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WirelessWire News連載更新(MCPが後押しするAIじかけのウェブ、AIが後押しするウェブの空洞化)

WirelessWire News で「MCPが後押しするAIじかけのウェブ、AIが後押しするウェブの空洞化」を公開。

ここ数か月の執筆ペースでいけば、今週末に書き上げるくらいでちょうどよいはずだが、来月から本業が尋常でなく忙しくなるのが見えているため、書けるうちに書いておこうと思った次第である。

極端な話、三カ月連続で原稿を書けなかったら、さすがに連載自体終わりになるだろうし。

今月は元々 "AI jobs apocalypse" について書こうかとぼんやりと考えていたのだが、平和博さんがズバリ「「新人の仕事、半分が消滅」とAnthropicのCEO、高まるAIリストラのインパクトとは」という文章を書いているので、別の話題にさせてもらった。

今回はいつもよりも短い分量に抑えられてよかった。

そうそう、MCP といえば、来月はじめに秀和システムから本が出るみたい。

Kindle セルフパブリッシングを除けば、これが日本で初めて出る MCP 本じゃないかな。

あと、今回の文章で名前を引き合いに出したスティーブ・ウィルソンは、昨年に LLM セキュリティ開発本を出している。

これは邦訳を期待したいところ。

イーロン・マスクを中心とするシリコンバレーの過激化についての本がこれから出る

wired.jp

先週、ドナルド・トランプイーロン・マスクが決裂したというニュースが駆け巡った。この話は先が読めないというか、今週あっさりと和解する可能性すらあるが、それはそれとして、どうしてマスクがここまでホワイトハウスで権力を握ることになったのかが検証されることになろう。

イーロン・マスクといえば、彼による Twitter 買収を題材とする本が何冊も出ており、このブログでも紹介しているが、今後は彼を中心とするシリコンバレーの政治的先鋭化についての本がいくつか出るのではないか。

そういう本はないかと調べたら、ジェイコブ・シルバーマンの Gilded Rage: Elon Musk and the Radicalization of Silicon Valley が10月に出るようだ。

書名の「Gilded Rage」とは、金権政治の代名詞である Gilded Age(金ぴか時代)のもじりで、これを現在になぞらえる人は多い。「イーロン・マスクシリコンバレーの過激化」という副題も、これは期待させられる。

本書の中心はイーロン・マスクだが、これは単なる一人の男と彼の「ウォーク・マインド・ウイルス」への執着にとどまらない。シルバーマンは、ゼロ金利時代に勢いづいたハイテクと金融のオリガルヒのネットワークが、その富を利用してますます過激な政治的プログラムを展開していることを明らかにする。

この本の著者のジェイコブ・シルバーマンは、『The O.C.』や『GOTHAM/ゴッサム』といったドラマの主演で知られる俳優のベンジャミン・マッケンジーEasy Money という暗号通貨業界の狂騒について共著した本がベストセラーになっており(Wired の「トランプが独自のミームコインを発行、その“金儲け”のからくり」でコメントしている)、適任でしょうな。

ヴィム・ヴェンダースの短編作品「自由への鍵」が日本語字幕付きで公開されている

www.openculture.com

ヴィム・ヴェンダースが、第二次世界大戦終結80周年を記念して、ドイツが連合国に全面降伏する文書に署名した、フランスのランスにあるごくありふれた学校で撮影した短編映画が公開されている。

調べてみたら、日本語字幕付きの動画も公開されている。

非公式翻訳だったらイヤだなと思ったが、ドイツ大使館公式 YouTube チャンネルで公開されているものなので、これは堂々と紹介できる。

これは観てもらえば分かるが、「自由への鍵」は比喩ではない。Open Culture のエントリで、最後に以下のように書かれている。

連合国遠征軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワーは、臨時司令部を閉鎖するときに、「これが自由な世界への鍵です」と言って、その鍵をランス市長に返却した。この言葉がヴェンダースの心を揺さぶるのと同時に、ロシアとウクライナの戦争が激化する中でさえ、ヨーロッパの若い世代がもはやその意味を理解していないことを彼は危惧している。米国に守られた社会に生まれた彼らは、当然のように平和を受け入れている。「アンクル・サムはもう長くは我々のために役割を果たしてくれない、という事実を認識しなければならないし、我々は自分たちでこの自由を守らなければならないだろう」とヴェンダースNew York Times のインタビューで語っている。第二次世界大戦終結は、いわゆる「アメリカの世紀」の幕開けとなった。もしその世紀が完全に終わろうとしているとしたら、ヴェンダース以上にその世紀を観察するのに適した人物がいるだろうか?

まさに第二次世界大戦終結した年に生れたヴェンダースは、今年80歳になる。

アジズ・アンサリ初監督作でキアヌ・リーブスが羽の付いた天使をやってるぞ

variety.com

『マスター・オブ・ゼロ』で知られるアジズ・アンサリが初めて映画の監督をつとめる『Good Fortune』のトレイラーが公開されているが、なんとキアヌ・リーブスが羽の付いた天使をやっている(笑)。天使ガブリエル役とな。

しかしなぁ、アジズ・アンサリはもっと早くに映画監督デビューを果たしているはずだった。

アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』(asin:4622079828)を原作とする『Being Mortal』が、2022年に半分ほど撮影したところで、ビル・マーレイ「不適切行為」により制作が頓挫してしまった。

アンサリだけでなく、『Good Fortune』に出演しているセス・ローゲンやキキ・パーマーは『Being Mortal』にも出演していたはずで、彼らとしても悔しいものがあったのだろう。

『マスター・オブ・ゼロ』はワタシも大好きなドラマだが、第3シーズンで闊達さがぐっと後退していた。トレイラーを見る限り、『Good Fortune』はコメディに徹した作りのようで、今はこれが作品的に成功してくれることを願うばかりである。

10月の公開予定とのことで、来年になるだろうが日本でもちゃんと公開してほしい。

パディントン 消えた黄金郷の秘密

パディントン』シリーズは過去2作とも好きで観ているので本作にも行きたかったが、タイミングを逃してしまい、映画館での鑑賞は諦めていた。が、公開からひと月経ってレイトショーでやってくれたおかげで観れた。客はワタシの他は1人か2人だったが。

本作は、これまでのロンドンを離れ、パディントンの故郷であるペルーが舞台となっており、これまで以上に冒険ものになっている。

パディントンの家族のブラウン一家(本作にサリー・ホーキンスが出てないのが残念)はそれぞれにクセはあれど皆善人なので、このシリーズでは悪役がポイントとなる。一作目はニコール・キッドマン、二作目はヒュー・グラントとスターが演じていたが、本作の悪役も少しひねった感じが良かったですね。

この映画、ペルーの人が見たら愉快じゃないだろうなと思ってしまったのは別として、前作までにあった毒が足らないのか、心から楽しめたとは言い難い。でも、ロンドン(つまり、これまでのパターン)を離れながら、ファミリー向け娯楽作としてやはりよくできており、インディ・ジョーンズ的な冒険ものにしてきっちり二時間以内に収まっているのも好感が持てる。

あの人のカメオ出演は嬉しかったな。

ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング

『サブスタンス』と同じ事情で公開二週目の鑑賞となったが(上映時間の関係で吹替版)、客がかなり埋まっており嬉しくなった。

30年近く続いた『ミッション:インポッシブル』シリーズは、本作をもって終わりと言われており、本作では旧作の映像も引用されているが、ワタシは本シリーズを当初好意的には観てなかった。

第一作目はブライアン・デ・パルマが不調から脱せていない苦しさがあったし、二作目はトム・クルーズの俺様映画でこのシリーズでやる意味ないだろと思ったし、三作目フィリップ・シーモア・ホフマンを悪役で起用しながらやはり乗り切れなかった。

本シリーズが良くなるのは、三作目の監督にして段取りにだけ長けた凡才J・J・エイブラムスが製作に回ってからで、『ゴースト・プロトコル』『ローグ・ネイション』『フォールアウト』と文句なしの出来だったと思う。

前作『デッドレコニング PART ONE』までくると、本シリーズの見どころであるトム・クルーズ自身がこなすスタントが、キートンやロイドすら思わせる、尋常でないレベルになっていた。

本作もその延長上にあり、「エンティティ」という AI を倒すために北太平洋に沈む潜水艦に潜って終いには冷たい海をパンツ一丁でのたうち回り、そしてクライマックスは飛行機を足で操縦しながら相手を倒す曲芸を披露している。

そういうアクションが映画としての質を上げているかというと、はっきりいって貢献はしていないと思う。前作のバイクごとのジャンプや列車落としと比べるとアクションとしても地味だし。

前述の通り、本作はシリーズの旧作への言及があり、第一作目の名シーンに関係するあの人を引っ張り出してるのに唸ったが、映画のストーリーとして、なんでそこまでお前らが着いて来るんだよ、おい、なんでそこでお前が残るんだよ、と言いたくなる無理のある展開も散見される。そもそも、本作の「陰謀論にまみれて何も信じられなくなった世界」って、今の現実世界そのものであって、なんというか映画と現実の落差のなさが、本作のミッションのありがたみを減じている恨みもある。

しかし……そういうのは正直どうでもよくなる。

引用される旧作の映像を観て思うのは、30年前のトム・クルーズは今より大分シュッとしてたんだな、ということ。いくら容色を保っているとはいえ、30年前と比べるとやはり彼も老いた。でも、その彼が例によって全力で走りに走り、パンツ一丁で暴れることすら厭わない。素晴らしいじゃないか。

本作は169分というシリーズ最長の上映時間となったが、「僕の仕事は映画じゃない、僕自身が映画なんだ」という言葉がまったくおかしくない、まさにイーサン・ハント、そして映画そのものと化したトム・クルーズを観れるだけで、ワタシは満足だった。

トム・クルーズという人が、およそ40年にわたり映画スターとしての地位を誇りをかけて死守してきたことに深い敬意と感謝を表したい。

プログラミングの未来はバイブコーディングを超えていく

ohbarye.hatenablog.jp

オライリー本家から『Vibe Coding: The Future of Programming』という本が今年出るという話を聞いたときは、「バイブコーディング」というバズワードを中心に据えた本を手がけるあたり、相変わらずフットワーク軽いなーと感心したものである。

しかし、Early Release 版を読んだ人の感想を見ると、タイトルとは裏腹に「バイブコーディング」の話は少なくて、副題の「プログラミングの未来」のほうに重点があるらしく、それもそうだなと思ったものである。

……と思っていたら、本のタイトルが Beyond Vibe Coding に変わっていた。やはり、「バイブコーディング」はもはや中心ではなくなり、その先、それを超えたところに「プログラミングの未来」があるということだろう。

Amazon のページを見ると、「AIアシスタントコーディング時代にあなたの経験を活かす」が新しい副題のようだ。

この本の著者は、今年『エンジニアリングチームのリード術』asin:4814401116)の邦訳が出ている Addy Osmani で、ワタシも「ポイント・オブ・ノーリターン:プログラミング、AGI、アメリカ」で紹介したオライリー・メディアが開催するバーチャルカンファレンス Coding with AI: The End of Software Development As We Know It を彼はティム・オライリー御大と共同でホストしており、適任なんでしょうな。

そうそう、Addy Osmani は先月 MCP(Model Context Protocol)についての文章も執筆している。

バイブコーディング本(ではもはやないようだが)の後には MCP 本の執筆を要請されるのかもね。

Stack OverflowはAI時代に生き残れるか?

newsletter.pragmaticengineer.com

新山祐介さんの投稿で知ったが、プログラミング技術に関するナレッジコミュニティ、共同創業者のジョエル・スポルスキーの表現を借りれば「ロングテールなプログラミングの質問のWikipedia」である Stack Overflow だが、「ほとんど死んだ」と評されている。

「投稿される質問の数はピーク時の1/10程度、黎明期の2009年あたりの数まで激減している」というのはショッキングである。

投稿される質問数でいえば、2014年~2017年あたりがピークで、コロナ禍が始まった2020年にも急上昇しているが、その後衰退期に入り、ChatGPT 開始とともにダメ押しのごとくガクッと下がっている。やはり AI が Stack Overflow の衰退を後押ししている。

thenewstack.io

Slashdot で知ったが、Stack Overflow 側も現状を座して見守っているわけではなく、AI 時代を生き抜くためのプランがあるという記事である。

チャット機能を復活させてコミュニティメンバー間の対話を促進し、エキスパートに報酬を支払い、そのエキスパートに直接質問できる機能を提供し、ユーザごとにパーソナライズされたホームページを提供し、そして Stack Overflow 自身も AI を活用し、Stack Overflow の全コンテンツを検索できる AI エージェントを開発、といったあたりが対抗策のようだ。

CEO はこれらの方策は「コミュニティの利益のための倫理的で責任あるデータの使用と、これらの知識ベースを開発しキュレーションするコミュニティへの再投資」を追求しながら行っていると説明しているが、その未来は彼らの方策が人間の利用者を引き戻せるかどうかにかかっている。

また Stack Overflow は Q&A だけの会社ではなく、チーム専用のプライベートなQ&Aサイト(Stack Overflow for Teams)や広告、人材紹介のビジネスもある。

果たして Stack Overflow は AI 時代を生き残れるのだろうか?

Z世代は本当にAIと結婚したいのか?

gigazine.net

先週見た記事でかなり驚いた。「AIと結婚したい」と思う人がいること自体は別にそこまで不思議ではない。実際、OpenAI はそのあたりの需要を狙って(?)、映画『her/世界でひとつの彼女』で AI の声を演じたスカーレット・ヨハンソンに合成音声をあからさまに寄せ、結果ヨハンソンを激怒させた一件もある。

しかし、「Z世代の8割が回答」したと言われるとホントかねとなってしまう。

komachi.yomiuri.co.jp

と思ったら、やはり先週、たまたま発言小町で ChatGPT ガチ恋勢のトピを見つけて再び驚いた次第である。

最初これはネタ(創作)ではないかとも思ったが、後のコメント内容を見ると、これはホントの話かなと思えてくる。

これのトピ主の男性は、詳細なプロフィールを明かしていないが、書き込み内容を見る限り、多分まだ20代で、やはりZ世代に属するのではないか?

もっとも、既に生成 AI と会話を続けた挙句に死を選んでしまった男性もいるので、そのあたりの危険性も考慮すべきと思うが。

さて、ワタシが知らないだけで、12年前に予見的だった『her/世界でひとつの彼女』の先を行く、人間の AI との恋愛や結婚を描いた映画や小説も既にあったりするのだろうか?

『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』を支えたレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドの資金援助

www.openculture.com

そうか、今年はモンティ・パイソンの実質的な最初の映画である『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』が公開されて50年になるんだな。

この映画の企画実現にレッド・ツェッペリンピンク・フロイドといった当時全盛期を迎えていたロックバンドの資金援助が大きな役割を果たした話が紹介されている。

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』はビッグバジェットの映画ではなく、その低予算を逆手にとって馬の代わりにココナッツを使うといった今では伝説的な工夫があるわけだが、それでも不条理コメディグループが映画を作りたいといってもスタジオからは色よい返事がもらえなかった。

そこでパイソンズは、自分たちを理解してくれて十分な資金力のある出資者としてロックスターに目を付けた。

モンティ・パイソンは既にレコードも出していたので、音楽業界とのコネクションが既にあったのもあり、レコード会社やロックバンドから資金提供を受けられた。

エリック・アイドルのツイートによると、レッド・ツェッペリンが31,500ポンド、ピンク・フロイドが21,000ポンド、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンが6,300ポンド資金提供している。

彼らは作品内容に口を出すようなことをしなかったので、パイソンズにとってはとてもありがたい出資者だったわけだが、なんでそんな気前良く資金提供してくれたのか。

それは彼らがモンティ・パイソンの高い芸術性を理解し、コメディに対する情熱を共有していたから――というわけではなく、何より当時の英国の高率な所得税に対する税制上の優遇措置を狙ったのは間違いない。

ツェッペリンストーンズの伝記本を読むと分かるが、当時の英国のべらぼうな所得税(最大90%だったかな)は大金を手にしたロックバンドには悩みのタネだった。所得税を逃れるため、彼らは長くは自国に留まれず、家族と離れ離れになる期間が長かった。

当時のロックバンドにつきものの、ホテルの部屋を破壊したり、テレビを窓から放り投げたりといった狼藉、そしてグルーピー遊びもこうした彼らを取り巻く環境が影響していた――などと説明されるが、ちょっと鵜呑みになできないな。

少し話が逸れるが、そうした意味で、1980年代以降の英米における新自由主義政策は、実は大物ロックバンドにはありがたかったのではないかと推測するが、そのあたりを研究した論文とかないのかな。

話を戻すと、モンティ・パイソンの次の映画『ライフ・オブ・ブライアン』もやはり映画スタジオから軒並み断られて困っていたところにジョージ・ハリスンが資金を提供して企画を救った話はよく知られるが、それも何の背景もないところから実現した話ではなく、上記の『ホーリー・グレイル』の成功があってのことなのは間違いない。

非正規雇用者ロン・ウッドの献身

nme-jp.com

ロン・ウッド(現在はロニー・ウッドのほうが正しい表記なのか?)が、80年代、ミック・ジャガーキース・リチャーズの関係が最悪だった時期に「会話を繋ぐトーチ」の役割を果たした話をしている。

「『電話でお互い話をしてみたら?』と言うと、『あいつは話したくないだろ』という感じで、『いや、話したいはずだよ。さっき聞いたからね。15分後に電話がかかってくることを期待しているよ』と言っていたんだ」

「そうやってミック・ジャガーキース・リチャーズに電話させた。その逆もね。仲直りさせて、話をして、あとは自然に任せた。でも、ああしていなかったら、ますまず離れ離れになっていたと思う」

ローリング・ストーンズのロニー・ウッド、バンドの息の長さを保つ秘訣について語る | NME Japan

ああ、この話昔読んだことがあったな、というわけで、かつて読者だった rockin' on のバックナンバーを紹介する「ロック問はず語り」をやりたいと思う。

しかし! この話を生々しくロニーが語る初来日時のインタビューが、実家にある rockin' on のページを破って持ってきた原始的アーカイブに見つからなかった。あー、絶対持ってきてると思ったのにな。

というわけで、それとは別の1993年1月号(表紙はイジー・ストラドリン)におけるロン・ウッドのインタビューを引用させてもらう(インタビュアーは市川哲史)。

当時彼は5枚目のソロアルバム『スライド・オン・ディス』を発表したばかりで、新譜のプロモーションのインタビューでもストーンズの質問を嫌がらずに答えてくれる。人が良すぎるよ、アナタ。

当時、ローリング・ストーンズは解散の危機を乗り越えて『スティール・ホイールズ』ツアーを成功させた後だったが、ビル・ワイマンの脱退が取りざたされており、ミック&キースをはじめとして人間関係が殺伐としたバンドにいて疲れないか聞かれたロニーはこう答える。

「でもね、あれでも連中の仲は一時に比べると随分と良くなった方なんだぜ?『ダーティー・ワーク』作ってた頃のあの二人なんて、もういかなるコミュニケーションも不可能だったんだから。”険悪な雰囲気”なんて言葉じゃ形容出来ないよ。俺だけじゃなく周囲の人間さえも皆世間話一つ出来ずに怯えてたんだからさ。あの頃を思うと、今なんてもう天国みたいなもんでさ(笑)、贅沢は言えないよ」

殺伐や……続けて、そんなバンドをあなた一人が異常に気を遣って他の四人の関係を修復しようとしているように見えるが、実際そうなのか、と聞かれてロニーはくだんの逸話をする。

「元々俺はストーンズの大ファンだったしさ。昔からこのバンドのメンバーになるのが、俺の夢だったんだよ。だからそういう仲裁役というか、潤滑油の役を果たすのは自分の義務だと割り切ってるさ。事実、『ダーティー・ワーク』制作時にキースとミックの仲が最悪の状態になった時も、具体的な仲介役を買って出たのは俺だったんだしさ。あの直後ミックから電話があって、『どうやったらキースの機嫌を直せるんだろう? 最近は俺の電話には居留守使うんだよ』って泣きついてきた時も、『よし、じゃ俺が今からキースに電話しておまえの電話に出るよう説得するから、待っててくれ』って即行動に出たのは俺だったしね――あの時二人が仲直りしてなかったら、ストーンズは間違い無く解散してたろうし、そんな最悪の状態さえ避けられるのなら俺はクッション代わりだろうが何でも構わねえや、と思ったしね」

ロン・ウッド、人が良すぎる……しかし、この記事を読んだ当時、ワタシは高校生で、自分よりずっと大人なはずのストーンズの面々も高校生と変わんないな、と思った覚えがある。そして、当時の彼らよりもさらに歳を取って思うのは、人間関係、だいたいそんなレベルっすよ、ということだったりする。

しかし、ロニーの話には一つ注意すべきことがある。ストーンズのメンバーになるのが夢だったロニーだが、『ダーティー・ワーク』や『スティール・ホイールズ』の制作時、彼は実はストーンズの正式メンバーではなかったのだ。企業に置き換えるなら、彼は正社員ではなく、ずっと非正規雇用者だったのだ。それについてもこのインタビューで答えている。

●今自らを「第三者」と称してましたけど、あなたが実はつい最近まで15年もの間ストーンズの正式メンバーじゃなかった事は、来日の頃から公然の事実で――先日キースがウチの雑誌でも喋っちゃったんですけど、自分のポジションが不当に軽過ぎるとは思った事はないんですか。

「いや、俺は元々気が長い男だからさ。俺みたいな新入りが、そう簡単に天下のストーンズの正式メンバーになれるとは思ってもいなかったよ。だから、10年懸かろうが20年懸かろうが待つしかない、って感じだったんだけどね」

●だって15年も在籍して9枚もアルバム作って7本も大規模なツアーに参加して、普通の人間なら絶対そんなに待てませんって。嫌になった事無いんですか、一度も。

「無いな、一度も。マジでこのバンドが死ぬほど好きだったし、全然気にならなかったよ。むしろやっと憧れのストーンズに入れたんだから何があっても齧りついてってやるぞ! って意識の方が強くてさ。死ぬまでここに居てやる! って思ったね」

ロン・ウッド、人が良すぎる(二度目)。

続いては、1993年4月号(表紙はレニー・クラヴィッツヴァネッサ・パラディ)に掲載された、彼がソロでの初来日公演時のインタビュー(インタビュアーはやはり市川哲史)における社員登用問題を語ったところを引用する。

R「実はチャーリーとビルが、この問題に終止符を打ってくれたんだ。『ウッディを正式に迎えないなら、俺達はもうストーンズ演らない』って脅かしてね」

逆に言えば、チャーリーとビルがそこまで言わないとロニーを正式メンバーにしなかったミックとキース、ブラック経営者じゃないかい?

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  • アーティスト:Wood, Ronnie
  • Uni/Continuum/Nuff Nuff Music
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Duolingoの「AIファースト」宣言とそれに殺到した批判への苦慮

tech.slashdot.org

Duolingo の CEO が「AIファースト」の方針を打ち出し、AIで代替可能な業務委託を「段階的に廃止する」と宣言したことは日本でも伝えられたが、その後についての報道を日本のテックメディアで見ないので取り上げておく。

Fast Company の記事によると、件の宣言を受けて Duolingo の TikTokInstagram アカウント(それぞれフォロワー670万人、410万人)にものすごい勢いで批判コメントが押し寄せたため、Duolingo はすべての投稿をいったん削除する羽目となった。

そして、しばしの沈黙の後、Duolingo は先週火曜にマスコットのマスクを被った男が画面に向かって主張する奇妙な投稿を行った。

Duolingo は過去にも公式キャラの死亡を宣言した後で復活させる一風変わった広報のやり方で話題となったが、今回の皮肉っぽい「ポストモダン」な反論には、やはりというべきか否定的なコメントが多数ついた。

これでは埒があかないと考えたか、Duolingo は続編となる木曜の投稿で、CEO を引っ張り出して釈明させている。

www.linkedin.com

そして、動画だけでは収まらないと考えたか、CEO は LinkedIn に再度メッセージを出し、AI は我々の仕事のやり方を根本的に変えること、それがもたらす不確実性に自分たちが恐怖心ではなく好奇心で臨むこと、しかし、AI が従業員にとってかわることはない(実際、以前と同じペースで採用を続けている)と宣言している。

AI は人間の職を奪うか否かというのは今ホットな話題だけど……そりゃ奪うに決まってるじゃん。でも、これってティム・オライリー懸念を表明していた、「AI ファースト」という言葉が、人間を AI に置き換え、シリコンバレーが人を失業させるチャンスとさえ考えている、と見られる問題そのものよね。

オライリーは続けて、「単にコスト削減や労働者の置き換えのために AI を利用する企業は、人間の能力を拡大するために AI を使用する企業に打ち負かされるだろう」と書いているが、そうあってほしいですな。

祈るような気持ちになる『micro:bitではじめるAI工作』の刊行

今月末、オライリーから『micro:bitではじめるAI工作』が出る。

正直、この本の刊行には驚いた。なぜか?

www.oreilly.co.jp

ご存じの通り、昨年末にオライリー・ジャパンが Make イベント事業から撤退することが発表された。

『Make: Technology on Your Time』日本版からの流れもあり、どうしても Make 事業とオライリーが密接に結びついたイメージがあったので、このニュースには動揺した。

makezine.jp

Maker Faire 事業はインプレスが承継することになり、その点では一安心ではあったが、一方でオライリー・ジャパンから刊行されてきた Make/Electronics/DIY 関連書籍はもう出なくなるだろう、と観念していた。実際、昨年7月の『Scratchではじめる機械学習 第2版』を最後に、このジャンルの本は出てなかったし。

まぁ、書籍出版には時間がかかるので、『micro:bitではじめるAI工作』は Make 事業の撤退発表より前から進んでいた企画が今になって出るということだろうが、オライリー・ジャパンが今後も Make/Electronics/DIY ジャンルの本を手がけてくれることを願う。難しいだろうけど。

そちらの出版もインプレスが継承してくれるならそれでもよいが、インプレスも上場廃止を発表し、事業の再構築や戦略の見直しによる再起を図っており、そんな都合よくはいかないのは想像できるわけで。

米エール大から加トロント大に移籍した教授3人が語る「ファシズムを研究してきた自分たちが今米国を離れる理由」

www.nytimes.com

取り上げるのが遅くなったが、以前から話題になっている米名門エール大の著名な教授3人が「格下」のカナダ・トロント大に移籍する話で、その当事者の3人が「ファシズムを研究してきた自分たちが今米国を離れる理由」を語っている。

そのうちのティモシー・スナイダーについては、このブログでも何度も取り上げている。

残り二人のマーシ・ショア(ティモシー・スナイダーの妻でもある)とジェイソン・スタンリーも歴史家、特に全体主義ファシズムの研究者であり、それは邦訳された本を見ても明らかである。

そのファシズムに精通した歴史家が、「これが民主主義の非常事態であることをアメリカ人に認識してもらいたいのです」(ジェイソン・スタンリー)、「我々はタイタニック号の上で、自分たちの船は沈むわけがないと言っているようなものです。最高、最強、最大の船なんだから、沈みようがない、と。歴史家として言えるのは、沈まない船は存在しないということです」(マーシ・ショア)と語る深刻さに暗然となる。

特に、動画の最後でティモシー・スナイダーが語っている言葉は重い。

ファシズムはよその国で起こることと考える)アメリカの例外主義は、基本的に人々を隷属させるための手段です。アメリカという国が例外だと考えれば、何もする必要がないことになりますので。何が起こっても、それは自由に違いない。そうするうちに自由の定義はどんどんどんどん狭められ、あなたはやがて権威主義を指して自由という言葉を使うようになります。

ネタ元は kottke.org

サブスタンス

本当は公開初日に観たかったのだが、私用のため一週間遅れての鑑賞となった。公開二週目のレイトショーだったが、予想よりも客席が埋まっていた。

以下、作品内容に触れるので、未見の方はご注意ください。

50歳の誕生日に、長年やってきたエアロビクス番組をクビになったかつての映画スターをデミ・ムーアが演じるという事前知識から、本作がエイジズム、ルッキズム批判の映画なのは容易に予想できた。ただそれは前提であって、本作はデミ・ムーアも素晴らしいけど、彼女の分身役のマーガレット・クアリーもよく演じている(彼女を映画館で観るのは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』以来だが、Netflix ドラマ『メイドの手帖』も印象的だった)。

つまりは、デミ・ムーア演じる主人公と彼女の分身であるマーガレット・クアリーが必然的に戦う、いや、自己破壊的に戦わされるところまで含めてミソジニーについての映画なのだと思う。

そもそもね、あんな安全性もへったくれもないようなブツをやるなんてと思ってしまうのだけど、そこを平気で乗り越える危険を冒すのがホラー映画であり、デヴィッド・クローネンバーグ直系のボディホラーにして、スタンリー・キューブリック『シャイニング』の意匠(トイレや廊下だけでなく、ドアに手を突く主人公の下からのアングルとか)を借りながら、本作にはジャンル映画がもたらしうるフレッシュさが確かにある。

本作はパワフルなホラー映画なのだけど、デミ・ムーアが昔の同級生と食事に行くことになり、最初気分よくメイクをするも外出しようとすると分身の視線がどうしても気になってメイクのやり直しとなり、結局外に出れなくなってしまうところなどもよく描けている。

本作は血みどろの格闘を経て、破壊的な結末にいたるが、正直なところ、二度目のブツ注入を行った後、自身の姿を鏡で見たところで終わったほうが映画としての完成度は高かったろう、と思いながら観ていた。

しかし、この映画は、怪物と化した主人公が会場に向かい、血まみれの惨劇により、観客席に座っているデニス・クエイド演じる下品な上司のハーヴェイ、重役たち(見事なまでに全員高齢男性)、そして観客にまで血を浴びせるがごとく徹底的にやらないといけない、という監督の強い意志を感じた。

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