怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

日本国憲法と第9条に関する論点整理〜3


○芦田委員長 更に問題を具體的に考へまして、改正案第九條を檢討致しますと、ここに三つの問題があると思ひます
 第一は、法案第九條の規定に依れば、我が國は自衞權をも抛棄する結果となるかどうか、此の點は本委員會に於て多數の議員諸君より繰返し論議せられた點であります
 第二には、其の結果日本は何だか國際的保障でも取付けない限り、自己防衞をも全うすることが出來ないのか、延いて他國間の戰爭に容易に戰場となる虞はないかと云ふ點であります
 第三は、一切の戰爭を抛棄した結果、日本は國際聯合の加盟國として武裝兵力を提供する義務を果すことが出來ないから、國際聯合への參加を拒否せられる虞はないかと云ふ諸點であります
 以上の三點に付て國際聯合憲章の規定と照し合せて考へる場合、私は次の如き結論が正しいのではないかと思ひます、不幸にして自衞權の問題に付ての政府の答辨は、稍明瞭を缺いて居ります、自衞權は國際聯合憲章に於ても第五十一條に於て明白に之を認めて居ります、唯自衞權の濫用を防止する爲に、其の自衞權の行使に付ては安全保障理事會の監督の下に置くやうに仕組まれて居るのであります、憲法改正案第九條が成立しても、日本が國際聯合に加入を認められる場合には、憲章第五十一條の制限の下に自衞權の行使は當然に認められるのであります、唯其の場合に於ても、武力なくして自衞權の行使は有名無實に歸するではないかと云ふ論がありませう併しながら國際聯合の憲章より言へば、日本に對する侵略が世界の平和を脅威して行はれる如き場合には、安全保障理事會は、其の使用し得る武裝軍隊を以て日本を防衞する義務を負ふのであります、又我が國に對しましても自衞の爲に適宜の措置を執ることを許すものと考へて多く誤りはないと思ひます、此の點に付て政府の今日までの御答辨は、稍明瞭を缺くやに考へられますから、此の場合明白に其の態度を表明せられんことを希望致します(拍手)

○金森國務大臣 將來國際聯合に日本が加入すると云ふことを念頭に置きまする場合に、現在の憲法の定めて居りまする所と、國際聯合の具體的なる規定が要請して居りまする所との間に、若干の連繋上不十分なる部分があることは、是は認めなければならぬと思ひます、併しながら其の時に何等かの方法を以て此の連絡を十分ならしるむ措置は考慮し得るものと考へて居りまして、必要なる措置を其の場合に講ずると云ふ豫想を持つて居ります

○芦田委員長 法第九條に關する第三の點、即ち日本が一切の戰力を廢止する結果、國際聯合國としての義務を果し得なくなるから、聯合加盟を許されないかも知れないと云ふ論、餘りに形式論理的であります、日本が眞に平和愛好國たる事實を認められる場合には、斯かる事態はあり得ないと考へて間違ひはないと思ふのであります何れに致しましても本改正案の目標は、我が國が國際聯合に加盟することに依つて初めて完全に貫徹し得るものであることは明かであらうと思ひます、けれども問題はそればかりで終るのではありませぬ、日本が平和國家、文化國家として内外に認められるに至るには、我が國民の間斷なき努力を必要とするもとと信じます、私は最近文化國家と云ふ文字が、餘りに手輕に易々と叫ばれることに不安の念を抱くものであります、一つの民族の實力、世界に於ける地位民族生存の意義、人類に對する責任、總て是等が文化にあると云ふことは、心ある者の皆知る所であります、然るに日本の今日に立至つたのは、現代に住む我々日本人が歴史最大の過ちを犯したと云ふのは、全く日本の文化の程度が低く、其の内容が貧弱であり、又文化の精神と本質とが國民に十分理解せられて居なかつたことに基くものであると信じます(拍手)此の憲法改正案を提案された吉田内閣は、單に紙に書いた案文を議會に呑込ませることを以て責任が終るのではありませぬ此の憲法の目指す方向を國民に理解させ、憲法改正の裏付けとなるべき國民文化の向上に渾身の努力を致さるべきであると思ひます(拍手)それのみが戰爭の勃發を防止する方法であるとさへ信ずるのであります、吉田内閣は此の畫期的な時期に國民指導の大責任を負うて政府に立たれました、此の機會にこそ閣僚諸公は奮起して國民の自覺を呼び起し、世界に呼び掛けて國際平和の實現に挺身せらるべきであると思ひます、然るに憲法改正案の審議に於てさへ、閣僚諸公の熱意は甚だ上らざるが如くに見えまするが故に、此のことは決して國民を安堵せしむる所以ではないと思ひます、幸ひ吉田内閣には多年憲政の爲に盡瘁せられた多くの政治家を持つて居られる是等の政治家が眞に其の熱意と其の氣魄とを以て國民の指導に當られることは、我我の日夜念願致して居る所であります、之に付て政府より答辨を得ることは期待致して居りませぬ、併しながら若し何等か此の際其の所信を御表明下さるならば、喜んで拜聽致したいと思ひます(拍手)

○金森國務大臣 總理大臣から御答辨を願はうと思つて居りましたが、私が此の問題に付きまして、當面の責任の地位に立つて居りまするが故に、一言御答へする御許しを願ひたいと存じます、此の憲法は御覽の如く、又御承認を多分は載いて居るかの如く、何千年の歴史を經過致しました日本に於て、未だ曾て考へられたこともない大いなる變革を齎すものであります、我々は單に變革を齎すことを目的として居るものではない、眞に此の變革の現實の效果を世界の舞臺に於て、又日本國民の爲に完全に遂行して、有終の美を遂げたいと思ふのでありまして、此の憲法の草案は、是は確かに「インク」を以て書かれて居るものでありますけれども、私共の立場から申しますれば、全精神を以て之を文字に表はしたものと信じて居るのでありまして、今委員長から御話になりました點は、今までの私共の態度が惡かつたかも知れぬ、或は努力が足りなかつたかも知れませぬが、内心は決してさうではない、十分此の憲法を實現し、同時に日本全局の文化國家建設の一路に、唯私一人の立場をここに挟んで申しますれば、捨石の捨石となつても宜しいと云ふ信念の下に臨んで居る次第であります(拍手)


ここでも「文化国家」なる文言が出るわけですが、日本が戦後に目指したのは、軍事国家や覇権国家などではなく、平和と安全を大事にする文化国家だったのだ、ということです。包丁もそうすると、「文化包丁」ということになるくらいの、安全を求める国、国民に生まれ変わりましょう、とそういうことだったのです。ふざけすぎました。

ただ、自衛権は放棄してないんだ、と。けれども、裸一貫なんだから、戦力はないので、現実問題として軍もないわけだし、軍備もないから行使できない「見えない権利」みたいなものであり、交戦権もない、と。そういうことにならざるを得ないんだ、と。
こんな話は、制定前の最初っから分かっていたことだったのです。



1946年8月25日 衆議院本会議

芦田均君 本日いとも嚴肅なる本會議の議場に於て、憲法改正案委員會の議事の經過竝に結果を御報告し得ることは深く私の光榮とする所であります
 本委員會は六月二十九日より改正案の審議に入りまして、前後二十一囘の會合を開きました、七月二十三日質疑を終了して懇談會に入り、小委員會を開くこと十三囘、案文の條正案を得て、八月二十一日之を委員會に報告し、委員會は多數を以て之を可決致しました、其の間に於ける質疑應答の概要竝に修正案文に付て説明致します
(中略)

「第二章戰爭の抛棄」に付て説明致します、改正案第二章に於て戰爭の否認を聲明したことは、我が國家再建の門出に於て、我が國民が平和に對する熱望を大膽率直に表明したものでありまして、憲法改正の御詔勅は、此の點に付て日本國民が正義の自覺に依り平和の生活を享有することを希求し、進んで戰爭を抛棄して誼を萬邦に修むる決意である旨を宣明せられて居ります、憲法草案は戰爭否認の具體的な裏付けとして、陸海軍其の他の戰力の保持を許さず、國の交戰權は認めないと規定して居ります、尤も侵略戰爭を否認する思想を憲法に法制化した前例は絶無ではありませぬ、例へば一七九一年の「フランス」憲法、一八九一年の「ブラジル」憲法の如きであります、併し我が新憲法の如く全面的に軍備を撤去し、總ての戰爭を否認することを規定した憲法は、恐らく世界に於て之を嚆矢とするでありませう(拍手)近代科學が原子爆彈を生んだ結果、將來萬一にも大國の間に戰爭が開かれる場合には、人類の受ける慘禍は測り知るべからざるものがあることは何人も一致する所でありませう、我等が進んで戰爭の否認を提唱するのは、單り過去の戰禍に依つて戰爭の忌むべきことを痛感したと云ふ理由ばかりではなく、世界を文明の壞滅から救はんとする理想に發足することは言ふまでもありませぬ(拍手)
 委員會に於ては此の問題を繞つて最も熱心な論議が展開せられました、委員會の關心の中心點は、第九條の規定に依り我が國は自衞權をも抛棄する結果となるかどうか、自衞權は抛棄しないとしても、軍備を持たない日本國は、何か國際的保障でも取付けなければ、自己防衞の方法を有しないではないかと云ふ問題、竝に我が國としては單に日本が戰爭を否認すると云ふ一方的行爲のみでなく、進んで世界に呼び掛けて、永久平和の樹立に努力すべきであるとの點でありました、政府の見解は、第九條の一項が自衞の爲の戰爭を否認するものではないけれども、第二項に依つて其の場合の交戰權も否定せられて居ると言ふのであります、之に對し委員の一人は、國際聯合憲章第五十一條には、明かに自衞權を認めて居り、且つ日本が國際聯合に加入する場合を想像するならば、國際聯合憲章には、世界の平和を脅威する如き侵略の行はれる時には、安全保障理事會は其の兵力を以て被侵略國を防衞する義務を負ふのであるから、今後に於ける我が國の防衞は、國際聯合に參加することに依つて全うせられるのではないかとの質問がありました、政府は之に對して大體同見である旨の囘答を與へました、更に第九條に依つて我が國が戰爭の否認を宣言しても、他國が之に贊同しない限り、其の實效は保障されぬではないかとの質問に對して、政府は次の如き所見を明かに致しました、即ち第九條の規定は我が國が好戰國であるとの世界の疑惑を除く消極的效果と、國際聯合自身も理想として掲げて居る所の、戰爭は國際平和團體に對する犯罪であるとの精神を、我が國が率先して實現すると云ふ積極的效果があり、現在の我が國は未だ十分な發言權を持つて、此の後の理想を主張し得る段階には達して居ないけれども、必ずや何時の日にか世界の支持を受けるであらうと云ふ答辨でありました、委員會に於ては更に一歩を進めて、單に我が國が戰爭を否認すると云ふ一方的行爲のみを以ては、地球表面より戰爭を絶滅することが出來ない、今日成立して居る國際聯合でさへも、其の組織は戰勝國の平和維持に偏重した機構であつて、今尚ほ敵味方の觀念に支配されて居る状況であるから、我が國としては、更に進んで四海同胞の思想に依る普遍的國際聯合の建設に邁進すべきであるとの意見が表示せられ、此の點に關する政府の努力に付て注意を喚起したのでありました。


後日、法学の世界において「芦田修正」と言われる、9条の文言変更が話し合われたとされるのが、憲法改正委員会と小委員会だったが、その概要が説明されているものである。



同年9月3日 貴族院本会議

松本学

次に御伺したいことは、戰爭抛棄のことであります、戰爭抛棄と世界平和との關係のことに付て本會議の質疑應答の中で、疑を持つたのであります、本會議での質問に對しての御答辯は將來國際聯合に加入するのだと云ふことが一つと、それから幣原國務相からは戰爭は廢めるけれども、文化國家としての國内文化から強化して行く、又林伯爵の御質問に御答になつて、鬪爭の本能と云ふものもそれに依つて滿足させるやうにするのだ、斯う云ふやうな御答であつた、私は是だけではどうも滿足がいかない、國際聯合加入と云ふことになりますと、是は無論將來のことでありまして、是には自衞權と武備と云ふものが條件として加はるのではないかと思ひますが、此の點は私は詳しくは存じませぬので、其の加入すると云ふ時に當つて、全然自衞の武備を持たない國家として容易く入り得るかどうかと云ふことに疑問を持ちます、それから國内宣言として國内に向つて戰爭の抛棄をした、さうして文化國家として起つたのだから國民も其の積りでやれと云ふことだけでは、どうも何だか戰爭抛棄の大きな理想は十分でないと思ふ、苟くも戰爭抛棄と云ふやうな劃期的な世界を驚かすやうな宣言を爲さる、是は憲法の第九條と云ふ一條項でありますけれども、是は世界に向つての宣言だと思ふ、日本國の名譽に懸けての大宣言であります、此の大宣言を爲さる以上は國際聯合に加入して貰ふのだ位では濟まぬ、適當な時が來たならば國際聯合に入れて貰ふ前提にやつたと云ふことだけでは濟まぬと思ふ、又國内の文化力を強化すると云ふことだけでも片附かぬことである、世間では之を「アメリカ」なんかでも「ユートピア」と批評して居る、成る程さうでありませう、「アメリカ」人から見れば斯んなに慘敗をして立つことも出來ぬやうな國情になり、全部の武備は剥ぎ取られてしまつて居る、無防備な、武備なき日本國民が戰爭抛棄なんと云ふことは是は負惜しみを言つて居るのだ曳かれ者の小唄のやうなものだ、自分で實力を持つて居つて、其の實力を持つて居りながら戰爭を抛棄するぞと言ふのならば成る程と言ひませうけれども、實力のない四等國、五等國になつた最も弱い此の日本國家が斯う云ふ理想を言つた所で、誰も納得する者はなくして、「ユートピア」と言ふのは是は無理もありませぬ、私は恐らく是だけの世界に向つての大宣言を爲さつた以上は政府に於て必ずや世界平和への何かの具體案を持つておいでになるのだらうと思ふ、具體案なくして俺は戰爭を廢めたと言つたのでは世界の物嗤ひになる、私は繰返して申しますが、第九條は決して一日本國憲法の一條項ではありませぬ、世界に向つての大宣言であります、世界人類の幸福の爲に日本國民が本當の眞心から出た叫び聲であらうと思ふ、さうであるならば何か具體案を持つて居るに違ひない、文化國日本として世界人類、文化の爲に貢獻するに付て戰爭と云ふやうなものは廢める、そして斯くの如き具體案に依つて世界に呼び掛けるぞ、君方贊成するかせぬか、斯う云ふ何か腹案を持つて居るのだらうと私は思ふ、それがなくして唯空念佛のやうなことを仰しやつて居るのではないか、數年前確か昭和十三年だつたと思ひますが「ローズヴェルト」夫人「ミセス・ローズヴェルト」が、「ザ・トラブルド・ウァールド」と云ふ小さい「パンフレット」を著はしました、是は例の第二次世界大戰が將に始らむとして居るあの不安な世界情勢の中で此の著書を出したのでありますが、其の中い書いてありますことは、世界の平和と云ふものは人間性の根本的改革が起らなければいかぬのだ、

さうして「ブラザーフッドラヴ」兄弟愛と云ふものを基本に置いて世界人類が結んで、茲に初めて國際平和と云ふものが出來るのであつて、其の具體的な方法として紛爭等が起つた場合の解決策としては國際結合を強化しなければならぬと云ふやうな意味の小さい「パンフレット」であります、斯う書いて居られるのであります、斯う云ふやうな一つの考へ方が或は國際聯合の因を成して居るのではないか、即ち「ミスター・ローズヴェルト」があの當時頻りに國政の上に表はして居つたことが「ミセス・ローズヴェルト」の此の著書にも反映して居るやうに私は觀た、是も一つの案で、具體案のない嘲りを受けるよりも同じ「ユートピア」と片附けられるにしても、斯く我は信ずると云ふ具體案を持つて「ユートピア」と嗤はれるならば其の方が宜い、此の「ローズヴェルト」大人の説などは觀樣に依つては「ユートピア」夢かも知れない、併しながら私は夢を説くことが必要だと思ふ、殊に今日の此の世界情勢に處して、此の日本の難局を切り拔けて行かうとする時の政治家は夢を持たなければなりませぬ、其の日其の日の出來事を唯片附けて行くとかと云ふことだけでは政治家の本當の素質ではない、夢を説き、「ユートピア」を説き、哲學を持たなければいかぬのであります、斯んな諺があります、「スティツマン・イズ・ザ・ウォーキング・フィロソフイア」政治家は歩いて居る所の哲學者である、是が私は必要だと思ふ、歩いて居る、活動する哲學者である、さうして夢を説かなければならぬ、夢を考へることが今日最も要求せられたる政治家ではないでありませうか、今から何百年かの前に、丁度「オランダ」が「イギリス」に段々と蠶食されて、「イギリス」の勢力が強くなつて「オランダ」が段々下火になつて行つた時に、「オープン・シー」に於て「イギリス」の權力が非常に盛んになつて、「オランダ」が壓迫された、其の當時國際法學者の「グローチウス」が公海の自由と云ふことを唱へたのであります、其の當時は物笑になりました、實力を持つて居る「イギリス」なんかからも一笑に附せられて居るのであります

此の公海の自由と云ふ「ユートピア」が二百年ばかりの後には、是が國際公法の原理になつた、今日具體案を御持ちになりますならば、其の具體案を世界に御發表になり、世界に呼掛けて戴くならば、今は「ユートピア」と云ふかも知れないが何百年かの後には恐らく國際公法の原理になるかも知れませぬ、其の意味に於て何か具體案を御持ちになつて居るかどうか、之を總理大臣から承りたい、前に私が御尋したことは金森國務大臣から伺つて結構であります、もうあと一つ二つありますから、あとで質問を御許し願ひたいと思ひます


○國務大臣(吉田茂君) 

松本委員に御答へ致しますが、御質問の戰爭抛棄の條項に關して、私の説明が國際聯合に入る爲にあの條項を作つたと云ふやうな意味合のやうにも承りましたが、是は屡屡本會議其の他に於て申して居ります通り、所謂御話の、世界に先立つて戰爭を抛棄することに依つて平和日本の平和精神を徹底せしめる、世界に闡明せしめると云ふのに先づ趣意があるのでありまして、單に國際聯合に入る爲のみに此の條項を設けたのではない、是は松本委員に於ても無論御了承のことと思ひます、又此の條項を憲法に挿入した以上は、何か具體案を持つて居つての話であらうと云ふやうな御尋でありますが、政府と致しましては、現在の國際情勢及び將來の國際情勢を考へまして、斯かる戰爭抛棄の決意をすると云ふことが現在の國際情勢に合ひ、又將來國家として存置する爲にも宜しいと云ふ觀點から挿入致しましたので、偖今日に於て如何なる意味に、如何なる具體案を持つかと云ふ御尋に對しては、政府としては甚だ答辯に苦しむのであります、何となれば、政府と致しましては、政策と致しましては單に夢を見るばかりでなく、其の時其の時の状況に於て考を決めべきものであり、又今日の國際情勢及び將來の國際情勢は可なり複雜を極め、現に微妙を極めて居りますので、今日斯う云ふ案を持つて居る、斯う云ふ考を持つて居ると云ふことを、假にありました所が、發表することが宜いか惡いかと云ふ、國際關係もございますから、其の點に付ては説明を致し兼ねると御了承を願ひたいと思ひます、昨日松本委員から御尋があつたさうでありますが、それは植原、齋藤兩國務大臣から政治的方面、又は法理上乃至は倫理上方面から、各各國體に付ての表現に付て發表がありました、其の發表、表現は、説明の方法、表現の形等に於て色々異つては居りますが、其の間に政府と致しましては、從來金森國務大臣が説明し來つた所と結論に於ては相違ないと、斯う云ふ見解であるのであります、植原國務大臣は現行憲法第一條、第四條は主權の所在を定めて居るのではなく、統治權の所在を定めたものである、統治權の所在は改正案に依つて明瞭に變更されたさうでありますが是は金森國務大臣が繰返して述べて居らる、政體の變更、政體は變更されたと云ふ同一趣意と御承知を願ひたいと思ひます、又齋藤國務大臣が倫理上の意味に於ける國體は改正案に依つても變つて居ないと述べられたさうでありますが是は金森國務大臣の所謂國の根本特色と名付けられるもの、即ち國體と言はれるものであつて、兩大臣の意見、金森、齋藤兩大臣の意見に於ても相違した所はないと、斯う政府は考へるのであります、此の段御了承を願ひたい



これまでにも、ネトウヨ連中の如き人々が用いるのが、「ユートピア」だの「お花畑」だのという批判である。これは、制定前からよくありがちな批判的文言として、嘲る為に使い古された言い回しだということが、よく分かるだろう。


日本国民は、本当に進歩が止まってしまった、というより、不見識が過ぎるようになり、大きく後退しているようである。そして、かつては「有識階級」を構成していたであろう人々が、どんどん劣化してしまったということであろう。


つまりは、上がバカになった、ということであろうか。

日本国憲法と第9条に関する論点整理〜4

 2)自衛権放棄は9条1項から導けないというのが政府答弁


21年9月5日貴族院 憲法改正案特別委員会

南原繁君 昨日吉田外務大臣が御出席がございませぬでしたが爲に、保留して置きました問題、即ち戰爭抛棄に關聯致しまして、御尋ね申上げたいと存じます、一つは我が國が將來國際聯合加入の場合に、今囘成立すべき新憲法の更に改正を豫想するものでありますかどうかと云ふことを吉田外務大臣に御尋ね申上げたいのが第一點でございます、其の點は本會議に於ても私が申上げましたやうに、國際聯合の憲章に依りますと、其の加入國家の自衞權が一面に於て認められて居ります、其の外に重要なことは、兵力を提供する義務が課せられて居りますことは御存じの通りであります、然るに今囘の我が憲法の改正草案に於きましては、自衞權の抛棄は勿論のことでありますけれども、一切の兵力を持ちませぬが爲に、國際聯合へ加入の場合の國家としての義務と云ふものを、そこで實行することが出來ないと云ふ状態となつて居るのではないかと云ふ問題があるのではないかと存じます、處で一昨日でございましたか、本委員會に於きまして、吉田首相の御説明の中に此の憲法草案は國際聯合の場合を必ずしも直接に考へて起草して居ないと云ふやうな意味の御答辯があつたやうに私ちよつと承つたのでございます、それと併せて考へまする時に於て、將來愈愈現實的に國際聯合に加入すると云ふ場合が起つて來た場合に、さう云つた點に付て憲法の更に改正、詰り第九條を繞りまして、更に改正を豫想せらるるやうな意味でありますかどうかと云ふことを先づ吉田外務大臣に御尋ね申上げたいのであります

○國務大臣(吉田茂君) 御答へ致します、國際聯合に加入するかどうか、是は私の意味合は成るべく早く國際團體に復歸することは日本の利益であり、又日本國としても希望する所であり、又經濟的利害の上から申しましても、政治的の關係から申しましても、國際團體に早く復歸すると云ふことが政府と致しましても、努力もし、又希望も致して居る所であります、扨、然らば國際聯合に加入するかどうか、是は加入することは無論の希望せざる所ではありませぬが、併しながら加入には御話の通り色々な條件がありまして、其の條件を滿し得ると言ひますか、滿すだけの資格が滿し得ない場合には或は加入を許さないと云ふこともありませうが、然らば如何なる條件で、如何なる事態に於て加入するかと云ふことは、今日の場合に豫想出來ない所でありまして、今日我々の考へて居ります所は、國際團體に復歸する、其の前に講和會議と言ひますか、講和條約を結ぶ、此の時期を成るべく早めると云ふことに專心努力して居るのでありまして、さうして講和條約の出來た、講和條約の締結前後の國際情勢、或は日本内部の情勢等を考へて、さうして國際聯合に入ることが善いか惡いかと云ふことも考へなければならぬ、現に又加入して居らない國もございますことは御承知の通りでございます、講和條約締結後のことを今日に於て直ちに斯う云ふ條件であるとか、或は憲法を改正することを豫想するかと云ふことに付ては御答へしにくいのであります、其の時の講和條約締結後の國際情勢、國内情勢に依つて判斷すべきもの、斯う私は考へます


同9月13日

○高柳賢三君 九條の一項、二項に付きまして、第一項の字句を讀みまして所謂「ケロッグ・ブリアン」條約を思ひ出すのであります、尤も其所では國策の手段としてと云ふ文字が使つてあるのに對して、此處では國際紛爭を解決する手段と云ふ風に變つて居ります、又不戰條約では戰爭のみが抛棄されることになつて居りますが、此所では不戰條約の解釋に付て學者の間に非常な爭ひがあつた、武力に依る威嚇、武力の行使、是が所謂平和的手段、「パシィフィック・メヂャー」と云ふことが言へるかどうかと云ふことは國際法學者の間に非常に議論が分れて居つたのが、此處では其の一派の意見に從つて、それが廢棄の對象として此所に入つて居る、さう云ふことか之を讀んで感ずるのであります、此の不戰條約の後に出來ました千九百三十一年の「スペイン」の憲法には矢張り戰爭の廢棄が謳つてあり、更に「ラテン・アメリカ」の祖國の憲法の中にも同樣な規定があり、更にずつと古く遡つて言へば「フランス」革命後の千七百九十一年の憲法の中にも、戰爭を廢棄すると云ふ條項が見出だされる、それ等の意味で必ずしも戰爭を廢棄すると云ふ憲法の條項は珍らしいものではないと思ふのでありますが、併しそれ等の總ての過去に於ける憲法の戰爭抛棄に關する條項と云ふものは自衞權と云ふものが留保され、不戰條約に於ても自衞權と云ふものが留保され、而も其の自衞權と云ふものは國内法に於ける正當防衞權と違ふのでありまして、國内法に於きましては、正當なりや否やを決定すべき第三者たる裁判所と云ふものが最高の決定權を持つて居る、然るに國際社會に於てはさう云ふ第三者に自衞權の行使の判定と云ふものを委せることを、從來孰れの國と雖も承諾しなかつた、從つて不戰條約に於て戰爭は棄てられましたけれども、自衞戰爭と云ふものは棄てられない、而も自衞なりや否やは、各國の自衞權を行使する國の判斷と云ふものが最終的なものである、是は國際法の一般的に了解された國際法規でありますから、不戰條約と云ふものは大した意味はないのだと云ふのが當時の國際法學者の通説であつたのであります、唯昔は正當な戰爭と正しからざる、戰爭との區別であつたのが、侵略戰爭と防衞戰爭との區別に言葉が變つただけだ、斯う云ふことが言はれたのであります、のみならず戰爭は廢棄しましたけれども、戰力を廢棄すると云ふことは何處の國でもやらない、斯う云ふ譯でどうも不戰條約と云ふやうな條約が出來て之を基礎にした憲法が出來ても大した實際上の意味と云ふものが出て來ないと云ふことが國際關係と云ふものを研究して居る人達の十分に熟知、認識して居つた所であると考へます、然るに私共第二項を讀みますると、從來のそれ等の戰爭抛棄とは非常に違ふので、第一は戰力を抛棄する、是は何處の國でもやらなかつたことである、第二は國の交戰權を抛棄する、是で恐らくは自衞權も抛棄する、斯う云ふ意味合が出て來るのであります、さう云ふやうな意味で此の九條の第一項と第二項と云ふものを併せて讀みますると、從來の條約或は憲法の條項に於て見出される戰爭抛棄とは本質的に違つた條項であると云ふことを感ずるのでございます、さう云ふやうな意味で私は此の條項は非常に劃期的なものである、併しながら現代に於ては戰爭の分野に於て陸軍や海軍、從來のやうな意味の陸軍や海軍が何處迄役に立つかと云ふことが段段怪しくなつて來た「アトミック・ボーム」原子爆彈と云ふものの發見以來、武力の問題に付ても從來の考へ方と云ふものに革命が起つて來て居る、之に依つて從來武裝された主權國家と云ふものが殆ど「ナンセンス」になつて來たのではないか、寧ろ世界と云ふものが聯邦となつて、そこに警察力と云ふものが、何處の國にも屬しない警察力と云ふものが世界の平和を確保する、さう云ふ時代に向ふべきものではないか、さう云ふやうな意味と照合致しまして初めて此の條項と云ふものが活きて來るのである、さう云ふ世界と云ふものが來れば是は孰れの國家も此の條文のやうな條項を採用しなければならない、丁度「アメリカ」の各州と云ふものが武力を持たないと同じやうに、各國と云ふものは武力を持たないと云ふことが原則になると云ふことが世界平和確保に對して必要なことであると云ふ風になる、さう云ふ一つの將來の世界と云ふものに照して此の條項の意味があるのだらうと云ふことを總會で簡單に申上げました、さうでありますので此の規定は非常に重大だと思はれますが、併し一般の國民は此の條項の意味と云ふものを十分に恐らくは理解しないのではないか、少くも法律家でも是はどう云ふ意味合があるのであるかと云ふことを十分に理解すると云ふことはなかなか困難だと思ひます、併しそれはどう云ふ事態が來るのかと云ふことをはつきり我々の意識に上ぼせて置くと云ふことが必要なことではないかと思ふのであります、そこで數箇の點に付きまして、政府の見解を御尋ねしたいと思ふのであります、極めて具體的な點から申上げます、日本が或國から侵略を受けた場合でも、改正案を原則と云ふものは之に對して武力抗爭をしないと云ふこと、即ち少くも一時は侵略に委せると云ふことになると思ふが、其の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) ちよつと聽き落しましたが、多分戰爭を仕掛けられた時に、こちらに防衞力はないのであるからして、一時其の戰爭の禍を我が國が受けると云ふことになるのではないかと云ふこと、それは場合に依りましてさう云ふことになることは避け得られぬと云ふことに考へて居ります、武力なくして防衞することは自ら限定されて居りますからして、自然さうなります

○高柳賢三君 即ち謂はば「ガンヂー」の無抵抗主義に依つて、侵略に委せる、併し後は世界の正義公平と云ふものに信頼してさう云ふことが是正されて行く、斯う云ふことを信じて、一時は武力に對して武を以て抗爭すると云ふことはしない、斯う云ふことが即ち此の第九條の精神であると云ふ風に理解して宜しうございますか

○國務大臣(金森徳次郎君) 實際の場合の想定がないと云ふと、之に對してはつきり御答は出來ないのでありまするが、第二項は、武力は持つことを禁止して居りますけれども、武力以外の方法に依つて或程度防衞して損害の限度を少くすると云ふ餘地は殘つて居ると思ひます、でありますから、今御尋になりました所は事の情勢に依つて考へなければならぬのでありまして、どうせ戰爭は是は出來ませぬ、第一項に於きましては自衞戰爭を必ずしも禁止して居りませぬ、が今御示になりましたやうに第二項になつて自衞戰爭を行ふべき力を全然奪はれて居りますからして、其の形は出來ませぬ、併し各人が自己を保全すると云ふことは固より可能なことと思ひますから、戰爭以外の方法でのみ防衞する、其の他は御説の通りです

○高柳賢三君 此の憲法に依りまして自衞戰爭と云ふものを抛棄致しましても、それだけでは右の場合に日本は國際法上の自衞權を喪失せざるものと思ひますが、此の點はどうでありますか、即ち侵略者に對して武力抗爭をすればそれは憲法違反にはなるけれども、國際法違反にはならないものと解釋致しますが、此の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 法律學的に申しますれば御説の通りと考へて居ります、元來さう云ふ徹底したる自衞權抛棄の方が正當なことかとも思ひますけれども、是は憲法でありまするが故に、其の能ふ限りに於てのみ效果を持つことになるのであります

○高柳賢三君 交戰國の權利義務に關する色々な條約、それから俘虜の待遇に關する日本の國際法上の權利義務、それ等は此の憲法の規定に拘らず、其の儘日本に存續するものと云ふ風に私は理解しまするけれども此の點は如何ですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 國際法的には存續するものと考へて居ります

○高柳賢三君 外國の軍隊に依つて侵略を受けた場合に、所謂國際法で知られて居る群民蜂起と申しますか、「ルヴェー・アン・マス」正式に國際法の要件を備へた群民蜂起の場合には防衞の爲に群民蜂起が起る、さう云ふやうな場合に、其の國際法上及び國内法上の地位はどうか、私は國際法的には是は適法であつて、交戰者は戰鬪員として矢張り取扱はれ、又俘虜になれば俘虜たる待遇を受けると云ふことになると思ひますが、國内法では國の交戰權を否認した憲法上の規定に反することになると云ふことになると思ひますが、其の點はどうでありますか

○國務大臣(金森徳次郎君) 左樣の場合はどう云ふことになりますか、新らしき事態に伴ふ種々なる法律上の研究を要すると思ひますが、緊急必要な正當防衞の原理が當嵌つて、解釋の根據となるものかと考へて居ります

○高柳賢三君 今の御答は國際法的に…

○國務大臣(金森徳次郎君) 國内法的に…

○高柳賢三君 此の憲法の條項に依つて所謂攻守同盟條約、又所謂侵略國に對する共同制裁を目的とする國際的な取決め、國際條約と云ふものを締結することは、憲法違反になると思ひますが、其の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 當然に第九條第一項第二項に違反するやうな形に於ける趣旨の條約でありますれば、固より憲法違反になると存じます、併し場合に依りましては、或は第一條第二項のやうなことをしなくても濟むやうな條約が結べるとすれば、其の場合には又別に考へなければならぬと思ひます

○高柳賢三君 自衞權を抛棄したと云ふ言葉は、是は自衞の名の下に所謂國策の手段としての戰爭が行はれる國際間の通弊に照して爲されたものと云ふ御説明がありましたが、其の通りでございませうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 全く其の通りでありまして、從つて第一項で正式に自衞權に依る戰爭は抛棄して居りませぬ、併し第二項に依つて實質上抛棄して居る、斯う云ふ形になります

○高柳賢三君 共同制裁を目的とした戰爭への加入と云ふものを封じて居ると云ふことは、共同制裁と云ふものを目的とする、戰爭も矢張り國策の手段として行はれると云ふ弊害に照してなされたものと見て宜いか、即ち自衞權或は共同制裁と云ふやうな名目の下に戰爭が行はれるのであるけれども、それは名目であつて戰爭其のものがいけないのである、戰爭其のものが人類の福祉に反すると云ふ根本思想に此の規定は基くのではないか、其の點を御説明願ひたい

○國務大臣(金森徳次郎君) 是も實際の具體的な形を想定しないと正確には御答へ申し兼ねるのでありますけれども、普通の形を豫想しますれば御説の通りと考へます

○高柳賢三君 國際聯合の憲章と云ふものは、是は自衞戰爭、それから共同制裁としての戰爭と云ふものを認めて居るのでありますが、此の改正案は其の孰れを斷乎拜撃せむとするのである、從つて國際聯合憲章の世界平和思想と、改正案の世界平和思想とは、根本的に其の哲學を異にするものであると云ふ風に思ひますが、其の點はどうでありませうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 國際聯合の趣旨と此の條とが如何なる點に於て違つて居るか、同じであるかと云ふことに付きましては、必ずしも一括して之を解決することは出來ないと思つて居ります、此の案は國際聯合の規定して居りまする個々の趣旨を必ずしも批判することなくして、日本自身が適當と認むる所に於て限界を定めて規定をした譯であります、衆議院に於きましても、其の關係に於きまして御質疑があつて、國際聯合に入る場合に於て、何處かに破綻を生ずるのではないかと云ふやうな御尋がありました、政府の只今の考へ方は、自分達の見て正しいと思ふ所に規定を置きましたから、それより起る國際聯合との關係は別途將來の問題として必要があれば研究すべき餘地があると思ひます


○高柳賢三君 次に第三國の間に戰爭が勃發した場合に、日本の中立の問題が起りますが、中立國と云ふものは中立國としての義務がある、例へば一方の交戰國の飛行場を日本に作らせると云ふやうなことをしてはいかぬ、或は海軍根據地を提供してはいかぬと云ふやうな義務を中立國として當然負ふことになると思ひますが、日本は武力を全然抛棄した場合に於きましては、此の中立國の義務は、實質上に於て履行すると云ふことは出來なくなり、從つて他の交戰國は一方の交戰國に對してさう云ふことを許したと云ふので、同樣なる行爲を報復的にやると云ふやうな状態になつて、其處で日本が戰場化すると云ふやうな危險が相當濃厚ではないか、其の點を一應御説明を御願ひ致します

○國務大臣(男爵幣原喜重郎君) 一言私の意見だけを申上げます、是から世界の將來を考へて見ますると、どうしても世界の輿論と云ふものを、日本に有利な方に導入するより外仕方がない、是が即ち日本の安全を守る唯一の良い方法であらうと思ひます、日本が袋叩きになつて、世界の輿論が侵略國である、惡い國であると云ふやうな感じを持つて居ります以上は、日本が如何に武力を持つて居つたつて、實は役に立たないと思ひます、我等の進んで行く途が正しければ「徳孤ならず必ず隣りあり」で、日本の進んで行く途は必ずそれから拓けて行くものだと私は考へて居るのであります、只今の御質問の點も私は同樣に考へて居るのぢあります、日本は如何にも武力は持つて居りませぬ、それ故に若し現實の問題として、日本が國際聯合に加入すると云ふ問題が起つて參りました時は、我々はどうしても憲法と云ふものの適用、第九條の適用と云ふことを申して、之を留保しなければならぬと思ひます、是でも宜しいかと云ふことでありますれば、國際聯合の趣旨目的と云ふものは實は我々の共鳴する所が少くないのである、大體の目的はそれで宜しいのでありますから、我々は協力するけれども、併し我々の憲法の第九條がある以上は、此の適用に付ては我々は留保しなければならない、即ち我々の中立を破つて、さうして何處かの國に制裁を加へると云ふのに、協力をしなければならぬと云ふやうな命令と云ふか、さう云ふ註文を日本にして來る場合がありますれば、それは到底出來ぬ、留保に依つてそれは出來ないと云ふやうな方針を執つて行くのが一番宜からう、我々は其の方針を以て進んで行きますならば、世界の輿論は翕然として日本に集つて來るだらうと思ひます、兵隊のない、武力のない、交戰權のないと云ふことは、別に意とするに足りない、それが一番日本の權利、自由を守るのに良い方法である、私等はさう云ふ信念から出發致して居るのでございますから、ちよつと一言附加へて置きます

○高柳賢三君 能く分りました、最後に此の條項は國に關する規定でありますが、國民に付ても此の同じ精神で、例へば他國間に戰爭がある場合に於て其の一方の國の軍隊と云ふものに入つて戰爭をやると云ふやうなことは之を禁止する、丁度「イギリス」の「フォーレン・エンリストメント・アクト」と云ふのが千八百七十年でしたかの法律でありますが、それと同種類のやうな法律と云ふものを拵へて、日本人が外國の軍隊に入つて外國の武器を使つて戰爭をすると云ふやうなことをもしないやうにすること迄國内法的に徹底させると云ふことが此の憲法の精神の上から必要であると思ふのが、其の點に付てどうでせうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 今御示のありました處は全く同感でありまして、必要に應じて機宜の措置を法律的に設けることは心掛けて居る處でございます




○佐々木惣一君 私の戰爭抛棄と云ふ午前に御伺ひしましたことは實は時間上非當に端折つてやつたのですが、併し只今高柳さんからの質問及び之に對する御答辯で實は私が言はなくても宜かつたと云ふことをはつきりしましたが、唯此の戰爭抛棄の問題は一面外國、詰り國際的と、それから一面國内的と兩面に亙りますから非常に複雜な問題が起るのであります、それで實は今私が午前に御尋ね致しましたのは、詰り目下國際聯合と云ふやうなこととの關聯に於て日本が何かそれに對して働き掛ける、意思表示をすると云ふやうなことがないかと云ふ風に申上げたのは、結局入つても入れないことになる、入つても役に立たないですから、共同制裁の戰力に加入すると云ふことが出來ないことになりますから、それは併し今幣原國務大臣の御答辯でさう云ふ事情を言うて、と云ふことになりまして、それは非常に宜いですけれども、其の事情を言ふと云ふことが、併しながら前以て言ふのですか、國際聯合に入るとか入らぬとか云ふことが具體的に問題になつた時に至つて言ふのであるか、さう云ふやうなことはまだ問題として殘つて居ります、それは例へば今の、詰り外交關係に日本が認められるやうになつてから言ふのであるか、それ前に今でも言ふのであるかと云ふやうなことがまだ殘つて居りますけれども、それはまあ御尋ね致しませぬ、それよりも一つもう一點御尋ね致したいのは、詰り外國から不當に戰爭でも日本に挑んで來ました時に、それでも今の不戰條約に依ると云ふと、さう云ふ即ち「セルフ・デフェンス」の手段としての戰爭抛棄は是は決して許されぬのではない、牢固として殘つて居るんだと云ふ意味であるやうであります、さう云ふ許された客觀的に誰が見ても許されるやうな「セルフ・デフェンス」と考へられるやうな時でも、日本は國内的にはどうも今の憲法の規定があつて戰爭することが出來ないと云ふ状態に今置かれて居る、私は其の時に、今度國際關係でなしに國内の國民がさう云ふ場合にどう云ふ感じを持つであらうかと云ふやうなことも懸念をして晝前御尋ねしたのでありますが、其處迄言ふ時間がなかつた、そこで誰が見ても客觀的に日本が攻められることが不當である、日本を攻めることが不都合だ、許されることではない、從つて日本から言へば「パーミシブル」に許された「セルフ・デフェンス」と云ふ時でも、尚憲法の規定に依つてじつとして居らなければならぬと云ふ、さう云ふ場合が出て來ると云ふことは考へられるのですが、國民はどう云ふ感じを持つだらう、斯う云ふことをちよつと御尋ね致したいのであります、晝迄の問題に關係するから金森國務大臣に…さう云ふ時に果して國民はそれで納得するだらうかと云ふやうなことですが

○國務大臣(金森徳次郎君) 此の第二章の規定は實は大乘的にと云ふことを繰返して言ひましたし、本當に捨身になつて國際平和の爲に貢獻すると云ふことでありますから、それより起る普通の眼で見た若干の故障は豫め覺悟の前と云ふ形になつて居る譯であります、從つて今御示になりましたやうな場合に於て自衞權は法律上は國内法的に行使して、自衞戰爭は其の場合に行ふことは國内法的に禁止されて居りませぬけれども、武力も何にもない譯でありますから、事實防衞は出來ない、國民が相當の變つた状況に置かれるやうになると云ふことは、是は已むを得ぬと思ふ譯であります、併し其時に國民が何とか考へるであらうと云ふことは、今から架空に豫想することは困難でありますが、國民亦斯くの如き大きな世界平和に進む其の道程に於て若干の不愉快なことが起つて來ることは覺悟して、之を何等か適切な方法で通り拔けようとする努力をするものと考へて居ります





○子爵織田信恒君 私は實は先程牧野委員の御質疑の關聯質問として御尋ね致したいと思ひますが、議事の進行を御妨げしてはいけないと思ひまして、御遠慮して最後に廻して戴いたのであります、それは牧野委員がさつき御述になりまして、其の後他の委員からも質問が出たのでありますが、戰力と云ふ言葉の内容であります、大體武力と同じやうに使つて居ると云ふ話でありまするが、戰力と云ふのはどう云ふ意味を持つて居りませうか、纒めて私の方から御尋ねして御答辯の便利を圖りたいと思ひますが、或一つの兵器、科學的兵器と云ふものと、それに伴ふ戰爭を目的とした組織體、それを合せたものが戰力と言ふのでありませうか、それが一つ、それから次には戰力と云ふものが今假定しましたやうなことにして、武器の内容と云ふものが特に科學文明の或一定の文化を中心にして、それを兵器と申しますのですか、例へばさつき牧野委員の御話に竹槍を持つて行つてやるのも武力だと云ふやうな御話がありましたが、そこ迄廣く廣範圍に見るのですか、近代科學文化を目標にして或一つの兵器と云ふものから考へるものでありますか、是は矢張り將來の取締に影響すると思ふのでありますが、如何でありますか、先づ其の二點を伺つて置きます

○國務大臣(金森徳次郎君) 此の戰力と申しますのは、戰爭又は之に類似する行爲に於て、之を使用することに依つて目的を達成し得る一切の人的及び物的力と云ふことにならうと考へて居ります、從つて御尋になつて居りまする或戰爭目的に用ひることを本質とする科學的な或力の元、及び之を作成するに必要なる設備と云ふものは戰力と云ふことにならうと思つて居るのであります、又次に竹槍の類が問題になりましたが、斯樣な戰力と云ふものは、其の國其の時代の文化を標準として判斷をしなければならぬのでありますから、臨時に拵へた竹槍と云ふものは戰力にはならぬものと實は思つて居ります

(中略)

○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せになりました所は、大體のと言ひますか、事柄としては其の通りであります、唯私の方の説明が第一項では自衞戰爭は出來ることになつて居ります、第二項では出來なくなる、斯う云ふ風に申しました、第九條の第一項では自衞戰爭が出來ないと云ふ規定を含んで居りませぬ、處が第二項へ行きまして自衞戰爭たると何たるとを問はず、戰力は之を持つていけない、又何か事を仕出かしても交戰權は之を認めない、さうすると自衞の目的を以て始めましても交戰權は認められないのですから、本當の戰爭にはなりませぬ、だから結果から言ふと、今一項には入らないが、二項の結果として自衞戰爭はやれないと云ふことになります

○子爵大河内輝耕君 能く意味は分りましたが、私の伺ふ所は國際的に考へても日本は自衞戰爭はやれない、戰爭は一切やるべきものでないと云ふやうな風に國際の形勢の動き方からさう云ふ風に見るのが穩當ぢやないかと斯う云ふ意味なんです

○國務大臣(金森徳次郎君) 其の點は今ちよつと私から右と申しても左と申しても結果が恐しいものですから御答へ出來ませぬ、常識として此の憲法が認めるやうな趣旨だらうと思つて居ります



何か、法学者が後付けで都合のよい解釈論を引っ張り出してきたかのような、無益な批判が多いわけであるが、制定前の当時の議論において、ほぼ論点は出尽くされている感があり、それは、当時の人々の見識が今よりも優れていたからであろう、という印象を受けるわけである。


政府答弁、大臣の政府見解が、こうなっているものなのであるから、最初から「戦争放棄自衛権が放棄された」という解釈論を意図して制定していたものではないことは、明らかなのである。


自衛権国際法上の論点というのも、当然に議論されており、当時の人々は不戦条約を批准するかどうか、に伴う国際法上の解釈論に詳しかったものと見える。当然、軍隊の運用を念頭に置くならば、国際法に精通しているべき義務があったから、とも言えよう。現代の日本では、そのような素養は欠片も感じられない。

軍隊の運用も、原発の運用も、大差なのものなのだ。危険なものを管理するべく能力が、日本人には決定的に欠如している。



※要点:

※3  9条1項は、自衛権を放棄していない、自己防衛の為戦うことも否定していない、というのが制定趣旨であることを、政府も帝国議会でも十分認識した上で、憲法改正を行った

日本国憲法と第9条に関する論点整理〜5

帝国議会の議論が引用部が非常に長くて、読み難いと思いますが、どうか全部お読みいただければ、と思います。
ここまでで、当時の政府答弁から、制定意図がかなり見えてきたのではないかと思います。

法学の重箱の隅を突くような話ではなくて、当時の議員も世論も9条の意味合いというものを、かなりよく検討し議論した結果であることが分かります。また、「芦田修正」として一身に責任を負わされる立場になったかのような芦田均委員長(当時、自由党議員だった)ですが、これも議事録から面白いことが分かりました。


4 9条の文言の変更は「芦田均」の主導ではなかった 

当時の政府提出案は、制定されたものとは違うわけですが、衆議院の「帝国憲法改正案委員会」での審議を経た段階でもなお、文言の変更はなかったのです。その後に、「憲法改正案委員会小委員会」の懇談会で議論が重ねられた結果、制定条文の形が出きてきたのです。



1946年8月1日 衆院 帝国憲法改正案委員小委員会


○芦田委員長 それでは速記をやつて宜しうございます──第二章に參りまして、宣言すると云ふ言葉に付て色々議論をしたのでありますが、若し宣言すると云ふ字を取つて、此の間の修正案の通りで、多數の委員諸君の異議がなければ、是は臨時に私が斯う云ふ案を作つて見たと云ふ程度のことですから、最後の宣言すると云ふ文字を削つて、それで一應の修正とすることに御異議がないでせうか、第二章の九條です

○鈴木(義)委員 讀まなくても分りますが、非常に私は心配するのです、どうも交戰權を先に持つて來て、陸海空軍の戰力を保持せずと云ふのでは、原案の方が宜いやうに思ふのです、其の點に付て十分御考慮下さつたでせうか

○芦田委員長 私は之を保持してはならないと云ふ書き方が……

○鈴木(義)委員 いや其の書き方を變へるのは贊成しますが、順序を變へることです

○芦田委員長 順序を變へるのは其の人の趣味で、例へば演説をする時に、一番大事なことを一番初めに言ふ人もあれば、一番大事なことは最後に言ふ人もある、是は其の人其の人の趣味であつて、偶偶私の趣味が一體交戰權は之を認めないと言ふから、戰爭を抛棄すると云ふ結果が出て來るのだ、戰爭を先づ抛棄すると言つた其の後で、交戰權は之を認めないと言ふことは、どうも順序を得てない、それだから初めに交戰權は認めないと言つて置いて、國際紛爭を解決する爲の戰爭は之を抛棄する、斯う云ふことが原則から出て來る結果なんだから、それで後に書いた方が宜い、斯う云ふ風に私は感じたのです

○鈴木(義)委員 或る國際法學者も、交戰權を前に持つて來る方が、自衞權と云ふものを捨てないと云ふことになるので宜いのだと云ふことを説明して居りました、だから色々利害はあるのですけれども、何か先達て金森國務大臣は、戰爭の方は永久に之を抛棄する……

○芦田委員長 金森君と私の意見は、其の點に於て違ふのです

○鈴木(義)委員 それも分ります、十分御考慮下さつた後で、それで宜いと云ふことであれば私は強ひて反對しませぬ

○犬養委員 是は一寸法制局に伺ひますが、第九條の第一項は今一寸鈴木君が觸れられましたが、是は永久不動、第二項は多少の變動があると云ふ、何か含みがあるやうに、一寸此の間國務大臣の御發言があつたのですが、さう云ふ含みがありますか

○佐藤(達)政府委員 正面からさう云ふ含みがあると云ふことを申上げることは出來ないと思ひますが、唯氣持を分り易く諒解して戴けるやうに、金森國務大臣はああ云ふ言葉を御使ひになつたのだらうと思ひます

○犬養委員 隨て此の順序は無意味でなくて、相當意味がある……

○佐藤(達)政府委員 意味があると云ふことを申したい爲にああ云ふ表現を使はれたと思ひます

○犬養委員 是は一應論議の對象になる

○鈴木(義)委員 それから是は別なことですが、念の爲に此の條文に付て一寸申上げて置きたいのです、「國の主權」と云ふのを「國權」と直しましたね、併し國權を英語に譯すときに變な譯し方をされると却て迷惑する、英語の方では「シュターツゲワルト」に相當する言葉は、無理に使へば「パワー・オブ・ステート」と云ふ言葉もありますけれども、それは適當でない、英語では主權も國權も共に「ソヴァレンティ」です、だから此の通りで宜いと云ふことを御諒承願ひたいと思ひます

○大島(多)委員 あの宣言は取つてしまふと云ふ

○芦田委員長 それを今御相談します、今第一項と第二項とどうしようかと云ふ議論に入つて居つて、其の文句のことをまだ決めて居ないのですが、若しそれを取れば、第一項の一番終ひが「その他の戰力を保持せず」、此處で一寸「又」と云ふ字を入れた方が、何だか日本語としては宜いやうな氣がするのですが「又國の交戰權を否認する」……

○鈴木(義)委員 「保持せず」と云ふ言葉は口語體として一寸どうですか

○芦田委員長 「保持しない」とすると、此處で切らなくてはならぬですね、それで此の前、原委員から、やはり「保持せず」とした方が力強く且つ筒潔に出るのではないかと云ふ御意見が出たのですがね

○鈴木(義)委員 それはさう思ひますが、唯全體が口語になつて居るものですから……

○芦田委員長 「せず」と云ふのは口語ぢやないのですかね

○鈴木(義)委員 口語にも使はれませうね、唯感じがさう出て來ないやうな氣がする

○犬養委員 江藤さん、順序はどうですか

○江藤委員 順序はどうも原文の方が宜いやうな氣がするのですがね

○吉田(安)委員 昨日でしたか、金森國務大臣が一寸言うて居られた永久と云ふこと、第一項と第二項の何ですが、今又法制局の佐藤さんからの御話、さう云つたことを考へますと、大分是は強さに於て第一項と第二項──勿論第二項は何ですが、含みがあるやうに考へられるのですが、さうすれば是はどうでせうか、やはり原文のやうにして置いたら如何でせうか

○芦田委員長 それでは私もう一つ説明しなかつた理由を申上げます、原文の儘に第二項に置いて、さうして文句を變へると、關係筋で誤解を招くのではないか、獨立の條項として置く限りは「これを保持してはならない」、「これを認めない」と云ふ風にしないと、どうも却て修正することが薮蛇になるのだから、そこでどうしても日本は國際平和と云ふことを誠實に今望んで居るのだ、それだから陸海軍は持たないのだ、國の交戰權も認めないのだ、斯う云ふ形容詞を附けて「戰力を保持せず」と言ふことの方が、其の方面の交渉の時には説明がし易いのではないか、此の儘に置いて此の第二項の英文を書換へると云ふことは相當困難ぢやないか、斯う云ふ理由もあつて、それで之を一定の平和機構を熱望すると云ふ機構の中で之を解決して行く、斯う云ふ風に實は考へたのです

○犬養委員 今言はれた國際平和を誠實に希求すると云ふ前文は、順序を變へても入れてはいけないのですか

○芦田委員長 それは併し紛爭解決の手段として永久に之を抛棄すると云ふことも、やはりさうなんですね、それなら初めと……

○犬養委員 私の言ふのは、九條前文が、事態斯くの如くになつては萬已むを得ないと云ふやうな、讀んだ後味があるので、積極的に何か入れたいと云ふのが抑々の私の發言なんです、其の趣旨を御贊同願つて段々文章が變つて來たやうですが、最初に委員長が言はれた文章は非常に良い文章だ、それを第一項に入れて順序は原文通りにしたら、何處か差支へのある所が起りさうでせうか

○芦田委員長 結局私の考へは、第二項をどう云ふ風にして書換へるかと云ふことが一つと、それから日本が國際平和を望むと云ふことを入れたいと云ふことも一つで、其の爲には斯う云ふ風にして原文を第一項と第二項とを變へて、そして戰力の問題、交戰權の問題を形容詞の下に包含させるならば、是はやつて見なければ分らないが、其の方がどうも説明が樂に行くやうに思ふ

○吉田(安)委員 私は委員長の修正案文は最初から非常に贊成です、鈴木委員の御説もありますが、委員長の仰しやることに贊成します、併し金森さんの仰しやつたことに一寸引掛りがありますが、何か將來第二項の方はもう少しどうにかなりはしないかと云ふ氣がするのです

○芦田委員長 併しそれは憲法の書き方で決まるのではなくて、今後の日本の民主化の程度、國際情勢で決まるのだから、私は此處に「永久」とあるから、何かあると云ふやうなことは、形の上の問題としては非常に重要だが、實際問題としてはさう大した變りはないと思ふ

○原(夫)委員 私は草案の原文を非常に尊重し、又委員長の修正案に付ても非常な御苦心だつたことを思つて、一字一句忽せにしないで讀んで大體會得致して居るのですが、色々な本日の御議論の跡を考へて見まして、いつそ是は第九條の冒頭に「國の主權の發動たる戰爭」とある上に、少し文字が欲しいぢやないかと云ふ今犬養君の言はれた趣意から是は出發して居るのですが、そこへ歸つて一應考へて見る所に依りますと、委員長の修正案の「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し」そこまで取つて、さうして前文に續ける、それ位の所ではどうでせうか
○鈴木(義)委員 贊成です

○原(夫)委員 委員長の勞苦を感謝して、贊成はして居つたのですが……

○芦田委員長 さうすると原案通りになるのですね

○鈴木(義)委員 原案の前に「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し」、それから「國の主權の發動たる戰爭」、斯う云ふ風に續けて、やはり一項、二項と云ふことを原案の儘に殘して置いて宜い

○芦田委員長 さうすると二項は變へないと云ふことですか

○鈴木(義)委員 さうです

○芦田委員長 是は人の趣味の問題だが、之を讀んで、陸海空の戰力は之を保持してはならないと云ふと、何だか日本國民全體が他力で押へ付けられるやうな感じを受けるのですね、自分で……

○大島(多)委員 そこの第二項の所を斯う云ふ風に修正したらどうでせうか、「陸海空軍その他の戰力の保持及び國の交戰權はこれを認めない」……

○芦田委員長 だからそれだけを獨立して、さう云ふ風に直すことが果して關係方面と簡單に旨く行くかどうか

○大島(多)委員 いや、そこの所は私が言つたやうにする方が英文に忠實ですよ、そこの所は「ワン・センテンス」になつて居ないのです、私も之を考へまして、是は一文にした方がましだと思ふのですが──是は二つの文章になつて居りますが、それは一文にしても、ちつとも意味が變らないと私は考へます

○芦田委員長 併し欲せずと云ふことは、「ウィル・ネヴァ・ビー・オーソライズド」と云ふ言葉の飜譯としては、是は英文は變りませぬとは言へないんぢやないですか、相當強い言葉ですよ、決して許可はしない、斯う書いてある

○鈴木(義)委員 元來戰爭の問題だから、何か委員長のやうな感じを私共も最初は持つたんですが、考へて見ると、憲法は國家機關に對する命令を規定して居ることが非常に多い、何々を保障する、何々をしてはならない、思想及び良心の自由を侵してはならないと云ふのであつて、國家機關が、將來の政府は陸海空軍を設置してはならないと云ふことを命令して居るんですから、差支へないと思ひます

○芦田委員長 だから初め申上げたやうに、是は趣味の問題だが、我々の趣味では、其の他の戰力は之を保持してはならないと云ふやうな言葉を讀まされることが何だか……

○吉田(安)委員 それは分る、辛い

○芦田委員長 保持せずと云ふならば自分の決心だが、「オーソライズド」と云ふ字を使つた所は外にないでせう、此處に限つて「ネヴァ・ビー・オーソライズド」と斯う書いてある、それが何となく我々には辛いので、そこで保持してはならないと云ふやうな、一種の受動的な形でなく、自發的に之を保持せずと……

○鈴木(義)委員 保持せずとした時は、どう御譯しになるんですか

○芦田委員長 是は餘り良い飜譯でもありませぬけれども、「ナット・メーンテン・ザ・ランド・シー・エンド・エア・フォーシズ」──「ネヴァ・ビー・オーソライズド」と云ふやうなことは書かないで、斯う云ふ風にでもしたら……

○鈴木(義)委員 さう神經過敏に考へなくても宜いと思ふ、「オーソライズド」と云ふことは、要するに……

○芦田委員長 それは法理的にはあなたの仰せられる通りだと思ふ、唯讀んだ時に、此の文句が氣になる人は、私ばかりではなく、相當多いと思ふ

○鈴木(義)委員 私共もさう云ふ感じから、此の修正案を考へて提案した譯ですが、偖て段々思案して行つて手を着けて見ると、又元へ戻つて來て、是しかないと云ふやうな感じがしたものですから……

○芦田委員長 多數が原案で宜いと云ふことなら、是でも宜い

○原(夫)委員 原案の第一項に冠りを付ける、斯う云ふ……

○芦田委員長 唯簡單に之を保持せずと云ふ風に修正する爲には、何か一應の理窟を述べなくてはならない、なぜ斯う變へるか、それにはやはり前文のやうな形容詞を付けて、「日本國民は誠實に平和を希求するが故に戰力を保持せず、交戰權を否認する」斯う云ふことがあつた方が、修正の場合に幾分か樂に行くんではないか
○原(夫)委員 それは總て總合して、成べくさう云ふ風にしたいのは山々なんですが、私などもやはり最初から一項、二項を區別して、交戰權の問題と軍備の問題、此の關係が中々難かしいので、其の精神を探求するのに、同文章の出來上りに非常に苦心したんですが、併しながらそこまで草案で區別がしてあるんですから、戰爭抛棄と云ふことから、やはり第二項も來て居る譯ですから、そこで結局此の兩方を總括した何か文句があれば結構ですけれども、そこまでなくても、第一項の戰爭抛棄の頭に今言つた如く「國際平和を誠實に希求し、國の主權の發動たる」と言へば、國際平和を希念した國民が正義と秩序を基としたのだと言ふことだけでも、ここに冠が掛かると非常に文章の工合も宜し、觀念上からも非常に宜いのぢやないかと思ふ

○吉田(安)委員 私は個人としましては今原さんの仰しやつたことも能く分りますけれども、どうも第二項を見ますと、是が此の儘で憲法として殘ります以上は、將來之を讀む度毎に、國民の誰もが如何にも他力的に情なさを感ずるやうな氣がします、隨て委員長の仰しやる通り、是は積極的に之を保持せず、之を否認すると言つた方が宜いのぢやないかと私は考へます、是は許されない、保持してはならないと云ふことは一種の情なさを感ずる、隨て個人としては私は委員長の修正案に贊成を致します

○林(平)委員 どうも其の日其の日の氣持で色々に變ると思ふのですが、今の第九條は先日滿場一致で修正され、唯宣言と云ふ文字を殘すか殘さないかと云ふことだけが問題となつて殘つて居つた、又引繰返してしまふと……

○犬養委員 此の條文は私が居ない爲に保留されたんです

○芦田委員長 さう云ふことはありませぬ、委員が一人缺席したからと云つて……

○林(平)委員 それで宣言と云ふことだけが殘されたと私は承知して居ります、それから斯う云ふ風に修正しようと云ふ重點は何處にあるかと云ふと、保持してはならないと言へば非常な刺戟を與へる、此の點に重點があつたので、私は委員長案に贊成した譯でありますが、今日もやはり其の心持は變らないので、委員長案に贊成致します、又其の宣言を除くと云ふことにも贊成致します

○原(夫)委員 此の前、宣言と云ふことに主に議論が集中を致したのであつて、法律文章としては惡いのぢやないかと云ふことで、之に重點が置いてあつたけれども、是は宣言だけのことが問題になつた譯ではないんです、文章は全部の釣合等もあるものですから、そこで私は其の時に──今日は犬養委員も出席ではないし、大體私も贊成は致したが、其の次にまで延ばさうと云ふので、實は確定的な贊成意見も私は述べては居ない、出來るだけ二度も三度も發言をしたくないから、其の點詳しいことは申しませぬでした、そこはどつちにした所が、ものを良く作らうと云ふ重大な案件ですから、さう理窟なく……

○芦田委員長 御趣意は能く分りました、それではまだ進歩黨の方でも黨としての一定の意見がおありにならぬやうでありますから、是は後に廻しませう、やはり黨の意見を纏めて述べた方が……

○鈴木(義)委員 後にすると云つても、切りがないことですから、最後の結論が出て來るやうに、此處で一應は決めて置きたいですね、それで私も外の條文ならば蒸返しは決して致しませぬ、是は非常に心配して始終考へて居りまして、佐藤君も御存じだが、議場外に於ても、どうもあれは心配だから能く國務大臣の意見も聞いて呉れ、順序を變へることもどうかと色々話をした位で、此の條文は恐らく關係方面との關係に於ても一番大事な條文になると思ふから、他の事は決して蒸返ししないが、是だけは除外例として蒸返しても宜いと思ふ

○芦田委員長 御説の通り再檢討することにして、今一寸拜見すると必ずしも一つの黨でもまだ意見が一致してないから、やはり黨の意見を纏めて御話を願はないと纏めやうがないと思ふから、後廻しにして……

○鈴木(義)委員 大體論點は此處にある、此の論點を決めて返事することに御願ひしたい

○原(夫)委員 私も鈴木君と同意見だが、此處で英文の話から委員長の含みなど色々考へさせられる、ですから非常に研究になつて喜んで居るのですから、もう此の位な所で一應片付けて戴きたい

○芦田委員長 私も一刻も早く終りたいのですけれども、纏まりますか

○犬養委員 委員長の仰しやつた前掲の目的を達する爲めと云ふことを入れて、一項、二項の仕組は其の儘にして、原委員の言はれたやうに冒頭に日本國民は正義云々と云ふ字を入れたらどうかとも思ふのですが、それで何か差障りが起りますか

○芦田委員長 前項のと云ふのは、實は双方ともに國際平和と云ふことを念願して居ると云ふことを書きたいけれども、重複するやうな嫌ひがあるから、前項の目的を達する爲めと書いたので、詰り兩方共に日本國民の平和的希求の念慮から出て居るのだ、斯う云ふ風に持つて行くに過ぎなかつた

○吉田(安)委員 そこで、正義と秩序を基調とする國際平和を希求して、此の希求の目的を達成する爲め、陸海空軍其の他の戰力は之を保持してはならない、「これを保持せず」、斯うしたら「保持せず」と直しても目的が謳つてあるから、委員長の御苦心が生きる、委員長と意見の違ふ所は、一項と二項は原文の儘で、自發的な精神を生かして……

○廿日出委員 委員長の御心配になつて居る二項の所謂他動的な文句、何だか屬國ででもあるやうに國民に映る卑窟な氣持、之を完全に除きさへすれば、私は此の第九條は解決すべき問題ぢやないかと思ふ、實は新聞に載つた時の文は、是より違つて、「戰力保持は許されない。國の交戰權は認められない」、斯うなつて居ります、そこで誰も皆氣を腐らした、それが今度此の文に現れた時には、「これを保持してはならない。」「これを認めない。」と云ふ程度になつて居る、是は變つて居ると思つた、それを今度「保持せず」又は「保持しない」と、ぴしやつとやつて置けば、非常に心がすつとするのではないかと思ふ、それと同時に今前文のことを氣にして居りましたけれども、本當にあの前文があれだけの内容を含めた前文、さうして最後に「誓ふ」と云うた、あれが宣言だ、其の宣言の後に此の九條が直ぐ來ると見て私は何等差支へないと思つて居ります、長い間私は是で苦しんで居る、皆からも責められた、此の點だけでも直さなければならぬと隨分言はれた、そこでどうか第二項の所は何も加へずに、さつとやつて下されば一番解決するのではないかと思ひます

○芦田委員長 さうすると、今進歩黨の案は「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、それから第二項に於て「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない」

○廿日出委員 それで宜しうございます、私は異論はありませぬ

○鈴木(義)委員 それなら大贊成です

○大島(多)委員 そこの所を英文に直す時にどうでせうか

○鈴木(義)委員 其の程度の飜譯は許されると思ひます

○笠井委員 此の九條の「抛棄」は否認に變へることに決定致したのですか

○芦田委員長 いや、「抛棄」に還つたのです、唯「抛」の字を放すと云ふ字にしようと云ふのです

○笠井委員 此の憲法に付ては、隨分「マッカーサー」の方でも力を入れて居るらしいですから、成べく此の原案に餘程力のある文章を作つて戴きたいと思ふ、認めないとか何とか簡單でなく──左樣に御願ひします

○江藤委員 私も大體今の笠井さんの御意見と同じです、成たけ斯う云ふことは原案を忠實に作るやうにと云ふことで宜いのぢやないかと思ふ、さつきの鈴木さんの御話にもありましたやうに、私等はさう抑へ付けられたと云ふやうな感じを殊更持たないのですけれども……

○芦田委員長 そこは非常に意見がある所でありまして、感情と言ふか、趣味の問題で、勿論是で何でもない人も澤山あるに違ひない、又之を見る度に始終口惜しい氣持のする人もあるのだから、是はもう百人百樣の印象を受けるので、決して其の感情を強ひようと云ふ趣意ではないのですが、併し相當に神經を起す人があるとすれば、神經の起らないやうなものに直すことが出來ないかと云ふ問題に過ぎぬのです

○鈴木(義)委員 どうです、皆さん、折角纏まりかけて來たのだから「保持しない」「認めない」と云ふことで原案通り御贊成願ひたい

○廿日出委員 皆さん贊成でしたら、私は異論はありませぬ

○芦田委員長 さうすると保持しないと直すのですか

○鈴木(義)委員 さうです

○芦田委員長 それではもう一遍讀んで見ませうか、「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない。」、斯う云ふことでしたね
 それでは第三章に參ります、第三章は最も修正案が多い所であるのですが、社會黨の修正案の各條を通じての精神は、生活權と云ひますか、生存權と云ひますか、それを國家が保障する條項をはつきりしたい、出來れば之を具體的に擧げたい、斯う云ふ御精神が一つだと思ふのです、そこで一應の私の個人的の意見でありますが、此の詳細な規定を、殊に勤勞者に對する詳細な規定を竝べる代りに、第十二條の「すべて國民は、個人として尊重される」と云ふ所へ、個人として尊重をされ、其の生活權は保障される、と云ふ一句を入れる、それからそれと對應して、第二十三條の「社會の福祉、生活の保障」と云ふ所で、生活の保障と云ふのは社會保障と云ふ方が私は正しいと思ひますから、さう云ふ風に直して、此の十二條乃至二十三條、どちらから見ても生活權の保障を憲法に於て約束して居る、斯う云ふことにして、さうして休息の權利があると云ふやうな條項は、二十五條あたりでも第何項かにして入れて、さう云ふ程度で何とか御考へ願へないか、是は非常に雜駁な意見ですから、尚ほ詳細に檢討して行けば、外に加へる問題も出て來るかも知れませぬが、是は一應の私の考へた點です




ここでの議論は、非常に興味深い。
前日までの議論の過程において、芦田委員長は、9条の1項と2項の位置を変更してみた方が、説明がつきやすいのではないか、ということを考えて、芦田委員長私案としての、修正案を提示していたものである。

これが、いよいよまとまりかけていたのだが、この回で再び戻ることになったのである。


論点としては、金森大臣答弁の2項の将来的な含み、という点が浮上した為であった。政府委員として呼ばれていた内閣法制局佐藤達夫も、金森答弁を否定してはいない。

これは、憲法制定当初から、2項については未来時点の政府なり国民なりが、国際情勢等により考え方(解釈)の余地を敢えて残すものとして想定されていた、ということである。この小委員会での議論でも、そのことが取り上げられたわけである。


この時、決まりかけていた、芦田委員長提示案は、主に進歩党の面々によりひっくり返されたものと見てよい。
芦田委員長は、自分の提案が通らない様子なので、この回の議論を打ち切りにして、とりあえず後日に回そうと、途中で提案をしている(党に持ち帰って。しかし、犬養委員の発言に端を発して、鈴木(義)や原(夫)らが決めてほしい旨を主張するわけである。


芦田委員長に食い下がったのは、鈴木(義)、犬養、廿日出らであり、最終的な憲法9条文言を導き出したのは、彼らだったわけだ。

芦田委員長は、若干ふてくされた感じで、彼らの言う修正の提案に応じていったことが分かる。時に、芦田は「個人的趣味の問題」であるかのような物言いをしたりもしているのが面白い。で、彼らの提案を拒否したい気分を、どうもね、辛いねという感じになっているわけだ。


吉田(安)は芦田の肩を持つタイプの人で、委員長に賛成を連発している。
多分、GHQ太鼓持ちっぽいのが、最後の方で発言している笠井と江藤で、英文の原案通りでいいんじゃないか、何でこんなに拘るんだ変える必要があるんだ、という感じだった。


芦田修正、と謳われてはいるが、実際には、芦田委員長は苦虫を噛み潰したかのような、仕方なしに受け入れたものとなっていたのだ。その他の委員(特に、進歩党の議員)さんたちが中心的な役割を果たしていたのである。文言の提案の一部は、芦田委員長からなされたものはあったわけだが、自分の案(1項と2項を入れ替える、というもの)が否定されてしまったので、当初政府案に近い形に戻ったことが非常に不満だったのだ。

金森君とは違う、とまで言ってしまったわけで。


※要点:

※4  「芦田修正」は、実際には芦田均委員長が主導したわけではなく、他の委員の意見を不承不承受け入れた結果だった。2項には、将来的に政府答弁の含みが残されていることを、制定意図として知った上で、1項、2項の順序を維持した。