彼は俳優座養成所の15期だとテレビで知った。同期の中には原田芳雄、前田吟、林隆三、小野武彦、夏八木勲、村井国夫、秋野太作、浜畑賢吉、高橋長英、栗原小巻とひと癖もふた癖もある俳優ばかりだ。最近亡くなった芸能人の中では地井武男は毎朝テレビで見かけていただけに、なんとなく親しみを覚えてしまう。どんな人だったかも知らないのに。若い時の彼がテレビで演じているのは好きじゃなかった。「北の国から」くらいからだろうか、見る様になったのは。尤もあの頃、私が日本から離れていて他に選択肢がなくてあのドラマのビデオを見る様になったからだったのではなかったか。
だから、彼をよく見る様になったのは「ちい散歩」が初めてだったのだろう。それでも彼が下手な水彩の絵を描くのを見て出かけてみたことも何回かあったのだ。人の一生なんて短いものだとしみじみ思う。私もそろそろ終焉の支度をしなくてはならないのだろうか。
お富士さん
家の近所にもお富士さんがある。富士浅間神社である。かつての富士講を彷彿とさせる。この時期になると植木市が開かれる。かつてはたくさんの植木露店が並んで多くの人出で賑わった。ここでクチナシやら買った記憶がある。滅多にいかなかったけれど、久しぶりだから行ってみようということになった。行ってみたら露天の数が驚くほどに減っていて、昔日の感は全くない。夜店ばかりで植木屋さんが少ない。時期だけに売っているものと行ったら山野草の類や盆栽の様なもの、釣り忍、苔玉、なんてものが多い。なんでこんなに植木屋さんが減ってしまったんだろう。どうも払わなくてはならない出店料というものが高くて出店しても元がなかなか取れないのか、植木屋さんがどんどん減っているらしい。そうなると人も集まらなくなる。こちらもデフレ・スパイラルなのだろうか。結局何も買わずに帰ってきた。
何でも見てやろう
- 作者: 小田実
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1962
- メディア: ?
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いわずとしれた今は亡き小田実のヒット作である。私の書棚にあったのは河出書房新社から発刊されたもので、Kawade Paperbacksの1番である。その後河出のペーパーバックス・シリーズはどれほど出版されているのだろうか。「今や国際的流行のパーパーバック時代」だからと終わりに書いてある。
1962年7月15日初版とされていて、それからたった2ヶ月半後の10月1日には六版発行とされている。どこで手に入れたのか、古本屋で買ったのであれば、どこかに値段が鉛筆書きででも書かれていないかとぐるぐると回してみたら、これは近所の図書館から放出された廃棄本の一冊で、多分入手した旨このブログのどこかで書いていることだろう。
で、中身なんだけれど、実は活字が小さくて、小さくて、今の私にはどんな老眼鏡を掛けてもよく見えない。多分天眼鏡片手に読むということかなぁと思ったのだけれど、これとて自炊して画面上で大きくして読めば良いんじゃないか!と目覚めた次第。早速自炊に取りかかる。
すべてはあそこから
昨年の3.11以降、大きく世の中が変わってしまった。福島の原発があんなことになってわかってしまったことがたくさん出てきた。しかも、その大半はもう何十年も前からわかっていたことで知っていて知らない振りをしてきたことばかりだ。
廃棄物はどうするんだとずっといわれてきた。六ヶ所村になんか造っているのは知っていた。しかし、あれは最終処理ではないのも知っていた。海洋に投棄したという話も知っていた。新しい原発が建設されると決まって、現地では反対派と賛成派で必ずぶつかり合ったものの「このままだったらこの村(街)はにっちもさっちも行かなくなるんだぞ」という声が「放射能は怖い」という声を「科学的根拠がない」といって封殺どころか蹂躙されてきたことも何度も見てきた。
それでも直接自分には関係がないと見てみない振りをしてきた。反対運動に現地に行くなんてことは一切したことがなかった。だけれども、原発を霞ヶ関が仕切っていたのだから、私の責任じゃないんだからと自分に言い聞かせていた。それでも、原発を動かすということは廃棄物を作り続けることであって、放射能が拡散する危険性をどんどん作り出しているのだということも知っていた。知っていたのだから余計に始末が悪い。私たちの年代は第五福竜丸のことを知っている。水爆マグロという活字が新聞に載っていたことを知っている。久保山愛吉という人の名前を知っている。だから放射能が人にどんな影響を与えるのか知っている。それなのに、原発を建設するのは危険だと反対しなかった。
こんな事になる前は自分に責任がある訳じゃなし、と思っていた。
こうなってみたら、自分だけじゃない、経産省の役人も、電力会社も、三菱重、日立、東芝のメーカーの誰も責任を取るというつもりはない。じゃ、誰が原発をこんなに広げるという国家方針の責任を取るのか。
こういう未完成なシステムを危険を承知で見逃してきた政治家たちの跋扈を許してきた選挙民の責任だといって良いだろう。つまり、私たちは個々の政治家を見張っていなくてはならないのだ。
汚染された土壌の土地に魚市場を持っていくことを積極的に勧めている元不良小説作家をそのままと知事に選出し、保坂展人を衆議院議員から落選させた東京都民は間違っている。
2012年06月30日のツイート
@nsw2072: お気遣いありがとうございます。地元の図書館で見つけられましたよ。@dne49858
2012-06-30 19:43:49 via Echofon to @dne49858
@nsw2072: 「わかった様なことをいうな」といわれるかもしれないけれど、「みんな」は渡辺Jr.の私物ではないんでしょうか。口当たりの良いことを全部並べるってやつです。あぁいう生き残り方もあるってことでしょうか。@misato267
2012-06-30 18:12:55 via Echofon to @misato267
@nsw2072: 立党の精神、あるいは歴史を考えると変えられないというのかもしれないけれど、それ自身が既に保守的な呪縛に絡め取られていますよねぇ。せめて「市民党」とかないもんですかねぇ。「たちあがれ」や「みんな」はふざけている部類ですよ。@misato267
2012-06-30 18:04:29 via Echofon to @misato267
@nsw2072: そうなんですよ、党名さえ変えればかなりまともなんですけれど、そこに踏み切れない幹部には何らかの呪縛があるんでしょうねぇ。私もう10年以上そういっているんですが。@misato267
2012-06-30 17:52:45 via Echofon to @misato267
@nsw2072: 本当にこのまんまにしておいたら、おかしくなっちゃっている野田民主党にこの国はむちゃくちゃにされてしまいます。もう少しまともな人に政治をやって貰いたい。山本一太や石原伸晃、小泉進次郎みたいなのが跋扈している自民党は論外。
@nsw2072: 小さい小屋でお笑いや芝居が開かれているところがあるでしょ?昔の東京キッドブラザーズなんかの公演でいやも応もなく巻き込まれる客席、という図式がいやで入らないんですよ。損してんだろうなきっと。
2012-06-30 10:01:24 via Echofon to @1600busa
@nsw2072: 田原総一朗は議論を深めるつもりがない。共産党と社民党をさげすむために呼ぶ。あまりにも馬鹿馬鹿しくて「朝生」はもう見る価値もない。政治家は誰ひとりまともなことをいえない。政治家を外して議論するしかないという情けなさ。
@nsw2072: 正にその通りですねぇ。@dne49858
2012-06-30 09:40:06 via Echofon to @dne49858
@nsw2072: あれが1.7万人だとすると東京ドームの43090人っていうのも本当はそんなにはいないってことかな?
@nsw2072: 団塊以上の年齢の人たちはすぐに40数年前の時と比べてゆるいといったりする。じゃ、あんたは40数年前に返ってやり直してこいよ、あそこで革命起こしてきたら良かったじゃないかといいたい。あれから黙ってきてしまったことを詫びたい。
@nsw2072: 官邸前抗議行動で印象的なのは参加者のほとんどが徒党を組んでいる人たちではないということ。ごく普通の勤め帰りや学校帰りの人たち。グループの人たちではないからおしゃべりが少ない。シュプレヒコールの合間にしゃべる声が聞こえてくることがほとんどない。これまでとは大きな違い。
@nsw2072: テレ朝の「朝生」があるのか。どうせ、っていう様な議論になるんだろうなぁ。そういいながら見ちゃうのかな。
@nsw2072: 現場仕事もそうですが、何しろ基本的な行政システムを真剣に考えようという気概がない。それが情けない。日本の頭脳ってのはこんなものなのかと思うと涙ちょちょぎれる。@misato267
2012-06-30 00:02:05 via Echofon to @misato267