5月4日から5月10日



5月4日。上海浦東空港*1

5月4日。成田空港。

5月4日。京成八千代台駅

5月8日。赤い薔薇。習志野市本大久保。


5月8日。「横浜家系らーめん 大久保家」*2習志野市大久保。

5月8日。「幸福実現党*3と「日本共産党」。習志野市大久保。

5月9日。新京成新津田沼駅


5月10日。京成大久保駅





5月10日。成田空港。


5月10日。 上海浦東空港*4

河野哲也『道徳を問いなおす』

承前*1

先日、河野哲也*2『道徳を問いなおす――リベラリズムと教育のゆくえ』を読了した。
取り敢えず目次をメモ;


序章 これまでの「道徳」
第一章 道徳を語る準備――リベラリズムと教育
第二章 共に生きるための「道徳」
第三章 他者を知り、共感するために――エコロジカル・ケイパビリティ・アプローチ
第四章 道徳には哲学が効く


あとがき
参考文献

著者の主張を一言で表現すれば、「現代社会における道徳教育とは、リベラルな民主主義社会を維持し、発展させる働きを担う主権者を育成することに他ならない」(p.13)、「道徳教育とは、民主主義教育と同じものなのである」(pp.13-14)ということになる。またこの本は「心理主義*3批判という側面を持っている(pp.24-26)。これに関しては、著者の前著である『暴走する脳科学』の議論も併せて参照されるべきであろう。
暴走する脳科学 (光文社新書)

暴走する脳科学 (光文社新書)

大まかにいって、本書の議論は政治的にも哲学的にも共感するところが大である。しかしかなり根柢的な準位において違和感を感じた箇所もある。この本を読むと、、「道徳」と「哲学」と「政治」は全くテンションなくシームレスに連なっているかのような印象を受ける。しかし、(アレントが指摘したように)プラトン以来の西洋哲学史は哲学と政治の(敵対に近い)緊張の歴史であった。これについては、例えば陳高華『思考與判断 漢娜・阿倫特的哲学―政治之思』*4を参照のこと。「哲学」と「政治」の緊張関係を解きほぐし、そのために「哲学」と「政治」を再定義することが必須なのである。
また「リベラリズム」と「民主主義」が混同されており、そのために(例えば)カール・シュミットへの反論の説得力が減じているということがある(pp.53-54)。
それから、著者は「個人が目的であり、社会は個人のために機能すべき手段であり道具である」という(p.33)。その政治的な含意はともかくとして、社会理論という準位においては、「個人」と「社会」の間に功利主義的な関係を設定することによって、実体としては存在しない筈の「社会」を物象化・実体化してしまうことになる。

ストックホルム症候群?

“Riots grip Stockholm suburbs after police shooting “ http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-22622909
Stephen Evans “Stockholm riots throw spotlight on Swedish inequality” http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-22650267
Anthony Lane “Swedish police try to restore order in Stockholm after week of rioting” http://www.guardian.co.uk/world/2013/may/24/swedish-police-stockholm-rioting
Aditya Chakrabortty “Swedish riots: if instability can happen here, what might unfold elsewhere?” http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2013/may/27/swedish-riots-inequality-stockholm



先月の後半、瑞典ストックホルム郊外のHusby*1で1週間に亙る暴動が発生した。移民に対する警察のレイシスト的な振る舞いによって点火された暴動というのは、2011年の倫敦*2の例を引く迄もなく、ヨーロッパにおいては珍しくもないことだとはいえるのだろう。今回衝撃的だったことのひとつは、(例えばシバキ主義の保守党政権下の英国ではなくて)弱者やマイノリティにやさしい社会と広く認められている瑞典で起こった暴動だとということだろう。Aditya Chakraborttyは、瑞典には新自由主義的な政策が実際にかなり浸透していることを指摘している。また瑞典は世界でも貧富の格差拡大のスピードが速い国なのである。Stephen Evansの記事から引用;


Many said there was a wider context of a growing gap between rich and poor in Sweden.

On OECD (Organisation for Economic Co-operation and Development) figures, Sweden has seen the biggest increase in inequality of any developed country over the past 25 years.

また瑞典における移民問題

Immigrants and their descendants tend to congregate in areas such as Husby, the neighbourhood west of Stockholm where the violence started on Sunday.

About 80% of the 11,000 residents are either first- or second-generation immigrants.

Accordingly, this week's troubles have raised the volume of the debate in Sweden on immigration. About 15% of the population was born outside the country, the highest proportion in any of the Nordic countries.

The influx has come mostly from war-torn countries like Iraq, Somalia, the former Yugoslavia, Afghanistan and Syria. In 2012, Sweden accepted 44,000 asylum seekers, up by nearly 50% from a year earlier.


The Swedish riots have similarities with those in London two years ago and in Paris in 2005 - an incident triggered widespread attacks on property, although there is no evidence of looting in Stockholm as there was in London.

But there does seem to be a particular Swedish problem. The country had a reputation for generosity and an especially welcoming attitude but now something is clearly going wrong.

Aje Carlbom, a social anthropologist at Malmo University, said the government needed to accept that immigrants arriving without an adequate education were likely to remain unemployed.

He said: "Maybe a lot of money should be invested in second- and third-generation immigrants, to make sure they learn Swedish. The parents' generation, I think, unfortunately, is probably a lost cause in terms of integration."

The difficulty is that Sweden has always been perceived as a high-spending country, with generous provisions for education and social help.

貧富の格差の拡大は新自由主義政策の浸透と無関係ではないだろうが、「移民」問題と密接に関係しているといえるだろう。瑞典が受け入れている移民は、限りなく難民に近い移民である。つまり瑞典が移民を寛容に受け入れれば受け入れるほど、統計上では貧富の格差は拡大することになる。社会的統合が成功しない限り、格差は世代を継いで相続されることになる。なので、(例えば)日本人が瑞典に対して上から説教を垂れることはできない。勿論瑞典が極右勢力の擡頭という(日本を含む)どの国でも抱えている問題を共有しているということはある*3

日本では、戦後ずっと瑞典への一定の関心はあったと思うけど、印象が強いのは冷戦が終わった1990年代前半。日本国内的事情としては、みんなが反対した一般消費税が定着してしまって逆転不可能だと自覚したときに、消費税を前提に高度福祉社会を目指すというときに、瑞典に視線が向けられた。1991年に岡沢憲芙氏が『スウェーデンの挑戦』を岩波新書から出した。またこの時代は、「生活大国」という言葉も生まれて、「生活」という言葉が政治の鍵言葉になったのだった*4。岡沢氏は1994年に『生活大国へ』という本を刊行している。

スウェーデンの挑戦 (岩波新書)

スウェーデンの挑戦 (岩波新書)

  タイトルに意味は別にありません。

「新日本」!?

アントニオ猪木が「日本維新の会」から再出馬するらしいという件だが*1橋下徹は自らの落選後のことも考えているのではないかと一瞬思ってしまった。プロレスラー転向。そのときは、谷亮子とか自民党馳浩とかと、寝技でもデス・マッチでも存分にやっていただきたい。
日本維新の会からアントニオ猪木氏が立候補するというニュースを聞いて、その後追放されて「新日本維新の会」を設立したら面白いなと思ったのは俺だけではないはず」*2。ところで、「新日本」という文字列は左翼業界に足を突っ込んでいる(いた)人にとっては、独特の響きがある筈だ。日本共産党系列の女性団体に「新日本婦人の会」というのがある*3。「新日本出版社」という出版社もある*4。事情があって〈反党団体〉になったが、「新日本文学会」も元々は共産党系ではある*5。このように、新日本製鐵新日本プロレスを除けば、「新日本」というのは共産党系というニュアンスを有してしまうのだった。どうでもいい話だけれど。