パナソニック電工汐留ミュージアム「白井晟一 精神と空間」 

現在、パナソニック電工汐留ミュージアムで、白井晟一展覧会が開かれています。



■「白井晟一 精神と空間」 
・2011年 1月8日(土)〜3月27日(日)
・10:00〜18:00
・1月10日、3月21日を除き月曜休館
パナソニック汐留ミュージアム
 港区東新橋1−5−1 パナソニック電工ビル4F


群馬県立近代美術館に引き続き、設計原図面、模型、建築写真、
スケッチ、装丁本、「書」、及び美術品が展示されています。


これまでの展覧会では鑑賞することのできなかった、書の作品「般若心経」も展示されていました。
紙の継ぎ目もほとんどなく、物凄い集中力で書き進めたことに気づかされます。
気魄を感じました。しかしながら、これは、人に見せることを意識して書かれたものではないと思います。



また、白井晟一の建築作品及び解体の前年の「虚白庵」の春の庭のビデオが放映されています。

分節で展示されており、「塔」「住」「共」「祈」「幻」「原爆堂」といったコーナーがあります。

興味のある方は、ぜひミュージアムへ足を運んでみてください。



白井晟一学習会の中谷礼仁も、来る2月20日(日)、記念シンポジウムの進行を務めることとなりました。

定員に達したため、予約は締め切られたようですが、以下に、情報を転載します。



■記念シンポジウム「空隙としての白井晟一 20世紀における建築家白井晟一の位置づけ」
・2月20日(日)
・13:30〜17:30 定員180名
(定員に達したため、予約は締め切られました)
パナソニック汐留ミュージアム
 港区東新橋1−5−1 パナソニック電工ビル4F


・パネラー:岡崎乾二郎(美術家、批評家、近畿大学国際人文科学研究所教授)
       沢良子(近代建築史、東京造形大学教授)
       白井碰磨(建築家、白井晟一研究所代表)
       白井秀和(福井大学大学院工学研究科教授)
       田中純表象文化論東京大学大学院総合文化研究科教授)
       中谷礼仁(歴史工学、建築史家、早稲田大学理工学術院創造理工学部准教授)
                                        (五十音順)
  進行:中谷礼仁
  問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600




報告:真鍋怜子(白井晟一学習会)

白井晟一研究所HP

白井晟一研究所・白井碰磨様がホームページを開設されましたので紹介いたします。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/ikuma666/index.html



ブログ・ツイッターでも最新情報を更新されているようです。


Weblog : http://shiraiseiichi.jugem.jp/


Twitter : http://twitter.com/shiraiikuma


これまで行ってきた連続レクチャー「虚白庵にて」についても触れられています。

興味のある方は、併せてご覧ください。


報告:真鍋怜子(白井晟一学習会)

「住宅建築」(2010年1月号)改めてご報告

「住宅建築」(2010年1月号)これまでの学習会の記録が掲載されています。(2009年12月19日発刊)


以下、『住宅建築』webサイトより
http://www.jutakukenchiku.net/

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『住宅建築』2010年最初の特集は、日本を代表する建築家・白井晟一です。

独特の世界観で多くの設計者に影響を与えた白井晟一がこの世を去って27年。次第に人々の記憶から薄れつつあります。しかし、圧倒的な知性に裏付けられた作品群はいまなお異彩を放ち続け、我々に何かを問いかけてくるのです。
2008年から2009年にかけて、早稲田大学中谷礼仁建築史研究室の主催により、白井晟一の自邸・虚白庵において、白井晟一を振り返る学習会が行われました。本特集は、その模様を伝えると共に、住宅における代表作3軒(虚白庵、試作小住宅、呉羽の舎)を紹介。多彩な側面のひとつひとつに光を当てることにより、それらを総合して、白井晟一という大きな星座(constellation)を浮かび上がらせます。

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特集
白井晟一を探して
Constellation
協力=白井碰磨、早稲田大学中谷礼仁建築史研究室

暗いほうが、よく見えるからね。
虚白庵

座談 虚白庵にて………石山修武×鈴木了二×原広司×藤森照信、司会=中川武

ローコスト木造住宅の試み
試作小住宅

木造住宅に見る多様性
呉羽の舎

白井晟一の三つの住宅作品………宇津木卓三

白井晟一学習会 第1回
原爆堂と日本の戦後………中川武×布野修司×伊東豊雄

第2回
独学に学ぶ………田中純

第3回
白井と書−そのかたち………太田穂摂

第4回
編集者が見た白井晟一………川添登×中村敏男×松山巌

白井晟一略年譜

特別記事
大原別邸に夢見たもの
倉敷・酒津に残る大原孫三郎別邸
無為村荘

無為村荘に夢見たもの 画家児島虎次郎の思いと建築家・薬師寺主計………上田恭嗣
大原家・倉敷酒津「無為村荘」の実測について…………楢村徹

特別記事
寛(ゆるや)かに繋がって暮らす試み
生まれ育った家を住み継ぐ白幡SH 設計=SITE/齊藤祐子
ふれんどりいの郷 設計=SITE/斉藤祐子
『集まって住む「終の住処」』 に寄せて………筒井すみ子
集まって暮らす「新しい住まい」………齊藤祐子
グループホームあおぞら 設計=SITE/齊藤祐子
中庭のあるグループホーム………濱田秋子

連載
極北住宅物語 第6回
極限の地アラスカに暮らす動物たちに学ぶ住まいの極意
マーモット………写真・文=園原徹
欧羅巴建築見聞記 第8回
ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸
設計=ル・コルビュジエ 1923年 フランス・パリ………文=栗田仁 写真=宮本和義
ディテールの小匣 第5回 水廻り
三浦清史/カネジン/伊礼智/吉田周一郎
街にひらく書店 第4国 京都・大龍堂書店
写真………田中千尋

プロダクトニュース
書評
イベント・ニュース
プロフィール
次号予告
バックナンンバー

「住宅建築」2010年1月号の発売日について

白井晟一学習会からのお知らせ】

これまで行ってきた各レクチャーの特集が、「住宅建築」(2010年1月号)において発表されます。
発売日は、2009年12月19日です。

虚白庵の雰囲気を損なわないようにということで、各レクチャーでは参加者の人数制限を行ってきましたが、参加できなかった方はぜひ目を通していただければと思います。

書店で求めることができない場合は、WEB上でも購入することが可能です。
以下のアドレスを参照してください。

http://www.jutakukenchiku.net/

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No.417 『住宅建築』2010年1月号
2009年12月19日発売

[特集]
白井晟一 -constellation-

様式にとらわれることなく精力的な設計活動を繰り広げた建築家・白井晟一が残した名作の中から、代表的な住宅3軒を紹介。また、早稲田大学中谷研究室の主催で開かれた白井晟一学習会の内容を紹介する。

作品:虚白庵、試作小住宅、呉羽の舎
   解説=宇津木卓三
白井晟一学習会:中川武×布野修司田中純、太田穂摂、
        川添登×中村敏男×松山巖
        石山修武×鈴木了二×中川武
        ×原広司×藤森照信

[特別記事]
無為村荘に夢見たもの 上田恭嗣/楢村徹

[連載]
欧羅巴建築 第8回 ラ・ロッシュ=ジャヌレ邸
 文=栗田仁 写真=宮本和義
極北住宅物語 第6回 マーモット
 写真・文=園原徹
ディテールの小匣 第5回 水廻り

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報告:真鍋怜子(白井晟一学習会)

第5回 非公開座談会のご報告

2009年9月1日、第5回座談会(非公開)が行われました。


■テーマ
白井晟一の70年代 その磁場
〜70年代当時、建築家らからみた白井晟一

■出席者

石山修武(建築家、早稲田大学教授)
鈴木了二(建築家、早稲田大学芸術学校校長)
中川武(建築史家、早稲田大学教授)
原広司(建築家)
藤森照信(建築史家、東京大学教授)


■タイムテーブル

15:00−15:30 虚白庵見学
15:30(原先生、サプライズ訪問)
15:30−17:00 出席者らによる座談会(司会:中川武氏)
17:00−17:30 白井晟一学習会の用意した「豆腐とめし(おむすび)」晩餐



公式のレクチャーは4月26日の第4回「パーフェクト・インタビュー」で終了しましたが、
今回はレクチャーというかたちではなく、非公開で建築家らによる座談会が開かれました。




まずは、それぞれの先生方が、白井晟一との初めての出会いやそのときの印象について語られました。



(右から石山先生、藤森先生)



* 石山先生は、22才頃、3日ほど白井晟一アトリエで図面を書いた経験があるそうで、
記憶によると10Hの鉛筆で書くことを指示され、非常に驚いたそうです。

当時は、大学のアカデミーとは別のジャーナリズムの世界が華々しく繰り広げられた繁栄期だったそうで、
白井もそのメディアのなかで出現したように感じた、と振り返られました。

当時の石山先生は得体の知れないものへの憧れとともに、白井の「人間臭さ」を感じたそうです。
村野との比較もされました。

また、マニエリスムについて触れられ、グラフィックな面から白井を「映像的な人」と捉えられました。





(右から石山先生、藤森先生、原先生)


* 藤森先生は、第4回レクチャーの講師でもある川添登氏の著書を読んだのがきっかけで、
実際、白井の設計した《雄勝町役場》を見学したときは、唐突感から“よくわからなかった”そうですが、心に残るものであったそうです。

建築史の勉強をしていくなかで、少しずつわかるようになったとのことです。
開口部が床ギリギリの高さにあったこと、茅葺の異様さ、一段降りて入っていく感じなどに竪穴をベースにした“縄文らしさ”を感じたそうです。

しかし、未だ白井のディテールを論理でも言語化することでも説明しきれないということを、
「経験」によるものかと考察されていました。近代的自我についてもお話されました。






鈴木先生



* 鈴木先生は、「白井晟一研究」シリーズの著書出版にあたり、原稿を依頼されたときのことをお話ししてくださいました。

白井の《原爆堂パンフレット》に接し、クライアント無しで、かつ建つことを前提としていないプランといった白井の社会への打ち出し方に、「批評の質が変わりだしてきた」と感じたそうです。

ポリティックな面も徐々に帯びるようになってきたのではとおっしゃられていました。







(左から原先生、藤森先生、石山先生)


* 出席者のうち、一番白井との接触の多かった原先生は、15:30の不意のチャイムとともにサプライズで登場されました。
招待状をお送りしていたのですが、返答がなかったので、これには学習会一同たいへん驚きました。

チャイムが鳴った時、「え、出席者は揃ったはず・・・白井晟一だったりして(!)」と冗談を言って、盛り上がってしまいました。


私は、原先生の書かれた論文「精神史的構想の実現」『建築文化』(1985年)と、「白井晟一 現代デザインについて語る 人間・物質・建築」『デザイン批評(No.3)』(1967年)の白井と原氏が対談した内容を、以前読み比べてみたことがあったのですが、
親和銀行》出現の頃、つまり70年代を経て、原先生の白井の活動に対する洞察の変化と、白井自身の変化に興味をもちました。


白井を評価するにあたっての困難さ、戦後と'68〜以降の重合については第1回レクチャーで討論のトピックとなりましたが、今回の原先生のお話で、私も少しですが理解が前より深まった気がします。



原先生から見た白井の印象は、石山先生と同じく「人間臭さ」たっぷりだったようで、当時、建築界で中心的に語られた丹下健三とは、“距離感”がまた違ったとのことです。


若い頃は、白井のディテールのトレースを夢中になってした記憶があるとのことです。






* 中川先生から原先生へ「なぜ、原さんは白井を普遍化しないのか」という質問があり、白井が「僕は自分の力を過信しないから」という言葉を残したことを交えて、座談会はクライマックスをむかえました。


原先生は、白井について「思いを抽象化するタイプ」と捉え、仏教的思想と弁証法について語られました。

矛盾の中から多様性が生まれてくるという「あらずあらず」の論理について、「精神史的構想の実現」
『建築文化』(1985年)を読んで、私も白井の神話性につながるものがあったのではないかと感じた
のですが、原先生は、弁証法的なことを造形でやり遂げた丹下とは違ったかたちで、白井の位置づけ
を説明され、面白かったです。




* 白井晟一学習会主宰の中谷は、第3回のテーマでもあった「書」と白井の作品との共通する側面でもある、
「これまでの時代性が同時に平面的に(身体性もともなって)あらわれてくるという印象をもった」と、振り返りました。
芸術家の宿命や、近代的な芸術についても話題になりました。




* 最後は、白井のエッセイ「豆腐」「めし」にちなんで、学習会が用意したお豆腐とおむすび、ご子息の白井碰磨様が用意してくださったお醤油や薬味で、最後の晩餐。



(右から中川先生、石山先生、藤森先生)





* 第1回から第5回までの内容は、来年一月号「住宅建築」で公開されます。
虚白庵の雰囲気を損なわないようにということで、各レクチャーでは参加者の人数制限を行ってきましたが、参加できなかった方も、ぜひ「住宅建築」(2010年1月号)に目を通して白井や虚白庵について、いろいろと感じとってみてください。

ご子息の白井碰磨様、そして奥様に心よりの感謝を申し上げます。

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2009年9月20日 報告の一部を修正


報告:真鍋怜子(白井晟一学習会)

撮影:中谷礼仁白井晟一学習会)

第4回「パーフェクト・インタビュー」のご報告

2009年4月26日、第4回レクチャーが行われました。

■テーマ

「パーフェクト・インタビュー」

■講師
川添登(建築批評家。日本生活学会会長・理事長)
中村敏男(建築史研究者。元「a+u」 編集長)
松山巌(作家、評論家)


■タイムテーブル
15:00-17:00 川添先生によるレクチャー。松山先生、中村先生によるコメント。分析。
17:00-17:20 休憩、白井晟一直筆原稿鑑賞
17:20-19:00 川添先生へ、参加者から質疑応答
       (川添先生、ご都合により帰宅)
       松山先生、中村先生、白井碰磨氏、中谷(白井晟一学習会)によるディスカッション
      

最後の学習会。
タイトルも『パーフェクト・インタビュー』としたように
白井と活動をともにし、当時を良く知る存在として、川添先生と中村先生をお迎えしました。
また、白井の活動に対する社会評価の変化も分析すべく、評論家の松山巌氏をお迎えしました。
松山先生や中村先生がなさる川添先生への質問は、当時の社会事情や時代背景を上手くフォローしてくださるもので
虚白庵の雰囲気と相まって、幅広い年齢層の参加者も当時をイメージしやすかったのではないかと思いました。


当日の様子(右奥から中村敏男先生、川添登先生、松山巌先生)


当日の様子(講師、手前左から白井いく磨氏、参加者、参加者、松山巌先生)

まず学習会の前半では、川添先生に、白井との出会いや、新建築にデビューさせるまでの経緯、
その後ともにした活動について語っていただきました。
先生が白井の建築界デビューの仕掛人であることは有名ですが、
その詳細な経緯についてはあまり、耳にしたことがなく
学習会のメンバーのなかでも、聞きたいという話があがっていました。
特に、白井がエッセイ「めし」や「とうふ」を書くにいたった経緯のお話は興味深いもので、
先生は白井を「色気」という言葉で表現されました。
私は、エッセイ読後に想像した、どこか幻想的な白井像がより鮮明になったように感じました。
レクチャーは白井のみならず、先生が交流をもった丹下健三、メタボリスト建築家にも及び、
伝統論争で接触もあった、丹下と白井の違いについても言及されました。



白井晟一の直筆原稿
(休憩時間には、川添先生が持参してくださった、白井の直筆原稿を皆で鑑賞しました。)

学習会の後半は、川添先生のご都合もあり、
松山先生、中村先生、白井碰磨氏、学習会主宰の中谷によるディスカッションが行なわれました。
メタボリズムとの関係、
70年代の磯崎新原広司らによる白井論、
ご子息が始めた白井研究の目的と意義
などの視点から50年代から70年代の白井に対する社会評価の変容が論じられました。
学習会は予定時刻を大幅に過ぎて終了しましたが、今回も密度の濃い会になりました。

終了後、主宰の中谷は1年に及んだ会を振り返って言っていました。
ベンヤミンはコンスタレシオン(布置)という言葉を使っていたけれど、コンスタレシオンとは星座のことでもある。
星座は私たちの普通の目から見れば平面の画像だが、しかしその光の一つ一つは時空の異なる存在の寄せ集まり。
白井の諸活動はむしろそんな星座として読み解かれるべきではないのか。我々は白井について、4回の学習会を通して
ジャーナル的な二項対立を越えて、歴史、それも全体史という時空を獲得しえたのではないか。」

学習会の運営を通して、私も多くの印象的な場面に立ち会うことができました。
なかでも、学習会に臨むにあたり、常に意識していた言葉があります。
学習会の企画段階から、ご子息の碰磨氏がおっしゃっていた「若い人達がどれほど白井晟一を知っているのか、白井に興味があるのか」
という言葉です。
この言葉は、会の運営者としても、学生としても、自分の立ち位置を意識し、
白井という建築家の生き方から何を得るべきか考えるきっかけとして、
大きな助けとなりました。

最後に、これまで学習会を支えてくださった参加者、講師の先生方に御礼申し上げます。
そして虚白庵で学習会を開催することを許可してくださり、
当日も熱心に会に加わってくださった、白井碰磨夫妻に御礼申し上げます。


撮影:中谷礼仁白井晟一学習会)
   本間智希(早稲田大学建築史中谷研究室)
報告:武田夏樹(白井晟一学習会)

ご応募ありがとうございました。

4月7日(火)に第4回学習会の応募を締め切りました。申し込んでくださった皆さま、ありがとうございました。

抽選で選ばれた参加者の方には、学習会から追って連絡いたしますので、いましばらくお待ち下さい。

それでは4月26日にお会いしましょう。

報告者:真鍋怜子(白井晟一学習会)