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05-10-11 (Wed)

[][][] クィア理論入門公開連続講座(2011)


またしても大変ご無沙汰いたしております。

というかここにいらっしゃっている方はもう殆どいらっしゃらないのでは。

とは思いつつ、現時点で他に媒体が思い当たらず、宣伝の時だけで毎回大変申し訳ございませんが、昨年に引き続きまして、本年もクィア理論入門公開連続講座のお知らせでございます。

昨年とは講師が変わりまして、講座の切り口というか焦点もまた、多少変わることになります。

また、昨年と比べると多少ではありますが、時系列よりはテーマごとの設定になる予定です。

今年のテーマは「可視性」です。ドラァグカミングアウトから、女性女装ということ、さらに障害学やギャル論まで、どう繋げて行くのか、ご期待いただければと思っております。

対象は10代後半より上の方です。そういう授業はうちでは開講されていないんだよねという学部学生の方、社会人の方、高校生の方、学校は好きではないのよねという方も含め、どうぞ御気軽にお越し下さいませ。

昨年も書いたことですけれども、ゆっくりゆっくり、興味はあるけど詳しくは知らないのよねという方々が、とりあえずきっかけとするために集まってくださる場に、少しずつ育てていくつもりでおります。どうぞよろしく御願いいたします。



〈クィア理論入門公開連続講座



クィアという言葉は聞いたことがある、

ジェンダーセクシュアリティをめぐる議論に興味がある、

もう少し詳しく知りたいけれど入り口が見つからない、

そういう方に向けて、

クィア理論入門の連続授業をおこないます。


昨年度とは異なる講師、異なる切り口で、すすめて参ります。


皆様の御参加をお待ち申し上げております。



講師:井芹真紀子東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程、フェミニズム/クィア理論)



クィアな可視性をめぐるポリティクス



2011.10.19 イントロダクション


2011.11.02 沈黙=死:エイズ危機とドラァグ


2011.11.16 見えない差異:フェムレズビアントランスセクシュアル


2011.11.30 クローゼットってなに?:パスとカミングアウト


2011.12.14 選ばないことを選ぶ:クィア障害学と特権的身体


2012.01.18 女性が女装する:ギャルの商品化とホモノーマティビティ



時間:水曜 19:30~21:00



場所:東京大学駒場キャンパス18号館1Fメディアラボ2



対象:10代後半以上の方



お問い合わせ先:東京大学大学院総合文化研究科 清水晶子 qstudieskomabaあっとgmail.com

(「あっと」を@に変えてご利用ください)



なお、この公開授業は、科学研究補助金(基盤C)「日本におけるクィア・スタディーズの展開」〈クィアと教育〉部門の研究事業の一環として行われます。


17-01-11 (Mon)

[]12.4 黒い彗星★国際連帯声明に賛同を表明します


例によって例のごとくでご無沙汰いたしております。

色々と取り紛れておりますうちに、石原が!石原が!石原が!という事になったりしておりますが、これについてはとりあえずまたそのうちに書ければ良いなと思っております。

というわけで、今回は、12.4 黒い彗星★国際連帯声明(12.4 黒い彗星★救援会の記事より)への賛同表明でございます。


私たち「12.4黒い彗星★救援会」は、2010年12月4日、渋谷駅近くの路上で起こった事件について、世界中差別と闘う人々に訴えます。


日本人レイシストによる民族差別デモに単身抗議した「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)は、レイシストたちに集団暴行を受け、全治3週間の大けがを負いました。にもかかわらず、警察は、暴行の加害者を放免し、暴行の被害者であるかれを「暴行容疑」で逮捕したのです。


(冒頭部抜粋:全文は上のリンクにてご覧下さい)


わたくしは、フェミニストとして、クィアとして、日本で生活をし、日本国籍を持つものとして、日本が排外主義人種主義へといっそう傾いていく時に切実にその生活と安全を脅かされるものを愛するものとして、そのような時に自らの生活と安全をも脅かされるものとして、上の声明に連帯を表明いたします。

同時にまた、cMasak氏による上記声明への賛同記事の指摘にも、賛同を表明します。わたくしはcMasak氏の記事を読むまでこの動画を見ていませんでしたが、フェミニストとして、クィアとして、排外主義や人種主義に強く反対を表明するのと同様に、排外主義や人種主義に反対するものとして、セクシズムやホモフォビアトランスフォビアに強く反対を表明していきたいと思っています。

もちろんそれはつまり、排外主義や人種主義に反対する「黒い彗星」氏あるいはその支持者/友人のみに向けられるべき要請ではなく、それこそ例えば石原都知事同性愛嫌悪発言を批判するフェミニストやクィア、あるいはLGBTにも向けられる要請だと理解しています(何と言っても石原都知事は朝鮮学校を無償化対象に含めることに公に反対を唱え、そして、東京都は朝鮮学校への補助金を凍結すると決めたのですから)。そしてわたくし自身もまた、その二重の意味において要請を受けているのだ、と。

この記事のタグが[lgbtq]になっているのは、そういう事でもあります。

16-11-10 (Tue)

[][]クィア・スタディーズ入門公開講座、会場変更のお知らせと御詫び

クィア・スタディーズの入門公開講座ですが、初回の教室が小さ過ぎて、参加者の皆様には大変御迷惑をおかけいたしました。

次回からの会場変更が確定しましたので、お知らせいたします。

会場は、初回と同じ東京大学駒場キャンパス18号館ですが、18号館ホールを使用いたします。初回講義をおこなった建物の入り口向かいにある、もう一つの入り口から、お入り下さいませ。

また、参加者を「高校生以上」と記載してありますが、「高校に在学中の/高校を卒業した」方というわけではありません。興味のある話題であれば、多少抽象的な議論や難解な本であってもかまわない、という10代後半かそれより歳上の方、に御参加いただければと思っております。

表記にあやまりがありました事を、御詫び申し上げます。

11-11-10 (Thu)

[][]クィア・スタディーズ入門公開講座、今後の予定


クィア・スタディーズ入門公開講座の今後の授業予定をお知らせいたします。本来授業開始前には御伝えするべきところ、遅くなりまして申し訳ございません。


  • 1/26 現代において「政治的」であるというのはどういうことか?:クィア研究の展開と課題

[][]クィア・スタディーズ公開入門講座第一回終了

本日の〈クィア・スタディーズ公開講義〉初回、50人を超える参加者の方にお出でいただき、無事終了いたしました。参加下さった皆様、ありがとうございました。

また、こちらの予想人数が少な過ぎたために、お越し下さった人数に対して教室が小さすぎましてご不便を御かけいたしました事、御詫び申しあげます。

授業それ自体についても、そもそもあそこはわかりにくかった、ここはこうして欲しかった、などの御批判もあるかとは存じます。本日の授業後、また授業に続く検討会でも、多くのご示唆をいただきまして、大変ありがたく存じます。今後とも、是非多くの御意見を御寄せいただければ幸いです。

授業内容についてはネット公開はいたしませんが、頂いた御意見や議論については、後日まとめて御報告を申し上げる予定でおります。

手探りで出発したプロジェクトですが、皆様の御意見や御批判を受けつつ、地味に地味に息長く続けて行きたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

05-11-10 (Fri)

[][]クィア・スタディーズ入門公開講座のお知らせ


え〜と、何かとものすごく広報が間に合っていなくて実に実に急なお知らせなのですが、下記のような連続公開講座を11月より開始いたします。

f:id:tummygirl:20101106013650j:image:left

ゆっくりゆっくり地味にはじめて、クィアって要するに何よ、クィア・スタディーズって要するに何やってるのよ、という、興味はあるけど詳しくは知らないのよねという方々が、とりあえずのきっかけとするために集まっていただける講座に、少しずつ育てて行ければ、と思っております。

対象は高校生以上です。そういう授業はうちでは開講されていないんだよねという学部学生の方、社会人の方、学校はあんまりねという方も含め、どうぞ御気軽にお越し下さいませ。

初回はさすがに急過ぎるという方でも、興味がおありの向きは、是非お誘い合わせの上、第二回からでも御参加下さい。



〈クィア理論入門一般公開連続授業〉


クィアって何?

クィア・スタディーズって何をする学問

どんな事柄をあつかって、何を言ってきたの?


クィアという言葉は聞いたことがある、

ジェンダーセクシュアリティをめぐる議論に興味がある、

もう少し詳しく知りたいけれど入り口が見つからない、

そういう方に向けて、

クィア理論入門の連続授業をおこないます。


皆様の御参加をお待ち申し上げております。


講師:川坂和義(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程、クィア理論)


日時:全八回、水曜日19:30-21:00

2010年 11/10, 11/24, 12/8, 12/22,

2011年 1/12, 1/26


対象:高校生以上

(クィア・スタディーズを専門となさっている博士課程在学中の方は、聴講だけではなく講義後の検討会への参加をお願いいたします)


場所:東京大学駒場キャンパス18号館1Fメディアラボ2


お問い合わせ先:東京大学大学院総合文化研究科准教授 清水晶子 qstudieskomabaあっとgmail.com

(「あっと」を@に変えてご利用下さい)


なお、この公開授業は、科学研究補助金(基盤C)「日本におけるクィア・スタディーズの展開」〈クィアと教育〉部門の研究事業の一環として行われます。

16-09-10 (Thu)

[]丼を投げる人が批判されたらブログを管理する人が尻尾だけ切って知らん顔をしている件


ご無沙汰しております。


ええと、各所で既にエントリがあがりまくっているので細かい説明は省きますが、「ゲイカップルに丼投げたよ!と書いた芸能人(で良いのかしら)のブログに批判が集まったら、結構色々管理してるはずのブログサイトがそのブログだけとっとと閉鎖して知らん顔な件(プラスしてブログ閉鎖された人が〈ホモ狩り〉するぜと脅迫している件)」(長過ぎる)について。


この一件については、Wikiまとめがありますので、詳細はそちらを御参照下さい。

【牛丼男瓜田純士まとめ】ヘイトクライム/ヘイトスピーチとその放置は許さない!

瓜田純士の件:牛丼を投げつけたゲイが友達で「ふざけてただけ」だというのは本当か?とか、そういうことが問題なんじゃないよね(あたしが女とセックスする話はシモの話じゃなく人生の話なの)

瓜田純士、アメブロ強制退会か? 公式ブログに「仕返しに出る」「今晩からでもゲイ狩り」等書き込み(みやきち日記)


一応該当するアメーバブログの意見・要望フォームみたいなものから、意見を送りました。というか、既に前に送ったのですけれども、閉鎖から脅迫という流れになって、まだまだ口をつぐんだままのアメーバブログ(サイバーエージェント社)の対応はどうなのかな、と言うことで、改めて。しつこいですすみません。


で、送ったのはそれで良いとして、長文になったし、「とりあえず当人叩こうぜ!」みたいな盛り上がりが一部にあるのはわたくしはちょっと違うのではと思っているし、枯れ木も山の何とかでブログエントリのようにネット上で公開されている見解が多い方がちょろっとは役にたつかしらという淡い期待もあるしで、ここにも載せておきます。


っていうかこういう文章苦手なのですわたくし。なるべく一行を短く!という事だけに専念していたら何を書いているのか良くわからなくなった気がいたします。


とりあえずそういう事でございますので、あらまあこれは酷いわね(わたくしの書いたものにせよアメーバブログの対応にせよ)とお思いの方は、アメーバブログのフォームから、御意見御要望など御寄せいただければ幸いです。


あ、あと。


これはこれで酷いとわたくしは思ってはいるのですけれど(だからこういう事もするのですけれど)、そして芸能人の公式ブログを管理するブログサイトの問題というのはちょっと特殊事例でもあるのですけれども、今回の発言自体については、もしそれが事実でなくネタであるとすれば(という噂もあるらしいので)、こういうヘイトスピーチって女性とか在日外国人とか障害者とかにおきかえると実はかなりあるよね(まあ、LGBTターゲットのものも結構ありますけれど)、と思わないでもございません。それは、だからガタガタ言っても仕方ないよねという事では勿論ないのですけれども、女性や在日外国人や障害者に対する、政治家とか政治家とかタレントとかタレントとかの気軽なヘイトスピーチ(て矛盾してますけれど、あるような気がいたします)にも、せめてこのくらいの批判を向けるようにしておかないと、という自戒だけで、例によってまとまりなく。



アメーバ芸能人公式ブログにおける瓜田純士氏のヘイトスピーチおよび脅迫の掲載と、それに関する御社の対応について、お尋ねいたします。


瓜田純士氏が、御社の運営されているアメーバ芸能人公式ブログで、ゲイ男性に暴行をふるったことを自慢するように取れるエントリを掲載なさった事はご存知であろうと思います。


瓜田氏の暴力行為は、それが事実であれば勿論看過されるべきものではありませんし、更に、同性愛という特定の属性を理由とした暴行(「昼からゲイはないよ」「生理的に受け付けない」等の記述があります)を誇るような記述は、たとえ暴行が事実でなくあるいはネタであったとしても、その属性を持つ集団に対する侮蔑と攻撃に満ちた、きわめて差別的、脅迫的なものです。


ただ同時に、(私自身を含め)アメーバブログの問い合わせ/利用規約違反報告フォームから意見を送ったり、ブログやツイッター上で批判をしたりしていた人々の多くが問題として指摘していたのは、瓜田氏の記述それ自体だけではなく、アメーバブログ側の管理が入っているはずの芸能人公式ブログでこのようなエントリが放置されていること、また、そのエントリに対する批判コメント承認されず、暴行に喝采を送るコメントが幾つも承認されて掲載されていたことでした。


アメーバブログの利用ガイドラインには、禁止事項として、「(17) 人種民族、性別、信条社会的身分、居住地、身体的特徴、病歴、教育財産等による差別につながる表現・内容を掲載、または他の会員へ送信する行為」とあります。


このガイドラインに照らし合わせ、更に芸能人公式ブログという性質を考えた時、アメーバブログでは瓜田氏の当該エントリを適切であるとお認めになったのでしょうか。言葉を変えれば、アメーバブログとして、セクシュアリティを理由とした暴行を誇るようなヘイトスピーチは、「差別につながる表現・内容」とはみなさない、という判断をなさったのでしょうか。その点について、アメーバブログとしての、あるいはサイバーエージェントとしての、公式な見解を明確にして頂きたい、というのが批判側の要望でした。


ところが、残念ながら今の段階では、アメーバブログとしてもサイバーエージェントとしても、このエントリの掲載についての公式見解は一切表明なさっていません。その反面で、単にまず当該エントリを削除し(これについては瓜田氏の記述が正しければ、運営担当から削除を要求されたものと取れます)、続けて瓜田氏のブログ自体を閉鎖するという対応をなさっていらっしゃいます。


ブログ閉鎖についてはアメーバブログのご判断ですが、少なくとも私自身は瓜田氏のブログが閉鎖される事を望んでいたわけではありませんし、ましてや、ヘイトスピーチの対象となった人々や批判者に対して削除や閉鎖の根拠も示さぬまま、とかげの尻尾を切るように問題となったブログを閉鎖することを望んでいたわけではありません。


このままでは、ブログ閉鎖の理由が、アメーバブログ、あるいはサイバーエージェント社が、当該エントリをガイドラインにおける「差別につながる表現・内容」に相当するとみなしたことである、とは見えません。むしろ、アメーバブログとしては問題を認識しなかったが、抗議が来たので面倒な表現は排除した、という印象を与えかねません。


実際に、瓜田氏はブログ閉鎖前の最後のエントリで、批判とりまとめの中心となった方に対し、「確実に"お礼参り”行くからよろしく」と、暴行を予告する脅迫をしており、アメーバブログのガイドラインに違反した事が閉鎖の理由であるという理解はなさっていないようです。(そもそも、この時点になってこのような脅迫エントリが掲載されたまま一定期間放置されていたこと自体、驚くべきことだと思います。)


アメーバブログとして、あるいはサイバーエージェント社として、この件についての公式見解を表明し、当該エントリが「差別につながる表現・内容」に相当すると認めたのが閉鎖理由であることを明確にして下さることを強く期待いたします。それは、不当な差別に反対するメッセージを発信して企業社会的責任を果たすことでもあり、御社と御社が提供されているサービスへの信頼度を高めることにもなると存じます。


サイバーエージェント社のサイトのCEOメッセージには、「21世紀を代表する会社を創る」というビジョンのもと、「コンプライアンスを重視」して行く、とあります。どうかそのメッセージの精神に則り、適切な対応をおとり下さいますよう、お願いいたします。

28-06-10 (Mon)

[]ホモナショナリズム批判について、あるいは、ジュディス・バトラーによるベルリン・パレードからのプライズ受賞拒否関連メモ


ご無沙汰しております。

そこここで既に情報が出ていることですけれども、2010年6月19日、ベルリンのChristopher Street Day(ベルリンのプライド)からおくられることになっていたCivil Courage Prize(勇気ある民間人に贈られる賞、という事のようです)を、ジュディス・バトラーが拒否する、という出来事がありました。受賞拒否スピーチがYouTube に上がっていて、これがまたきれいにまとまってそれなりに気持ちのあがるスピーチな上に、そもそも良い感じの落ち着いた声をしているバトラーがドイツ語で演説すると「ブッチすぎて萌え」 等という感慨も誘発したりしなかったりするわけですが、そんな事は勿論どうでも良くて。

勿論、バトラーというクィアスタディーズ業界での知名度とか業績とか影響力でいったら世界でもトップ数人に入るだろうというオオモノがこんな事をやったのね!というのは、それはそれでそれなりのニュースにはなるのでしょうけれども、今回の出来事がクィアスタディーズ業界的には注目に値するのかなと思えるのは、むしろ、この受賞拒否が「著名人がこんなラディカルな!びっくり!」というような突発的なものではないからです。今回の出来事は、むしろ、各国でのLGBT市民権利の拡大につれて国家政治とクィア(あるいはLGBT)ポリティクスとの共犯関係が加速度的に進行し、それに対抗するアクティビズム(およびそれに呼応したアカデミック考察)もまた蓄積されていく、その緊張が極めて目につきやすい形をとってあらわれた、一つの象徴的な事例なのだろうと思います(と書いておいて、象徴というのは厳密には違うのかもしれない、と思ったりするのですけれども、徴候的というのも違うような)。

というわけで、自分のためのメモという意味合いが強いのですけれども、とりあえず現時点でこの出来事を巡ってチェックしておきたい情報や、ちらちら思ったことなどを、例によってまとまりなく書いておこうかと。



受賞拒否スピーチおよびインタビュー


まず、受賞拒否スピーチそれ自体は、YouTubeの動画こちらにあがっている(これは英語字幕から訳した日本語字幕つき。@aHomoAznMButch ありがとう!)。

このスピーチを文字起こしした原稿が、こちらに掲載されている ので、全文を引用する(YouTubeの字幕とは英語訳の時点で少し違うところがあるので、日本語も多少の違いはあると思う)(このエントリを書いている間にこちらにも日本語訳がアップされていました。確認していないのですがそれほど違わない筈。と、思いたいです。私の方で誤訳があれば教えて下さいませ)。



Judith Butler - I must distance myself from this complicity with racism


When I consider what it means today, to accept such an award, then I believe, that I would actually lose my courage, if i would simply accept the price under the present political conditions. ... For instance: Some of the organizers explicitly made racist statements or did not dissociate themselves from them. The host organizations refuse to understand antiracist politics as an essential part of their work. Having said this, I must distance myself from this complicity with racism, including anti-Muslim racism.


今日私がこのような賞をお受けするという事がどういう意味を持つのかと考えますと、現在の政治的状況のもとでただ単にこの賞をお受けするとしたら、私は実は勇気を失う事になるのではないか、と考えます...


例えば、主催者の中にははっきりと人種主義的な発言をする人達がいましたし、またそのような意見とかかわりを断とうとしない人達がいました。主催者団体は、反人種主義の政治が自分達の活動において欠かせないものだという理解を拒否しています。ですから、私は、人種主義とのこのような共犯関係から、距離をおかなくてはなりません。ここでの人種主義には、反イスラム的人種主義も含まれています。


We all have noticed that gay, bisexual, lesbian, trans and queer people can be instrumentalized by those who want to wage wars, i.e. cultural wars against migrants by means of forced islamophobia and military wars against Iraq and Afghanistan. In these times and by these means, we are recruited for nationalism and militarism. Currently, many European governments claim that our gay, lesbian, queer rights must be protected and we are made to believe that the new hatred of immigrants is necessary to protect us. Therefore we must say no to such a deal. To be able to say no under these circumstances is what I call courage. But who says no? And who experiences this racism? Who are the queers who really fight against such politics?


私たちの誰もが気がついてきた事ですが、ゲイバイセクシュアルレズビアン、そしてトランスやクィアの人々が、戦争をしたがっている人たち、無理にこじつけたイスラム嫌悪を用いた移民に対する文化戦争や、イラクやアフガニスタンに対する軍事戦争を遂行したがる人たちによって、利用されてしまう事がありえるのです。今の時代、こういう手段で、私たちはナショナリズムや軍事主義へと動員されています。現在、ヨーロッパの多くの政府は、ゲイ、レズビアン、クィアの権利は守られるべきものだ、と主張しており、私たちは、移民に向けられるこの新しい憎悪は、私たち自身を守るためには必要なものなのだ、と信じ込まされています。だからこそ私たちはそんな取り引きには「ノー」と言わなくてはなりません。こういう状況にあって「ノー」と言えること、それを私は勇気と呼びます。でも、誰が「ノー」と言っているのでしょう?そして、誰がこの人種主義を経験しているのでしょう?こういう人種主義の政治と本当に闘っているクィアは、誰なのでしょう?


If I were to accept an award for courage, I would have to pass this award on to those that really demonstrate courage. If I were able to, I would pass it on the following groups that are courageous, here and now:


もし私が勇気に対しての賞を受け取るとすれば、本当に勇気を示している人たちに、その賞を譲り渡さなくてはならないでしょう。もしそれが出来るのであれば、私は今、ここで、以下の勇敢な人々に、この賞を譲り渡したいと思います。


1) GLADT: Gays and Lesbians from Turkey. This is a queer migrant self-organization. This group works very successfully within the fields of multiple discrimination, homophobia, transphobia, sexism, and racism.


GLADT:Gays and Lesbians from Turkey(トルコ出身のゲイとレズビアン) 。クィア移民の団体です。この団体は複合差別の領域、ホモフォビア、トランスフォビア、性差別、そして人種差別の領域で活動し、成功をおさめています。


2) LesMigraS: Lesbian Migrants and Black Lesbians, is an anti-violence and anti-discrimination division of Lesbenberatung Berlin. It has worked with success for ten years. They work in the fields of multiple discrimination, self-empowerment, and antiracist labor.


LesMigraS: Lesbian Migrants and Black Lesbians (レズビアン移民とブラック・レズビアン) 。この団体は、Lesbenberatung Berlinの反暴力、反差別部門で、10年にわたって活動を続けて成功しています。複合差別、セルフエンパワメント、そして反人種主義的労働にたずさわっています。


3) SUSPECT: A small group of queers that established an anti-violence movement. They assert that it is not possible to fight against homophobia without also fighting against racism.


SUSPECT:反暴力運動をつくりだしたクィアの小さい団体で、人種主義に反対して闘うことなくホモフォビアに反対して闘うことは不可能だ、と主張しています。


4) ReachOut is a councelling center for victims of rightwing extremist, racist, anti-Semitic , homophobic, and transphobic violence in Berlin. It is critical of structural and governmental violence.


ReachOutは、ベルリンにおける暴力の被害者極右的、人種主義的、反ユダヤ主義的、同性愛嫌悪的、そしてトランス嫌悪的な暴力の被害者のためのカウンセリング・センターであり、構造的な暴力や政府による暴力を批判しています。


Yes, and these are all groups that work in the Transgeniale CSD, that shape it, that fight against homophobia, transphobia, sexism, racism, and militarism, and that - as opposed to the commercial CSD - did not change the date of their event because of the Soccer World Cup.


そう、そしてこれらの団体は、Transgeniale CSD [注:ベルリンのオルタナティブ・パレード]を形成しそこで活動している団体です。Transgeniale CSDは、同性愛嫌悪、トランス嫌悪、性差別、人種主義、そして軍事主義とたたかっているパレードであり、商業的なCSDがサッカーのワールドカップのためにイベントの日程をずらしたのに対して、日程の変更をしなかったパレードなのです。


I would like to congratulate these groups for their courage, and I am sorry that, under these circumstances, I am unable to accept this award.


私はこれらの団体の勇気をたたえたいと思います。そして、残念ながら、このような状況においては、この賞をお受けすることはできないと、申し上げなくてはなりません。




で、この受賞拒否に際してバトラーが blu.fmのインタビューを受けている。その音声がこちら。 

トランスクリプトつくる気力もなく、探すことも出来なかったのだけれども、簡単に要約してしまうと、バトラーがここで言っているのは次のとおり。

  • バトラー自身は、クィア・ムーブメントを、ホモフォビアや人種主義を含むより広範な社会的不正義への抵抗運動に連なるものであると理解しているということ。バトラーにとっては〈クィア〉というのは常に連携協調(coalition, alliance)、社会的平等に基づくより広い意味での自由に拘るものであり、アイデンティティや、あるいは第一義的には、個人的な自由にかかわるものですらない、という事。
  • しかしベルリンのCSDの運営にかかわる主にゲイ男性の中に、移民、とりわけイスラム教徒の移民に対して、きわめて強硬な人種主義的な発言をしている人たちがおり、彼らはクィア・ポリティクスを反人種主義の運動と結びつくべきものと考えていないこと。
  • バトラー自身はその事を知らなかったのだが、ベルリンに来てから幾つかのグループとの話し合いを経て、「勇気」をたたえる賞をおくるのであれば、海を越えてアメリカから人を探さなくても、まさに足下に勇気ある活動を続けてきた人々がいると考えるにいたったこと。
  • 自分は人種主義や軍事主義を含む国家による暴力とホモフォビアを結びつけるそのような団体を支持したいと考えており、明確に人種主義的な発言をする団体、あるいはコーディネーターからの人種主義的な発言を否定しないような団体からは、距離をおかなくてはならない、と考えること。
  • パレードで公道で個人的な自由を謳歌してハッピーになる事は全く悪いことではないけれども、自分は同時に社会正義も支持するのだ、ということ。


受賞拒否の背景など


冒頭でも少し触れたように、この受賞拒否スピーチは突然降ってわいたような性質のものではなく、いわゆる「欧米先進諸国」において承認されてきたような形でのLGBTの「人権」擁護という概念が、ナショナリズムや人種主義、さらには移民政策から戦争までを含む多様な国家暴力によって利用されてしまう、あるいは互いに積極的な共犯関係を結ぶ、という事態がとりわけこの10年ほどの間で急速に進行し(そこに始まった事態ではないにせよ)、それに対する批判と抵抗の必要性も急激に高まってきたことに伴う、大きく言えば、クィア・アクティビズムや理論における焦点の移動の一つを、背景にしたものだと言える。

アクティビズム関係はわたくしは断片的にしか知らないので他の方のインプットを待つとして(無責任)、基本的にはアクティビズムの後を追って思考を広げていくことの多いアカデミックなクィア・スタディーズ関係の言説を見ても、この変化はわりと明確にあらわれていると言うことはできるだろう。Lisa Dugganがホモノーマティビティ(支配的な制度に異議を唱えるのではなく、むしろそれを持続させる事に貢献するような同性愛規範)として指摘したような、既存の国家制度や経済制度などに自らをうまく組み込んで自らの権利の拡大をはかるようなLGBTポリティクスに対する問題意識は、たとえば、クィアな時間という概念を何よりもまず「国家の自己再生産を支える」規範と対峙するものとして提示しようとしたハルバースタム、あるいはジェンダーセクシュアリティの問題からより「大きな」国家的暴力の問題へと「倫理的転回」を見せたと評されることもある(わたくしはこのような理解のされ方それ自体がきわめて問題であるとは思っているのだけれども、それはそれとして)バトラー、あるいはホモノーマティビティの概念をよりはっきりと国家のナショナリズムと人種主義に結びつけてホモナショナリズムとして批判したピュアに、共有されるものだ。

このような批判が必要になった背景には、言うまでもなく、9/11以後の(とりわけアメリカ合衆国や英国など、クィア・スタディーズの中心となっている英語圏における)反イスラム主義およびそれを煽動し/利用したナショナリズムの激化がある。なかでも問題になってきたのは、戦争にあたって主流LGBTの運動の中にナショナリスティックかつ人種主義的な情動の高まりに取り込まれていくものがあったこと、国家の側でも、「LGBTを差別/弾圧する存在」という表象を通じて、国家による戦争の相手(それは個々の「テロリスト」であったり、何より、「テロリスト」と結びつけられる国家/宗教民族だったりするのだが)を「LGBTの敵」と位置づけ、リベラルな感情をナショナリスティックな目的へと動員するとともに、みずからの道徳的優位を確保しようとしてきたことだろう。

このようなナショナリズムと人種主義の激化が最大のターゲットとしてきたのは、イスラム教であり、イスラム国家であり、イスラム教徒(あるいは漠然とおそらくそうであろうと見なされる外見の人々)だったわけで、たとえば米国や英国、イスラエルなどによる、戦争や侵略、占領を含む「中東政策」において、あるいは「イスラム教徒」である移民に対する「同化の強要」において、LGBTの権利というお題目が国家的な暴力を正当化するために利用されることになってしまった。

日本でも例えばイランにおける「同性愛者の処刑」などがニュースとしてLGBT系のオンラインメディアで流れることがある。それはそれとして勿論批判されるべき事だとわたくしは考えるけれども、例えばそのようなニュースに連動して、英語圏のメディアでは「地元出身の政治家に働きかけてイランへの制裁を」というような呼びかけがなされる事がある。わたくしが昨年出席した学会でも、中東からのアクティビストが、このような呼びかけが繰り返しなされる事を取り上げ、「何も考えずにこういう呼びかけにこたえるな。それはあなた達の国の政府の横暴を承認し、イスラム圏のLGBTの生を一層脅かすだけだ。」という批判をしていて、これはある意味「制裁」系の議論に対して(LGBTの文脈に限らず)常に向けられる批判ではあるけれども、でもやはり耳を傾けるべき重要な抗議である事に変わりはない。

このような人種主義とLGBT権利擁護との共犯関係に対する批判は、イスラエルによる「自由船団」への攻撃がプライド・シーズンの直前に起きた事とも相まって、今年になって一層可視化されつつあるように思える。たとえば、テルアビブの代表団の参加を拒否したマドリッド・プライドの決定は、そのわかりやすい例だろう。

ちょっと話がずれるけれども、上のリンク先は英国のPinkNewsの記事だが、これを米国ベースAdvocateの記事と比べると、そのトーンの違いはちょっと興味深いものがある。PinkNewsの記事では、「自由船団」への攻撃に対してテルアビブの市長からの謝罪がないという事実がマドリッドの決定の根拠であると明確に記述されている(参加を拒否されたテルアビブ代表団は、イスラエル外務省の後援でテルアビブのゲイ・ツーリズム振興を担うべく派遣される予定だったもの)に対して、Advocateの方では、「ローカルの親パレスチナ派がすごく怒ってるので安全を保障できない」と、微妙に「怒ってる親パレスチナ派の暴力とそれをとめられないマドリッド・プライド」に焦点をあてるトーンへの移行が見られる。ちなみにこのAdvocateの記事を、さらに、オンラインのイスラエルの新聞の記事と併置すると、あら何か似ているわねと思うのは、わたくしだけではないはず(断言)。ちなみにAdvocateは「自由船団」への攻撃でイスラエルへの批判がわき上がっているさなかに、「ジハードの戦士、ゲイを切り刻んでやりたいと思っていた」という無意味にセンセーショナルなタイトルの記事をあげたりしていて(しかも記事の内容自体はテロ計画の容疑者に関する取材記事の一部で、ニュースとしての価値もなんだか微妙だし)、これって何か政治的意図があるわよねそうに違いないわよねと思わせるものがあったりなかったり(パラノイア)。

いずれにせよ、PinkNewsでテルアビブの代表団のコメントとして引用されているのが、こちら。


"Don't they know that Islamist fundamentalists don't just want to finish off Israel, but that they also believe homosexuals should 'cure themselves' or die?"

"It is shameful that they should join with pro-Palestinian and fundamentalist groups which are not exactly tolerant with homosexuality," he said.

Mr Schwartz also said the city had invited Madrid Pride organisers to join a march this week in Tel Aviv, which he said was the "only place in the Middle East where you can be gay in public".


要するに、「イスラム原理主義者はイスラエルを潰そうとしてるし、同性愛者は同性愛を治すか、さもなければ死ね、と思っている。そういう同性愛嫌悪的な親パレスチナ派や原理主義者と手を組むなんてひどい。テルアビブは中東で唯一おおっぴらにゲイでいられる場所なのに」というわけで、上で書いたようなLGBTの人権を人種主義や国家暴力の言い訳に動員する典型的な発言の例として、教科書に取り上げたいくらい(言うまでもないけれども、イスラム原理主義者=親パレスチナというところで既にロジックにものすごい跳躍があるし、中東でおおっぴらにゲイでいられるのがテルアビブだけ、というのも、「おおっぴらに」の定義にもよるのだろうけれども、事実としてかなり反論されている主張)。

同じくイスラエルに関連するものでは、カナダのトロントのプライドでも、プライドにおいてイスラエルの政策を「アパルトヘイト」と呼ぶことを禁止するしないを巡って、かなり大きくもめたらしい。こちらについては、トロントのハッテン車窓からこちらの記事から始まる幾つかのエントリで、日本語でも読めますので、是非(このブログには、「イスラエルは本当にゲイの人権を尊重しているのか」という、イスラエルのLGBT事情についてのエントリもありますので、あわせて是非)。

で、ようやくベルリンの話だけれども(相変わらず前置きばかり長いです、すみません)、ベルリンでは今年のプライドでバトラーの受賞拒否にいたるまでに、何があったのか。わたくしはこれについては全く知らなかったのだけれども、上でもちょっと触れた Jasbir Puarのブログエントリ、バトラーのスピーチでも名前のあがった団体であるSUSPECTのプレスリリース(このエントリの最後に引用および簡単な和訳をつけてあります)、そして私が読んだ幾つかのMLへの投稿などによれば、過去数年(とりわけ2008年以降)のドイツにおけるLGBTの政治において、ホモフォビアやトランスフォビアを新しくドイツに入ってきた(主にイスラム教徒の)移民と結びつけ、そういう「ちゃんとしたドイツ人」の価値観(LGBTの人権に敏感であるような価値観)を共有できない移民は追い出してしまえ、と言わんばかりの(というかそうはっきりと表明するような)言説が、急激に力を増してきている、という事らしい。

ホモフォビアを「イスラム教徒」「移民」あるいは「トルコ人」(ドイツではこの3者がしばしばいっしょくたにして考えられるとのこと)と結びつけて人種化する作業は、実は、ドイツの主流のゲイやレズビアンの団体や、プライドのオーガナイザーでもあり左翼新聞にもかかわる人々自身によって、積極的にすすめられてきた、という批判がある。主流のゲイやレズビアン団体は、たとえば「ドイツの」若者と比べて「トルコの」あるいは「ロシアの」若者はよりホモフォビックだという「科学的な研究」の結果を広く公表したり(その研究そのものに資金を提供もしたり)、移民(あるいは元移民)の団体に「あんた達のところのホモフォビックな若者をどうにかしろ」と要求したり、移民のホモフォビアとたたかう事で彼らを「統合するintegrate」というプロジェクトで政府の資金を受けたりしてきたのであり、つまりそのような主流団体こそが、ドイツにおけるホモフォビック/トランスフォビックな暴力は「前近代的」な文化背景を持ち「自らの暴力的な衝動抑制できない」ような「移民の若者」の問題であり、このような「移民」は、ゲイやレズビアンの「市民」の人権を守るドイツ国家において明白に「場違いな」存在である、という言説をおしすすめてきた、というのだ。

バトラーが受賞拒否スピーチにおいてあげた幾つかの団体をはじめとする非白人のクィア/トランスの団体は、ドイツにおけるこのようなLGBTコミュニティー内部での人種主義に対して粘り強い批判を続けてきたのだが、これを主流のゲイ・レズビアン団体がまともに取り上げることは殆どなかった、らしい。このような状況のもとでベルリンのプライドがバトラーに賞をおくるというニュースが流れると、人種主義に反対するアクティビストや研究者達はバトラーへの緊急の働きかけを起こし、プライドからの賞を受け取らないようにと要請した。つまり、バトラーの受賞拒否は、過去数年にわたって彼女(や他のクィア・スタディーズの研究者達)が取り組んできた仕事の当然の結果であると同時に、LGBTコミュニティー内の/LGBTを利用した人種主義や国家的暴力に対抗する各地での長年にわたる運動の一環でもあるのだ(というより、そもそもの始めからそういう運動が研究や理論の背後にあると言うべきだけれども)。



受賞拒否に対する反応


今回の受賞拒否に関して、クィアスタディーズ系のMLでは「またしても白い人が来て非白人の運動のおいしいとこだけ持って行くってどうよ」的な批判も出ていて、それはそれとして一理ないわけではないというのか、こうやって超著名人が出てきた途端に注目を集めてしまうという構造の問題は、当然、ある。ただ、それはバトラー個人に対する「おいしいとこどり」批判という形ではなく、例えば「バトラーもこういう事言ってるしね、うん」という形で既に権威づけられた位置からの主張のみが取り上げられ、その過程において、それらの主張を可能にする前提をつくってきたはずの(この場合であればドイツにおける非白人や移民のクィアによる)運動や主張や、その具体的な文脈が消し去られがちであるという、そのような構造への批判という形をとるべきだろう。その構造と、主流のゲイ・レズビアンの運動における人種主義が十分に批判されずに来た構造とは、重なるものだからだ。

この点については、既に上でリンクをはったピュアのブログエントリが、適確に指摘している。バトラーが反人種主義や反移民差別の政治的目的のために彼女の「セレブとしてのステータス」を利用したこと(あるいはドイツのアクティビストが彼女のそのようなステータスを利用したこと)自体は評価しつつ、ピュアは同時に、バトラーがスピーチにおいて言及した反人種主義の団体の活動こそに、わたくし達の注意を向けようとする。今回の受賞拒否を「バトラー」に還元した表象をくり返すことは、バトラー個人の(あるいはバトラーを説得した団体の)意図とは無関係に、またしても表象/代表するものとしての(権威ある/白人の/アカデミックの)構造的な特権的位置を再確認し、ここまで黙殺されてきた運動の言説を再び黙殺する結果に繋がりかねないからだ(実際、バトラーの受賞拒否はドイツの主要メディアでも報道されたものの、彼女のスピーチにおいてプライドの人種主義への批判があった事、より受賞にふさわしい団体として移民や非白人のクィアの団体が挙げられたことなどは、これらの報道から見事に消し去られたらしい。これについては、下に引用したSUSPECTによる声明文を参照して欲しい)。ピュアは、バトラーの受賞拒否の重要性を、受賞拒否それ自体ではなく、むしろ、それに先んじる/それに引き続く、さまざまな運動体相互のつながりに与えた影響と、上で述べたような引用と表象の構造に対する批判の高まりとに、見ようとするのである。

もちろん、バトラーの受賞拒否がありスピーチがあった時点ではじめてこんなエントリをたてているわたくし自身も、その批判を免れるものではない。

ただ、それにもかかわらず久しぶりの長文エントリをあげたのは(しかも他に報告すべきことがあるはず!な状態で)、まさしくこれが「バトラー」であり、しかも、何となく批判の矛先が日本とは無関係っぽい「欧州における人種主義の批判」に向けられているかのように受け取られかねないのではないかと恐れたからだ。簡単に言えばこういう事なのだけれども。


でも日本ではこのバトラーの演説を、「これだから欧米のゲイはいけないんだ」という風に普通にホモフォビックなナショナリズムとして受容されることもありそう。

http://twitter.com/uberkazu/status/16816371297


バトラーのスピーチは、人種主義やナショナリズムや国家暴力に反対する「クィアの」運動や言説と切り離して語られるべきではない(しつこいのは承知の上で、だから、バトラーの「倫理的転回」をあたかも「フェミニズムやクィアスタディーズという領域を超えた」ものであるかのように語る人たちにも、彼女の議論の背後にあるクィア・ポリティクスへの興味もコミットメントもなしにバトラーの議論を使う人たちにも、けっこううんざり)。そして同時に、日本におけるLGBT運動やそれにかかわる議論に潜む「人種主義」や「民族主義」や「国家暴力」の承認の可能性と切り離して語られるべきでも、ない。日本での人種主義や民族主義や国家暴力は、たとえばアメリカ合衆国やドイツのそれとは、一見異なった形で現れるかもしれない(たとえば攻撃の最大のターゲットは「イスラム教徒」でも「トルコ人」でもない、という意味において)。けれどもそれは、日本において人種主義や民族主義や国家暴力がない、という事ではないし、一連の議論(ベルリンの反人種主義の団体によるものも、バトラーや、あるいはピュアによるものも含めて)において批判されているような、LGBTの人権擁護運動と国家主義排外主義との共謀の危険性を、日本のLGBT/クィア系のアクティビズムや研究が、免れているわけでもない。

「あの有名人の」バトラーがこんな事をしたんだってという話をする時に、あるいは何らかの議論においてそのスピーチに言及する時には、そのスピーチが、あるいはそれを可能にした多様な活動や言論が、要するに何を批判していたのか、その批判はわたくし達自身の文脈においてどのように適用されるのか、それを忘れないでおきたい、と、わたくしは思う。



SUSPECTによるプレスリリース


最後になるけれども、受賞拒否の後でSUSPECTから出されたプレス・リリースの全文を引用しておく。


Press Release by SUSPECT on the events of the 19th June, 2010

2010年6月19日の出来事に関するSUSPECTによるプレス・リリース


As Berlin Queer and Trans Activists of Colour and Allies we welcome Judith Butler’s decision to turn down the Zivilcourage Prize awarded by Berlin Pride. We are delighted that a renowned theorist has used her celebrity status to honour queer of colour critiques against racism, war, borders, police violence and apartheid. We especially value her bravery in openly critiquing and scandalising the organisers’ closeness to homonationalist organisations - a concept which was coined by Jasbir Puar's book Terrorist Assemblages. Her courageous speech is a testimony to her openness for new ideas, and her readiness to engage with our long activist and academic work, which all too often happens under conditions of isolation, precariousness, appropriation and instrumentalisation.


ベルリンの有色人種のクィアとトランスのアクティビストおよびその支持者として、私たちは、ベルリン・プライドからのZivilcourage賞を辞退するというジュディス・バトラーの決定を、歓迎します。著名な理論家がその著名人としての地位を利用して、人種主義、戦争、国境、警察の暴力、そしてアパルトヘイトに対する有色人種のクィアからの批判に敬意を表したことを、嬉しく思います。とりわけ、プライドのオーガナイザー達がホモナショナリスト(これはジャスビル・ピュアが著書 Terrorist Assemblages において作り出した用語ですが)の団体と親密であることをおおやけの場で批判した彼女の勇気を、私たちは高く評価します。彼女の勇気あるスピーチは、彼女が新しい考えに開かれていること、アクティビストや研究者が長い間続けてきた活動に彼女が喜んで参加しようとしていることを、証するものです。そして、このような活動は、非常にしばしば、孤立や不安定さ、専横や制度化のもとで、なされているのです。


Sadly this is happening once again, for the people of colour organisations who according to Butler should have deserved the award more than her are not mentioned once in the press reports to date. Butler offered the prize to GLADT (www.gladt.de), LesMigraS (www.lesmigras.de), SUSPECT and ReachOut (www.reachoutberlin.de), yet the one political space mentioned in the reports is the Transgenial Christopher Street Day, a white-dominated alternative Pride event. Instead of racism, the press focuses on a simple critique of commercialisation. This even though Butler herself was quite clear: ‘I must distance myself from complicity with racism, including anti-Muslim racism.’ She notes that not just homosexuals, but also ‘bi, trans and queer people can be used by those who want to wage war.’The CSD, via Renate Künast of the Green Party (who appeared to have difficulties pronouncing the award winner’s name and grasping basic aspects of her writings) introduced Butler as a determined critic. Five minutes later, the same critical determination caused the faces of presenters to drop. Rather than engage with the speech in any way, Jan Salloch und Ole Lehmann could think of nothing better than blanketly refuse any charge of racism and attack the ca. 50 queers of colour and allies who had come out in Butler’s support: ‘You can scream all you like. You are not the majority. That’s enough.’ The finale was an imperialist fantasy matched by the backdrop of the Brandenburger Tor: ‘Pride will just continue in its programme... No matter what... Worldwide and here in Berlin... This is how it’s always been and will always be.’


残念ながら、またしてもそれと同じことがくり返されています。バトラーが彼女自身よりも受賞に値するはずだと述べた有色人種の団体は、今日にいたるまで、報道の記事においてはただの一度も言及されていません。バトラーはこの賞をGLADT、LesMigraS、SUSPECT、そしてReachOutにさし出そうとしましたが、報道において唯一言及された政治的なスペースは、主に白人からなるオルタナティブなプライドであるTransgenial Chrisopher Street Dayだけなのです。人種主義ではなく、商業主義の批判のみに焦点を絞った報道が、なされています。バトラー自身が人種主義の批判に関してはきわめて明確であったにもかかわらず、です:「私は、反イスラム主義を含む人種主義とのこのような共犯関係から、距離をおかなくてはなりません」。彼女によれば、同性愛者だけではなく「バイセクシュアル、トランス、クィア達も、戦争を従っている人々によって利用されうる」のです。プライドでは、緑の党のレナーテ・キューナスト(彼女は受賞者の名前を発音するのも、バトラーの書いたものの基本的な考え方を理解するのも、一苦労だったようですが)が、バトラーを決然たる批評家として紹介しました。ところがそのわずか5分後、まさにその批評的な決意のせいで、賞を贈ろうとしていた人たちは不満の表情を浮かべることになったのです。Jan Salloch と Ole Lehmann は、バトラーのスピーチに立ち入ることを一切しないまま、人種主義の批判を全面的に否定し、バトラーを支持して駆けつけた50人ほどの有色人種のクィアとその支持者達を攻撃することしかできませんでした:「幾らでも叫べばいいさ。君たちは多数派じゃないんだ。もう十分だ」。フィナーレはブランデンブルグ門を背景にした帝国主義的な幻想そのものでした:「プライドはこのまま続いて行きます…何が起きようと…世界中で、そしてこのベルリンで…これまでもいつもこうだったし、これからもこうして続くのです」


In the past years, racism has indeed been the red thread of international Pride events, from Toronto to Berlin, as well as of the wider gay landscape (see queer of colour theorists’ Jasbir Puar’s and Amit Rai’s early critique of this in their 2002 article ‘Monster Terrorist Fag’). In 2008, the Berlin Pride motto was ‘Hass du was dagegen?’, which might translate as ‘You go’ a problem or wha’?’ (with 'Hass' a wordplay on 'hate'). Homophobia and Transphobia are redefined as the problems of youth of colour who apparently don’t speak proper German, whose Germanness is always questioned, and who simply don’t belong. 2008 is also the year that the hate crimes discourse enters more significantly into German sexual politics. Its rapid assimilation was aided by the fact that the hatefully criminal homophobe was already known: migrants, who are already criminalised, and are incarcerated and even deported with ever growing ease. This moral panic is made respectable by dubious media practices and so-called scientific studies: Where every case of violence that can be connected to a gay, bi or trans person (no matter if the apparent perpetrator is white or of Colour, and no matter if the basis is homophobia, transphobia or a traffic altercation) is circulated as the latest proof of what we all know already - that queers, especially white men it seems, are worst off of all, and that ‘the homophobic migrants’ are the main cause for this. This increasingly accepted truth is by no small measure the fruit of the work of homonationalist organizations like the Lesbian and Gay Federation Germany and the gay helpline Maneo, whose close collaboration with Pride ultimately caused Butler to reject the award. This work largely consists in media campaigns that repeatedly represent migrants as ‘archaic’, ‘patriarchal’, ‘homophobic’, violent, and unassimilable. Nevertheless, one of these organizations now ironically receives public funding in order to ‘protect’ people of colour from racism. The ‘Rainbow Protection Circle against Racism and Homophobia’ in the gaybourhood Schöneberg was spontaneously greeted by the district mayor with an increase in police patrols. As anti-racists, we sadly know what more police (LGBT or not) mean in an area where many people of colour also live – especially at times of ‘war on terror’ and ‘security, order and cleanliness.’


過去数年、トロントからベルリンにいたるまでの国際的なプライドにおいて、そしてより広範なゲイ・シーンにおいて、人種主義は中心的な課題となってきました(この問題を早くに批判したものとして、有色人種のクィア理論家であるジャスビル・ピュアとアミット・ライによる2002年の論文 "Monster Terrorist Fag"を参照して下さい)。2008年のベルリン・プライドのモットーは"Hass du was dagegen?"というものでした。「あんた問題かなんかあんのか?」(Hassは「Hate(憎悪)」とかけた言葉遊びになっています)とでも訳せば良いでしょうか。ホモフォビアとトランスフォビアは、有色人種の若者、どうやらまともなドイツ語を話すこともできない、ドイツ的であるかどうか疑わしい、端的にドイツに属さないような若者の問題として、定義されなおしているのです。2008年はまた、ドイツにおける性の政治に、ヘイト・クライムの言説がはっきりと入ってきた年でもあります。ヘイト・クライムの言説が急激に取り入れられるにあたっては、憎悪に満ちた犯罪的な同性愛嫌悪者の正体がわかっているという事実が、その助けになりました。つまりそのような同性愛嫌悪者の正体は移民達、そもそも犯罪的な存在とされ、投獄され、そして以前にもましてあっさりと国外追放されるようにさえなっている移民達なのです。怪しげなメディアの仕業、そして科学的研究と言われるものの仕業によって、このモラルパニック世間体をとりつくろってきました。そこでは、ゲイ、バイ、あるいはトランスの人につながるあらゆる暴力事件が(犯人らしき人物が白人であろうと有色人種の人であろうと、その暴力がホモフォビアによるものであろうと、トランスフォビアによるものであろうと、あるいは路上での口論に起因するものであろうと)、私たちが既に知っていることをあらためて証明する最新の証拠として流通するのです。つまり、クィア、とりわけどうやら白人男性のクィアは、誰よりも大変な状態にいるのであって、それは主に「ホモフォビックな移民達」によって引き起こされているのだ、ということの証拠として。このような考え方は次第に真実として受け入れられるようになっているのですが、それはかなりのところ、ドイツレズビアン・ゲイ連盟やゲイのヘルプラインであるManeoのような、ホモナショナリストの団体の活動の結果であり、バトラーが受賞を拒否したのは、プライドがこれらの団体と緊密な協力関係にあるためです。これらのホモナショナリストの活動の大部分をなしているのは、移民達を「旧態依然として」「家父長制的で」「ホモフォビックで」、暴力的であり同化不可能な存在として繰り返し表象するメディアキャンペーンですが、それにもかかわらず、これらの団体の一つは、皮肉にも、有色人種の人々を人種主義から「守る」ための公的な資金を受け取っています。ゲイエリアであるシューネベルグでは、「人種主義とホモフォビアに反対するレインボープロテクション・サークル」を歓迎して、地区首長(district mayor)がすすんで警察のパトロールを増加しました。けれど、反人種主義の活動家である私たちは、残念ながら、多くの有色人種の人々も住んでいる地区における警官の増加が(LGBTであろうとなかろうと)どういう意味を持つのかを知っています。とりわけ「テロリズムへの闘い」や「安全、秩序、そして清潔」が唱えられる時代においては。


It is this tendency of white gay politics, to replace a politics of solidarity, coalitions and radical transformation with one of criminalization, militarization and border enforcement, which Butler scandalizes, also in response to the critiques and writings of queers of colour. Unlike most white queers, she has stuck out her own neck for this. For us, this was a very courageous decision indeed.


白人のゲイのポリティクスの示すこのような傾向、すなわち、団結と連合とラディカルな革新の政治のかわりに犯罪化と軍事化、そして国境の強化の政治を持ち出すような傾向こそ、バトラーが批判したものであり、そしてその批判は、有色人種のクィア達による批判や著述に応えてなされたものなのです。殆どの白人のクィアとは違って、彼女は自分の身をさらしてこの批判をおこないました。私たちにとっては、これは実際きわめて勇敢な決断なのです。




SUSPECT

20 June, 2010.


2010年6月20日、SUSPECT


SUSPECT is a new group of queer and trans migrants, Black people, people of colour and allies. Our aim is to monitor the effects of hate crimes debates and to build communities which are free from violence in all its interpersonal and institutional forms.


SUSPECTは、移民、黒人、そして有色人種のクィアとトランスおよびその支持者達による新しい団体です。私たちの目的は、ヘイト・クライムの議論の効果を監視し、個人間のそして制度的なあらゆる暴力から自由なコミュニティーをつくることです。




その他関連リンク(今後増える、かも)


とろとろとエントリを立てている間に、SUSPECTから新たに文書が出ていたようです。RSSリーダーちゃんとチェックしていなくて見落としていました。すみません。今後何かさらに出てくるかどうかわかりませんが(他のグループや他国の団体からの支持やレスポンスについては、恐らくリンク先から行ってみた方が早いと思います)、何かあればリンクを付け足していくかもしれません。

While Israel may blatantly disregard global outrage about its wartime activities, it nonetheless has deep stakes in projecting its image as a liberal society of tolerance, in particular homosexual tolerance. These two tendencies should not be seen as contradictory, rather constitutive of the very mechanisms by which a liberal democracy sanctions its own totalitarian regimes.



Perhaps the problem is not that CSD should become "more political" but rather which politics the CSD should pursue. If the mainstream gay movement continues to ally itself with European cultural norms of purity or if it does not openly affirm the equal rights of minorities, then it will remain in conflict with various activists who either emerge from minority communities or who are committed to anti-racism as part of their politics.


AVIVA-Berlin: What does Christopher Street Day mean to you personally?


Judith Butler: You know, Christopher Street is the place in New York where the famous Stonewall resistance happened a few decades ago. It is, for me, the name of a place where resistance to police violence and harassment takes place. I think it is important to enter the streets, to lay claim to public space, to overcome fear, to assert pride, and to exercise the right to take pleasure in ways that harm no one. All of these are key ideals. I like the pageantry and the joy. But if we ask about how to oppose violence during these times, we have to consider the way that new immigrant communities are subject to right-wing street violence, how they are subject to racial profiling and harassment by police, and we have to object to harassment and violence against all minorities. Indeed, the opposition to illegitimate state violence and various forms of cultural pathologization are crucial to the queer movement more generally. So if we fight for the rights of gay people to walk the street freely, we have to realize first that some significant number of those people are also in jeopardy because of anti-immigrant violence - this is what we call "double jeopardy" in English. Secondly, we have to consider that if we object to the illegitimate and subjugating use of violence against one community, we cannot condone it in relation to another! In this way, the queer movement has to be committed to social equality, and to pursuing freedom under conditions of social equality. This is very different from the new libertarianism that cares only for personal liberty, is dedicated to defending individualism, and often allies with police and state power, including new forms of nationalism, European purity, and militarism.

02-03-10 (Tue)

[]「『当事者の語り』に仮託されるもの--Living Libraryを語る」


以下、情報を頂いたのでこちらに転載いたします(公開のイベントのようなので)。


第3回バリアフリーシンポジウム:「『当事者の語り』に仮託されるもの--Living Libraryを語る」


シンポジスト:

平井麻紀(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員

近藤武夫(東京大学先端科学技術研究センター特任助教

飯野由里子(東京大学先端科学技術研究センター特任助教)


コメンテイター:

福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授

大河内直之(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員)


司会:

星加良司(東京大学教育学研究科講師


概要

当事者の「生の声」を聞くことにどのような意義があるのか、じっくり考えてみたことはありますか? 私たちの周りには、学校教育研修会、各種イベントなどの場を通じて、様々な状況に置かれている人々の声を直接聞く機会が、思いのほか存在しています。これまで当事者抜きで「問題」が定義され、それに基づいて重要な判断・決定が下されてきた、ということを考えると、こうした機会が増えたことは望ましいことだと考えられています。

しかし、当事者の「生の声」を聞く場においてメッセージを発信しているのは、いわゆる「語り手」だけではありません。そうした場を設定する主催者の側も、ある特定の意図やメッセージを持っているはずです。にもかかわらず、後者の人々の姿は、これまでクローズアップされてきませんでした。おそらく、主催者の側からすると、「当事者なら誰でもいい」というわけではないでしょう。だとすると、主催者側が期待する「語り」、いわゆる「良い語り」というものが暗黙的に存在している、ということになります。では、その「良さ」とはどのようなものなのでしょうか? 何か独自の基準があるのでしょうか? さらに、そうした語りが当事者の「生の声」を通して語られることにどのような意味が与えられているのでしょうか?

今回は、以上のような問題意識を共有し、「当事者の語り」の新しい可能性を追及している取り組みとして、2000年にデンマークで始まり2008年から日本でも実施されるようになった「Living Library(リビングライブラリー)」というイベントに焦点を当て、こうしたテーマについて考えていきます。様々な困難を抱える当事者を「生きている本」として貸し出し対話の機会を設けることで、多様性に開かれた社会の実現に寄与しようとするリビングライブラリーの取り組みに

おいて、「当事者の語り」はどのように捉えられているのでしょうか? このシンポジウムでは、イベント運営に携わっている東京大学先端科学技術研究センターのメンバーをシンポジストに迎え、この取り組みの持つ意義と可能性を探ります。この議論を通じて、「当事者の語り」を用いた従来のプログラムのあり方に一石を投じるとともに、新しい展望を拓きたいと考えています。


参考URL:Living Library Japan: http://living-library.jp/


日時:2010年3月10日(水)14:00〜17:30

場所:東京大学先端科学技術研究センター4号館2階講堂

http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/maps/index.html

主催:東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー分野/メリトクラシー研究会

参加費等無料

情報保障:手話通訳・パソコン要約筆記


お問い合わせ先

バリアフリー分野  飯野 由里子

電子メール:iinoあっとbfp.rcast.u-tokyo.ac.jp(あっとを@に変えて下さい)

電話:03-5452-5491

ファクス:03-5452-5062


☆その他何か個別にご要望等がありましたらご相談下さい。ただし、こちらでは対応できないこともございますので、その点は予めご了承下さい。

12-02-10 (Fri)

[]WAN争議第二回団交アップデート

[追記] (2010.2.12, 21:00)

遠藤さんより御指摘を受けまして、交渉レポート不正確な部分があるとの事ですので、以下、一度アップした記事を削除いたします。御指摘ありがとうございます。

06-02-10 (Sat)

[]【賛同署名募集】WAN労働争議への支援および理事会への要望


今更ではございますし、各所に既に出回っていることではありますが、こちらにも転載をいたします。

是非よろしく御賛同のほどお願いいたします。


NPO法人WAN労働争議を支援するより転載


女性のための情報を提供し、活動をつなぐ」ウェブサイトの運営および「女性たちの活動を支える諸事業の展開」を目的として、昨年6月に発足したNPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)において、昨年末より労働争議が発生しています。


WAN で雇用されていた遠藤礼子さんに対し、雇用者であるWAN理事会から一方的な業務内容変更の決定および労働条件の不利益変更の提案があったとして、本年初頭、遠藤さんがユニオンWAN(遠藤さんおよびもうお一人の被雇用者であるAさんを構成員とする)として抗議の意を表明されました。その後、上記労働条件変更についてユニオンWANと理事会が団交の場を設けて協議に入ったにもかかわらず、その最中である1月31日、理事会側から、「現事務所の2月末での閉鎖」の通告、およびユニオンWAN構成員お二人の2月末での退職勧奨が、メールおよびファックスで一方的に送られてきたそうです。


(以上、この争議の経緯についてはブログ「非営利団体における雇用を考える会(仮)−WAN争議を一争議で終わらせない」によります。詳細はブログをご参照ください)


WAN は「女性たちの活動を支える」ことを銘打ったNPO法人です。そのような法人が、被雇用者に対し、一方的に労働条件の不利益変更を通達するのみならず、その変更をめぐる話しあいの最中に退職勧奨までをも行うとすれば、それは、「女性たちの活動を支える」ことを目指すNPO自らが女性労働者の使い捨てを行うも同然です。「女性たちの活動」「女性のための活動」において、女性の貧困とその背後にある不安定な雇用形態とは、理念上も、そして実質上も、常に重要な問題であったはずです。今回の理事会の措置は、その活動の歴史精神とに、ひいてはWAN自身の掲げる活動目標とに、矛盾するものではないでしょうか。


また、特定非営利活動促進法において規定されるように、NPO法人であるWANについての情報は市民に公開されるべきものです。実際、WAN会員に限定されず、フェミニズム・女性運動労働運動にかかわる多くの人々が、今回の労働争議をめぐるWANの法人としての対応に注目しています。ところが、現在まで、理事会側からはこの争議に関して、WANウェブサイト上でもメールニュース上でも、何の説明も声明も出されてはいません。そもそも被雇用者の業務が自宅からのテレワークが可能なものであり、したがって事務所の閉鎖が業務の停止に直結するわけではない以上、「事務所の閉鎖」を理由とした退職勧奨には正当性がなく、労使間の信頼関係を著しく損なうものでしかないように見受けられます。それに加えて、理事会側からの公式声明が一切ないまま労働争議における労使間の協議中に退職勧奨を行うという一連の対応は、第三者である市民の目にも、まず退職ありきで事務所の閉鎖は後付けの理由であるようにうつりますし、そのことがNPO法人としての WANの今後の活動に及ぼす影響を、私たちは懸念しています。


そこで私たちは、WAN理事会の今回の措置に対する抗議の意とユニオンWANへの支援を表明し、以下をWAN理事会に要望します。

・2月末でのユニオンWAN組合員お二人への退職勧奨を取り消していただくこと

・ユニオンWANとの労働条件に関する団交に真摯に応じてくださること

・WANウェブサイト上で今回の争議について雇用者側から説明してくださること


私たちは、今回の労働争議を、WANという一団体に限定された問題としてではなく、女性運動や非営利団体における雇用・労働という、これまでずっと存在していたにも関わらず軽視されがちであった問題が顕在化したものとしてとらえるべきだ、と考えています。フェミニズムを含め、市民運動は何らかの目的や理念のために力をあわせて行動を起こすものですが、だからといって運動組織の内部に権力関係が一切存在しないわけではありませんし、ましてや労働の対価として労働者に(給与ではなく、あるいは減じた給与に足すかたちで)『達成感』や『運動の高揚感』、あるいは『目的/理念のため』という大義を与えれば充分である、とは言えません。雇用者と被雇用者のあいだの権力関係が隠蔽されることで、声をあげられずに燃え尽きて活躍の場を去って行った活動家はたくさんいます。WANの活動に期待を寄せるからこそ、そして、WANのかかげる目的である「女性たちの活動をつなぎ、支える」ことを将来にわたって真に可能にするためにも、私たち自身が問題の所在を曖昧にせずに真摯な議論を重ねていくことが重要であると考えます。


ユニオンWANへの支援と、WAN理事会への要望について、皆様からの賛同の署名を呼びかけます。この賛同署名は、ユニオンWAN、WAN理事会宛に届けるとともに、ウェブ公開もする予定です(署名非公開希望の方に関しては、お名前は含まず、署名数にカウントだけする形でユニオンWANおよびWAN理事会に届け、ウェブサイトにも数だけを掲載いたします)。


ウェブ賛同署名はこちらからどうぞ。


または、以下にご記入のうえ、uwan.support@gmail.comあてにご送信ください。2月10日(水)を第1次、2月20日(土)を第2次締め切りとします(その後に届いた署名については随時届けます)。



「NPO法人WANの労働争議への支援および理事会への要望」に賛同します。


・氏名(実名でも通名でも可)

・所属、肩書き、居住地など(なくても可)

・E-mail (なくても可)

・賛同メッセージ

・公表の可否


非公開希望の方に関しては、お名前は含まず、署名数にカウントだけする形でユニオンWANおよびWAN理事会に届け、当ブログにも数だけを掲載いたします。


お名前は非公開希望、でもメッセージ公開可という場合は、その旨明記ください。


メール送信先:uwan.support@gmail.com


賛同署名の集計経過は当ブログにて随時報告します。



呼びかけ人(50音順)

小山エミ斉藤正美、清水晶子、田中かず子、マサキチトセ、ミヤマアキラ山口智美