グーグルの無料化戦略を深読みする

日本人には想像しにくい聖書の言葉

自身について語るのは気恥ずかしいが、私は厳格なキリスト教*1だった。なぜ過去形かというと、新生児洗礼を受け中学のときには堅信まで受けているクセして、離婚してるし結婚中は不倫の経験まであるからだ。いまでは教会にもいってないので、みっともなくて信者だとはとてもいいがたい。*2 ただ、父がとても厳格なキリスト者で、高校までは素直に従っていたから、どう否定してもやはりキリスト者としての考え方が染みついている。「それがグーグルの無料化戦略と、おまえの聞きたくもない生い立ちとに何の関係があるんだ?」といわれそうだが、まぁ聞いて欲しい。

アーミッシュファンダメンタリストといわれる人たちもそうなんだけれど、本来のキリスト教って毎日が修行みたいなもんで、小さなころから断食もやらされるし、質素倹約を常とし、神の意志のもとに犠牲をいとわず善行を隠れておこなうのが良いとされている。*3日曜日は必ず教会に行き、できなかったことや犯した罪を懺悔して、神父さまの説教を聞く。幼い子どもたちにはミサが終わったあとにも日曜学校がありシスターに聖書の勉強を教わる。もちろん人にはいわないがクリスチャンネームも持っている。こういっちゃなんだが、普通の人が考えているイメージのいいキリスト教と違って、現実のキリスト教カトリック)はとても厳しく辛い宗教だ。*4

カトリックでは本来、現世での名誉、地位、財産などは無意味とされていて、神の意志以外のものに価値を見いださず、神の国に召されることを至上の喜びとする。だから、どう考えてもアナーキーだ。そんな強烈な価値観に晒されて幼年期を送った子どもは、必然的に学校では周囲から浮いてしまう。だからなんとかみんなにあわせて目立たないようにしなくちゃならないけれど、頭の中では常に神父さまの言葉が渦巻いている。友人としゃべりながらも、自分はどうあるべきかなんかを自問自答しているんだ。*5 ちょっとコワイだろ。でもこれってどんな宗教にもみられる側面だともいえる。

平均的な日本の家庭環境に比べたら、ちょっと異常なぐらいの生活だけど、欧米にはこんな家庭環境がザラにある。だから普通の日本人がコッポラの映画『地獄の黙示録』を観てストーリーが難解なのは、生活のなかにキリスト教という土壌がないからだともいえる。
で、だ。上記に書き連ねたような環境に育った私だからこそ、『ウェブ進化論』を読んでグーグルの考え方を知ったとき、スグに聖書の言葉が浮かんできた。それは「明日の糧を思い煩うなかれ。空の鳥を観よ。蒔かず刈らず、神に生かされている」という一節だ。

やっと本題

いつも参考にさせてもらっているアルファブロガーである分裂勘違い君劇場Web2.0は自殺し、ゾンビーになって徘徊するから、またもや引用させていただくと...*6

独占によるうまみは、富1.0などより、Yahoo、Google楽天Amazonといった現代のIT企業のほうが巨大なのだ。 ・・・中略・・・ なぜなら、ITビジネスにおける独占は、人類がいままで経験したことのない爆発的な富の噴出源となるような、異質の独占となるからだ。

とある。

この「異質な独占」はサービスを無料で一般開放することでカテゴリーキラーとして君臨し、その後の成長した市場を一挙に独占する手法だ。それはまるで競争相手が降りるまでベットし続けるギャンブラーにも似た行為であり、たしかに投資家の狙いはその通りかもしれない。だけど検索エンジンとサイト評価のアルゴリズムを考え出した当時、学生だった2人のGoogle創始者はそう考えていないかもしれない。....なぜなら「世界政府みたいなものが、もしあったとするなら...」というその前提を口にすること自体に、私は隠された意図を感じずにはいられないからだ。

「明日の糧を思い煩うなかれ。空の鳥を観よ。蒔かず刈らず、神に生かされている」という聖書の一節は、キリスト者にとって馴染みのあるポピュラーな一節ではあるが、同時にまた、とても解決しづらい難しい矛盾点を突きつけてくる。

現代に生きる私たちはどうしても「働かなければ食べていけないし、生活していけない」部分が、多少なりともある。聖書の言葉はもしかしたら真実なのかもしれないが、野生に生きる生き物たちのように、何もかもを自然任せ(神任せ)に生きられるワケではない。当然、雨風から身を守る家や身を飾る服も必要だし、妻子を養うための蓄えも持っていなければならない。だからこそすべてを放棄した神父さまが尊敬されるし、マザーテレサを支援する人々が集まるのである。そしてできることなら、キリスト者はそんな風に生きることができればと心から願っているんである。

イワン・イリイチの『シャドー・ワーク』にも指摘されているけれど、日々の小さな雑務、食事の用意やワイシャツの洗濯、子守り、親切心や暖かい気持ちからする老人の世話、自宅前の掃除といった、本来は仕事じゃなかったものをビジネスにし、産業化することで近代社会経済はGDP成長率を伸ばしてきた。また、本来ならば人がモノを購買するときの意思って、個人の頭の中や心の中に生じる自然な欲求のはずなのに、『広告』というものが無理矢理それをマスの力を利用して増幅し、強化させ、新たな欲求を生みだしている。広告代理店にいわせれば「新しい市場を創造している」んだろうけど、スエーデンの中学生教科書『あなた自身の社会』を著したメンバーにいわせれば、広告によって不必要なまでの所有欲を煽られているってことにもなる。ところがGoogleが企業として利益を得ている部分の『広告』は、マスではなく個人が知りたい情報へのアプローチとして生まれる結果への「アドセンスやアドワード広告」が中心になっている。そしてその他、諸々のサービスはすべて無料だ。これからも無料もしくは無料に近い低価格サービスを次々と発表していくだろう。

所有権と紛争

『広告』という業態だけを考えていただいても理解できるだろうが、できあがってしまったシステムは「所有権」で守られている。つまり権利なんだけど、その権利は誰のモノかといえば、個人には帰属していないはずだ。なのにある特定の人間がそれを、さも当然のように権利を主張して、そこから利益を得ている。だからこそ、権利は常に紛争を生み出す。

アフリカがいつまでも途上国なのは、いつまでも所有権争いが絶えないからだ。お金になる地下資源、石油や宝石はもともと誰のモノでもない。アフリカ人は基本的に「所有権はいつ、誰に移ってもおかしくない」と考えている部分がある。蜜を溜め込んでいるハチの巣、木になっている熟した果物は発見者、持ち帰った者に権利がある。彼らはキリスト教に無理矢理改宗させられているだけで、土着の宗教観を完全に捨てたわけではない。だからこそアフリカ系移民が多いアメリカは停電が起こっただけで、暴動とともにお店が襲撃される。*7

私がいいたいことが少しはご理解いただけただろうか? 紛争は所有権が「ある特定の個人が独占している」から発生する。ならばすべてが無料なら紛争は発生しようがない。世界政府が想像できているグーグルは、本気でさまざまなサービスを無料化していくはずだ。そういう意味から考えれば、ある種の確信犯だといえる。そしてこの確信犯はかなり手強い。なにせ自分が正義だと信じ切っているからね。また宗教的な信念に基づいているからこそ「狂気の力」を発揮し続ける。もしかすると、あわてふためく資本家たちはグーグルに怯え、ブラックマンデーを再来させるかもしれない。そのときの犠牲を想像するとかなり怖いんじゃないだろうか。この個人的な深読みが杞憂に終わることを祈るばかりである。

追記: 誤解しないでね

ここまで読んで、私のことを素晴らしい人格者だと思うのは大間違いだ。どちらかといえば反動が起きたクチだ。小さなころから聖書に親しみ、考え抜き、影響を受けているが、聖書の言葉通りに行動できたことなどほんの数えるほどだ。万引きしたこともあるし、ケンカに明け暮れていたときもある。左の頬を先に打たせこそするけれど、何倍にもしてお返ししていたんだからタチが悪い。
  

*1:カトリック/カテドラル派

*2:父の死に際して、神父さまに告解の秘蹟をしてもらうときはちょっと躊躇った

*3:できる、できないは別にしてだ

*4:厳し過ぎるからこそプロテスタントができたんだよん。ちなみにプロテスタントは牧師さま。世帯も許されるし、働くことも認められている

*5:もちろん夢のなかでも

*6:これができるのが嬉しくて「はてな」にブログを開設した

*7:オープンソースを支える3部作/第2部「ノウアスフィアの開墾」を参照してほしい

中国人の人的パワーに日本は勝てるか?<後編>

日本の強さの源

たとえばヨーロッパ、とくに海を隔てた隣国であるイギリスが大嫌いなフランス人から、日本人はどう観られているかというと「ひたすら真面目に働いて、これといった楽しみも持たず、何のために生きているのか?」程度の認識だ。自国が世界における文化の中心地だと信じきっている彼の国は、ただただプライドが高いので極東の島国が経済大国であっても、アメリカの植民地くらいにしか思っていない。全国民が長期休暇/バカンス*1をとるので、おまえたちももっと休めよといいたげだ。

またフランスはいまでも中世の景観が保たれているのが、ひとつの強み、特長となっている。石造りの建造物が多く、ローマ時代の遺跡もそのまま残っているので、内装を変えるだけでこと足りる。だからインテリアデザインやリフォームがとても上手だ。家を建てる費用が内装代で済むから、バカンスにでかけられるのである。

その点で日本は、瀬戸物と土と木と紙でできた住居なので、天変地異に弱い。弱いというより、雨が多く湿度が高い上に、地震や台風、火事、洪水に絶えず見舞われる風土なのだから仕方がない。本来、日本人が真面目なのは天変地異に備えなければ、生き残れなかったからだ。

赤道直下の国々の人は働かない。ラテン系も働かない。ヨーロッパ人もバカンス中は働かない。中国とロシアは絶えず小さな内戦続き。だから日本が経済大国になれたのだ。優秀だからではない。天変地異に対する危機感が「勤勉さ」を生みだし、天変地異への備えゆえに「貯蓄高世界一」なのだ。技術立国だ、製造技術世界一だなんて浮かれて勤勉さを失ったら、あっという間に地べたに落ちるのだよ。ゆとり教育の失敗がいい例だ。

#ちょうどいまの日本は、30年前のフランスが直面した人口減少問題にぶつかっている。30年前のフランスも人口分布が「釣り鐘型」だった。それを移民で解決した。だからサッカーのアンリ選手はフランス人。フランス国内でも問題がないわけではない。移民で解決すると根深い差別問題が残る。

イギリスvsフランス、日本vs中国

イギリスとフランスはとても仲が悪い。ともに相手の国が大嫌いだ。だけどそれほど大きな経済格差がないので、いつも相手国を皮肉の対象にへつりあげる程度で終わる。で、その地理的位置を裏返したような日本と中国だが、2国間の所得格差はいまのところ大きい。だからこそ中国は日本を徹底的に非難する。親日家の中国人教授によると、これはコンプレックスの裏返しであるという。生活レベルで中国は日本と肩を並べたいのだけれど、まだまだ差が大きい。これが癪に触るから<怒り>の表現になるのだそうな。中国の生活レベルが日本並になったら、もっと仲良くなれますといっておられた。んー、そういわれれば、なんとなく納得できる気もする。

リサイクルに見るブラジル式に、興味津々な中国

アジアでは中国だけでなく、インドやベトナムの台頭も著しい。インドの活躍ぶりは『フラット化する世界』で詳細に紹介されているからココでは書かないが、ふと目を南米に向けてみるとブラジルも赤マル急上昇中だ。そしてこのブラジルで大成功を納めているリサイクルプラントに、中国がとても興味を示している。

ゴミのリサイクルは先進国にとっても頭の痛い問題でもある。ヨーロッパではドイツがリサイクル先進国としてよく話題にのぼる。だが、これは生真面目なドイツ人だからできるのであって、他の国にはなかなか浸透していない。そんななかでブラジルが発表したゴミのリサイクルプラントは、貧民窟の住民にゴミの選別を仕事として与えるシステムだ。人がやるからとても正確で、不純物の混入が少ないから資源として再利用ができる。国としては生活保護層の人々に仕事を与えられるので都合がいい。そしてもっといいのは、先進国のゴミを有料で受け入れることができるのだ。ニューヨーク州などはゴミを埋め立てる場所に困っているから、朗報でもある。これにいま中国は興味を持っている。なんせ人は売るほど&腐るほどいるからだ。

ここでもやぱり、人が多いというのは国としての武器になることがわかる。人は最高のセンサーであり、精密機械である。それに余談となるが、中国はいまだに死刑が大手を振る国だ。日本では刑務所に入っている犯罪者一人あたりの経費は年間400万円を越える。*2これが一切費用としてあがってこない。なにせ判決がでれば、すぐ死刑執行されるから。また獄中死も多い。人が多いと命も軽い。これも強みになっていく。


『メディア探求』という切れ味鋭いブログ記事にAmazonと機械仕掛けのトルコ人(前編)というのがある。

AmazonMechanical Turkというけったいな名前のWebサービスを始めたという。Amazonの説明を要訳すると...

 わが社はコンピュータを使って複雑なソフトウェアを開発してきたが、いまだに人間なら子供でもできるのに、コンピュータにはできないような作業がある。例えば、ある写真の中に人間が映っているかどうかを見分ける作業とか。今までは人間がコンピュータに仕事をさせてきたが、立場を逆転させ、コンピュータが人間に仕事をやらせてみてはどうか?プログラミングのプロセスに人間を組み込んでしまおう。

つまりコンピュータが苦手とするような作業を人の手を借りてやろうというもの。アプリケーション開発者にとっては、煩雑な手作業を世界中のPCユーザーに外注できPCユーザーにとっては空いた時間を利用して小銭を稼げる。Amazonはその仲介料を抜くって仕組みだ。(中略)

まあともかく、ヒマな時間を利用して小遣いを稼げるなら自分もやってみるかと思いきや。おい!作業1つにつき報酬が3セントって安すぎないか?ある体験者によれば、3時間やって報酬が5ドルだったとかいうから、マクドナルドの時給の何分の1だ?アメリカでは「悪徳商法(scam)だ」とか「奴隷制だ」とかユーザーから反感かってるようだ。
でも、この仕事が発展途上国の月収2万円とかのPCユーザーにも開かれていることを考えると、ちがった景色が見えてくる。この「ITにより洗練された内職斡旋サービス」が世界の労働市場を大きく変えるほどのインパクトを秘めている気もする。(中略)


この記事を読んでいると、日本が有利になることが何も思いつかなくなる。アメリカもまたそうだろう。アメリカ人がいくら上流階級のコロニーを造っても、裏口から有色人種の家政婦や使用人が出入りしないと生活が成り立たない。かといって、何もかも自分自身でやろうとすれば、人は昔のような穏やかだけれど不便な生活に戻らなくてはならない。それはどう考えてもムリがあるだろう。

産業革命が起こり、専業化が進んでさまざまな生活の利便性を高める商品やサービス、社会的インフラが手に入った。だがそれは、市場の見えざる手がいつまでも資本主義に友好的だという証にはならない。ミクロでは良かった経済政策が、*3マクロから観れば至るところに、ほころびが見え隠れする。*4そろそろ真剣に日本の未来を考えないと、おそろしい結果が待っていそうなのである。


できれば『分裂勘違い君劇場』の世界に一つだけじゃない花も参考にしてほしい

そして、その闘争を勝ち抜くための、もっとも効果的な戦略は、命を使い捨てにすることだ。
命というのは、いくらでも簡単に再生産可能だからこそ、強いのだ。
とにかく、いくらでも命を量産して、物量で敵を圧倒する。仲間が何万人死のうが、その屍すらも平然と食らい、さらなる命を量産する。
シューティングゲームにおいて、残弾数を気にせずに、いくらでも撃ちまくれる銃を持ったプレーヤーが圧倒的に強いのと同じ理屈だ。一つ一つの弾(=いのち)を惜しんでいたら、この闘争に満ちた世界では、あっというまに絶滅するだけだ。

*1:2ヶ月くらい働かずにただ遊びほうける。これがなければGDPはもっと高いだろうが、バカンスのために働いているのも事実。

*2:ヘタな中小企業の課長クラスよりお金が必要なのだ。ニートが何万人だと騒ぐよりコレを問題にしろ!といいたい。

*3:とくにニューデール政策という崩壊した政治手法や、スクラップ&ビルドといった大量生産/大量消費スタイル

*4:そのマクロも時を経ることで、またミクロになったりするから面白い。タオでありフラクタルである

集まる意義

子どものころ、NHK/教育テレビで流される科学特集番組が大好きだった。

そのなかでも強烈な記憶に残っているシーンがある。そのシーンがモノクロだったのか、カラーだったのかさえ記憶は曖昧だが、危機に瀕したアメーバの集団行動の見事さ、不可思議さ、なぜ?という驚きはいまだに鮮明なビジュアルとして残っている。

通常、アメーバは単細胞生物の代表みたいに、ちょくちょく科学番組に出演する。たった1つの細胞なのに周囲のバクテリアを補食するし、排泄も行う。その上増殖までする。実に観ていて飽きない原始的な生物だ。だが、その日に観たアメーバは環境の悪化による食糧事情の危機に直面する。すると不思議なことにアメーバ同士が集まりだし、ついには1匹の巨大なイモ虫に変身する。*1

そしてさっきまで単細胞生物の代表みたいだったヤツらが、各自てんでバラバラ、自由に振る舞うのをやめるのである。その行為すら不思議なのに、集合し1匹のイモ虫に変身したコイツは、もっといい環境を探して、1匹のイモ虫になったまま移動し始める。*2意外な成り行きに、驚きズッコケている子どもだった私の予想を裏切り、さらに選ばれた次世代へ命をつなぐ自分たちの卵というか、胞子へと変身した一部の仲間を詰めたカプセルを創り出し、今度はまるで植物のごとく上へ上へと伸びていくのだった。3度ビックリである。

いまではこの生き物が変形菌(Dictyostelium discoideum)だと知っているし、変身したイモ虫姿を「グレイス」と呼ぶことも知っている。*3この「グレイス」という名前のイモ虫はまるで独立した1匹の生き物のように、感覚を持っていて熱や光を関知し、時速1mmという猛烈なスピードで、ごくわずかな明かりを求めて2週間近くも這い続ける。そして植物状に変身するときも、同じように移動してきた他の「グレイス」との距離を適切に調整し、もっとも効率よく胞子をばらまけるように変身するのである。

バラバラに行動するアメーバが環境の悪化を知り、他のアメーバたちに声をかけ、社会的行動にでる一番最初のきっかけは、まるでフェロモンやホルモンのような細胞間に伝播する化学物質だということが、いまでは判明している。なお、このアメーバが発した「細胞間に伝播する化学物質」はどんな生物も持っている成分だそうだ。

集まるということの意義

もし個々の能力を超えた大きな社会的意義のあることを成し遂げようとするなら、

  1. 個々のコミュニケーションを呼び合うきっかけとなる1つの提案*4
  2. 集合体となり方向を関知する感覚
  3. 全体像としての計画を参加者すべてに知らしめるネットワーク

がしっかりしていれば、善意の個が集まる意義がキチンと見いだせるのではないだろうか? 


死にかけたじいさん(金持ち父さんのなれの果て)のいうことは正論だ。制度に守られた医者のいうこと、旧泰然の教育システムに守られた先生のいうこと、議員を含めた公務員のいうことも正論だ。
だがマクロに観てごらん。その正論を認めたままでいると喰い殺されるのは弱者である若者や貧乏人だ。戦争が起きて「罪のない女子どもが死ぬ」のは誰でも理不尽だとわかる。しかしいちばん真っ先に数多く死ぬのは若者と貧乏人だ。ニート精神障害では逃げ切れない。ましてや選挙へ行っても変わらない。2チャンネルに集まったって生き残れない。そのために『学習高速道路/企画とプレゼン手法』という学習情報開示のブログを作ってる。変えられるのは危機意識をキチンと持った「個である自分」を確立できた人だけだ。無意識な人がなにげに集まっても意味はないし、変革を起こす力も持たない。...と思う。
 

*1:イモ虫というのも矛盾している。蝶には変態しないのだから。なので生きたソーセージ?みたいな1匹の生物と考えてもらった方がいいのかもしれない。

*2:まるでマンガだ!

*3:巨大なイモ虫と思っていたのは、実際は2mmの大きさだということにも驚いたけど...

*4:その後の指針となるミッションを含む

中国人の人的パワーに日本は勝てるか?<前編>

テレビで観た中国のモノクロ衝撃映像

その昔、仕事場で撮影中のカメラマンに話したけれど、信じてもらえなかった話をしよう。中国の英雄とされている毛沢東は、共産党を組織し中国全土を1つの独立した国家としてまとめ上げる革命を起こした。革命は成功したのでつぎは『大躍進政策(Great Leap Forward/1958.59年)』を打ち出した。第一に食糧増産を図るため「スズメ撲滅運動」を中国全土に発令した。驚くべきはそのスズメの捕獲方法だ。

日本の古典落語には「酒に漬けた生米」でスズメを酔わせて掴まえる話があるが、中国はなんと全国民が力をあわせてスズメを追いたて、地面に着地できないよう追いかけ回したのだった。まずここでカメラマンは「ホントかよ」と、のたまわれた。

私は実際の映像を観ているから、その結果についても続けて話した。何百台も続くトラックに山積みされたスズメ、スズメの死骸。笑顔でその成果を喜ぶ中国の人、人、人。カメラマンは仕事の手を休め「んなワケないだろ」と言い張る。私はその後の話を続ける。
農作物を食い荒らすスズメは悪者だとして、毛沢東が命令した「大量捕獲作戦」は成功したけれど、その後スズメがいなくなったことで害虫が大量発生し、農業生産は大打撃。未曾有の大飢饉をもたらし、4年間で3800万人の人が餓死したと...。

「それだけじゃないぞ、観た映像は」といいながら、中国での運河工事のようすも話し出す。まずは運河そのものの形に数え切れないほどの人員を配置する。配置された人々は手に手にクワや鋤を持っており、運河になる予定の川上から少しずつ流される水とともに、足下の地面を耕し、後ろへ廃土を廻していく。足下の土が泥となって後ろへ流して行くから、当然穴は深くなっていく。運河を造るにも莫大な人力があれば、ブルドーザーもトラックも必要としないという、恐るべき光景だった。

カメラマンは「余計に信じられんな」という。私は「観たんだから仕方がないだろ」と、まるで丹波哲朗にようなセリフを発するしかなかった。カメラマンからはただのヨタ話として扱われたが、この話はここで終わらない。話はしなかったが映像にはまだ続きがあったからだ。

先進国に遅れまいとアメリカに視察にいった毛沢東は、各方面で手厚い歓迎をうけ、そのときに聞いた「鉄は国の主食」という「建築資材や造船、設備投資機械に利用される粗鉄の生産量が国の力を計るバロメーター」だという経済学者の言葉を鵜呑みし、またもや世界に中国の威信を知らしめるために、鉄の大増産を発令する。

まだそのころの中国は『農業立国』だったので、鉄の需要はそれほどない。だけど中国全土にある古くなった鉄製品から、地面に落ちている釘、缶詰、川で採れる砂鉄、etc...。とにかく何でもかんでも溶かして(そのため膨大な森林の樹木を燃料として切り倒した)鉄の生産量を世界一にした。

#私が映像として見たものは、大勢の農民のこどもたちが磁石を引きずり、落ちている釘や空き缶を喜々として集めている姿と、丸裸にされた山、山、山の無惨なありようだ。

「鉄の生産量を世界一」の実績をもとに毛沢東は、自信たっぷりにアメリカへ鉄の輸出を打診する。が、米国担当輸入業者から返ってきた言葉は「これは粗鉄ではなく、不純物だらけのクズ鉄の塊だ。資材としてはとうてい使えない」だった。

観てないけど又聞きのスゲー話*1

あるアメリカ人ビジネスマンが中国に企業誘致でお誘いを受けたときの話だったと思う。たしか、用地か用地につながる道路近くに大きな山があって、視察にきたアメリカ人ビジネスマンが「山が邪魔で企業用地に向いていない」と指摘し企業誘致を断った。すると中国側の役人が「じゃぁ、あの山をなくしましょう」と近隣の農民に山をなくすよう指示すると、どこからともなく数え切れない農民が集まってきて、クワとザルとを利用しわずか3ヶ月(だったと思う)で山を削って平地にしてしまった。重機やダイナマイトを一切使わずにだ。

その後、工場を建てると今度は、仕事を求めてたくさんの中国人が集まってきた。最初は200人ほど雇う算段だったのに、1000人以上の人が工場の前に並んだ。はじめての現地採用で手間取っているうちに、1000人は2000人になり、2000人は5000人になり、そのうちにとうとう数え切れなくなり、ついには工場周辺で待っている中国人農民の糞尿が臭ってくるまでになった。

...中国がどうとかいう前に、やはり「たくさんの人がいる」ということは、一つの力だということがご理解いただけるだろうか? ヨタ話ではない。いまの日本では想像しにくいだろうが、想像してみて欲しい。実際の映像をみていない、いまの人たちに、この恐怖がうまく伝わらないのではないかと危惧する私がいる。

*1:『ワイルドスワン』で読んだのか、正確な出典元がわからないけれど...

基本となる3つのミッション

1. 権力腐敗してしまうNPO/NGOなら、最初からやらない方がマシ。

ゴミを減らす努力より、まずゴミを出さない意識の方が、よほど大切。
集まる知恵、集まる賛同意見、集まる善意、集まる寄付が活きる組織のあり方を考え、透明性を遵守できるシステムを第一に!

2. 税金からの助成金や寄付だけではない、第3の収入源の構築

寄付は受け付けてもいい。だけどもらい乞食じゃ意味がない。
また寄付した方もいたたまれないだろう。
まだ顕著化していない新世代ビジネスや『井戸の掘り方』につながるビジネスを柱に成長させよう!

3. コンヴィヴィアルなファースト・ソニーズ・キャビア*1を実現させよう。

これからのあるべき社会の姿として、よく『継続可能な社会』という単語が出てくる。
エコロジー/循環型社会/知的所有権をも考慮した、犠牲や我慢の上に成り立つのではない『ボランティア2.0』を確立させる!

*1:「1st Sony's Caviar」は完全な造語。別コラムで説明。http://ameblo.jp/rokilab/entry-10016732446.html

私たちには税金や寄付しか方法はないのだろうか

優秀なプログラマが集まり『オープンソース』でリナックスを創りあげたのなら、優秀なプランナが集まって『Web2.0的』な新しい形のNPO/NGOが創出できないものだろうか?

出発点は、ただただ単純な憧れ>もしかしたら嫉妬心?*1からはじまった。

そしてREVの日記@はてな http://d.hatena.ne.jp/REV/20060622 の中で、

四半世紀前の、http://blog.livedoor.jp/dankogaiの管理人氏は「人間のくず」だったかもしれないし、私はクズだ。
プランテーションの低賃金で支えられた東南アジアのフルーツを食べ、アフリカのコーヒーを飲み、アボリジニを皆殺しにして作られた農場で育った牛を食べる。マングローブを伐採して作られた生簀のエビを食べ、アフリカの餓える子供達への食料援助を横取りして購入した武器の輸出国を支援する新聞社や団体を放置している。殺人犯の死刑執行ボタンを押すこともしないし、妊娠中絶を考えるひとのところに行って、産みなさい、ぼくが育てます、なんていうこともない。劣化ウラン弾の飛び交う中東で産出された石油で作られた電気で、こうしてPCをカタカタやっている。
で、人間が、「人間のくず」でありながら、ちょっとマシな世の中にするために、税金を払い、社会に良心を仮託して、警察を維持し、海外援助を行い、救急車を走らせ、児童福祉を行なっているんじゃないかな。誰かがBlogをカタカタし、良い意見が広まり、みながより良い政治家を選べば、さらに世の中がちょっとは良くなるかもしれない。「人間のくず」の集まりでも、なんとかなるような社会の構築が理想だと思う。
と、そんな話に理解した。

と書かれているのを読んで、強く確信したことがある。「ニーズはある」と...

形なきものを形にする。アドバンスデザインを提示する。いま必要とされている<マーケティング→生産性→マネージメント→イノベーション>のサイクルをイノベーションから出発させる。

ならば、プランナがもっとも得意とする十八番のスキルじゃないか。....そう考えれば、できなくもない気がする。戸惑いながら*2も、第一歩を踏み出そうと思う。

*1:私はリナックスを創りあげたすべてのプログラマに嫉妬する。野口英世ルイ・パスツールにも嫉妬する。私だって身につけた技能で人々の幸せに貢献したいと願っている。

*2:自分の中でずっと仮説だったこと、長らく考えていたことを書いている。なぜなら「はてな」はちょっと敷居が高いような気がしていたからだ。はてなの便利さや先進性を理解はしていても、感覚的に自由自在というほどうまく扱えない。文章もヘタだ。常に手探り状態といえる。トラックバックという機能を雑誌などの用語説明で読んではいるが、いまひとつピンときていない。ココでも他者の文章を引用はしているがトラバはまだ付けていない。「自信がない」それが理由になる情けないレベルからの出発だ。>オヤジはつらいよ。