ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

インターナショナル・スクール

NHKニュースがこんな事を取り上げている。
 → こちら

 来年9月に新しい高校「インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢」が開校する予定で、この夏、授業を体験するサマースクールが開かれています。
 アジアのリーダーを育てようと企業などに資金提供を呼びかけて設けられ、これまでにおよそ15億円相当の支援が寄せられたということです。
校舎に太陽光パネルを寄贈した大手住宅設備メーカー「LIXIL」の藤森義明社長は、「今後、世界に市場を開拓しようと考えており、語学力や国際感覚を備えたグローバル人材が必要だ。この学校で育った若者に、10年後われわれの大きな力になってほしい」と話しています。

 アジア太平洋戦争が終わって以降、かつてあったものも含めて日本にはこうしたインターナショナル・スクールはいくつも運営されてきた。それは日本に暮らす各国の外国人の子弟の為であったものが殆どで、中には自国出身者しか認めないものもあったけれど、多くの場合は日本人子弟にも開かれておって、そういう考えの親たちは子どもを日本の普通の学校ではなくてそうしたところに入れていた。しかし、各種学校扱いだったから日本の学校に進学するのは難しくて多くは外国の学校に留学していった。
 だから、これまでもそんな環境がなかったわけではなくて、今更なんでインターナショナル・スクールが必要とされるのだろうかという疑問がなくもない。それだったらとっととアメリカ、はたまたスイスあたりのボーディング・スクールに入れてしまえばいいじゃないかと。どうせこの種の学校に子弟を入れようと考える親というのは金に困っているわけがない。
 この学校の開校準備を手がけている代表に滝川クリステルがインタビューをしている。 → こちら。このサイトは日経新聞がやっているサイトだという点については留意する必要があるだろう。日経は「日経ビジネス」もつかって大々的に取り上げているので、ある種のコネクションを形成していると考えても良いかも知れない。
 どうやらこの学校に賛同をしているのは多くの企業のようだ。それでなのかもしれないが、このニュースの中でNHKLIXILの社長をきちんと社名を表示してクレジットしている。NHKは本来的であれば、各社の社名をクレジットしない、つまり、この場合であれば「資金の一部を提供している企業」とでもクレジットするのではなかったのか。
 これだけのことでこの事業に疑問を呈するのは如何かと思わないこともないが、ある種のうさんくささがどうしても滲んでくる。
 この学校設立準備財団がキャンプを主催するのは今年で4回目だそうだ。
 このニュースの最後に立教大学異文化コミュニケーション学部の鳥飼先生がコメントをしている。

異文化コミュニケーションが専門の立教大学の鳥飼玖美子特任教授は「グローバル人材として必要な異文化への理解や交渉能力は日常的に培われるもので、一番大事なのは中身を持った人間を育てることだと思う。特殊なエリートの育成のように考えるのではなく、保護者と学校それに社会とで、時間をかけて育てていくべきだ」と話しています。

 今のこの国で、異文化を理解し受け入れ、互いに尊重する、という教育を施すのは確かに難しい。総理大臣自らがそれを実践できていないだけではなくて、国粋主義的言動を隠すつもりもない状態だからだ。
 しかし、鳥飼先生の異文化コミュニケーションという言葉に対するスタンスだって、危ういところにあるような気がしないではない。彼女が異文化コミュニケーション学部・研究科を立ち上げたときに、果たして正しい意味で「異文化とのコミュニケーション研究」のスタンスに立っていただろうか。
 このニュースは私に様々考えさせる結果となった。

原爆を投下したのは誰か

 (今年の)4月24日午後4時、スイス・ジュネーブ。2年後の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた第2回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明が発表された。南アフリカやスイスなど最終的に80カ国が賛同したが、日本は署名しなかった。
 日本は南アフリカなどの主要提案国に対し、文中の「核兵器が二度といかなる状況でも使われないことが人類生存の利益になる」との部分の修正を求めていた。北朝鮮の核開発など周辺の脅威には米国の核抑止力に頼る実情を踏まえ、「いかなる状況でも(under any circumstances)」の3語は、米の行動を制限しかねないと考えたからだ。 (朝日新聞デジタル 2013年08月03日03時21分)

  こんなに物事の本質を極めることをせずに、姑息な態度に終始しているのが今の日本の政府だということに実に残念な思いである。自らの頭上に原爆を投下したのは誰なのか。あれからわれわれ日本の国民はどれほどの痛い目にあったというのか。
 あの時に犠牲になった広島・長崎の一般市民の死、そしてそれに続く永年にわたる両市民の苦しみを本気になって考えていないのが霞ヶ関と永田町の住民の実態だということが浮き彫りになる。
 私たちはこれほどの理想的な憲法を保持していながら、それを放り投げる輩にこの国を委ねて良いのか。

ふ〜む。わかってない。

 70-74歳の医療費窓口負担の1割から2割への引き上げは、私が野党の時から訴えてきたことだ。早く実施してほしい。なぜ社会保障の予算だけが、毎年1兆円増えるのが当たり前なのか。ここに切り込まなければ、本当の財政再建はできない。消費税率を上げるたびに、社会保障を良くしたら、いつまでたっても財政再建が進まない。(国会内で記者団に) (朝日新聞デジタル2013年8月2日19時7分)

 ん?こいつ、この国の状況を何も知らんと気取った顔つきで国会議員をやってんのか。多分、国会にはこんなタイプがゴロゴロいるってことだろう。
 毎年増えるのは当たり前だろ。お前のオヤジが「百年持つ」といった年金も機能できなくなりつつあるし、確かお前が所属している政党は消費税導入の時も、社会保障システムの財源として消費税にするといっていたのではなかったのか。それをあっちに回してしまったということではなかったのか。
 特別会計の中身の精査はいっこうにやっちゃいないじゃないか。あっちを触れよ。それから視点をここに移してこい。やる順序が違うことを知りながら無視するというやり方をキミの先代は喜んでやってきた。だからって、この程度の知識で青年局長は無理だってば。

こんなやつ

安倍晋三首相は4日、麻生太郎副総理が憲法改正をめぐりナチス政権を引き合いに「手口を学んだら」などと発言したことについて、「麻生大臣はすでに(発言を)撤回している。安倍政権として、ナチスを肯定的にとらえるということは断じてないし、あってはならない」と語った。(朝日新聞デジタル 2013年8月4日15時4分)

 臍で茶を沸かすという表現は「クックックック」と笑う状況を表現したものだと思うけれど、この記事を読んで、まさに臍が茶を沸かしている。
 「撤回」しちゃえばなんでも「なぁ〜しっ!」になると思っていることも既にアホやなぁと思えるし、「手口を学ぶ」というのはそのやり方をわれわれも踏襲するべきだといっておって、ナチスのやり方を肯定しているという論理であることすら理解できないということになる。
 無手勝流になんでも「知らない、知らない、良いんだ」といっていれば通りすぎると思っている。漫画家が「これで良いのだ!」というのとは訳が違う。国民をバカにしてんのか!?

あたかも

 アベシンゾーがやろうとしていることを片っ端から上げていくと、これは明らかに昭和の5.15、2.26事件から始まる軍部が国民ののど頸に匕首を突きつけ、いつこれを動かしても良いんだぜ、いいたいことがあればいってみろ、あとで吠え面かいてもしらねぇからなと脅かし続けたあの20年間の再現に違いない。
 まるで、とか、あたかもという言葉を前に付けなくてもいい。まさに彼らがやりつつあることは国民をなぶり殺しにしながら上前をはねてその儲けを自分たちで山分けしようというものそのものだ。
 それを「日本をとりもどす!」だとか「国土を守る!」だとか、かつて自分たちがしてきたことを振り返ることもせず、周辺を悪者にすることにして被害者面をすることで国民を愚弄する。
 

2013年08月03日のツイート