『儀礼文化学の提唱』

一条真也です。

儀礼文化学の提唱』倉林正次著(おうふう)を読みました。
文学博士である著者は、國學院大學文学部教授、國學院短期大学学長などを経て、現在は儀礼文化学会理事長です。儀礼文化学会創立30年を記念して刊行された本書は、儀礼文化の探求と実践につとめた著者による次世代への提言の書です。


                   日本文化のカタチとココロ


本書の目次構成は、以下のようになっています。
儀礼とは何か
1.生活と文化
2.儀礼の定義
3.生活的・社会的慣習と儀礼
4.「まつり」と儀礼
5.儀礼と文化
6.儀礼の文化的創造性
儀礼文化の分野
1.生活の儀礼文化
2.芸術の儀礼文化
3.宗教の儀礼文化
儀礼文化の仕組み
1.儀礼構成の単位
2.儀礼構成の事例
3.儀礼文化の基礎構造
儀礼文化の理論
1.儀礼文化の価値
2.カタの原理
3.ココロとキ
4.儀礼の種類
5.儀礼儀礼文化
儀礼文化の創造と展開――「マツリの儀礼」試論――
1.大嘗祭の構造――祭りの三部構成
2.旬宴――祭りと儀式との関係
3.琴歌神宴――儀礼文化の位相性
4.複式の原理
  「あとがき」



わたしは、冠婚葬祭業という儀礼そのものを仕事としています。
また、人間にとって儀礼は絶対に必要なものであると考えています。
では、「儀礼」とは何か。著者は、本書の冒頭で次のように定義しています。
儀礼とは、信仰伝承や社会的習慣、または生活的習慣などによって生じ、または形成されたところの一定のカタ(型)を有する行為。
わが国の場合、これに相当するものとしては、まず宗教および民俗信仰に伴う各種の儀礼が挙げられよう。わが国には多種にわたる宗教が行われている。その点、キリスト教1つを信奉するヨーロッパの諸国などとは様相を異にしている。
神道をはじめ仏教・道教儒教キリスト教などがある。この中で、神道はわが国の固有信仰を基盤として形成されたものであり、その発展過程には仏教その他の影響を受けているが、まず在来のものといえよう。これに対して神道以外の各宗教はすべて外来のものであり、中世にヨーロッパから伝道されたキリスト教を除いて、仏教・道教儒教の各宗教は、中国大陸から伝来されたものであった。かつて中国大陸に行われた宗教をこの日本列島に持ち込んで来て、それらをこの国に適合するように育て上げたのが、これらの宗教であった」



聖徳太子という偉大な宗教編集者の存在もあって、日本ではさまざまな宗教が共存してきました。それらの宗教は互いに影響を与え合い、さらには混ざり合ってきました。
このような歴史の中で、日本における儀礼は発達してきたのです。
著者は、次のように述べています。
「中国における道教の成立過程と、わが国の神道のそれとの間には、類似点が存すると言われる。神道の基盤をなすものは、わが国在来の固有信仰である。それが仏教・儒教等の影響を受け、それらを享受し、またそれらに対応する立場を堅持しながら成立したのが、神道であったと言えよう。特に中世以降、近世に至り、神道関係の諸派諸説が盛んに行われるようになった。しかし、古来の神的立場に立って考えてみると、宮廷神道神社神道に大別することが可能であろう。
在来の信仰の中には、必ずしもこうした信仰体系の中には組み込まれず、生活伝承として現在まで継承されているものが少なくない。これを通常、民俗信仰と称している。人々の生活の中に生き続けて来た生活信仰なのである。この民俗信仰も、神道として体系化された信仰も、本来的には異質別類の性格を持ったものではなく、根源的には同質のものなのである」



さて戦後、「核家族」という言葉が流行しました。
また、昨今は「家族崩壊」などという言葉も叫ばれています。しかし、日本の庶民生活の長い歴史を通して、家族という生活の単位がその基盤となってきました。
それは、個人を単位と考える欧米の生活とは自ずから性格を異にするものでした。
家族を生活の単位とする日本人の生き方は、独特の生活慣習や社会慣習を生み、それらは「年中行事」へとつながります。著者は述べます。
「生活習慣といったものも、家族生活を基調として育まれて来た。生産や生業の種類によって、その内容も違っては来るが、日本人の生活には、そうした相違を越えて、あい共通する生活のリズムといったものが存した。1年間の生活の中に、いくつかの折り目をなす事柄があって、それらが生活の流れの中に、豊かな色取りを織り込んできた。
その代表的なものが盆や正月である。つまり、『年中行事』と呼ばれるものである。わが国の生活習慣の基本をなしているのは、これら年中行事であった。その年中行事には時代や地域による相違があり、さらに家々による相違も存する。生活の基盤が家族に存するように、これら年中行事の場合も家がその基本単位をなして来た」



年中行事は、年間にそれぞれ異なる内容と性格をもって行われます。一年を通して考察してみると、そこには「まつり」のサイクルと呼ぶべき枠組みがあることに気づきます。これを宮廷や神社の祭祀と総合的に考え合わせると1つの祭祀体系が見出されますが、それは村々の神社の祭礼と本質的に同じものです。
また、誕生・結婚・死に関する儀礼、すなわち「人生儀礼」の場合も、広義の「まつり」と言ってもよいでしょう。著者は、広い意味を持つ「まつり」について述べます。
「『まつり』という言葉の原義は、『献る』の古語である『まつる』から出ている。神に御食・御酒をさし上げるというのが、その原義であった。神に神饌を献供し饗応申し上げるところに、わが国の『まつり』の根本はあり、そこから祭りのカタチ(形)は始まったのである。本居宣長の説く『神に仕え奉ること』とする定義づけの内容は、このカタチの実践の結論として生まれたものであった。
祭りには、まずこうした神饌献供を主体とする『祭典』の部分がある。
その次に神人共食を本義とする『直会』の部分が存する。人々が神の威霊に触れ、神の恩恵にあずかる部分である。『祝い』の源はこの部分に存するのである。おのれの身を慎み、斎戒の状態を続け、そして神霊の威徳の分与にあずかるのである。これが『祝い』の本来の意味であった。神の威霊の分与にあずかった者に対して、他の者たちが祝福を行うわけである」



本書では、さまざまな日本における儀礼文化が紹介されています。
まず、「生活の儀礼文化」として、有職故実や料理が取り上げられます。
また、「芸術の儀礼文化」として、茶道、華道、香道、芸能、武道などが取り上げられます。さらに興味深いのは、日本の文学にも儀礼文化的性格が存在するという指摘です。著者は次のように述べます。
「わが国の文学の発生の場は、祭りに求められる。そこから『うたう文学』『となえる文学』『かたる文学』が、漸次生まれ育ってきたのである。わが国の祭りは、
 神祭り――直会――宴会
という3部構成から成り立っている。この中で『宴会』は、いわゆる『ハレの場』として独立し、次第に発展して行った。この『宴会』を発生の場として生まれ、さらに展開した文学の種類は非常に多い」
例えば、平安時代に流行した「歌合」もその代表的なものだというわけです。
「場の文学」としての歌合の発達は、後の連歌俳諧などにも大きな影響を与えました。さらに著者は、わが国の文学形式に着目すべきであるとして、次のように述べます。
「現代においても短歌・俳句は一向に衰えを見せず、まさに国民文学としての地位を確かなものにしている。この短詩型律文学はカタを基本としている。そのカタに対する肯定・否定の立場の如何にかかわらず、短歌を詠み、俳句を創るということは、このカタの基盤に立つことを前提とするものであり、そして、カタの自己創造に精進し励むことに尽きると言えるのではあるまいか」
このような視点に立ってみると、日本の伝統的文学には、儀礼的性格が備わっていると言ってもよいでしょう。



「生活の儀礼文化」「芸術の儀礼文化」とともに「宗教の儀礼文化」があります。
「宗教の儀礼文化」には、神道儀礼、仏教儀礼修験道儀礼儒教儀礼道教儀礼キリスト教儀礼などがあります。興味深かったのは、「コミュニケーション」という言葉がキリスト教儀礼に由来するというくだりです。著者は、次のように述べています。
「コミュニケーションという語は、キリスト教の祭りから出た。カトリック教会の祭りをミサというが、この祭儀から生まれた言葉である。ミサはまず『ことばの祭儀』という長い祈りの部分があり、次に『聖体祭儀』に入る。司祭が供え物のパンとぶどう酒を準備し(奉献の部)、神に感謝の祈りを捧げ(序論)、次に『聖変化の部』となる」
「聖変化の部」では、司祭がパンとぶどう酒を前にして「最後の晩餐」の模様を儀式の形で再現します。この儀式によって、司祭の捧げる聖盃の中のぶどう酒がイエス・キリストの血液に、種無しパンが肉体に変化すると信じられているのです。
この後、「聖体拝領の部」となり、司祭、続いて助祭者以下の者がぶどう酒を飲みます。
もちろん、復活したイエスの聖体を頂くためです。次に、信者たちがパンを頂きます。これによって、イエスの肉体を自分の体内に内在させるわけです。著者は述べます。
「この聖体拝領をCommunionと言う。共有・協同などの意味を持つラテン語から出た言葉であり、神と人とが一体となると言うことである。
この語からCommunicationという言葉は生まれたのである。
この聖体拝領の考えは、わが国の『直会』とまったく同じ内容を有すると言えよう。直会は神と人とが、同じ食べ物を飲食することによって、神の恩寵にあずかることであり、宴会は人と人とのコミュニケーションをはかる場なのである」



本書で最も興味深く読んだのは、「カタ」と「カタチ」について語られた部分でした。
ふつう、「カタ」と「カタチ」という2つの言葉は似たような意味として使われますね。
しかし著者によれば、「カタチ」が具体的・即物的であるのに対して、「カタ」は抽象的・形式的であるそうです。さらに、「カタチ」は「カタ」の完成品だとか。
それらを踏まえて、著者は次のように述べます。
「たとえば、芸能や武道の場合、そこに存在するカタは、規範性を有するものである。それをカタチに表現する時には、当然、カタの有する規範性が働きかけることになる。舞踊はカタに従って行われることは勿論、そのカタが完全に表現されなければならない。カタの完成化が求められるわけである。それがカタチだというわけである。
カタが完全に具現されなければ、それはカタチと言うことはできない。つまり、『カタチにならない』というのはそういうことなのである。また、儀式・行事は故実に則って行われなければならない。なぜなら、そうした儀式・行事は優れた祖先たちの作り定めたことだからである。中国風に言えば、『先王の道』だからである。これが故実の考え方である。しかも、それはカタの志向と一致することなのである」



故実」とは、昔の儀式・法制。作法などの決まりや慣わしであり、先例となる事例のことです。これに「有職」がついて「有職故実」になると、古来の儀式・礼法の典型的方式であり、それを研究する学問ということになります。
著者は、その故実を「先王の道」であるとして、次のように述べます。
「儀式・作法は、言い換えれば、カタであるが、そのカタは先王の定めたものである。そして、それは先王以来各時代を通して実行して来たことである。それを『道』と言う。つまり、カタの実践が道であるということに他ならない。先王の定めたカタを実践し、カタチとして実現するわけであるが、その『カタからカタチへ』いたる実践過程、即ちその道程を『道』というのである」
この「カタからカタチへ」いたる道程のことを「道」とする説明は非常にわかりやすいと思いました。さらに、著者は「カタチからカタへ」についても次のように述べます。
「宗教の分野にその精神的極地と言われるものに『悟り』という境地が存する。これは、前述の『カタからカタチへ』の過程と、『カタチからカタへ』の過程という方式の中で、どちらに属するかと言えば、後者の『カタチからカタへ』の過程に属するものと考えられる。つまり、会得の方式の中において見出される境地であると見られる。それは、実践の後に、はじめて齎される深甚なる禅那により到達されるものと言えよう」
すなわち、次のような2つの過程があるわけです。
     カタ → カタチ = 道
     カタチ → カタ = 悟り



日本の儀礼文化について考えたとき、さまざまな宗教を「いいとこどり」してきた日本人の精神史を無視することはできません。
聖徳太子が用意した神道・仏教・儒教を一体とした習合思想は、新渡戸稲造が指摘したように「武士道」へと流れ、あるいは石田梅岩の「心学」へと流れ、さらには「冠婚葬祭」という日本人の慣習に結実しました。
言うまでもなく、冠婚葬祭とは儀礼文化そのものです。著者は、次のように述べます。
「わが国には固有の民族信仰である神道のほかに、仏教・儒教その他の外来の宗教がある。これらの宗教はそれぞれ独自の性格を持つものであるが、日本文化に深い影響を与え、さらに日本文化を基盤として、日本的宗教として変容、発展を遂げた。これらの宗教は固有の宗教儀礼を備えており、それらを一律の『儀礼』として位置づけることはできない。しかしながら、これらの宗教が日本に渡来し、定着し、日本文化の中で発展をとげて来たわけであるが、この場合、その文化的地盤の働きを請け負ったのは、マツリ(祭)に他ならなかった。異種の文化の種は、生のままでは、自生することはできない、それが発芽し、成長するためには、有効な土壌が必要である。その培養土壌の役目を荷ったのがマツリであった」



本書の「あとがき」で、儀礼文化の研究において最も重要なことは、「儀礼文化とは何か」という命題に対して明快な解答を出すことであるとして、著者は述べます。
「この答えが出ないままに、文化活動を行っても、根無し草の活動に過ぎず、絵に描いた餅のような無意味な事柄に過ぎないと解されよう。この『儀礼文化とは何か』という問題に対して、明確な解答を出すのが、『儀礼文化学』の立場であり、使命であるといえよう。『儀礼文化学』は、儀礼文化の研究を通して、この命題を組織的に解明し、それを体系づける文化科学である」
冠婚葬祭屋であるわたしは、つねに「冠婚葬祭とは何か」という命題について考えています。冠婚葬祭が儀礼文化そのものであるならば、わたしは毎日、「儀礼文化とは何か」について考えているのかもしれません。
「あとがき」の最後で、著者は「儀礼文化研究の域を脱出して、文化科学としての『儀礼学』を確立することが自然の趨勢であり、また急務であろう」
わたしは、著者による「儀礼学」という言葉に大きな感銘を受けました。
儀礼文化学から儀礼学へ・・・・・・。
宗教学でも文化人類学でも社会学でもなく、儀礼学。
これは、そのまま「日本とは何か」「日本人とは何か」を求める道となります。
それは、かつて国学や日本民俗学がめざした志を受け継ぐものかもしれません。
わたしは、「儀礼学」の徒になりたいと心から思います。


2011年8月4日 一条真也