ささやかな抵抗の準備

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2016-05-31

[][][]ジョン・ケージの「4分33秒」を聴いて

2014年2月15日のピアノ愛好会卒業コンサートで、ジョン・ケージの「4分33秒」が演奏されました。それを聴いて、思ったことをまとめておこうと思って伸ばし伸ばしにしてきたのですが、気が向いたので書きます。


ご存知かと思いますが、この「4分33秒」という曲は、その時間(4分33秒の間)「何の音楽も奏でない」という曲です。つまり曲であって曲でないという、極めて変な曲です。その解釈については色々と物議を醸している曲ですし、あまり定まった見解も見たことが無いような気がします。もちろん、芸術作品というものは、受け取った人が感じたことが優先されるべきだとも思うので、定まった解釈を決めること自体が野暮だとも言えて、今から私が言うことも、単なる私の一意見として聞いてもらえればいいと思います。ただ、私的には思っていたより明確な意味を感じたので、みんなが言うほど難しいことじゃないんじゃない?という気持ちもあってこれを書いています。


演奏が始まりました。何も弾かないのに演奏が始まるというのも妙な話ですが、演者は鍵盤のフタを開け閉めして楽章が始まったことを示しました。驚いたことに、その直後から、音が聴こえたのです。もちろんピアノの音ではありません。聴こえたのは会場の空調の音です。この空調の音は、演者が交代している曲の間の時間も、他の演者が弾いている時も変わらず鳴っていたはずなのに、その間は聴こえなかった音なのです。さらにその後には、会場にいる人が出す、服のこすれる音、息の音も聴こえてきました。これらももちろん、さっきまでもあったのに聴こえなかった音です。


ですから、ごく簡単に言えば、この4分33秒という曲は会場の音を聴く曲ということになります(というかWikipediaにもそう書いてあった…)。ただもちろん、それだけではあまり面白い話ではないですよね。会場の音を聴くということはどういうことか、という点にポイントがあるのだと思います。


会場の音を聴くということは、会場の音というものが存在しているということを知ることであり、それはつまり会場というものが存在しているということを知ることです。会場にあるのは、ホールそのものや、そこに来ているお客さんです。それらの存在を「演奏」として提示されて初めて気付くことが出来たのです。さらに言えば、その存在は、お客さんが「演奏が始まったので真剣に聴く体勢なった」ことによって初めて気付くことが出来たものなのです。演奏が始まって、実際には何も変化が起きていないにも関わらず、それまで聴こえなかった音が聴こえるということは聴衆側が変化したということであり、それは自分の存在に自覚的になるということでもあります。


つまりジョン・ケージはこう言いたかったのではないでしょうか。「音楽というのは、音楽だけで存在しているのではなく、それを奏でる空間や聴衆があって成立しているのだ」と。Wikipedia情報ですが、ジョン・ケージはこう言っているようです。「ケージは、この作品を気にいっている点として、演奏はいつでもできるのに、それは演奏されたときにしか生き始めないことをあげている」。これは「演奏する」ということは、演奏者一人で、あるいは脳内で完結したものではないのだ、と捉えることが出来るでしょう。


ただ、この「演奏には聴衆が必要だ」というのは、誰もが認める立場だとは私は思っていません。このことは、同時代を生きたピアニストであるグレン・グールドを対比に出すと、よりはっきり理解できるのではないかと思います。グレン・グールドは、ある時から演奏会という形態を否定して、録音したものだけを世に出すようになりました。良い音楽を作るにあたって聴衆の存在など不要だ!と考えたのです。演奏会において演奏者と聴衆は対等ではなく、聴衆は演奏者が間違えたらそれを咎めようとしている失礼な存在だとまで言いました。


この二つの立場の対立は、現在まで脈々と続いています。そしてこれは、音楽の録音という形態が現れたことで明確に意識されるようになったのでしょう。私が見るところでは、音楽における最大の革新と言えるものは歴史上二回あり、一回目は楽譜が発明されたことで、二回目が録音が発明されたことです。つまりこの話は、録音が出てきて音楽の在り方が見直しを迫られた時に、二人の人間(もっとたくさん居るでしょうが)が異なる見解を提示した、と解釈することが出来るでしょう。


では皆さんはどちら派でしょうか。例えば、以下のそれぞれの立場について、皆さんはどのような見解を持っているでしょうか。


a.演奏はミスするか分からないから素晴らしい

b.確実にミスしていないものを届けることが出来るならその方が良い


a.CDの音楽はライブ演奏を疑似的に切り取ったもので本物ではない

b.CDを聴くのはライブに劣る行為ではなく一つの独立した音楽体験


a.音楽は人間が奏でるもの

b.音楽は機械が奏でても音楽


a.聴衆の反応が見られるのが演奏の醍醐味だ

b.どこかで誰かが聴いてくれていることさえ分かればそれでも十分嬉しい


a.音楽は多くの人が評価するものに価値がある

b.自分一人が納得できる音楽が作れれば多くの人が評価してくれなくてもよい


a.ライブで周りの人と一緒に盛り上がる方が音楽を最大限楽しめる

b.一人の世界に入り込んで集中した方が音楽を最大限楽しめる


a.音楽は演奏者の動きや人物のバックグラウンドを含めて楽しむもの

b.音楽は音を聴くのが純粋な態度でその他の要素は邪魔なもの


いかがでしょうか。なかなか境界線を引きにくいところもありますが、それぞれaがライブ派(ケージ派)、bが録音派(グールド派)、と考えられるのではないでしょうか。こうしていろいろ並べてみると、絶対こっちだ!というものと、どっちか迷う、というものがありますよね。つまり、全面的にどちらかに寄っている人はあまりいなくて、その間ぐらいというか、場合による、というぐらいに思っている人が多数派なのではないでしょうか。とは言ったものの、私はかなりbの録音派だと自分では思っています。が、その話はまた別の機会に述べたいと思います。


少し別の観点としては、音楽鑑賞において、演奏者の動きなどは純粋な音楽の要素ではないと考えたとしても、その純粋な音楽はありふれたものになってしまったせいで、わざわざ音楽鑑賞をするならライブのような音楽以外の要素があるものを望むようになった、と考えることも出来ます。アーティストがCDで稼ぐのではなく、まずYouTubeでタダで見せて人気になったらライブで稼ぐ、という形態へシフトしているのはご承知の通りです。それは「音楽がお金と交換されなくなった」ことではあるかもしれないですが、「音楽を純粋に聴かなくなった」とまでは言えないだろう、つまり音楽の価値(お金以外でも測れるとすれば)が減じたということではないだろう、と私は思います。


以上で話は終わりですが、ここで改めて、4分33秒を演奏してくれた後輩には本当に感謝したいと思います。これはまさにCDでは意味が無くて、演奏会で聴かないと得られない体験だったのですから。

2016-05-22

[][]どんなときも。ピアノアレンジ

ピアノアレンジしてみました。ワンコーラスのみ。サビが結構跳躍が多くて難しい。なかなかバッチリ弾けるテイクが取れず、これはまだサビ前とサビ以後で別テイクのを編集して繋げています。まあ、まだアレンジ出来たばっかりなので、そのうち弾けるようになるでしょう。


特に特徴があるアレンジでは無いですが、自分なりの美意識を反映させたつもりではあります。どんな点かと言いますと

  • 音をスッキリさせる。特に低音を鳴らし過ぎない
  • 普通に弾くと普通にメロディが出る
  • メロディを右手オクターブに(出来るだけ)しない(鋭い音になっちゃう気がする)
  • 必要以上に和音を濃厚にしない

みたいな感じです。


こういうJ-POPのアレンジをやると、右手でメロディ+下の音を弾かないといけないので、かなり小指と薬指でメロディを弾くことになりますね。急速に鍛えられてる感じがします。


イントロは、元曲では本当は倍の長さがあって、後半はビートが利いた状態になるんだけども、やろうとしても前半部分と差別化できなかったので省略してしまいました。なんかアイディアが浮かべば直すかも。終わり方も、なんか終わらさなきゃと思ってシンプルに終わりを付けただけなんですが、聴いてみるとこんなもんでも良いかなと思っのたのでこのままで行くかも。


一応フルでも弾けるけど、ほとんど2番サビの「そしていつか だれかをあいし」のところ以外に違うところがないので、まだ下手なこともあって省略した。アレンジを変えないと物足りないかなとも思うし。

2016-05-14

[]カラオケ

ばら子ちゃんとガタマロさんとカラオケに行ってきました。どっちも初カラオケだしガタマロさんに至っては初対面だし無茶したようん。


曲目

どんなときも。槇原敬之Ok
ヴィーナスとジーザスやくしまるえつこBa
本日は晴天ナリDo As InfinityGa
はじまりの歌大橋卓弥Ok
リッツパーティーback numberBa
気まぐれロマンティックいきものがかりGa
白波トップウォーターサカナクションOk
アシンメトリースガシカオBa
クリスタル・ゲージGARNET CROWGa
星に願いをflumpoolOk
片方ずつのイヤフォン平井堅Ba
ホリデイBUMP OF CHICKENGa
勇気100%光GENJIOk
ハッピー・ジャムジャムM・S・JBa
ジェニーはご機嫌ななめPerfumeGa
ゴーゴー幽霊船米津玄師Ok
Karma ChameleonCulture ClubBa
江戸ポルカ一青窈Ga
ユリイカサカナクションOk
8月のセレナードスガシカオBa
春景色レミオロメンGa
ロビンソンスピッツOk
損と嘘倉橋ヨエコBa
月のワルツ諫山実生Ga
Million FilmsコブクロOk
月とラクダの夢を見た中山うりBa
Glitter柴咲コウGa
この傘をたためば槇原敬之Ok
手の鳴る方へback numberBa
不思議の国倉木麻衣Ga
CALLINGFLOWOk
君の好きなとこ平井堅Ba
よくある話〜喪服の女偏〜柴咲コウGa
BLAZINGGARNiDELiAOk
Bad DayDaniel PowterBa
モラトリアムレミオロメンGa
やさしい詩WEAVEROk
Mr.ブルー〜私の地球八神純子Ba
君の知らない物語supercellGa
いくつもの愛をかさねて岩崎元是Ok
If I Die YoungThe Band PerryBa
若手クリエーター柴咲コウGa
箒星Mr.ChildrenOk
風船天野月(天野月子)Ba
全力少年スキマスイッチGa

2016-05-06

[]カラオケ

曲目

Butter-Fly和田光司y
どんなときも。槇原敬之o
19時のニュースTOKIOn
sailing dayBUMP OF CHICKENy
白波トップウォーターサカナクションo
グリーングリーンIn The Soupn
二足歩行の天狗walkin'石鹸屋y
スタートライン海援隊o
クロノスタシスきのこ帝国n
DIVEB'zy
オドループフレデリックo
みいつけた!トータス松本n
月曜日 / 無菌室People In The Boxy
ネイティブダンサーサカナクションo
フリーダムGalileo Galilein
金曜日 / 集中治療室People In The Boxy
ロビンソンスピッツo
乾いた叫びFIELD OF VIEWn
ある証明ACIDMANy
ゴーゴー幽霊船米津玄師o
Telecastic fake show凛として時雨ny
世界は回ると言うけれどGARNET CROWn
Hello, WorkerKEI feat.巡音ルカo
HOT LIMITT.M.Revolutionn
風の日ELLEGARDENy
ドーナツホール米津玄師o
TOXIC BOY米津玄師n
Supernova9mm Parabellum Bullety
エンドレスサカナクションo
おやすみ泣き声、さよなら歌姫クリープハイプn
トレモロRADWIMPSy
シュガーソングとビターステップUNISON SQUARE GARDENo
チャイナタウンパスピエn
ジムノペディック藍坊主y
JOYYUKIo
さぁsurfacen
デイ・ドリーム・ビリーバーザ・タイマーズy
ユリイカサカナクションo
社会の窓クリープハイプn
ギミギミックRADWIMPSy
スカイフィッシュノリアキo
SUN星の源n
ターゲット〜赤い衝撃和田光司y
この傘をたためば槇原敬之o
ユレルカレルゲスの極み乙女。n
鬱くしき人々のうたマキシマム ザ ホルモンy
Wind climbing 〜風に遊ばれて〜奥井亜紀o
素晴らしい日々奥田民生n
Butter-Fly和田光司o

2016-04-09

[]イスラム国を馬鹿に出来ないはずの日本

以前、NHK解説委員の出川氏によるIS(イスラム国)についての講演を聞く機会がありました。その中で、ISがイラク政府と戦う際の戦法の話がありました。どんな方法か。例えば、トラックを改造し、車体の周りに鉄板を貼り巡らせて、兵員輸送の装甲車のようにする。そのトラックの荷台に大量の爆発物を積んで、自爆攻撃を仕掛けてくる。こういう相手と戦うのは非常に困難で、イラク政府軍は撤退を余儀なくされてしまったようです。これを可能にしているのは、自爆テロをして死んでも良いという兵隊の気持ちですよね。そしてそれは、イスラム教の敵を倒して死ねば必ず天国に行ける、という揺るぎない信念があるから出来るのだということでした。


それを聞いて「やっぱイスラムの奴らとは分かりあえねえな」と思う人もいるのかもしれませんが、私は別のことを思いました。これ、まさに第二次世界大戦の時の日本じゃないですか。だってこれ、カミカゼと全く一緒でしょう。自爆ということもそうだし、死んで英霊となるという、死後の救済を信じているということも。


そこから私が想像したのは、我々(私を含むとは言っていない)が今イスラム国に対して抱いている気持ちと同じような気持ちを、連合軍側は日本に対して抱いていたのだろうということです。要するに「あいつらはキチガイの集団であり困った存在であり排除しなくちゃいけない存在だ」という気持ちです。実際、カミカゼ特攻する人や命じる人がキチガイでないと言い切れますか。日本はイスラムに負けず劣らず信仰心の篤い国だったんですね。 いや、信仰心を利用したというべきかもしれませんが。


もちろん反対側から見れば、そうまでして戦わなければならない理由があるのに、対等な存在としてではなく「排除」される対象として扱われる。そういう意味で、「テロ」という呼称は、排除してもいいという正当化をした場合の戦争の呼び方なのだと思います。「なんであいつらはただのテロ組織なのに『国』なんて名乗ってるの?」と思うということはそういうことです。実際彼らはただ世界に混乱をもたらそうとしているのではなく、領土を確保しようとしていたりと、国と呼んでも良いような活動をしています。


戦わなければいけない理由とは何かという点についても講演では触れられていました。ISにはフランスベルギーといったヨーロッパの国からも人が参加しています。中東へ行くこともあれば、インターネットを使って遠隔で協力するという形での参加もあります。どういう人が参加するのかというと、中東からの移民の子孫が多いそうです。ヨーロッパではイスラム圏の人達への根強い差別があり(日本は移民が少ないだけで、差別は十分あるでしょうが)、同じ成績でも就職できないといったことが起こり、将来に絶望し、世直しをせねばとイスラム国に傾倒していくのだそうです。これって、私は正当な理由だと思います。これまでの歴史だって、虐げられていた人達による革命が成功したらその人達が正しかったという歴史が紡がれてきたものなのですから。


「なぜ戦争(テロ)などするのか。争いなんて愚かな人のやることだ」と思っている人は多いと思いますが(賢明なる私の友人達はそんなこと思って無いかもしれないですが)、それは現状維持で問題ない立場の人の発想であって、現状に問題がある人にとってみれば「現状を維持せよ」という命令は「格差を固定せよ」という命令と同じです。当然、格差の下の側に居る人はそれを受け入れられないし、その結果がテロになるわけです。もっと言えば、テロみたいな方法でしか風穴を空けられないからテロがあるわけです。だって、そんな自爆テロなんて楽しく生きてたらしたいわけないじゃないですか。


戦争もテロも同じだと私は思いますが、そういったものがなぜ起こるかと言えば、戦争やテロに身を投じる方がマシだと考えるような状況に追い込まれているからだ、というのが現在の私の理解です。つまり、戦争やテロをしたくならないようなマシな世界を作らない限り、そういうことは起き続けるということです。


で、これは日本の格差問題貧困問題にもそのまま当てはまるんだろうなと思っています。貧困をその人達の努力不足のせいだということにしておくことは、テロに当たるような行動をする人を増やすことであり、裕福な人にとっても社会リスクの増大を招くことになると考えるべきなのだろうなと思います。