『さらば脳ブーム』

一条真也です。

『さらば脳ブーム』川島隆太著(新潮新書)を読みました。
著者は東北大学加齢医学研究所教授で、いわゆる「脳ブーム」の立役者の一人です。
著者が提唱し、任天堂がゲームとして発売した「脳トレ」がブームを起こした大きな起爆剤だとされています。全世界で累計3300万本売れたというから、すさまじいですね。


                 「脳トレ」の川島教授、大いに怒る!


この脳ブームのきっかけは、1990年代の初め頃から立花隆氏や養老孟司氏といった「知」のフロントランナーたちがメディアを通じて展開した社会啓蒙活動にあるようです。
その背景には、90年代より日米欧の科学者と政府が一体となって推進してきた脳科学研究が、長足の進化を遂げた事実があるとか。
そんな中で、著者が仕掛けた「脳トレ」は生まれたわけです。
著者は、本書の「はじめに」で次のように述べます。
「最近の脳ブームの大過熱状態のさなか、研究者サイドからは、社会の側で活動をしている脳関連の研究者や知識人に対して、批判の声が続々と上ってきており、私の背中にも弾がどんどん撃ち込まれるようになってきた。本来、私は基礎科学の研究者であるが、一方で『脳トレ』のように産学連携活動を通して社会と関わってきたので、双方の立場が理解できる。お互いに面白くなく思っているであろうことは、想像がつく。科学に対する考え方、社会に対する考え方が全く違うのだから仕方がない・・・・・と私の理性は私に言っている」
でも、テレビをつけた時に最近良く見る「芸脳人」が、いい加減な脳の話をしているのを見ると、著者は黙っていられないそうです。
「この野郎! 研究者でもなんでもないのに、わかったような口で勝手なことばかり言いやがって!」と不愉快になり、チャンネルを変えたりテレビを消したりするそうです。



驚くべきことに、日本を代表する「脳科学者」として知られている茂木健一郎氏も、著者から見ると「芸脳人」だそうです。著者は、次のように述べています。
「実際、『脳科学者』と称することには、何の資格もいらない。脳に興味があり、本の一冊も読めば、あなたが自分を『脳科学者』と呼んでも全く問題ない。うちの嫁さんも、近所のじいさんばあさんも、皆『脳科学者』になれる。芸脳人が自らを『脳科学者』と呼び、テレビに出ようが、本を書こうが、誰もそれを咎めることはできない。それでも、学者とは言えない彼らが自らを学者と呼び、自身の商品価値を高め、通訳者としての活動を行うことは、養老氏や立花氏と比べるとひどく見苦しく感じる」
わたしは、この記述に非常に驚きました。この本は新潮新書から出ていますが、同じ新潮新書からは『ひらめき脳』とか『人は死ぬから生きられる』などの茂木氏の著書も出ており、しかも前者はかなりのベストセラーになっているのです。
もちろん著者同士の喧嘩に出版社は関与しないでしょうが、それにしても・・・・・。
しかし、茂木氏でさえ、ここまでボロクソに言われるのなら、あの「脳機能学者」などは、著者はどのように見ているのでしょうか。ちょっと、興味があります。



著者は、さらに続けて次のように述べています。
「本来、学者や研究者とは、人類に新しい知恵や知識をもたらす研究活動を主な生業とし、研究成果を定期的にレフリーによる査読が行われる学術雑誌や学会が主催する学術集会で発表している種族を指す言葉である。社会と学術の間を結ぶ通訳者をするにしても、研究者としての学術活動が最低9割、残りの1割弱の力を使って通訳者として働くくらいでないとインチキである。過去に一時、脳関連の研究施設にいたことがあっただけで『脳科学者』と名乗るのは、本来的にはおこがましい」
いやはや、なんともストレートな物言いですね。



でも、この著者、誰に対してもストレートに発言される方のようです。
ノーベル賞受賞者江崎玲於奈氏と利根川進氏に会ったとき、「江崎博士は『頑張りなさい』と言ってくれて、写真も一緒に撮ってもらいとても感激したが、利根川博士にはしっかり無視されて、なんだかな〜と思ったのを覚えている」と書いています。
また、養老孟司氏についても、「養老氏には一度だけ、講演で御一緒する機会があり挨拶したことがある。私が若輩者なのでしかたないのであろうが、すでに大先生(文化人)といった感じで、学者同士のコミュニケーションの作法は通用しなかった。まあ、率直に言って、あまり良い印象は持てなかったのは事実ではある」
これもまた、出版の歴史に残る超ベストセラー『バカの壁』を出している新潮新書の本でこんなふうに言われるとは、養老氏も複雑な心境でしょうね。



著者は、「芸脳人」にストレスを感じる一方で、週刊誌や著書の中で一連の脳ブームを「軽薄だ」と批判している研究者に対しても怒りを向け、「基礎研究ばかりしていて何も世の中のことがわかっていないくせに、わかったようなことを言うな!」と憤慨しています。
そう、著者は本書の中で、なんだか怒ってばかりいる印象があるのです。
それというのも、ここ最近、痛烈なバッシングを浴びてきたからでしょう。
自分を批判した人を一人ひとり挙げて、本書で反論したりもしています。
そして、最終章である第七章「さらば脳ブーム」の最後に次のように書いています。
「私が煽り煽られのせられた『脳トレ』ブームは、大膨張の時期のピークを超え、批判の声も吸収しながら、収斂が始まっていると感じている。これから5年後、2015年にも、『脳を鍛える』『脳トレ』という言葉が死語でなかったら、私の蒔いた種は社会に根付き、社会と共存できたということだろう。その時は、脳トレ批判をした連中に向かって、大きな声で『ざまあみろ! 私の勝ちじゃ!』と叫ぶことにしよう」
うーん、著者の恨みは相当に根深いようですね。
それはそうと、著者いわく、脳に良いことで一番間違いがないのは朝食をきちんと取ることだそうです。意外にも、超シンプルなところに頭を良くする秘密はありました!


2010年12月17日 一条真也

コラム(血縁)

一条真也です。

昨日、小倉でも初雪が降りました。今日も、非常に寒いです。
そんな中、新しい「中外日報」が送られてきました。
リレーコラム「時感断想」連載第3回目のコラム掲載紙です。
今回のタイトルは、「『家』意識失い『自我』肥大」です。


今年の夏、千葉県にある本家の法事に出かけました。
そこで、わたしの祖母の三十三回忌と伯父の十三回忌の法要が行われました。
本当に久しぶりに、多くの親族が集まりました。
なつかしい方々との再会に、さまざまな思い出がよみがえります。
「この人たちは、みんな自分の親戚なのだ」と思うと、家族がいっぺんに増えたようで、ものすごく心強い気分になりました。


法事の後は、みんなで墓参りをしました。
みんなで線香をあげて、みんなで饅頭を食べ、茶を飲みました。
それから、近所の寿司屋さんに場所を移し、法宴が行われました。
料理をつつき、酒を注ぎ合いながら、お互いに挨拶しました。
親戚のみんなと近況報告をしたり、世間話をしたり、とてもリラックスできました。
やはり、血縁というものは良いものです。親族たちと一緒にいて、わたしは祖母のこと、伯父のこと、そして遠い先祖たちのことを考えました。
わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。
遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちに他なりません。
というわけで、今回のコラムでは「血縁」の大切さを訴えました。
いくら趣味やネットで他人とつながろうとも、血縁こそは最強の「縁」です!


2010年12月17日 一条真也

フルベッキ写真

一条真也です。

今朝の「スポーツ報知」の最終面に不思議な写真が大きく掲載されていました。
坂本龍馬高杉晋作勝海舟西郷隆盛大久保利通岩倉具視伊藤博文・・・・・幕末維新の英雄が一同に会して撮影されたという、いわゆる「フルベッキ写真」です。


                  12月17日付「スポーツ報知」


「フルベッキ写真」とは、1859年(安政5年)に来日したオランダ人宣教師のフルベッキとその子どもを中心に撮影された写真です。親子の周囲には、50人近い幕末の英雄たちが写っているというのです。この写真は、坂本龍馬が縁台にもたれかかった有名な写真と同じ、長崎の上野彦馬のスタジオで撮影されています。
「フルベッキ写真」の細部および詳しい説明は、ここをクリックして下さい
これまでモノクロだった「フルベッキ写真」ですが、写真製版や印刷を手がけるサンメディア社が独自の技術でカラー化に成功したそうです。
NHK大河ドラマ龍馬伝」の人気で「幕末・維新ブーム」が巻き起こっているようなので、話題を呼ぶかもしれませんね。


                   最上級の歴史ミステリー


わたしも、以前から「フルベッキ写真」には関心を抱いていました。その存在を知ったのは、作家の加治将一氏の著書『幕末維新の暗号』(祥伝社)を読んだからです。
読み終わるのが惜しいほどにスリリングで知的好奇心を刺激する小説でした。
まさに最上級の歴史ミステリーという感想を持ちました。特に、加治氏は「龍馬=フリーメイソン説」を唱えていたので、そのへんの興味も加わり、本当に面白かったです。



しかし、わたしは基本的に「フルベッキ写真」はトリック写真だと思っています。
というよりも、古写真というものは、もともと、そういうものなのです。
イギリスの美術史家・芸術理論家であるジョン・ハーヴェィに『心霊写真』(松田和也訳、青土社)という名著があります。
ハーヴェィによれば、カメラという機械は「片足を科学の陣営に置きながら、もう一方の足は依然として宗教とオカルトの領域に置いて」います。
訳者の松田氏は、「それは常に時代の最先端の科学機械でありながら、一方では目に見えぬその暗箱の中で妖しげな練成作業を演ずる、錬金術師の窯の末裔のような不気味さを秘めている」と書いています。
もともと写真は、錬金術における科学と超自然の結合から生じました。
15世紀の錬金術師は、銀と海塩を混ぜ合わせて露光させると、その白っぽい色が黒く変化することを発見しました。
それから3世紀後、現在の写真の原型が誕生したのです。
それから間もなくして、心霊写真が生まれました。



ブログ『心霊写真』にも書きましたが、コナン・ドイルが騙された妖精写真あるいは心霊写真の類は、基本的に捏造です。というよりも心霊写真が誕生した当初、多くのプロの心霊写真師たちが生まれましたが、彼らは職業的に死者の姿を生者と並べて写真に浮かびあがらせ、多くの「愛する人を亡くした人」たちを慰めてきたのです。
心霊写真専門の写真館まで存在したといいます。高い技術を持つ心霊写真師たちは、いくらでも有名人を含めた死者を甦らせることができました。
初期の写真であるダゲレオタイプは、著名な人物の写った手札型写真として普及しましたが、それは絵画や版画から複製した肖像を、他の歴史上の人物と並べて座らせたものでした。それを本物のように見せるために、「二重プリント」「陰画合成」「肖像合成」などの方法が用いられたのです。
各地の観光地では土産物の幽霊写真が売られましたが、それらは多重露光と陰画の重ね焼きによって作られたものでした。
そういえば、くだんの「フルベッキ写真」も、日本各地の観光地の土産物屋で売られていました。わたしは3年ほど前に龍馬ゆかりの土佐の桂浜を訪れましたが、そこの土産物屋でもしっかり売られていました。



それにしても、わたしは、死者が写るという心霊写真を生み出した人間の「こころ」の不思議さを思わずにはいられません。
心霊写真とは、ハーヴェィがいうように「そこに写し出された生者と死者の悲嘆と哀惜、諦念と期待、憧憬と情愛の『物質化』に他ならない」のでしょう。
心霊主義と心霊写真は、厳密な論証と詐術の暴露によって一度は消え去る運命にありました。しかし、20世紀における2度の世界大戦で息を吹き返したのです。
この悲しい事実は、多くの遺体もない状態で愛する家族の葬儀をあげなければならなかった遺族の心情がそれらを強く求めたことを示しています。
当時の大衆にとって、心霊写真とは、グリーフケアのためのイコンだったのです。
そこに、亡き愛する人との再会への祈りを込めていたのです。
人間にとって葬儀が必要であるように、彼らにとっては心霊写真が必要だったのです。



そして、「フルベッキ写真」の正体とは、心霊写真なのです。
おそらく、この写真が完成したのは、そこに写っている英雄たちの多くはすでに亡くなっていたでしょう。死者の生前の写真が後から合成されたのではないでしょうか。
ですから、「フルベッキ写真」には幽霊たちが写っているのです。
そして、大切なことは、その写真は当時の大衆の願望から生まれたということです。
民衆は、偉大なる明治維新を成し遂げた英雄たちの集合写真、すなわち「オールスター写真」を欲しがったのです。維新後は複雑な仲になった薩長の良好な関係を願う気持ちも込められていたかもしれません。さらには、旧幕府側の人間と討幕派の人間を結びつけたいという思いもあったでしょう。
いずれにせよ、そこには民衆の無意識が反映されていたのではないでしょうか。
その意味で「フルベッキ写真」の背景には、ヨーロッパにおけるトリノの聖骸布ルルドの奇蹟画などにも通じる世界があります。いやはや、人間とは面白いものですね。


2010年12月17日 一条真也