二重の偽装など

「日本人論」というのは戦後における「国家神道」の代替品であると、島薗進先生は言っていなかったっけ(『国家神道の日本人』)。

国家神道と日本人 (岩波新書)

国家神道と日本人 (岩波新書)

To Dream of Dreams: Religious Freedom and Constitutional Politics in Postwar Japan

To Dream of Dreams: Religious Freedom and Constitutional Politics in Postwar Japan

さて、David M. O'brien To Dream of Dreams*1の中で、「神道」と「日本人論」の関係が論じられている。

Shinto (literally, “kami way,” or “way of the gods”) is the ancient, indigenous religion of Japan. Centered on neither a founder nor a doctrine, it has no organized theology o monotheistic creed. Instead, Shinto rites and rituals revolve around the special cahracter of the Japanese and their relationship to the kami according to enturies-old myths and regends. Japan's religion has repeatedly benn said to be a “religion of Japaneseness.” Devotion to “things Japanese” is undeniable, and Shinto is the heartbeat of “things Japanese” in a country for centuries populated basically by one race, under one government. (…)
The expression “religion of Japaneseness” became popular in 1970s. Although Japanese and other scholars enthusiasstically embraced it in their theories of' “Japanese uniqueness”(Nihonjin-ron), the idea itself is cwnturies old. The exopression was popularized in the 1970s by several bestselling books, in particular The Japanese and the Jews, by Isaiah Ben-Dasan, a pseudonym allegedly used by a Hebrew University historian, Ben-Ami Shilloy. That work drew some illuminating analogies between the Jews and the Japanese in terms of both groups identifying with divine origins, being a chosen people, and living in a promised holy land.(...) (pp.16-17)
イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』で以て「日本人論」を代表させることの是非はともかくとして、「日本人論」を theories of' “Japanese uniqueness”と英訳したのは興味深い。さて、ベンダサンが Ben-Ami Shilloyの筆名として設定されていたというのはあまり注目されていなかったのでは? まあ、Ben-Ami Shilloy名義の本も出ていたと思う。しかし、それを見たとき、この著者とイザヤ・ベンダサンが同一人物だということは思い浮かばなかった。
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)


Although in some ways illuminating Shinto and Japanese culture, The Japanese and the Jews was deceptive and self-serving, because it aimed to legitimize the idea of Japanese uniqueness b cleverly expropriating stereotypes of Jewish cultural identity. The book largely succeded in that regard and sold more than a million copies in Japan before it was translated into English. Yet the book's author was not in fact Jewish. There was no Ben-Dasan or Professor Shilloy. That was a hoax. Years later, supposed translator and publisher of the book, Shichihei Yamamoto, a well-known novelist and Chrisitian, finally admitted to having written the book. (pp.17-18)
本当に、山本七平は、ベンダサンは私だ、と告白しちゃったの? 著者は、このエピソードに関して、David J. Goodman*2 and Masanori Miyazawa Jew in the Japanese Mind: History and Uses of a Cultural Stereotype (Free Press, 1995)をリファーしている。
さて、著者は「日本人論」及び「日本人論」検討・批判の文献として、 以下の文献を挙げている*3


本田総一郎『日本神道入門』日本文芸社、1985
Takeyoshi Kawashima(川島武宜*4) “The Legal Consciousness of Context in Japan” Law in Japan 7, 1974
Michael Banton Racial and Ethnic Competition Camnbridge University Press, 1983
Shoichi Watanabe(渡部昇一*5The Peasant Soul of Japan St, Martin's, 1989
石川真澄*6『日本政治の透視図』現代の理論社*7、1985
Steven Reed Making Common Sense of Japan University of Pittsburgh Press, 1993
Karel van Wolferen『日本権力構造の謎』ハヤカワ文庫、1990*8

日本 権力構造の謎〈上〉

日本 権力構造の謎〈上〉

日本 権力構造の謎〈下〉 (ハヤカワ文庫NF)

日本 権力構造の謎〈下〉 (ハヤカワ文庫NF)

Roy A. Miller Japan's Modern Myth Weatherhill, 1982
Gregory Clark The Japanese Tribe: Origin of a Nation's Uniqueness Saimaru Press, 1977
Peter Dale The Myth of Japanese Uniqueness Nissan Institute for Interantional Studies, 1988
Ross Mouer and Yoshio Sugimoto Images of Japanese Society: A Study in the Structure of Social Reality KPI Limited, 1986
John C. Campbell Politics and Culture in Japan University Michigan Center for Political Studies, 1988


ベンダサン(=山本七平)については、浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』 をマークしておく。また、「日本人論」を巡っては、青木保『「日本文化論」の変容』*9はやはりmust read

にせユダヤ人と日本人 (朝日文庫)

にせユダヤ人と日本人 (朝日文庫)

「ねじれ」(メモ)

改憲は必要か (岩波新書)

改憲は必要か (岩波新書)

杉田敦*1「「押し付け憲法」は選びなおさないと、自分たちの憲法にはならないのではないか」 in 憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』*2、pp.49-70


少し抜書き。


ちなみに改憲論者のかなりの部分が、フランス革命をはじめとする革命というものに不信感を抱いているようであり、逆に護憲論者のほとんどが、フランス革命などは評価しながら、日本の憲法のつくり直しは否定していますが、ここに一種の「ねじれ」があります。憲法典をつくり直すというのは、一挙に政治体制をつくり直すという考え方と不可分であり、これはまさに革命の思想だからです(その革命の方向性が、ある立場から見て「反革命」と見えるものかどうかは、この際別の話です)。これはフランス革命だけの問題ではありません。アメリカが憲法典を持ったのも、イギリスの植民地だったこの国が、イギリスのやり方に反発し、一種の革命としての独立をとげたことと関係しています。政治体制が徐々に変化して行くよりも、ある瞬間に一挙に変化することを望むという点では、憲法典の海底に期待する議論は、いずれもある意味で革命の思想なのです。
これに対し、イギリス的なコンスティチューションという考え方、つまり、法と慣習の総体としての制度構造をそう呼ぶ考え方は、革命的な思想ではありません。(後略)(p.59)
日本における〈保守主義〉の困難。
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070116/1168966875

吉田司家の話

武内新吉『島の息づかい――天草民俗誌』(葦書房、1986)という本*1に、天草郡大矢野町の「登立天満宮」の秋祭りでの「相撲の奉納」(「宮相撲」)の話が出ている(p.202ff.)。「宮相撲」では宮司ではなく「行司」が祝詞をあげるのだという。その「行司」として紹介されている広田清信という方は「大正九年熊本市吉田司家に入門。「式守」の名字をもら」ったという。「吉田司家*2角力の家元として江戸時代以来君臨してきたが、所謂大相撲だけでなく、「宮相撲」などの「行司」も統括していたわけだ。また、「吉田司家相撲八段の免許を持つ」西山勇さんという人もこの本には出てくる。実は、吉田司家が、剣道や柔道などのほかの武道、囲碁や将棋などと同様に、「相撲」の段位を発行していたことも知らなかった。

島の息づかい―天草民俗誌

島の息づかい―天草民俗誌

ところで、この本が上梓された1986年というのは、吉田司家にとっては非常に重要な年だった。Wikipediaに曰く、

1986年(昭和61年)5月、借金問題など司家の経営上の不祥事により、25世吉田長孝と春日野理事長(当時)との会談で、横綱授与の儀式を全面的に協会へと委ね、当面は協会との関係を中断する旨を双方了解した。なお、1983年(昭和58年)7月に推挙の第59代横綱隆の里俊英までは司家も推挙式に臨席し、毎年十一月場所後に司家の土俵での奉納土俵入りが行われていたが、関係中断によって1986年7月に推挙の第60代横綱双羽黒光司以降、司家は推挙式には臨席せず、司家土俵での土俵入りも事実上の廃止となり、行われなくなった。これに伴い、司家が学生横綱に絹手綱を授与する儀礼も、事実上廃止されている。

かつて司家の屋敷は熊本市北千反畑町(中央区)の藤崎八旛宮参道脇にあり、土地約1000平方メートルの敷地に吉田追風の住宅、天照大神住吉大神・戸隠大神の三神(十三代吉田追風が相撲関係者の崇拝神として定めたという「相撲三神」)を奉斎した神殿、吉田司家宝物館、土俵など建物計約200平方メートルがあったが、2005年(平成17年)2月に土地・建物が熊本地方裁判所にて競売にかけられ、穴吹工務店高松市)に約2億円で売却された。建物はすべて取り壊され、跡地には同社のマンションが建設された。参道に面したマンション敷地内に「吉田司家跡」の石碑が存在する。宝物館には多数の相撲関係資料や美術品等が所蔵されていたが、その行方について日本相撲協会は「現在どうなっているか、まったく分からない」と述べている。

その後も25世吉田長孝は相撲界への復帰と司家の権威の回復を目指して支援者らとともに活動しており、2015年には阿蘇市阿蘇内牧温泉に新たな拠点を置く計画を公表、同年4月、阿蘇市小里において「相撲三神」の神霊を熊本市から移す「仮殿遷座祭」を挙行した。司家は今後本殿や土俵を建設して相撲文化の拠点となる施設を設け、相撲大会の開催や相撲を通じた地域おこし、更に横綱奉納土俵入りなどかつての司家の儀礼を復活させる構想を示している。「仮殿遷座 祭」には松野頼久衆議院議員、佐藤義興阿蘇市長、郄島和男熊本県議会議員ら政界関係者も出席し、司家再興への支援の意向を表明したものの、こうした司家・熊本県関係者側の動きに対し日本相撲協会は全く反応していない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%8F%B8%E5%AE%B6

横綱はここから生まれた。熊本にて800年続いた相撲の神様・吉田司家、お家取り潰しの顛末。」という記事*3に曰く、

歴代の横綱横綱吉田司家詣でをして、吉田司家より任命を受けていました。 ところが1980年代、24世吉田長善が野球賭博で借金をつくり、経営悪化の末、代々伝わる相撲関係のお宝のすべてが、借金のかたとして流失することになってしまいます。その際に暗躍していたのが「日本財界のフィクサー」といわれた許永中

吉田司家が所有していた多数の相撲関係資料や美術品の行方について、ウィキペディアでは


日本相撲協会は「現在どうなっているか、まったく分からない」と述べている
となっていますが、さすがの許永中も相撲関係のお宝は売り捌くことができず、某宗教団体の倉庫に預けられたまま・・・。
ここでの直接の引用などはしないけれど、この後、吉田司家再興に纏わる胡散臭くて面白い話が続いている。
なお、吉田司家再興を正面から掲げている団体として、「NPO法人熊本相撲文化研究会」というのがあるようだ*4

*1:著者の武内新吉氏は読売新聞記者だった人。この本の原形も『読売新聞』に連載された。

*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070202/1170416965

*3:http://koukoku-ya.com/yoshidatukassa-ke/

*4:https://sumo-ken.org/

「普通の男の子は」

神庭亮介*1「りゅうちぇる、自分を偽り悩んだ少年時代 「普通を変えよう」デビュー曲で歌う」https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/ryuchell


少しメモ。


幼稚園生のころは、おままごとが好きで。みんなが「仮面ライダー」とかを見ているころに、「おジャ魔女どれみ」を見てました。バービー人形も好きだったし。

その時から、子どもなりに人と違うってことを感じてました。「あ、自分の素を出したらいじめられるんだ」って。中学生のころまで、ずっと自分を隠してましたね。

かわいいものが大好きだけど、男の子ではなくて女の子が好き。本当に、「普通の男の子」になれれば楽なのになぁって思ってました。

「絶対ウソだ。男が好きなんだろ」「オカマだろ」って何度も言われて、親からも「普通の男の子はこういう格好しないよ」って。

居場所がないし、自分がわからない。人から色々言われすぎて、「普通って何なんだろう」「ボクって何なんだろう」って悩んでました。


中学生ぐらいなると、自分を偽るのがうまくなってきちゃって。違う自分でいることによって、表面だけの「偽りの友達」ができて。

それって自分のせいなんですけど、あのころは学校が社会のすべてだったから。ここで嫌われたらすべてが終わる、(スクール)カーストの上にいなきゃって思ってたし。

偽りの友達に合わせて、大好きな先生や大好きな友達の悪口を言う。そういうのがすごくツラくなって、「こんな人生嫌だ。自分を変えよう」って決意したんです。

めちゃくちゃ怖かったんですけど、変わりたいと思って、高校は地元の子が一人もいないところを選びました。入学前からTwitterで「ちぇるちぇるランドのりゅうちぇる」って、自撮りをあげて。

入学式も超派手な格好で行ったら、「あ、Twitterやってる人だ」ってちょっと受け入れてもらえて。居場所を見つけて、自分を表現することができるようになりました。


校内に居場所ができても、放課後に高校から出たら中学までと変わらないわけで。「アイツ誰?」って笑われることもあったりして、やっぱり違うなあと。

そんな時に原宿っていう場所を知ったんです。個性豊かなアパレルの子とかが歩いているのをTwitterで見て、こんな格好でも「まあ原宿だからね〜」で許されちゃう場所が日本にあるんだって。

それまで、「日本では個性を認めてもらえない。アメリカに行くか、基地で働こう」なんて決めつけてるところがあった。でも原宿を知って、速攻で上京しました。

中学の時は偽りの自分でいたから、偽りの友達ばかりになってしまった。原宿でありのままの自分でいたら、友達もできて、運命の人(ぺこ)とも出会えた。自分に嘘をつかなければ、出会いは嘘をつかないんですよね。

そこから読者モデルのお仕事が始まって、事務所にスカウトしてもらったり、テレビに出たりして、いまに繋がってる。自分を表現しなければ、何も始まらなかったと思います。

See also


茺田理央「りゅうちぇるとぺこ夫婦が、赤ちゃんを授かったよ♡「私たちらしいパパとママになりたい」」http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/04/peko-pregnant_a_23352251/

相棒は来なかった

小室翔子「金正恩のコスプレマン、北朝鮮応援団の前に現れる。団員は困惑」http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/14/kosupure_a_23361366/


曰く、


2月14日の1次リーグB組最終戦。日本対南北合同チームの試合で、北朝鮮応援団の前に金正恩氏のコスプレをした人物が現れたのだ。聯合ニュース、News1、中央日報などが報じた。

金正恩氏のコスプレをした人物は、統一旗を持って観衆席に現れた。

一部の観客は笑いながら写真を撮っていたが、北朝鮮応援団は驚いた表情を浮かべて困惑している様子だった。

ブクマを見たら、「驚いた表情を浮かべて困惑している様子」の「応援団」を心配するコメントが多かった*1。下手に笑ったら「粛清」されるとか。
さて、このオルタナティヴな本人である金正恩は開会式にやはりオルタナティヴな本人であるドナルド・トランプと一緒に登場した*2のと(字義的な意味で)同一人物であるらしい。今回は、相棒は一緒ではないようだけれど、それはアイス・ホッケーの入場券が買えなかったという経済的問題?