰とどの様な会話や生活をしたのか、思い出すのが複雑怪奇と相成り、しまいには混濁した思い出の中で「えぇ〜い、もういいや!」となること自明である。
 実は古河庭園に出掛けたのは多分たかだか一年ほど前のことではないかと思う。駒込在住の方がお書きになった洋食屋の牡蛎フライを食べに行って、そうだ、古河庭園だと出掛けた。だから、当然の如く薔薇は全く咲いておらないし、寒々しいし、あの洋館もタモリが入ったような親しみなんて全くなくて、実によそよそしい佇まいで私を拒絶しておった。お庭を見ながら下がっていくと、実に素っ気なく日本庭園になってしまって、これだけ洋館を堂々と売り物にしているんなら、結果的にこうなってしまうんじゃなくてあくまでも西洋にかぶれてしまえばいいのに、それができないところが実に未練がましいと、タモリ倶楽部の切り口とはまったくの話正反対であった。
 あ、そうだ、あの番組を見ていて「あ、あのことを書こう!」と思ったことがあるのに、また忘れてしまったのだ。

エジプト

 カイロのタハリル広場は悲惨な状況に陥っている。昼間に親ムバラク派といわれる人たちが馬や駱駝で広場に乗り入れ、デモ隊に向かって鞭で攻撃を加えたのだそうだ。
 夜になってBBCやCNNの画面で見ると火炎瓶が投げられてビルに火がついたりしている。良く聴き取れないので、どっちがこんなものを今夜になって投げ始めたのか良くわからない。火炎瓶のことを米語ではmolotov cocktailというのだと初めて知った。BBCはPetrol bombといっている。
 一説によると親ムバラク派だといわれているのは意図的に解放された囚人達だといわれている。昨日までの静かな反対運動とは大きく異なる展開になっている。明日の朝になると大きな被害が生じていることが懸念されている。警察と親ムバラク派が攻撃をして、軍は全く何もしないで傍観しているといわれている。
 CNNによるとアレキサンドリアではカイロのタハリル広場とは対照的な静かな抗議行動になっているというのがどうも腑に落ちない。

2011年02月02日のツイート