辺境に轟く歌 〜ジャスミンの海〜

「辺境に轟く歌」


ジャスミンの海〜



その昔、
川沿いってのは
川を挟んで
こちら側と
あちら側に分かれる
まさに境界線。



今のように
あちこちに橋がかかってなかった時代には
舟を使って
あるいは泳いで
向こう側に渡るしかなかった訳だが
今じゃそれは昔の話。


そんな川沿い、辺境の地にある
古いラブホテルの一室。

隣でスヤスヤ眠っている浅黒い肌の女、
フィリピン生まれの
名前は「ジャスミン」っていうんだ。



ジャスミンとは
西川口のフィリピンパブで知り合った。

ブルーヘブンって名前の店で
ダンサーをしてた彼女、
店のチークタイムでお互いパートナーがいなくて、
たまたま一緒に踊った。
かかっていたのは確か、テイクマイブレスアウェイ♪

踊りながら、僕の名前を聞き出すと
彼女はいきなり、僕の目をじっと見つめて、
こんなこと言い出した。


「長岡さん、サンデー、日曜日、何してる?」
「ん、サンデーは、だいたい寝てるよ」
「長岡さん、私を漫画喫茶に連れてって」

ジャスミン
美人って訳じゃなかったが
初対面から妙にしっくりとくるものがあった。

初めて会ったのに
初めてとは思えないような
そんな不思議な感触。

どこかホッとするような声と、
眼差しと、仕草。匂い。
すっとぼけたような話しかたの中にある
愛嬌、ぬくもり。
優しさ。

ジャスミン
パブで働いているのに
酒が呑めなくて
いつもウーロン茶か
ラムネを飲んでた、

ラムネは
不器用に瓶を傾けて
口を尖らせて飲む

瓶の口にはいつも
紅いルージュがついてる


僕は2つ返事で
「うん、よし、漫画喫茶、行こう」
と約束した。



僕らは次の日曜日に
赤羽駅で待ち合わせして
漫画喫茶に行った。

彼女はどうやら
うる星やつら」を読みたかったらしいが、

ちょうど僕が久しぶりに開いた
あしたのジョー」の単行本に興味をしめし、
彼女は日本語がそこまで読めないから
僕が協力して、一緒になって、
あしたのジョーを2人で読み進めた。
日本語と英語と、少しのタガログ語が入り混じって。

あしたのジョー読書会は、
毎週日曜日に赤羽で開かれ

僕らは飯を食い、
僕は酒を呑み
彼女はお茶を飲み

やがて
朝まで一緒に過ごす仲になった。


僕らの2つの身体が
軋むベッドの上で魚になった後
ジャスミンは寝タバコしながら
よく昔話をしてくれた。


あたしのおかあさんは
綺麗だった。とても。
しかし、あたしには冷たいね。
あたしのおとうさんは
あたしがまだ小さい時に
家を出た。
出た後、戻らない。
あたしのお兄さんは
マニラでボクシングした、


どうりで
あしたのジョーに興味を抱く訳だ。


ちなみにジャスミン
あしたのジョーの中で一番好きだったのは
カーロスリベラ。
パンチドランカーとなり
最後は廃人となったベネゼエラの色男、カーロスに
兄の面影を重ねていたのかもしれない。

ジャスミン
僕がベッドの中でくたくたに疲れていると
カーロスのモノマネをする、
「ヘイカモン!ジョー、カモン!」

時折、ジャスミン
丹下のおやっさんにもなる
片目をコンドームの袋で隠しながら
「立て、立つんだジョー! 立て!」


僕はベッドの中で
笑い転げる
ジャスミンも笑っている。



そんな
ジャスミンと付き合い始めて、ある日のこと
僕は日本語の勉強になると思い、
日本の歌謡曲やポップスのCDを
ジャスミンに何枚かプレゼントした。

その中にユーミンが1枚あって
ジャスミンはそれが気に入ったようだ。

ある日
ベッドの中で
こんな 質問をしてきた。

「長岡さん
ソーダ水の中を
貨物線がとおる
あれ、どういう意味?」

僕は答える。

「うん
歌詞に出てくるけど
港が見える場所に
ドルフィンっていうレストランがあって

そこでソーダ水越しに
海沿いを走る貨物列車が見えたんじゃないかな、、
まるでソーダ水の中を走ってるみたいに見えたんだ、きっと」



ジャスミンは黙って聞いてた。


そして


「あたし、あの歌好き
あの歌、あたしが生まれた小さな島、思い出すよ
島の海を思い出すよ」



聞けば
ジャスミンはフィリピンに無数にある、辺境の小さな島の出身で
まだ若い頃にひとりで島を出て
首都マニラに向かったらしい。




若い人の仕事は少なく
貧しい小さな島だったが

海はどこまでも広く
青く美しく
幼いジャスミン
いつも海ばかり眺めていたという

ジャスミンはそのうち
ユーミン
「海を見ていた午後」を
片言の日本語で歌えるようになった。


僕らはベッドの上で
魚になった後
仰向けになって手を繋ぎ
ラブホの天井を見上げながら
海を見ていた午後を
一緒に歌った。


ジャスミンが見上げた
汚い壁紙の天井にはきっと
ふるさとの青い海が
映し出されていたに違いない。


ジャスミンの手を
僕は強く握る。


ジャスミンが更に強く
握り返してくる。




あしたのジョー読書会が始まって
数ヶ月目、夏の初めの日曜日、
赤羽の待ち合わせに
ジャスミンはやって来なかった。

連絡がないので
数日後、ブルーヘブンに行き
ジャスミンの行方を探した。

ブルーヘブンの友人によると
ジャスミンはフィリピンに帰った、という。

フィリピンの家族に何かあったらしい。

ことづては一切なかった。


僕は店でラムネを注文し
瓶を傾けて飲んだ
シュワシュワシュワ!っと炭酸の泡が
口に広がる
瓶の口に紅いルージュは付かなかった。



あしたのジョー読書会は
結局、物語の最後まで辿り着けなかった。

ジャスミン
ジョーが無敵の世界チャンピオン、
ホセメンドーサを最後まで追い詰めはしたが
判定で負けたことを知らない。

リングの上で
真っ白な灰になったジョーの姿を見たら
ジャスミンはきっとこう言うに違いない。

「立て、立つんだジョー! 立て!」




(おしまい)

(すかさずラムネ、イントロ♪)






2018.7.21
渋谷LOFT HEAVENにて

ハードボイルド・サンタクロース


朗読オブザリングvol.4

『ハードボイルド・サンタクロース』

〜聖夜の告解〜



⭐︎

サンタクロースも
仮面ライダー
ウルトラマン
宇宙戦艦も
銀河鉄道
メーテル
この世に実在すると
信じて疑わなかった
あの頃のジョー長岡は
40年近く経った今でも
大して代わり映えしない
生き物である。

サンタが冴えない父親だと悟った8歳、
そんな父を憐れみ懐かしむ47歳。
まるっきし同一人物。

(冊子原稿より)



⭐︎



(枕)

8歳のクリスマスパーティー
クラッカーで炎上するツリー
歓喜が一瞬にして壊れるパーティー

謝罪の大人2人
テーブルに新しいクリスマスツリーと
菓子折りと
封筒(お金が入っていると思われる)

ビターなクリスマス体験

幸と不幸の
隣り合わせ感

子供から大人へ
移行期



ここまでの作品に登場したサンタ達の話
(いろんなサンタ)



今夜僕がお届けするのは

自己肯定感の薄い
自己肯定感の乏しい環境で幼年時代を過ごした
とある中年男性サンタクロースの
告白、告解、懺悔を聞いてもらいたく思います。
題してハードボイルドサンタクロース。

神様は
そしてこの話を聞いた皆様は
この中年サンタを許してくれるのでしょうか。

いきます(中村氏に合図)
フィクションです。

(照明暗く、柔らかいリバーブ



⭐︎



(本編)


「ハードボイルド・サンタクロース」


ーーー聖夜の告解ーーー




私は子どもが嫌いだ。


私は家族団欒が嫌いだ。


私は年末年始が嫌いだ。


私は善人が嫌いだ。



私は暗闇が嫌いで

死後の世界を恐れている。


神はいると思うが

神を必要以上に崇拝する者たちが嫌いだ。


目に見えぬものを

必要以上にあがめ

その大切さを必要以上に啓蒙する者たちを

軽蔑している。


そういう者に限って

目に見える悪事や不正、

現実の中にいくらでも見渡せる

ドロドロとした人間の業を

自分の業も含めて

見て見ぬ振りをする。


極端に言えば

意識的に見て見ぬ振りをする人は

まだいい、


無意識に見て見ぬ振りをする人は、

真に醜い。





私は高所恐怖症で

家の屋根に上がるなんて

考えたこともない。


高いところなのに

柵一つで区切られてるような場所を

心底憎んでいる。例えば

滑り台の一番高いところ、


あの狭い場所にある

鉄でできた細い柵が

落ちてしまった時のことを

滑り台で遊んでいる子ども、

遊ばせている大人たちは

少しくらい考えたことがないのだろうか。

不思議でしょうがない。



高い場所の2点をロープで結んで

そのロープに箱をぶら下げて

上がったり下がったりする乗り物が

信じられない。

ロープが切れて落ちてしまえばいいってこと以外

考えられない。




私は閉所恐怖症で

暗く狭い場所に身を置くと

身体中に蕁麻疹が出て

痒くて痒くて

正気が保てない。


屋根に上り

時と場合によっては

あの埃っぽい狭い煙突から

家の中に侵入する。。

絶対に!ありえない。



私は長年水虫を患っている。

湿気の多い夏場は

足の指と指の間が蒸れてるし

靴下から常に変な匂いがしている。

他人の靴下に手を入れる…

ましてやその中に贈り物を忍ばせるなんて

破廉恥極まりない。




私はウィンタースポーツができない。

スキー、無理!

スノボ、無理!!

ソリはぎりぎりいけるが

時速10キロ以上のスピードで

意識を失ったことが3度ある。

…無理っ!!!




私はトナカイが苦手だ。

子どもの頃から苦手だ。

あいつらは

私から言わせると常に不機嫌で

あの奇妙な形の

でかい尖ったツノで

私の突き出た腹や尻を

容赦なく突いてくる。

しかも

手加減ってものを知らないので

結構な痛さで、

青アザができる。

それは子どもの頃から続いており

その傷が消えた試しがない。

その傷は汚い刺青のように

私の肌にドス黒い色で沈着している、

腹や尻に、今も。

(ん、見せようか。)




私は幼い頃

万引きをして

その犯罪がバレるまでに

乾電池およそ150個とボールペン約200本を

机の引き出しの奥に隠し持っていた。

乾電池一個、ボールペン一本たりとも使っていない。

封も開けていない。

それらが必要な時は

必要な分を買って、使っていた。

引越しの際にすべてがバレ、

親に激しく叱られたが

親の判断でそれらを店に返すことはしなかった。

親自身が、

躾のできない

万引き常習者の保護者になりたくなかった、

という理由で。






私には前科がある。

…詳しくは言えない。

私は性犯罪の 前科もの だ。

…これ以上は言えない。

私はこどもが嫌いだが、、ロリコンだ。

…もうこれ以上聞かないでくれ。

嫌いな対象に性的に惹かれてしまう人間の性(サガ)については

共感できるでしょ、どうだろう、、

もう、これ以上は、もう、、聞くな!


私も喋るな!!




私の好きな色は黒。

嫌いな色は赤。

大昔に、雪の降り積もる寒い日に

車と小動物の事故現場に遭遇したことがある。

小さな子犬が

左折する10トントラックに巻き込まれ

馬鹿でかい後輪に轢かれた直後だった。


真白い雪に

真っ赤な鮮血が

飛び散っていた。

その赤は、心にこびりついてしまったのか

私の記憶から消えない。


私は幼い頃、

子犬が大好きだったけど

事故を見て以来

子犬が嫌いになってしまった。





私は

嫌いな人がいない

と豪語する人が嫌いだ。

そんな綺麗事を

まるで人生の哲学のように

自分のアイデンティティーのように語り振舞う人が

嫌いだ。

一切信用できない。


関わりたくない、

勝手にやってくれ

と、本気で思う。



私は人ごみが嫌いで

イルミネーションが嫌いで

原発も嫌いだ。

原発は今すぐ廃炉にすべきだと思う。


神戸のメリケン波止場での出来事。

プラントハンターって仕事の

軽薄な調子こいた兄ちゃんが

富山の山奥から、でかいあすなろの樹を引っこ抜いて

世界一のクリスマスツリーとか騒ぎ立て

鎮魂とか復興とかダシにして

金儲けしようとしてる。

応援してる糸井も槇原も、嫌いになった。

スポンサーのフェリシモの通販、好きだったのに。

フェリシモは許そうかな。。




好きと嫌い

善と悪

愛と憎

すべて紙一重

世界は常に

バランスをとろうとする。

考えてみてくれ。


ショッカーと仮面ライダー

ほぼ同じ時代に生まれた。

宇宙怪獣とウルトラマン

同じように。

これの意味するところは。


宇宙の果てからガミラス帝国が攻めてくれば

無敵の宇宙戦艦が

波動砲って放射能のカタマリを撒き散らす。


どちらかが絶対的であることは決してなく

絶妙なバランスで

均衡を保ち

両者はくんずほぐれつ

相組み交わす。



限りある命と

永遠の命が交錯する世界で

星と星を結ぶ銀河鉄道に乗った少年は

善人と信じていた美しい女に

最後の最後裏切られる。

しかし少年は、

機械の魔女を愛してしまった。

心から愛していた。

哀しい青春の幻影、

万感の思い込めて今、汽笛を鳴らそう。

少年のために、私は祈ろう。



ゴッサムティーにコウモリ姿のヒーローが現れると

たちまちピエロ姿の悪魔が街に現れ、

マフィアだってビビるほどの悪の限りを尽くす。

悪魔はヒーローに顔を殴られながら、こう叫ぶ。


「いいか、俺とお前は兄弟だ、

お前がこの世にいる限り、俺は絶対に消えない」





子供の頃、

プロレス中継をみていた私に

父が投げかけた言葉が

今でも忘れられない。

「どうせ八百長なんだろ、

こんなもの見たって仕方ないだろう」


私は父を軽蔑した。

心の底から軽蔑した。

口の中に生臭い血の味が広がり

吐きそうになったが

こらえた。

涙が溢れそうになったが

それもこらえた。



父の言葉の数ヶ月前

私が見たひとつの風景。


街から街へ

旅をするプロレスの興行、

夜な夜な

熱い闘いを繰り広げた翌朝には

同じバスで次の街に移動する。

前夜、敵と味方に別れていたはずの人間達が

善と悪が

好きと嫌いが

同じバスで旅をしている。


何故だろう、

私は涙が止まらなかった。

小さくなるバスの後ろ姿を

その姿が見えなくなるまで見送った。

八百長バスを

泣きながら見送った。



世界の、宇宙の真理を

垣間見た、私は。





子供が嫌いで

年末年始が嫌いで

家族団欒が嫌いで

高所、閉所恐怖症、

トナカイ苦手

ウインタースポーツ無理!

万引き癖と

性犯罪の前科もの

なにより人が、大嫌いな私が



この日この夜だけは

あの男に近づこうと

もがいている。

(わかりますか、この気持ち。)


ポケットには

蕁麻疹に効く塗り薬を入れてね。



いつも着ている黒猫マークの上着は脱ぎ捨て

子犬の鮮血と同じ色をした分厚いコートをきて

つけ鼻、白ひげ

試しに腹巻きをまいたら

出た腹がより突き出て見える。

うん、悪くない、いいぞ。

(自分に言い聞かせる)


さあ出かけようか。

このろくでもない世界へ。

これが私の仕事なのさ。

(pc閉じながら)


(暗転)




おしまい


作、朗読/ジョー長岡



※朗読は淡々とわかりやすく。
感情が入りすぎないように。
湧き上がったものは抑えないように。

ヘブンズ・ミュージック


《枕》


ラジオと幼少期の自分との関係
父からもらったラジオ。
多感な時代
部屋で1人聞いた音楽や朗読、ラジオ劇

今の自分との関連
インターネットラジオの仕事




…今からお届けするお話は
自分の担当する架空のラジオ番組に
不思議な便りとリクエストが
舞い込んでくるってお話です。



便りの主は、
僕の父方の祖父、
長岡よしおからでした。



タイトルは
『ヘブンズミュージック』



じゃあ本番いきます。
(収録風景の佇まい)



(照明変わる)
(リバーブon)







こちらはラジオソロモン
ラジオソロモン

番組名は
ヘブンズミュージック


周波数は
スギナミ スタックスフレッド
ゴーゴー! ヘルツ

こちらはラジオソロモン
ヘブンズミュージック

遠い地平線は消えて
深々とした夜の闇に心休める時
はるか雲海の上を
音もなく流れ去る気流は
たゆみない宇宙の営みを
告げています

(jet stream口上引用)


こちらはラジオソロモン

番組名は
ヘブンズミュージック


距離を超えて
時間を超えて

あなたの大切な人から人へ
素敵な音楽と
メッセージを手渡します

さあ
心のアンテナを高く掲げて


ただそこにある
愛しい想いに
チューニングを合わせてみませんか。


ナビゲーターは
ジョー長岡です




こちらは
ラジオソロモン
ヘブンズミュージック








拝啓
ジョー長岡さま

はじめてお便りします。

わたしは長岡よしおと申します。


南太平洋はソロモン諸島にあります、
レンドバ島という小さな島に今、おります。
私は帝国海軍の軍属であります。


国家の為、
ふるさとの為、
両親や妻、
幼い子供の為に
ニッポンからおよそ一万キロ南方のこの地で
任を全うしております。


一年の平均気温は25度
島全体が熱帯雨林に覆われ
赴任してすぐに肌は黒く焼け
暑さと飢えの闘いを日々強いられております。


我が帝国陸海軍は
1941年12月8日
山本五十六総司令官の命を受けた精鋭達が
ハワイ真珠湾を奇襲攻撃
アメリカ連合軍との全面戦争に突入。


大東亜帝国の建立と
石油資源確保を理由に
南太平洋の島々を次々と制圧、
故に我々は
本土から遠く離れたこの南方の島にいるわけです。


最前線にて敵国の侵攻を防ぎ、
ニッポンの平和と繁栄を
体を張って守っております。



私は
山口県は光という小さな港町で産まれました。
光市、室積。
かつては瀬戸内海航路の交易の要所として栄華を極め


全国からの物資が行き来する、
それは賑やかな港町だったそうです。


今は小さな漁港ですが、
木造の立派な灯台をはじめ、
当時の面影は街のあちこちに色濃く残っております。


私は
パン屋を営む両親の元に6男として生を受け
地元の女性と巡り会い結婚、
子供も2人授かりました。
1人はまだ母親のお腹の中であります。


そんな折りの
大本営からの
召集令状でした。



山口県はご存知の通り
かつて長州と名乗っておりました。


長州藩関ヶ原での敗戦以降、
この国の覇権から除け者にされた『外様』であり
その屈辱に長きに渡り耐え忍び
明治維新の際は
長州藩精鋭の若武者達が
徳川幕府を打倒。


松下村塾奇兵隊
卓越した知性と行動力で
この国の近代化の基礎を築き上げ
現在に至るまで政財界の中枢に
多くの人材を供給する県に成長したのであります。


国を護る為なら命も厭わず(いとわず)

これが長州の 男達の気概であり、誇りでもあります。


私も長州男のはしくれとして
帝国海軍に従軍する際は
家族や地元の方々の熱い声援を受けて、
気持ちは高ぶり、
大きな誇りを胸に
ふるさとを離れるに至りました。


若い妻や幼い子供たちを残すことに
なんの未練もないと言えば
嘘になります。
なりますが、

国家繁栄の為に
天皇陛下の為に
粉骨砕身(ふんこつさいしん)
この命捧げる思いに
悔いは微塵もありません。


リクエストは
長州の民謡
「男なら」をお願いします。





こちらはラジオソロモン
ラジオソロモン

番組名は
ヘブンズミュージック


今日も
長岡よしおさんから
お手数を頂きました。



前略
ジョー長岡さま


今日もソロモン諸島レンドバ島より
お便りします。


暑いです。
紙が残り少なくなってきました。
使い古しのボロ紙で失礼します。


手紙が本土へ届きにくくなっていると噂で聞きました。
これがジョーさんの元へ
正確に届いてればいいのですが。


戦線は厳しい局面もありますが、
隊一同、志をひとつにして
国家に忠義を尽くすべく
粉骨砕身(ふんこつさいしん)の日々。



私達の駐留するキャンプ近くに
細く綺麗な小川が流れています。


1日のうちに何度か、
水を汲みに行くのですが


その川へ向かう小道が
ふるさと室積の路地の坂道によく似ており


いやあれは似ているというか
その坂道そのものでありまして


毎日通るたびに
思い出しております。


子供の頃
あの坂道を
近所の遊び仲間と
歌いながら走りながら
潮風の心地よかったことを
思い出しております。



(独り言のように)

ソロモンの海は
瀬戸内の海によく似ている。


波が穏やかで
深い青はどこまでも美しく
澄んでいる。


晴れた日は
海と空の境目が消えます。
まるで自分が
真っ青な宇宙の円の中心に
ひとりぽつんと突っ立っているような気さえする。



子供の頃、皆でよく歌った
野口雨情の
『あの街この街』をリクエストします。



最近
替え歌を作りました。
よかったら聞いてください。


あの街この街日が暮れる
日が暮れる
今きたこの道帰りゃんせ


おうちがだんだん遠くなる
遠くなる
今きたこの道帰りゃんせ


お空に夕べの星が出る
星が出る
今きたこの道帰りゃんせ


レンドバにふるさとの路地あらわる
ふるさとの坂あらわる


レンドバにふるさとの海あらわる
ふるさとの風立つ


今きたこの道帰りゃんせ
帰りゃんせ
帰りゃんせ






こちらはラジオソロモン
番組名はヘブンズミュージック



1943年
昭和18年7月24日


今日
私の身体から
重力が抜けていくのを感じました。
はっきりと感じました。
初めての感覚でした。


身体がふっと軽くなって
地に足が付かなくなって
そのうち
隊の仲間たちを上空から眺めていました。


私の視界に
ジャングルに倒れる私自身がいました。



ジョーさん
聞いてください。


何度も言いますが
私の命など
この国の
この世界の悠久の歴史の中に
何度でもくれてやります。
悔いも未練もありません。


ただ
ひとつだけ。


妻のお腹にいる
新しい命にだけ
一目会いたかった。


一目会って
ぎゅっとこの腕で
抱きしめてやりたかった。


今4歳になる私の長男と
新しい命とが


青年になり
大人になり
誰かを愛し愛されるまで


神様
どうか私に代わって
お守りください。


お守りいただけないのなら
私はあなたを殺しにいきます。

今、私の傍にあるこの錆びた銃剣で
あなたの左胸を迷いなく
一突きにします。
その時は覚悟してください。



ジョーさんにこのようなことを吐露しても
仕方ありませんが

他の術をしりませんでした。
お許しください。


どうか私の想い、
この使い古したボロの紙で
受け止めてください。



長岡よしお







こちらはラジオソロモン

ヘブンズミュージック


2010年12月24日

前略
ジョー長岡さま

お元気ですか。

久しぶりにお便りします。


先日、私の息子が私の傍にやってきました。
長男の方です。

私はしっかりと彼を抱いてやりました。
彼は生前、私の姿を記憶していない為か、
はにかんでいました。

が、71年の生涯を全うしたと、
満足そうな顔で、そう言ってました。


私は神に感謝しました。
錆びた銃剣はもう必要ないでしょう。





雲の切れ間から
ニッポンが見えます。
山口の室積の海が見えます。
子供の頃駆けずり回ったあの坂道もはっきりと見えます。


周辺の国と比べても
ニッポンの放つ光は
美しさも強さも格別です。
まるでこの国には
闇がないみたいだ。



ただ
わたしには見えないものが
ひとつある。
それは


そこに住む人たちの心模様。



(淡々と)


ジョーさん、
ニッポンは
どんな国になりましたか。

食べるものはありますか。
着るものは間に合っていますか。
暑さ寒さを凌げていますか。
ゆっくり眠れますか。
お金は足りてますか。
誰かを愛してますか。
愛されてますか。

まだ戦争は続いてますか。
平和ですか。
ニッポンは幸せですか。


ジョーさんに
いつかお会いできるような予感があります。
その時を楽しみにしています。


長岡よしお





よしおさん
お便りありがとうございました。


12/24ってことは
ちょうどクリスマスイブの夜、
全国各地のイルミネーションが
瞬いていたんですね。


上空からの夜景、実に羨ましい。
いつか見てみたいな。


よしおさんのお便りを受けて
今日は最後にこの曲を流して
番組を終わりにします。


あなたが戦った敵国の港町で
1940年に1人の男の子が生まれました。
名はジョンレノン。


彼の2度目の結婚相手は
日本人の才気溢れる芸術家だったんですよ。


魔女呼ばわりされて
最初は大変だったみたいです。


この曲でもサビで醜い奇声を張り上げてます。
素敵な人です。


そう、
ジョンは1980年の12/8に
亡くなりました。
日本が連合国相手に戦線布告したのと同じ日です。


僕もよしおさんと
いつかお会いできる気がしてます。
よしおさんの問いにどう答えるかは
その時まで取っておきます、
とにかく会ったら
ぎゅっと抱きしめてくださいね。


よしおさんと
リスナーのみなさんに
この曲が届きますように。




Happy X'mas
War is over
John Lennon


ラジオソロモン
ヘブンズミュージック
周波数は
スギナミ
スタックスフレッドゴーゴーヘルツ!


ナビゲーターはジョー長岡でした。
この曲を聴きながら
お別れしましょう。
次回もお楽しみに。
ご機嫌よう!


(一礼)



(照明変わる)
(リバーブoff)



『ヘブンズミュージック』


作、朗読は
ジョー長岡でした。


ご静聴、
ありがとうございました。


一月三舟



先月の23日に開催した「一月三舟(いちげつさんしゅう)」。

大阪から、いおかゆうみと

たけだあすか、上京。


企画タイトル「一月三舟」は

ゆうみに数ヶ月前、

「何か相応しい名前を考えて」とメールしたら

すぐに返信が来た。

一発採用。

ゆうみは、この辺の感度がとてもいい。



せっかく素晴らしいタイトルができたので

ちなんで遊びたいなと思い、提案したのが

「Moon River」に三者三様で日本語歌詞を乗せて

当日披露すること。

舟と月、会場もMoon Stompということで

我ながらバッチリな選曲。

二人も即答でOK。



当日、ご飯食べながら打ち合わせ、

会場に入って、ムーンリバーのアレンジ、構成を考える。

本番では想像以上の素敵な時間になったと

自負がある。

二人がよく頑張った。


ここでは三人のムーンリバー歌詞を紹介します。





明日晴れたらさ

あの海辺のまちへ

出かけよう

なにも持たず

ただ空を眺めていよう


風の匂いとか

波間のきらめきを

なによりも

素敵だと

思うだろう

ほら今夜

月が笑ってる


(たけだあすか)





ムーンリバー

川に沿って

静やかに立つ風

音もなく

光もなく

君の気配がすべてさ

いつか

小さな舟

水面に浮かべてみたい

時の流れ

風が強くても

越えていくだろう

ムーンリバー

君と


(ジョー長岡)




昔の

私がいる

あの川のほとり

夢をみていた

恋をしていた

大人のように

不満げな顔で

月を眺めていた

どこにも行けずに

ひとりきり

ブレザーの内側で

愛を探す

子どものように


(いおかゆうみ)




本番は

この順に歌い、

最後は英語歌詞を三人で。

伴奏は、ジョーピアノ、あすかギター。


それぞれの個性がぎゅっと詰まったムーンリバー

二人とも自分のライブで

アレンジして歌っているらしい。

おじさんも負けずに、歌いますとも。







ゆうみ

あすか。

二人といると

少し格好つけてる自分がいて

まだまだやのう…と思うのです。笑





お運びいただいたお客様、

ありがとうございました。


ジョー長岡

ゴミ

5月3日に朗読オブザリングという企画に出演し、

朗読時間10分前後のオリジナル作品を書き上げました。

終演後、僕の大切なお客様の一人から、

ジョーさん、是非作品をテキストにしてアップして欲しい…とお願いされた。

本来、朗読用に書き上げたものなので、どうしようか迷ったのですが、

ほぼ凍りついてる音瓶波ラヂオにアップする事を決めました。

リスナーの皆さん、よければこのテキストを音読してみませんか。

企画のシサンさんがお楽しみ抽選会で言ってたこと、

僕も以前から強く感じていたことですが、

文章を実際に声に出して読んでみる事で、

言葉に響きやリズムを与える事で、

その意味合いやニュアンスは少なからず変化します。

是非お試しあれ。












僕にとって絶対的な「ゴミ」の話をひとつ。


8歳。

小学校3年生の時の話です。

ゴミってあだ名のクラスメイトがいてね。

背が低く、痩せっぽっちなゴミ。

身なりは汚く、いつも肌着の白いランニングシャツを着ていた。

白いって言ったって、もともと白かっただけで、

黄ばみを通り越して、肌に近い茶褐色のような色をしてた。

きっと着替えなんかなくて、毎日同じシャツを着ていたからに違いない。

髪はボサボサで、靴もボロ。

穴が空き放題で、足の指が何本か常に露出していた。

靴下を履いた姿なんて一度も見たことなかった。

ゴミは鼻を垂らし、それをいつも腕でぬぐうから、

腕の辺りが鼻汁でピカピカ光ってた。

家に風呂がなかったのだろう。いつも獣みたいな匂いがした。



僕はゴミんちに何度か行ったことがあるんだが、

バラック小屋みたいなオンボロの家で、

雨が降れば、ポ〜タポタ、雨漏りするし、

風が吹けば、ゆ〜らゆら、壁や天井が音を立てて揺れた。

ごみんちの前には、大量の粗大ゴミが山のように積まれていた。

ゴミの父親が廃品回収の仕事をしていて、

いつのまにか家の前にゴミの山ができた。

ゴミは更にゴミを呼び、街中の人が粗大ゴミを勝手に置き始め、

瞬く間にゴミんちの前には、ゴミの大山ができた。

ここまで聞いてる人は、もうわかったと思うが、

ゴミのあだ名の由来は、家の前のゴミの山にある。

ゴミの父親は、毎晩酒を飲んで酔っ払っては、

ゴミにこんなことをわめいてたと言う。

「いいか、近所の奴らは全員、この山をゴミの山と呼んでるらしい。

ゴミの山? そりゃ違うぞ。

これはな、宝の山だ。誰がなんと言おうと、宝の山だ!わかるかー!」



ゴミは、父親が言う言葉を信じた。

実際、ごみんちの前のゴミの山は、

こう言うと誤解を与えるかもしれんが、思いきって言うと、

なんだか格好いいんだ。



無造作に積まれた大きな電化製品や家具、壊れた機械の部品などは、

まるで何かの秘密基地か、要塞のような佇まいだった。

「父ちゃんの言ってることはさ、本当さ。

街の奴らが何言ってたって、気になんかしないやい。」

これはゴミの口癖。


そんな矢先、ゴミの父親は家に帰ってこなくなった。ゴミの母親は、

「あの馬鹿、もう二度と帰って来やしないよ!」

とゴミに言ったらしいが、ゴミにはその意味が、まだよくわからなかった。



ゴミというあだ名について、担任の先生や親たちは、

「そんな酷い、醜いあだ名で呼ぶのはやめなさい」

と、いつも言ってた。

「まあそうかもなー」

とは思っていたが、あまりピンときてなかった。

ひどいとか醜いは、先生や親たちが、

勝手にそう考えているからだろう、と思ってた。

少なくとも僕にとってゴミは、

あの秘密基地の風景、要塞そのものなんだ。

秘密基地に住むゴミは、

僕らの知らない、何か特別な任務を担っているのかもしれない。

あの汚い格好にも、鼻汁にも、

何か特別な理由があるかもしれない。そう考えたりしてた。

憧れ、とは少し違う、

ゴミを近いような遠いような、うまく言えない距離感で眺めていた。











夏休みに入ってすぐの真夜中、

僕とゴミが暮らす街に大きな地震が起きた。


そりゃあ大きく揺れて、

しかも何度か連続して起きたもんだから、

近所のほとんどの家が崩れ、寝ていた人達は家の下敷きになり、

沢山の人が亡くなった。

クラスメートの何人かも亡くなった。


僕んちの家は大きく傾いたが、崩れることはなかった。

道路や田畑の地面には巨大な亀裂が走り、

電柱は倒れ、街中が瓦礫だらけとなり、

生き残った人達が小学校に避難してきた。

国や県からの援助は来てはいたが、

細々と最低限、生き延びる為だけの援助。

電気、ガス、水道が止まり、食事もままならない。

トイレは排泄物で溢れ、臭いを周囲に撒き散らした。

風呂にももちろん入れない。

余震は長く続き、避難所の人達は疲弊していった。




僕らのような子供たちは、こんな状況でも、

次第に子供同士で集まるようになり、時間を共有した。

避難所の体育館の裏の小さな空き地でドッチボール。

その最中に、誰かが言った。

「なぁ、ゴミんちはどうなったかな。あいつ生きてるかな。」


言ったとほぼ同時に、全員がドッチボールをやめて、

ゴミんちの方向に走り出していた。

西の空が夕焼けで真っっ赤に燃えあがる中、

5〜6人の子供達が、瓦礫だらけの街を、ひたすら走った。

まるでつむじ風のように、すごいスピードで。



ゴミんちの前に着いた時は息も絶え絶えで、

肩で息をしていた奴もいる。

ゴミんちのゴミの山は!ん?以前より少し低くなった気がする。

山の裏にあるゴミんちは、、、、変わらぬ佇まい、

いや少し変わったかもしれないが、

汚いバラック小屋みたいなボロ屋は、そのままそこにあった。


「ゴミ、生きてるんか。ゴミ!」

僕が声をかける。




しばらくして、気だるそうに出てきたのは、ゴミ。

いつもの汚い格好で、グー。。。鼻を鳴らした。

ピカピカした腕はそのままに。




僕らは日が落ちかけた夕闇の中、

瓦礫の街のど真ん中で、ドッチボールをした。

ドッチボールの最中に気がついたんだが、

長い避難生活のせいで、

ゴミも僕らもあまり変わらぬ小汚さだった。

匂いもなんだか似ていた。

違うのはピカピカした腕くらいなもんで、

ゴミの腕の年季が入った光具合は、誰にも似ていなかった。

夕闇の中でその腕はいつもよりキラキラと輝いていた。

僕はそのキラキラめがけて、思いきりボールを投げた。

思いっきり!











時は流れ、

僕らは大人になり、

街は地震の被害から立ち直って、ずいぶん時間が経つ。

僕はとっくの昔に生まれた街を離れ、異国の都会で暮らしている。

ゴミひとつ落ちていない街で、小綺麗な服を着て、

時折、靴にブラシをかけたりして。

ゴミとも、その頃の友達とも、もう長い間会っていない。

思い出せない記憶の欠片は、僕の中に年々、

ミルフィーユのように積み重なっていく。





けどね。時々。

本当に時々。思い出すんだ、あの頃のこと、ゴミのこと。

懐かしいとか、戻りたいとか、そんなんじゃない。



あの頃、僕の手の届くところに、確かにあった、

明け透けな、剥き出しの人のぬくもり。


善悪の価値や、柔な感情など、入る隙もなかった、

生々しい人の匂い。


他人からどう思われるとか、

女子から嫌われるとか、

内緒の話をしたとかしないとか、

どうでもよかったあの頃。



ボールを思いきり投げ、

ぶつけ合い、

ザラザラした手触りで、

穴だらけの靴で、

瓦礫の世界を駆け回っていた僕ら。

そしてゴミ。



高層ビルのベランダに立ち、

整然と並ぶ摩天楼を見下ろしながら、

僕は今思ったことを、そのまま声に出してみた。


「おい、ゴミ。生きてるんか、なぁ、ゴミ、 ゴミ!」







作、朗読  ジョー長岡







★memo


作品の狙い。

絶対的な概念ではない、

あくまでも相対的な概念である「ゴミ」という言葉に、

絶対的な意味と、ポジティブな響きを与えたい。

母親から解放され、女性の支配を受ける前の、

ちょうど8歳頃の男の子の貴重な時期、

地震で荒れ果てた瓦礫世界を使って。


朗読は、悲しいトーンにせずに、ハツラツ、淡々と読み聞かせること。

枕の最後には、「僕にとって絶対的な ゴミ の話をひとつ」を必ず入れること。









当日、お客様にお配りしたパンフの中に、

今回の企画に臨むにあたり、

7名の出演者の意気込みが短い言葉で紹介されています。

僕はこんなことを書きました。





友人の絵本作家が以前、こんなことを言ってた。

「絵本は声に出して読まれることを待ってる」と。

沢山の絵本作品に影響を受けて、歌を作り始めた僕にとって、

朗読と歌唱は限りなく同じ行為なのだ。

今回の縛りの中で、聞いていただく皆様に、

いかに「音楽」を感じてもらうか。

今回の僕の最大のテーマです。





この場を借りて、

企画に誘ってくれたシサン嬢、

茶友であり、リスペクトする絵本作家きたがわめぐみ、

テキスト化を勧めてくれた、岩見夏子に

感謝を捧げます。

ありがとうございました!

愛してます。




ジョー長岡

白い毛


この夏から働き始めた新しい製本屋には

老若男女いろんな人が働いてる。

誤解を恐れずに

ひとくくりにこの言葉を使うが

所謂「知的障害」と思われる症状を背負いながら

働いている人達を、数名見かける。


工程が複雑な作業、

細かな判断が瞬時に必要な作業ができなかったり、

喋る時に吃りがちだったり

集中するのが苦手だったり。


そういう彼らと

同じ工程でチームとなって一緒に仕事をしていて

作業が滞ったり困ったりしたことは

ほとんどない。

おそらく

仕事の段取りをする人たちの

細かな心遣いで

適材適所、きちんと役割が割り振られているからだろう。


逆に、

慣れていない僕が困らせることは結構ある。

けど、彼らは嫌な顔ひとつせず

協力しながら仕事を進めてくれる。




その日は、ある女性と二人で

同じ工程で作業していた。

その女性は、一見すると

自分の中に引き篭もってるような印象で

初め、僕とのコミュニケーションを避けているような気がした。

だからあえて、僕から言葉を投げかけることはしなかった。

けど、そういうのはたいてい

こちらの勝手な思い込みで

僕らは少しずつ、馴染んでいった。

彼女は、喋る速度が極端に遅くて

けれど手作業は迅速、小慣れた感じで

僕にも仕事のコツを少しずつ教えてくれた。

そんな風にしながら時間が流れた。



ある時、その女性が僕の方をはっきり見ながら

とてもゆっくりと、こう言ったんだ。

「長岡さんは、猫と暮らしてるの?」

僕は驚いて、彼女をまっすぐに見て

「なぜそう思ったの?」

と逆に聞いた。

彼女は僕の肩口を指差して

「白い毛がついてるから」

と答えたのだ。



そう、それは確かにまあまの白い毛だった。

僕がその日着ていたTシャツは

長いこと着ていなかったTシャツを

引き出しの奥からわざわざ引っ張り出した

黒い無地のやつ。

まあまの毛が付いていても不思議のないTシャツ。

けどね、

本当によく見ないと

その毛に気づくことなどほぼ不可能と言い切れるくらい

小さな短い毛だった。

彼女は、それを猫の毛だと言い切ったのだ。



想像して欲しいのだが、

製本の作業場は

常時機械がけたたましい音を立てている場合がほとんどで

仕事は流れ作業、騒々しく慌ただしい環境の中で

自分の仕事に没頭するので精一杯。

誰かの服に付いてる小さな猫の毛を発見するなんて

いくら猫好きだって無理、という話なのです。


こうした障害を負った人が

ある特定の分野で優れた感覚の持ち主であることは

よく言われる話だし

実際にそういう方に会ったことがあるけど、

僕は彼女の観察眼に心底驚いた。

そして気がつけば、

彼女が醸し出す不思議なオーラを感じていた。

いつどんな時も、

周囲の環境に影響されることなく

自分の感性や感覚にコンスタントに集中できる、

強い、不思議なオーラ。

そして、優しいオーラ。




「そう、僕は猫と暮らしているよ」

と答えてすぐに

「猫と暮らしていた」

と言い換えた。



彼女に、まあまと2ヶ月前にお別れしたことを、

手短に話した。

すると彼女はしばらく黙ってた。

黙った後で、自分が幼い時から猫が好きで

沢山の猫と暮らし、死に別れてきたことを

ゆっくりと話してくれた。

どの話も不思議な臨場感があって

生々しくて

彼女がどれくらい猫を愛していたかが

手に取るように理解できた気がした。


死別を繰り返してるのに

いや、繰り返しているからこそ

彼女は愛猫との思い出を

まるで大好きな映画みたいに

記憶しているのかもしれない。

いやそれもまた彼女の独特な才能なのかもしれないと

思ったりした。




「名前はなんて言うの」

「まあま」

そしたら彼女は驚いた表情で

「お母さんなの!」

と言った。

お母さんって言い方がとても面白くて

僕は声をあげて笑った。

彼女も笑った。


笑いながら

体の中からズドーンと音がして

熱い塊がむくむくと湧いてくるのがわかった。

その塊は体の下の方から

上方へ向かっていき

目から溢れそうになった。

必死で堪えた。


「長岡さん、お母さんが死んだのね、可哀想」

彼女はそう言いながら

もう僕の方を見ようとはしなかった。

僕が取り乱しているのを察知したから

そうしたのかもしれない。

僕との話で

彼女の中の悲しみを

思い出させてしまったのかもしれない。

とにかく

僕と彼女の会話はそこでピタッと終わった。


二人とも

正気を保つ為に

何かを忘れる為に

目の前の仕事に没頭してた。

少なくとも僕は

終業のベルが鳴るまでそうした。



いつのまにか

まあまの白い毛は

どこかへ飛んで行ってしまっていた。



今年の夏が終わろうとしている。

暑かった夏、

まあまが旅立った夏が終わろうとしている。







【ジョー長岡ライブ情報】

8月30日 日曜日
新高円寺STAXFRED
http://staxfred.com

18時半開場/19時開演
2000円(+1ドリンクオーダー)

出演
スエヒロカズヒロ
あべたかしGOLD&キラキラみさこ
ジョー長岡
nobo



9月23日 祝日
「ノラとジョー」
高円寺 BAR IMPRONTA
http://bar-impronta.com

18時開場/19時開演
1500円(+1ドリンクオーダー)

出演
ノラオンナ
ジョー長岡



ライブ会場でお逢いしましょう。

いきさつ

先々月だったか。

STAXFREDの客席で

壁に貼られた、かつてのフライヤーなんかを

何気なく眺めていたら

こんなのを見つけた。




2009年の7月だから

ちょうど6年前の夏。

神輿に乗ることを頑なに拒んでいた本人を

僕と中村久景とで説得し

ようやく実現にこぎつけた阪本正義の独演会。

もちろんライブは大成功で終わり

僕と阪本の関係がさらに深くなった出来事。


このフライヤーに

僕の短い言葉が載っていた。


「阪本さんの歌には

研ぎ澄まされた言葉と

美しいメロディと

阪本さんの50年の人生が詰まってる。

つま弾くように奏でるギターの

音と音の隙間に

僕は僕の人生をいつも重ねてしまう。

懐が深くて

あたたかくて

お洒落で

一緒に演奏してたって

僕の身体はいつも潤んでしまう。」



あれから6年の歳月が過ぎ

様々な場所で一緒に演奏し

もう嫌になるくらい,

想いや盃を交わしてきたけど(笑)。


阪本正義の歌への僕の想いは

ほとんど何も変わっていない、

そう思った。


そういえば今年で

阪本さんと出会って10年になる。


きっと僕らの音の重なりにも

樹木の年輪のような何かが

刻まれ始めたか。

いやいや、まだまだこれからだと

あの人やこの人の顔が浮かぶ。(笑)


阪本正義との2マン「八月のピクニック」。

日曜日の夜に

高円寺MOONSTOMPに小舟を浮かべて

のんびりとやります。

是非聞きに来てください。

予約不要、ふらっとお越しくださいね。




♪♪


8月9日、日曜日は

今年2回目の都電ライブ。

その名も「東京どですかでん」。

14時早稲田発、三ノ輪橋行き。

今回は音璃とUをゲストに迎えて

音のなる電車、走ります。

25名限定、乗車券1000円。

美女二人を迎えて、

ますます歌もギターも走りに走る、ジョー長岡。


二人とも麗しいだけじゃなくて

大好きなミュージシャンなの。

きっと素敵な演奏会になります。

「東京どですかでん」は、完全予約制。

こちらで受け付けています。↓

namazu00@i.softbank.jp(ジョー長岡)



音璃

U



♪♪♪






とある「いきさつ」があって

女性から直筆の手紙をいただいた。

女性はまだ幼くて

無垢な存在ではあるが

その筆圧や文字の大きさ、文章は

力強く感じられ、

とても愛しく思った。


僕は手紙の持つ気配、

封筒や便せんや文字から漂う

その人独特の佇まいを愛してます。


手紙を

いつどんな時も

さらっと書き、

さっと切手を貼って

送る人になりたい。





♪♪♪



まあまが旅立って一月になります。

日々の暮らし、先々の予定に追われて

ゆっくり悲しんでる暇がないくらいです。


それでも毎朝、

線香をあげて

お水をやって

仕事の帰りに

花を少し買って骨壷の前に飾るのは

日課となった。


そうやって存在がなくなったことを

自分の身体に認識させているのに

瞬間的に、

亡くなったことを忘れている時がある。


例えば、

風呂に入ると必ず風呂場にやってくるから

扉を少し開けておくのは、決まり事。

風呂に浸かり、しばらくして

ん?今日は来ないのかなって

毎日同じように思い、

ああそうか、となってしまう。



閉店間際のスーパーに行って

急ぎ足でペット用品のコーナーへ。

いつもの缶詰を5〜6個カゴに投げ入れる。

レジを終えて

帰宅して初めて

ああ、やってしまった…は二度経験。



掃除機をかけると

必ず遊びにくるから

掃除しながら待っている。

しばらくしても来ないから

ん?って感じ、毎度のこと。



畳の部屋で

冷房をかけて

ごろんと横になると

冷たい風が当たるところに

同じようにごろんとお腹を上にして横になるまあま。


そうやって川の字になって(一本足らないが)

うたた寝するのが好きだった。

まあまとの時間で一番好きやった。


いつも手を伸ばせば

そこに毛むくじゃらの生き物がいて

優しい眼差しをこちらに向けてくれた。

僕の手のひらに猫球を重ねて

このまま時間が止まったとしても

なんの悔いもない、と思ってた。


何もいない場所に手を伸ばし

冷たい風を受けながら

まあまの残像をつかまえている。

まだその残像は僕の中ではっきりとしていて

消えそうにない。

死んでなお生きているというのは

こういうことかもしれないなと

思ったりしています。



死を想うことは

決して後ろ向きではなく

僕の小さな暮らしの中で

ごく当たり前の日常になりつつある。


宗教のことはよくわからないけど

僕にとっての宗教を

自分なりに構築しているような感覚。


誰に何を言われようと

自分で見つけたい、確かめたい、

命のこと、

今生きているということ。







ライブの会場でお会いしましょう。


ジョー長岡