高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』レビュー

優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

・100字レビュー

マンガやゲームにかまけてばかりいて活字嫌いになりかけていた高校生の僕を文学の世界に引き留めた第1回三島由紀夫賞受賞作。大人気だった野球の皮をかぶせることで読者の気を惹く野心に満ちた疑似野球小説である。

・長文レビュー(約2,300字)


幼い頃からマンガを禁じられていたせいもあって、新聞少年として稼ぐようになった10歳の時から、バカみたいにマンガばかり読むようになった。

ほどなくしてそこにファミコンが入り込み、暇さえあればマンガやゲームにかまけてばかりいて。それでも中学に入ってから知った星新一寺山修司の本は好きで、いちおう活字少年ではあった。

とはいえ『ドラゴンクエスト』シリーズなど、ファミコンソフトの容量が増えるにつれてプレイ時間が長引き、さらにマンガもどんどん長期連載化する傾向が激しくなったため、活字を読む時間は減り続けていた。

でも10歳までは活字ばかり読んでいたものだから、そういう自分の生活に罪悪感を覚えるところもあって。そんな時に出会ったのが角川文庫『活字中毒養成ギプス』なる主に活字本を題材としたレビュー集である。

その冒頭で信じがたいほどの冊数を競いあうようにして読書の面白さについて語り合っていたのが、ニューアカデニズム略してニューアカの象徴とされていた批評家の浅田彰と、ポストモダン文学の鬼才としてテレビなどにも良く出ていた小説家の高橋源一郎だった。

それを読んで不審に感じたのは、難しいことばかり書く浅田彰は仕方ないにしても、どうやら読みやすそうな高橋源一郎の作品まで、国語の教科書や副読本の文学史にも出てこないこと。

そこでもしかするとこれは子供に読ませちゃいけない、マンガやゲームより刺激的な小説なのかもしれない、そう感じて行きつけの書店に一冊しかなかった彼の文庫本を開いてみたら、そこで大きな衝撃を受けた。

野球の本なのに殆ど野球と関係のなさそうな内容だったからである。しかもそれが有名な三島由紀夫の名前を冠した賞の第1回受賞作というのだから、一体どういうことなのかと。

すぐさま購入して読み進むにつれて、これは日本野球ではなく日本文学についての本だということに気付いた。

じゃあなぜわざわざ文学を野球に書き換えたのか。それはもちろん純文学より野球人口の方が多いからだろう。もはや日本文学は多くの日本人にとって大切な趣味ではなくなり、普通の人は読書より野球を観戦していたのだ。

もともと日本野球と日本文学には大きな接点があって、英語の「ベースボール」を「野球」に翻訳したのは、明治30年に俳句雑誌『ホトトギス』を創刊した正岡子規で、その誌上に連載されたのが夏目漱石吾輩は猫である』だった。

1988年発売の今作から13年後の2001年に高橋は、二葉亭四迷の言文一致から連なる日本文学史を題材にした小説『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞を受賞することになるが、『群像』連載の途中で胃潰瘍のため入院し、その経験も作中に反映されている。

漱石胃潰瘍の悪化で亡くなったのと同じ49歳だったことから、著者と同じ病室の隣のベッドに入院患者として漱石が登場する。亡くなる6年前の入院は「修善寺の大患」と呼ばれるほど重篤で、その体験は以降の作風にも大きな影響を及ぼしたと言われている。

またアメリカの作家フィリップ・ロスは、本作発売の13年ほど前の1975年に『素晴らしいアメリカ野球』なる小説を書いていて、高橋のエッセイによると、それが今作のヒントになっていたようである。

そのエピソードは漱石のデビュー作『吾輩は猫である』の元ネタが、ドイツの作家ホフマンによる『牡猫ムルの人生観』だったらしいのと同様、先進的な海外小説を日本風にアレンジした点においても酷似している。そしてそれは日本野球とアメリカのメジャー・リーグの関係にも近しい。

今はその野球人気もサッカーにとって代わられた感じもあるけれど、それでも野球中継の視聴率は高い。少なくとも小説家の冠番組が存在したとして、プロ野球中継に勝つのは難しいと思う。

それで野球の本と見せかけて文学について語る離れ業をやってのけた功績を讃え、三島賞が贈られたのだろう。

その頃もう村上春樹のベストセラー『ノルウェイの森』は話題になっていたが、彼が小説を書こうと思い立ったのは、野球観戦の途中だったと後に語っている。

その村上春樹が今テレビ番組の司会をやるなら野球に勝てるかもしれないが、海外でのスピーチが放映される他に彼が日本のテレビ番組に出演したことはないから、それはなさそうである。かといって高橋源一郎が司会をしても、本人も言うように書籍の売上は春樹の10分の1だそうだから、それも厳しい。

とはいえ春樹が海外にアプローチしている間に文芸誌の座談会や対談など、本来なら評論家が行うような仕事を長年に渡って行ってきた高橋の業績は、回ごとに攻守が入れ替わる野球のように、小説と評論の間を往復するものだった。どの場面においてもシュートを放てるサッカーと野球は根本的に違っていて、そういう意味においても一方的に書かれる文学は野球に近いように思われる。

とにかく当時は大人気だった野球の皮をかぶせることで文学に気を向けようとした作者の狙いは、僕のように離れつつあった読者の文学熱を再燃させることに成功したわけで、著者には今でも感謝している。

実は彼自身からしてマンガやファミコンにも精通していたことを知ったのは、ずいぶん後のことである。


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