2011.04.14
“原発もうムリ!4.17鴨川・大風呂敷”開催決定!
4月17日(日)午前11時〜日没(その後、人がいるかぎりずっと)
もうムリだ!大地震の傷跡も癒えないまま、海に山に村に町に放射性物質が垂れ流されつづけるこの現実。
もうムリだ!何万人ものひとびとのふるさとが失われてしまったことの「コスト」を誰が計算できるというのだろう。
もうムリだ!ガンの危険にさらされる子どもたちおとなたち、被曝しながら作業をつづける作業員たちのいのちに釣り合うものなどありはしない。
もうムリだ!大都市のために海沿いのひとびとの暮らしを引き換えにする経済なんておかしい。
もうムリだ!金のために原発をつくりつづける政府、電力会社、企業たち。いまほっておけば、彼らはまた同じことを繰り返すだろう。
もうムリだ!うすうす知っていながら目をつぶりつづけた私たち自身。
こうなってしまった以上、ここからわたしたちは、もうイヤだ、もうたくさんだ、という声をあげていこう、とおもう。
あつまって、はなしあい、かんがえよう。「大風呂敷」でもいい、できることからやっていこう。
原発に関する冊子つくって配ります!/原発情報カフェ/炊き出し/反原発青空学習会/路上文庫/映像上映会/その他企画/大風呂敷/河原町突発情宣/辻説法/24時間語り続ける/ライブ/今後の行動相談/飛び入り企画、持ち込み企画歓迎
■冊子つくって配ります!
☆放射能のこわさ
☆原発を止めるために必要な行動は?
☆ブックマーク集
☆その他、有志の考えていること
☆ほかいろいろ
■原発情報・反原発運動団体の冊子や情報を集めたカフェ&炊き出し
関西で反原発運動に関わってこられた方をお呼びして学習会(予定)。
■路上文庫
■川端上映会
■その他企画
原発いらん!大風呂敷/河原町突発情宣/24時間語り続ける/ライブ/今後の行動相談
ほかに飛び入り企画、持ち込み企画歓迎。
連絡先:090-9860-9860
メール:genpatsu.tomeru@gmail.com
2011.01.22 ユニオンSOCOSOCOの団交が決定

1月11日の記事(http://d.hatena.ne.jp/posada/20110111)で京都精華大学のユニオンSOCOSOCOを紹介しましたが、ついに団交開催が決定したようです。また、団交当日、精華大学に来てくれという要請もあります。以下、ユニオンSOCOSOCOのブログを引用します。
労働委員会のあっせんで、
2月2日午後1時半に、団体交渉が決定しました!
それでもこれで雇い止めの凍結を求めて話ができます。
200名以上のひとが交渉再開要請署名をしてくれたこと、
とても大きな力になったのだと思います。
どうもありがとう。
団体交渉の会場にはいれないにしても
2月2日はぜひ精華大にきてください。
雇い止めは絶対にだめという声が集まれば
きっと状況はかわっていくはず。
大学における使い捨ての問題は、もちろん京都精華大学だけの問題ではありません。他の京都のいくつかの大学で起こっている同様の問題を包括して扱った新しいニュース映像も、ユーチューブにあがっています。前回紹介したものとはちがい、よりも詳しく、より深いです。
無気力にならざるをえないような労働・生活環境の中で、みずからを無気力にさせているものを見極め抵抗することが、私たちの力にならんことを!
kg
2011.01.11 ユニオンSOCOSOCOの活動

京都精華大学というのは、京都にたくさんある大学の中のひとつである。そこでは現在、3年でクビ切りされる契約をした教員たちがたくさん働いている。その教員たちの数名は、いま、首切り直前である。教員たちが働いている部署の募集が在職中にかけられてしまうし、学生に向き合う時間も3年のみである。もちろん、他の大学や、大学ではない企業等でも、このような不安定雇用は、いまや珍しくない。だが、精華大学では嘱託教職員組合がつくられ、3年で雇い止めという制度に対し、それはおかしいんじゃないかという声をあげた。さらに年末にはハンガー・ストライキも行われた。じっしつ、後期の終了はもうすぐだし、学生に向き合う時間も、ほとんど残されていない。そんな中でも、教員たちは学生と向き合う時間を大切にしている。首になるなら後はどうでもいいと考えてしまうのではないのだ。そのように、ストライキをし、さらに大学の理事会と団体交渉を求めながら働く教員たちの姿は、学生にとってどう映るだろうか。おかしな制度におかしいという言葉を対峙させることができることを、すでに働いているし、これからも働くだろう学生たちの目の前で、示すということは、学生にとっても重要なことだろう。なぜなら、労働法や労働者の権利は就職講座で学ぶ機会がほとんどないからだ。大学という場は、そのような学生と教職員が出会いうる場である。制度として維持される大学ではなく、異議申し立てを通じ、自らつくっていく大学という姿を、ユニオンSOCOSOCOは、見せている。大学はそのような出会いが起こりうる場所であるが、そのような出会いが保証されているわけではない。お互いが歩み寄る可能性が保証されているのみで、おかしな状況に対し、ともに「おかしい」ということを言うことによって、ようやく学生と教職員が出会いうる。その構成員が大学をつくりあげる。学生と向き合う期間がのこり数日といってもよい、雇い止め直前の教員たちが、学生との対話を拒まず、そして大学側に声をあげている。注目と支援、そして大学側へ抗議を。
http://d.hatena.ne.jp/soco-soco/
http://twitter.com/seika_SocoSoco
kg
2010.10.18 空き缶回収禁止条例 10・20(水)

ざぱたです。今週の水曜日の17:30から空き缶回収禁止条例の反対の人間の鎖行動があります。前にこの件で環境政策局に電話をかけたとき「野宿の仲間の生活に重大な影響があるのを知っているのか。環境政策局は野宿者が死のうが、どうなろうが知ったことではないのか」と自分がいうと、「はい。ホームレス対策は健康福祉局の管轄ですから」とはっきり答えてくれたのには驚愕した。縦割り行政の問題とかそんなレベルの前に人間としての感受性が完全に欠如したとしか思えない発言に怒りしかこみあげてこないし、こんな官僚連中と「缶集めは窃盗だ!」と野宿者ヘイト発言を議会でした自民党の大西市議をはじめとした一部の経済・政治エリート連中が京都を管理しようとするからこんな条例が提出されているのだとつくづく思う。
福祉国家が利害が異なる者同士の交渉・合意の媒介的な場として公共空間を把握しのに対し、新自由主義が形成するのはコンフリクトを排除したシュミュレート的な擬似公共空間だと最近読んだ酒井隆の自由論で書いていたが、自分たちの求めているのはどちらでもない自主管理空間としての京都市だとつくづく思う。金融危機以後の資本主義にとって、デビット・ハーベイは「都市の権利」を最重要な闘争課題としてあげたが、所有権の概念が捨てたごみまで拡張され生存権を凌駕していくという私有化の論理に抵抗して、京都市をどのように場所として形成するのか。都市空間を争うための闘いでもある空き缶回収条例反対の行動に共に参加を。
- 10月20日17時半、京都市役所前に集合して下さい---
◆20日は「くらし環境委員会」の前日という山場のため、東京から湯浅誠さんが
応援に駆けつけてくれることになりました!
◆全国で広がっている回収禁止の動きを、ぜひ京都で止めましょう!
◆9月28日、空き缶の回収を禁止する条例の採決が延期されました。しかしこれは、条例案への批判が高まるなか、賛成する与党会派が拙速な態度の表明を避けたにすぎません。このまま条例案に対する関心が弱まれば、10 月 21 日の 「くらし環境委員会」 で議論が賛成の方向に流れ、 27 日委員会で可決の結論が出されてしまいます。空き缶回収禁止は野宿の仲間の生活を脅かし、社会的排除を助長するものです。そこで反対の意思を表明するために、10月20日に京都市役所を囲む「人間の鎖」を行います。
10月20日(水)
18:00 集合完了、趣旨説明のあと整列開始
18:30 鎖を完成させ、シュプレッヒコール
→再集合、アピールなど
連絡先:akikandemo[at]yahoo.co.jp
京都市は、京都市会9月定例会に家庭から出された空き缶などのゴミを持ち去ることを禁止する条例改正案を提出しました。理由は「缶を持ち去る音がうるさい」という苦情が来ていることと、市民のリサイクル意識を向上させるためということです。
しかしそれは、野宿者の貴重な収入源になっている空き缶回収を禁止するほどの理由にはならないと考えます。ほとんどの野宿の仲間は、音や残るゴミに気を使ってアルミ缶回収をしているのです。
確かに行政は、乱雑な持ち去りを行う悪質な業者に対し、何らかの対策をする必要があると考えているのかもしれません。しかし今回の条例改正案のように、一律に全ての回収を禁止してしまうことは非常に暴力的であり、人命を脅かすものです。
現在、貧困問題への社会的な関心が高まり行政の施策が広まりつつある一方、空き缶回収禁止の動きも全国で広がりつつあります。私たちは、行政に対して十分な野宿者対策、貧困対策を求めると同時に、行政に頼らずに、頼れずに生きている野宿者の生活が脅かされることのない状態も求めます。それが今回、空き缶回収禁止条例に反対する「人間の鎖」を行う理由です。
peacemedia
9・20ではなく、10・20では。記事タイトル内の日付、訂正しては如何?
2010.08.26 表現者Kさんの即時釈放を求める/靖国弾圧を許すな!緊急集会

関西で、ドキュメンタリー映画の監督に対して、ひどい弾圧があったようです。また、下にも転載しましたが、8月15日には靖国神社で、抗議していた人が二人、帰途で警察に襲撃され、逮捕されるという事件が起こったようです(緊急集会本日)。あわせて紹介します。それにしても、警察権力のなりふりかまわない横暴には、ただひたすら憤りを覚えます。
<以下、転送大歓迎!!!>
発起人:NDSとKさんの即時釈放を求める会(Free K!)
8月22日(日)、ドキュメンタリストであるKさんが不当に逮捕されました!これに対して救援活動がはじめられています。ぜひ賛同とカンパのご協力をお願いいたします!
8月22日(日)、わたしたちの仲間であり、NDS(中崎町ドキュメンタリースペース)のメンバーであるKさんが、突然来た公安三課の刑事により暴力的に身柄を拘束され、逮捕されてしまい、同時に家宅捜索に入られるという事件が起きました。また、翌日朝には扇町公園にある、釜ヶ崎パトロールの会の現地本部と、人民新聞社の編集部に対し家宅捜索が入りました。警察発表では、逮捕の理由として、「免状不実記載」(免許証の住所記載と現住所が異なる)と、「賃貸契約に関しての有印私文書偽造」(いままでの契約書類に書いていた保証人の名前を、更新時に継続して書いてしまっただけ!)があげられており、他二箇所の家宅捜索は、Kさんが立ち寄った場所だという無茶苦茶な理由でおこなわれました。このような「微罪」を理由として逮捕し勾留するという、公安警察によるいやがらせは、あまり知られていませんが、社会運動に関わる人々を萎縮させるために行なわれる手段として、常套化してきた手法であり、このような明らかな国家権力の濫用、政治的弾圧が私たち表現者にも及んできました。現在の時点(2010年8月24日)で、Kさんは兵庫県警本部に身柄を移され、また、勾留延長と接見禁止がついており、私達と会えない状態がつづいています。
Kさんはドキュメンタリー映画をつくる表現者として、また在日朝鮮人二世という立場から、自身、日雇い労働者として釜ヶ崎に身をおきながら、日本という国家が隠し、封じ込めてきたさまざまなもの、人々をカメラに映し暴き、照らし出してきました。例えば、釜ヶ崎の日雇い労働者の住民票が大阪市によって一斉に削除されたことに対するたたかいを描いた「釜の住民票を返せ!」(2010)では住民票がないことから選挙権をも剥奪される状況を映し出しましたが、Kさん自身は在日朝鮮人であるがゆえに選挙権がありません。それにもかかわらず、住民票の運動に寄り添って記録を続けてきました。
その他にも釜ヶ崎や大阪市内の公園で毎年取り組まれている越冬闘争、長居公園における野宿者テント村の強制排除の記録「長居公園に大輪の舞台が立った」(2008)、あるいは自身のルーツに連なる済州島での「4.3事件」の集会の記録や、韓国の民主化闘争を現在に伝えるマダン劇の記録、さらに現在は大阪市桜ノ宮にあり、つい最近立ち退きにあった、在日朝鮮人の女性たちの祈りと伝承の場、龍王宮の最後の記録を編集している途上でした。しかし、これらのものを撮影した貴重なテープ・表現物はすべて、警察が奪い去っていきました。このことの意味は重く、表現者に対して仕掛けられた国家による攻撃であり、許されることではありません。
さらに、Kさんは、今年7月、日本政府と大林組を相手に原告となり、裁判を起こしたばかりであり、今回の逮捕は、表現の自由に対する弾圧であると同時に、この裁判に対する政治的弾圧であると、私達は考えています。裁判はKさんの働いていた現場で雇い主から、突然、日本名を名乗ることを強制されたことに抗議して、起こしたものです。日本という国家が植民地支配の過程で、天皇制による支配の下、朝鮮民族に日本名を名乗らせ、「皇国臣民」として生きることを強制したという歴史に対する無理解と無反省の中で行なわれたものであり、日本社会の中で在日朝鮮人として、本名で生活を行なえる当然の権利を勝ち取っていくための裁判です。いまだ、在日朝鮮人に対する根強い差別が残る中、また、戦争や植民地支配の歴史が風化していく中で、非常に重要な問題提起としてあるものです。今後、勾留期間が長引くと、9月16日(第二回公判)に予定されている裁判の公判が、本人不在のまま行なわれることになり、そのようなふざけた状況がまかりとおってしまうことは絶対に許すことはできません。
【皆さんへのお願い】
私達は、Kさんの身柄の即時釈放を要求します。また、強奪したすべてのテープ・表現物の返還を求めます。その天真爛漫な人柄により、私達を勇気付けてくれたKさんの釈放を求めて、応援のメッセージと救援カンパをよろしくお願いします!皆さんのご協力と、圧倒的な注目を今後もお願いします!
*本人が、完全黙秘中だという事情を考慮し、名前は伏せてあります。
――――――――――――――――――――――――
この呼びかけに対する個人・団体での賛同を求めます(メッセージはKさんへ差し入れするとともに、ブログにアップロードさせていただきます)。
<名前>
<公表> 可能・不可能
<メッセージ>
カンパ振込先郵便振替口座 00940−5−79726(加入者名:釜ヶ崎医療連絡会議)
*通信欄に「フリー・K」と明記してください。今後の弁護士費用など、何かと必要になりますので皆さんのご支援のほどうぞよろしくお願いします。
連絡先
090-9166-7294 (NDS そら)
メール:nds-2010osakaあっとhotmail.co.jp(あっとを@に置き換えて送信ください)
http://blogs.yahoo.co.jp/kyuen_815
「靖国弾圧を許すな!警察は2名をただちに釈放しろ!8・26緊急集会」
○日時:8月26日(木) 午後6時半開場 7時〜9時
○場所:渋谷勤労福祉会館2階第1洋室
(渋谷区神南 1-19-8)
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kinro.html
○主催:815救援会(2010)
○内容:
「815事件」概要/被弾圧者の状況/公安条例とは何か/アピール
※被弾圧者が解放された場合には奪還集会に切り替えます
8月15日、靖国神社での追悼儀式に抗議しようとした2名が不当逮捕されました。警察によるあまりの重警備に抗議を断念し、半蔵門駅に向かって帰る途中のことでした。
それから10日、2名はそれぞれ「公安条例違反」「公務執行妨害罪」の嫌疑で警察署に留置され続けています。警察は彼らを長期に勾留して日々5時間にわたる「調べ」を名目とした嫌がらせを繰り返し、うち1名の自宅を捜索しています。「おまえらの声は市民に届いていないぞ」「お盆に靖国神社に参拝することは日本人の風習だ」「逮捕はいい機会だから考え直せ」「仲間は自分のことだけしか考えていないぞ」「お前のことを真剣に考えているのは検察官と公安だけだ」取調室で繰り返されているのは、事件とはまったく無縁の嫌がらせです。
本来、「現行犯罪」での逮捕では警察が収集すべき証拠はすべて現場にあるはずです。よってこれ以上の勾留や捜索は無意味であり不要です。まして2名の思想・信条に立ち入り、本人を貶める言動を繰り返して誘導や圧迫を加えることは、黙秘権の侵害であり「調べ」でもなんでもありません。警察は2名の勾留をただちに中止し、不法な取り調べと捜索について謝罪し賠償すべきです。
公安警察が引き起こしたこの不当逮捕事件は、靖国神社に反対する意思自体を攻撃するものです。靖国に抗議する者を狙い撃ちにした逮捕は、死者を利用し、植民地支配を正当化し、人殺しを誉める神社への反対を妨げようとするものに他なりません。思想・信条や表現の自由を重視する立場としても、そして戦争や植民地支配に反対する立場からも、私たちはこの逮捕絶対に認めることができません。
救援会は逮捕された2名への弁護士接見、差し入れを支援しながら、即時釈放を求める活動を続けています。この集会を持つことで今回の弾圧の意味を議論し合い、いまだとらわれている2名への更なる支援を強めて行きたいと考えています。また、これまで弁護士費用含めて救援活動に多額の費用がかかっています。みなさまには緊急集会への参加と救援会へのさらなる支援をお願いします。
815救援会(2010)
2010.06.19 6月27日(日)白石嘉治×酒井隆史トークセッション「パンも薔薇もこ

反戦生活でも一度おまねきしたことがある、白石嘉治さんの本が出版されました。そして、出版記念のトークが大阪であります。白石さんと酒井隆史さんの対談で、とても期待大です(酒井さんも反戦生活でおまねきしたことがあります)。お二人の話を導入に、いろいろ議論できたらと思います。なお、案内文によると酒井さんの「通天閣」が単行本されるということで、めちゃくちゃおもしろい連載だったので、これもとても楽しみです。酒井さんの連載、白石さんの本、ともに運動が描かれています。おそらくトークのテーマとなるであろう、学費無償・ベーシックインカムは、運動から語らないとおもしろくない。政策面でかしこい人が必死にしゃべってもだめなんです。
以下、案内を転載します。
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/shop-osaka.html#20100627osaka
パンも薔薇もこの手に
大学はなぜ無償化されなくてはならないのか?
ベーシックインカムは何を保障しているのか?
「通天閣」(『現代思想』連載,12月に青土社より刊行予定)で、日本の資本主義の発達と「文学」の大衆的な力能を先鋭的に論じた酒井氏とともに、いま改めて、大学、無償性、そして「神話政治」の概念を練り上げ、資本主義の終わりを生きるための「教養」の養いかた、使いかたを模索する。
パネラー紹介
★白石嘉治(しらいし・よしはる)/1961年生。フランス文学。上智大学ほか非常勤講師
『不純なる教養』(青土社,2010),『VOL Lexicon』(共著,以文社,2009),『ネオリベ現代生活批判序説』(共著,新評論,2004、新版2008)など。
★酒井隆史(さかい・たかし)/1965年生。社会思想。大阪府立大学准教授
『自由論』(青土社, 2001)、『暴力の哲学』(河出書房新社,2004) 、『VOL』01-04(共著,以文社),ネグリ&ハート『〈帝国〉』(共訳、以文社、2003) など。
☆ 会 場 … 3 階喫茶にて。入場料無料(定員40名)
☆ 受 付 … 3 階 東カウンターにて。電話予約承ります。
TEL 06-4799-1090
- 作者: 白石嘉治
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2010/04/23
- メディア: 単行本
- クリック: 22回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
- 作者: 白石嘉治,大野英士
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2008/04
- メディア: 単行本
- クリック: 22回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
- 作者: 矢部史郎,白石嘉治,他、VOL編集委員
- 出版社/メーカー: 以文社
- 発売日: 2009/07/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 3人 クリック: 36回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
kg
2010.04.14 4・29「逃散や不服従」メーデー

4月29日に恒例のサウンドメーデーをやります。今年は実験的パフォーマンスがいろいろ飛びだすかも。
転送歓迎です。よろしくお願いします。
「逃散や不服従」メーデー
2010年4月29日(木)
13:00 仏光寺公園(四条河原町交差点を二本南に行った仏光寺河原町を東)
14:30〜 デモ
デモコース
☆デモの後、交流会あり
むかし農民は、厳しい年貢の取り立てにガマンできなくなったとき、「逃散(ちょうさん)」と言って、みんなでよそに逃亡したり、家にこもって働かなかったりして抵抗したらしい。
どんな条件でも文句を言わず働け、金を稼いで自立しろ、それでお金を使いまくれ。
貧乏ヒマなしは今も昔もかわらない。
その「ちゃんと働いてひとりで生活する」っていうのが、どうにもうまくいかない。例えば、女性だからということだけで、誰かに養われろといわんばかりに低賃金で働かされるし、その上簡単にクビにされる。
経営者たちは、平気で私たちを「役立たず!」と罵ってくる。また、権力者たちは平気で私たちに切りつけてくる。私たちも自分自身を「役立たず」だと責めてしまうことはよくあるし、生きのびるために、だれかを傷つけたり、差別したりしている。
おかしいな、イヤだなと思っても、なんか、世間は不安や不満や不信感だらけで、お互いが見張りあって、息が苦しくなっている。ささいな違いを突っつき合って、はみだすことを恐れ、息を殺して生きている。
私たちは、こんな社会から逃げ出したいと思うし、「逃げてもいい」と呼かける。
「もうたくさんだ」と言って、勝ち組のつくったシステムから逃げ出そう。
そして、「逃げてもいい」と呼びかけると同時に、服従しないこと、「闘うのもあり」だということも呼びかけたい。
4月29日のメーデーは路上に出て、働け、働けと人を追いつめ、生きる権利すらも奪うような人たちに、不服従の姿勢を見せつけよう。
要領よく生きられなくても、はみ出してもいいじゃないか。自分たちどおしで傷つけあいたくない。生きのびよう。みんなで生きのびよう。
世間の〈はみ出しもの〉たちよ、集まろう。
ようこそ、「逃散や不服従」メーデーへ!
2010.01.28 学費タダに!奨学金ブラックリスト化反対デモ!のお知らせ

2010年2月7日(日)
15:00〜デモwithサウンドシステム
※仮装・コスプレ歓迎
優秀コスプレ賞あり!
マジヤバ!学費が高い!
奨学金がブラックリスト化されて一年「お金を返さないのは、モラルが足りないから」と話していた日本学生支援機構自身の調査で、滞納者の8割が年収300万円以下だったということがわかったよ。「やっぱり、返したくてもかえせないんじゃん。」
かつてないほど高くなっている日本の学費!
国連加盟国のほとんどが、大学とかの学費はタダにするという条約にサインして、世界はぶっちゃけ学費タダの流れ、サインしてないのはルワンダとマダガスカルと日本だけ、こんなのってありえない!
国立もバカみたいに高いけど、日本の大学はほとんど私立。お金持ち諸国の中でここまで教育に金を使わない国はめずらしいらしい。「私立も国立も、学費はタダであたりまえなんじゃん。」
とゆうわけで寒いけど学費タダ。そして法的にも、人道的にもどうかしてる奨学金のブラックリスト化反対のためのデモを今年もやるよ!
言いたいことを書いたプラカードを持ってくるといいことあるかも!
主張を言うのも、ただ踊ってるだけでもOKなサウンドデモだよ!
主催:ブラックリストの会 http://kanekaese2009.web.fc2.com/
※前回に引き続き、どうせやるならコスプレしたほうがいいので、ガチガチのコスプレ、ちょっと変えた髪型、いつもと違う眼鏡などでお越しください。
なお今年の最優秀コスプレ賞はド○キで買ってきた「異様に黒いキ○ィちゃんの着ぐるみ」です。着れば確実に革命が起こる!
では2月にお会いしましょう
k
沖縄の学生です。出身は京都です。
当然として学生が持っている学習権が担保されていないという点では、「ルー大」も同じです。
沖縄にはいろいろな問題が山積していますが、全てのことは、ジェンダー的な視点、不均衡で暴力的な支配に端を発しているのではないかと、さまざま思考した揚句、しかし、理論も実践もまだまだ足りません。
ポストコロニアルな視点や批判的批評を学ぶ学生、学者、その他のヒトビトが「自分の両親と意思で合意したこと」だけに基づき活動する、かなり流動的な集まりをに参加しています。
みなさんの視点と非常に近いのではないかと思いますし、私個人の話で恐縮ですが、知り合いが共通にいたりするのではないでしょうか。
ここで合意してないプロジェクトの名でみなさんがやっておられることに何かレスポンスをするとはできない(なぜなら私がこのwebを発見したのはついさっきで、合意してないに入っていそうな人と何の議論もまだないからです。)ですが、
私自身は、皆さんのやっておられることに圧倒的な連帯を表明します。
合意してないプロジェクト
http://disagree.okinawaforum.org/
ルー大生ブログ
http://loudaisei.seesaa.net/
やんばる東村 高江の現状
http://takae.ti-da.net/
今度(夏?)京都に帰った際には立ち寄ってお話を聞きに行きたいと思っています。
kg
K様
書き込みありがとうございます。
反戦生活も、わりと流動的なグループです。誰がメンバーで、誰がボスで、とかいうことは決めていません。それぞれの課題を共有しあって、いろいろ話をしながら運動をしています。もちろんその中には、学費のこともあるし、あるいは辺野古の反基地運動もあります。たとえば、反基地運動や軍事化反対という「反戦」の部分と、労働者の権利や学費問題といった「生活」の部分は決して切り離せないと考えています(もちろん、両方やれ!と命令する意味ではありません)。戦争に反対するということと、生活がしんどいということを同時に抵抗しようとする私(と共にいるいろいろな人たち)が、ともにお互いの課題を共有しあって、一緒に運動している人がどういう人なのか知りあって、だらだらと話すことを通じて、ぼちぼちやっています。
ずいぶん前のブログ書き込みですが、反戦生活についての個人的なコメントが書かれています。よかったらよんでみてください。
http://d.hatena.ne.jp/posada/20070430
「合意してない」のことをやっている人は何人か知っていますよ。ぜひ京都(関西圏)にいらっしゃるときは、いろいろ交流しあえたらと思っています。
2010.01.07 多文化主義と排外主義。

日本においても、「多文化共生」という言葉はたくさん流通している。大学とか、公共の場でもよく語られる。他方で、在日外国人に対する差別は決してなくなっていない。
排外主義の声は、ネット上だけでもたくさん見つかる。朝鮮人バッシングや、朝鮮民主主義人民共和国への攻撃的な論調も、べつだん珍しくもなく、そのへんにある。
これらのことは問題である。排外主義言説は決して新しいものではなく、ずっと日本においてあり続けた声だ。それらに対して、どうするのか?そのときに、「多文化共生」という言葉を対置させるだけの、内実を私たちは持っているのか?
多文化なる言葉は、単一文化よりはよっぽどいい。しかしそもそも「文化」って複数的なものではないだろうか?私たちが排外主義の言説に直面するとき、いかなる対抗ができるだろうか?対抗できるだけの内実を私たちは持っているのだろうか?
以下に載せる文章は、韓国における「多文化主義」批判の論文の全訳である。もちろん韓国と日本では事例が違うし、具体的状況も違う。だが、単一民族という神話や、あるいは在留外国人に対する蔑視感は共通のものがある。
以前、この「反戦生活」ブログでも紹介した、韓国の移住労働者組合の活動家ミヌ氏は、強制送還された。多文化主義、多文化共生をかかげる国家において、強制送還は日常茶飯事のことである。以下に載せる文章で紹介されている韓国ソウル郊外の安山市というところは、移住動労者が非常に多い地域で、モスクがたくさんある。しかしタコ部屋的な環境も現存しているのだ。
桐野夏生が『メタボラ』で描いたような外国人労働者たちの姿。あるいは同時にある「多文化主義」と「多文化共生」。私たちは安易に「多文化共生」という言葉を使っていないだろうか。それを内実あるものにしているだろうか。
kg(ここまでの文章とここからの翻訳すべて)
http://www.ilemonde.com/news/articleView.html?idxno=590
政府の多文化主義批判。「包接」−「排除」の矛盾を繰り返す国家動員体制。「多文化」という名前の後ろの画一性・序列化を壊さねば。
1970年代、朴正煕政権が駆使した社会統制システムを国家動員体制と呼ぶ。国家動員体制は大衆の同意を動員するやり方で、国家独裁を正当化する。代表的なものがセマウル運動だった。1970年代、国家動員体制の核心であったセマウル運動と2000年代後半の韓国社会を熱くさせる多文化主義熱風は奇異なことにも似ている。第一に、徹底して国家主導で進行している。第二に、対象にする大衆の力量強化と社会統合を強調するが、実際に起こっていることは、分割統治(divide and rule)のための内的分裂と社会的排除だ。第三に、当事者たちの主体的自立性は決して許されない。
セマウル運動の理念と組織は、徹底した国家主導によって上から下まで伝播し拡散した。このような理由で「セマウル運動という名前で進行されたすべての事業は権威主義的で戦時行政的」だった。しかし名目的な水準では大衆の自発的参与を受けなければならないから、「大衆動員的」性格を帯びた。多文化主義も同様だ。
■いきなりの多文化主義旋風
韓国は反移民国家だ。世界でも例がないほど同質化の圧力が強い社会であり、「純血」に対する脅迫をそもそも持ち、前近代的な人種主義が作動する社会だ。さらに多文化主義は、ヨーロッパとアメリカで退潮している政治哲学だ。それにも関わらず、韓国社会で多文化主義は大流行している。わずか2〜3年の間に驚くべき速度で主流壇論になってしまった。すなわち国家が主導しているからだ。韓国での多文化主義は2006年にいきなり社会的議題に浮上した。決定的な契機は、盧武鉉前大統領が提供した。2006年5月に開催された「第一回外国人政策会議」で、盧武鉉前大統領は「多文化‐多民族社会への転換」を、逆らうことができない時代的な課題として提示した。以降、それぞれの自治体を包括する政府のすべての省庁は「漂流と過剰」という批判を気にかけることなく、関連制度と施設の取り合い競争に飛び込んだ。
しかし、国家が主導する多文化主義は虚構的で矛盾した効果以上を出せなかった。国家は、国家統合性が毀損されないという前提の下でしか、異質的な少数者集団を受容できないためだ。これは、国家の立場からは少数者たちの「包接」と「排除」という、相反する作業が、一貫した統治行為の一環として遂行されるという意味だ。血統中心の偏狭な国民主権概念を固守する韓国の場合、このような問題は、より露骨な形態で現れる。
一方では多文化主義を唱えるが、他方では自分たちが支援してきた「多文化」活動家を容赦なく逮捕しなければならないことが、韓国多文化主義の現実だ。2009年10月23日、ミヌ〔ミヌ氏は、ネパールから韓国へ来て、移民労働者の組合活動をはじめ様々な活動をしていた。2009年に強制送還される。――訳者〕に起こったことだ。「多文化社会で移住民の人権保護と増進」のために「ソウルガイドライン」が公表された2008年11月12日、マソク公団では法務部〔法務省に相当――訳者〕と警察職員280余名が投入された「人間狩り」式の合同操作を通じ、130余名の移住労働者たちが捕まえられた。その中の5名は深刻な怪我をした。
国家主導多文化主義の疑心的両面性は「多文化」という象徴へ対する「大衆の同意」を動員するやり方で正当化される。「多文化」という象徴が、大衆の内面に親密な日常性として接近する過程は「セマウル精神」が内面化された過程と似ている。セマウル運動は大衆媒体と学校教育、そして国家が指定した85の社会教育機関を積極的に活用した。国家主導多文化主義もまた同様だ。1990年代の10年間、多文化と関連した記事件数は235個に過ぎなかった。それが意味するように、多文化主義が公論化された翌年の2007年には、一年だけで、2万7894件に急増した。2008年には3万6778件にさらに増えた。公益広告を通して多文化社会は「愛する気持ちもより大きくなる社会」として褒め称えられた。多文化師範学校が指定され、多文化教育センター、多文化福祉センター、多文化家族支援センターなど、全国的に数百箇所の「多文化」関連機関が設立され運営された。法務部が指定した「ABT」(Active Brain Tower)と命名された「多文化社会統合主要拠点大学」だけでも20箇所あまりにいたる。この機関を中心に「多文化専門家」、「多文化福祉師」、「多文化専門相談員」、「多文化指導者」などと呼ばれる専門家集団が促成・養成され、数多い擬似資格証が乱発された。多文化を主題とするさまざまな行事と講座には、ボランティアと受講生によって、足を入れる隙間もない。
セマウル運動のまた違った特徴は、名目的には農民層の自己力量強化と社会統合を目標としたが、実際には農民層に対する自発的接近を通し「農民層を分解」させ、国家統制に従属させる結果を出したという点だ。セマウル運動は、零細農民には、むしろ農村を出ざるをえなくさせた構造的強制として作用した。ある月刊誌は、当時の状況をこのように描写する。「1960年代前半には農村人口100名中13名が“古い村”を出て行ったが、1970年代後半には、年毎に37名が“新しい村(セマウル)”になった農村から追われた。」この点でもやはり、多文化主義はセマウル運動に似ている。零細農民が「セマウル」から追われたように、移住民もまた“多文化村”を作るという名目で推進される開発プロジェクトによって自分の生の基盤から追われていく世の中になっている。「多文化特区」に指定された」安山市ウォルゴク洞一帯が代表的だ。人為的な開発プロジェクトは移住民の生をさらに不安定にさせるだけだ。
■第二、第三の「ミヌ」たち
韓国の多文化主義は、故意に移住民の社会統合を目標にしているが、実際には典型的な分割統治のやり方で移住民共同体の内的分裂と人種的序列化を助長している。多文化主義によって先進国出身移住者と開発途上国出身移住者、ビザ所有者とビザが切れた者、韓国国籍を取得した移住者と非取得移住者の間の境界と位階は、より厳格にはっきりしていく。移住民共同体は「選別的包容」と「暴力的排除」の対称に明確に分離される。この過程で「韓国民族」もまた第一世界居住エスニックコリアン、南韓人、第三世界居住エスニックコリアン、北韓離脱住民などの順で、「人種的に序列化」される。
多文化主義という名前で行われている過酷な社会的排除と差別の最大の被害者は未登録移住労働者たちだ。移住労働者たちは韓国の移住民のなかでもっとも規模が大きい集団だ。2009年1月現在、韓国では64万人の移住労働者が存在する。そのなかで約27%に該当する18万人余りが未登録移住労働者たちだ。かれらの90%は韓国人が忌避する「3D」業種で勤務する。内国人労働者の40〜50%の賃金で、一日平均11時間から12時間の仕事をする。2007年の移住労働者の自殺率は1.01%であり、韓国の労働者全体の自殺率である0.72%より、かなり高い。かれらは「国内労働市場を補完」するだけでなく、重要な製造業の生存に絶対的な寄与をする、韓国社会に必須的な存在だ。
しかし、韓国社会の移住労働者の大多数は人権と労働権の死角地帯で「一過性労働者」と「不法人間」の間の選択を強要されているのみだ。「在韓外国人処遇基本法」(2007)、「居住外国人支援条例」(2007)、「多文化家族支援法」(2008)など、2006年以降制定された一連の移住民関連法令からも、未登録移住労働者たちは完全に排除されている。出入国管理法改定を通じて未登録在留者に対する捜査および強制退去政策は、さらに強化された。軍事作戦を彷彿させる毎年末に定期的に実施される未登録在留者合同捜査を通し、数多くの「ミヌ」たちが強制退去になる。2007年の一年間だけで、2万2546名の移住労働者が捕まえられ、その中の1万8462名が強制退去となった。大部分の捜査班員は私服だ。身分証を提示したり、同意や許諾を求めることもほとんどない。かれらの79.5%が手錠を使い、4.5%は警察装具を使った。電子衝撃機と網が出る銃を使ったことも2.9%に達した。その過程で、2003年以降だけでも、実に100余名の移住民たちが死亡した。
「国家官僚」が主導するセマウル運動の過程において、農民は「実質的主体」ではなかった。農民の自助的民主主義が強調されたが、農民の「自律性」は保障されなかった。韓国の多文化主義の最大の特異性は、すなわちこの点と関連している。韓国の多文化主義には、移住民の立場が全然ない。移住民には、いかなる主導的な役割も許容されていない。韓国で多文化主義が公論化されえた決定的な要因は、移住民の人口の増加だった。1990年に5万余名に至らなかった外国人人口の規模が、2007年には106万余名まで増えた。全体人口の2%を上回る規模である。この時期前後に、「多文化・多民族社会への転換」という問題意識が全社会的議題へと拡散されたのだ。
しかし、多文化主義の壇論で移住民自身の声を探すことは難しい。すべてのことは、韓国人だけで決定する。そのやり方で画一的な(すなわち反多文化的な)多文化の規定、資格、基準、マニュアルが作成された。移住民は「温情と憐憫」、「教育と相談」の対象であるだけで、決して文化的主体として尊重されることはない。移住民たちにはまたちがった両者択一の選択肢だけが強要されるだけだ。韓国人によって主導される多文化主義を許容するのか、あるいは拒否するのか、この二つのうちの一つだけが可能なのだ。そのように、一つの外的な強制になってしまっている多文化主義は、「多文化」という名前によって多文化の主体を排除し除外する。自分たちの切迫した現実的な欲求を無視し、自分たちの存在を歪曲する韓国の多文化主義に対し、異住民たちは冷笑的な無関心と沈黙によって対応する。
国家動員体制としての韓国の多文化主義は、「多文化社会」という言葉が連想されるさまざまな価値とは、なんら連関性がなく見える。多文化社会は伝統的に公約不可能と思われていた「多文化平等」という価値の調和を追求する社会だ。「違い」を理由に差別せず「平等」を理由に同化を強要しない社会、言い換えると、社会構成員が、それぞれの個性と文化的全体性〔アイデンティティ――訳者〕を享有でき、平等な権利と義務を共有する社会が多文化社会というものだ。いわば、いかなる多数集団(と、かれらの全体性あるいは文化)も、「普遍(標準)の地位」あるいは「主流の権威」を主張できない社会が多文化社会だ。もちろんこれは決して易しいことではない。「中心」と「標準」、「主流」と「多数」の衣装を着た既存の認識枠と制度、そして全体性に対する省察と批判、そして最構造化が要求されるのだ。その核心には民族国家を再規定する問題が占めている。構成員たちには人為的同質性を強要し、少数者には恣意的自発を行わせる「標準化された権威」の根幹の拠点が民族国家であるためだ。
韓国の多文化主義は民族国家を再動員しているという点で、多文化社会を追及する哲学であり政治志向であり問題視式である展望としての多文化主義とは画然と区分される。韓国の多文化主義は「国家が追求する目的実現のための行政および政府組織を最大限活用し、国民を動員し参与させる政治」的なスローガンであるだけだ。国家が主導する韓国の多文化主義は、偽善と矛盾を正当化するために積極的なやり方で大衆の同意を動員する。大衆に多文化は身近な日常として内面化されたが、じっさい多文化社会の主体だと言える移住民共同体は内的に分裂され、韓民族の人種的序列化が構成され、移住民の自己決定権と生の主導権は、さらに脆弱になる。
多文化主義という名前によって、1987年以降は衰退したものとして評価される国家動員体制が再稼動された理由は、果たして何なのか?セマウル運動がそうだったように「政治・社会・経済的危機を管理し統治体制の安定性を維持しようとする目的」であることは明らかだ。もし、多文化主義を再稼動している国家動員体制として理解するなら、多文化主義に対する私たちの評価と態度は修正されなければならない。韓国の多文化主義か見せてくれる偽善と矛盾の分裂症は、ヨーロッパ的理念と概念に依存しては理解することが難しいだろう。しかし国家動員体制の脈絡においてなら、それは、限りなく正常的な国家統治術の一環であるだけだ。国家は私たちに「多文化主義」を「強要」している。全国家的であり、全社会的な水準で「多文化」は私たちの綱領になっている。私は決して多文化主義に反対しない。「多文化」という名前によって私たちすべてが同一化していくことがいやなだけだ。
おぎょんそく:漢陽大学校多文化研究所、研究教授。同僚とともに『韓国における多文化主義:現実と争点』(はぬる、2007)を書いた。





小生、この地で3年がかりの懸案だったメーデーが具体化しつつあります。(妄想止まり)