当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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悪は存在しない

自分の観測範囲で評判になっているのを知って映画館に足を運ぶ場合もあるが、この監督の新作と知れば当たり前のように行くと決めている人もそれなりにいる。『ドライブ・マイ・カー』により、濱口竜介もワタシの中でそういう位置づけの監督になったのだが、はじめから映画館で観ると決めている新作は、できるだけ事前情報を入れずに観ることにしている。

本作の場合、予告編も観ることなく臨んだ。が、情報を完全にシャットダウンするのはどだい無理な話で、山奥の集落にグランピング場建設の話が持ち上がり――というあらすじと、あとラストに驚く人が多いというのも、さすがに小耳に挟んでいた。

主人公の娘が、その山奥の自然の中を歩く場面から本作は始まるが、『ミラーズ・クロッシング』を少し思い出した下から見上げるカットをはじめ、本作はとにかく映像が美しい。どのカットも素晴らしいのだ。というか、この映画には良くないカットがない。特に横方向の移動のカットにハッとさせられた。

冒頭流れるメインテーマと言える美しい音楽がブツ切りされるのをはじめ、本作で音楽が何度もブツ切りされているのも意図的なはずで、これが作品に緊張感を加えている。

『ドライブ・マイ・カー』と異なり、でてくる演者はワタシの知らない人ばかりだったが、それもまた本作に合っているように思った。

住民説明会の場面も良かったし、芸能事務所でのクソコンサルとのオンライン会議も本当に良くて、そして、集落に向かう車中でも芸能事務所の男女二人の会話が無茶苦茶良い。男性が、女性の同僚をどうしても「お前」呼ばわりしてしまうところといい、大声を出して同僚に引かれ、拒否反応を示されるところなど、この男性の人物造詣がよくできている。うどん屋で「身体が温まるというか――」と、住民説明会のときと同じく自分の言葉でない紋切り型の文句を言ってしまい、「それ、味じゃないですよね」と冷たく指摘される場面では笑いがもれていた。

果たしてこの素晴らしいカットに満ちた映画にどんな結末が待っ……待ってええええっ!!!!!?

そこで思考が停止したまま映画は終わってしまったのだが、本作で語られる、鹿は人を襲わない、襲うとしたら手負いの鹿だけだという主人公の台詞を踏まえれば、というのに後から合点がいった。

ジョン・レノン 失われた週末

柳下毅一郎さんに啓示を受けて(おおげさ)観ることした映画である。

ジョン・レノンの70年代において、オノ・ヨーコと別居していた期間は、この映画のタイトルにもあるように「失われた週末」と呼ばれ、酒浸りの非常に荒んだ生活を送っており、音楽的な成果も乏しい時期という固定観念がワタシの中にもあった。

本作は、その時期にジョンと生活をともにしていたメイ・パン本人の証言を中心に描くドキュメンタリーである。

この時期のジョン・レノンは、オノ・ヨーコというくびきから解き放たれ、コラボレーションを活発化させている。エルトン・ジョンと共演した「真夜中を突っ走れ」は彼にとって初の全米1位シングルとなり、デヴィッド・ボウイと共作した「フェイム」はボウイにとって最初の全米1位シングルとなり、二ルソンの『Pussy Cats』をプロデュースし、自身も『Walls and Bridges』(彼の生前最後の全米1位アルバム)と『Rock 'N' Roll』という2枚のアルバムをものにしている。

正直、『Walls and Bridges』も『Rock 'N' Roll』も評価が高いとは言えないが、特に前者については、「失われた週末」の時期のアルバムという印象が先入観になっているところもあろう。発表から半世紀のタイミングで、その死後忌々しくも「聖人」視されることとなったジョン・レノンの、そのイメージに合わない『Walls and Bridges』こそ再評価が必要なのではないか。

そして、この時期ジョンはポール・マッカートニーとの交友も復活し、シンシア・レノンとの離婚後、(オノ・ヨーコが間に入るため)コミュニケーションがとれなくなっていたジュリアン・レノンとも親子の時間を過ごせていた話は心が和むものがある。それを実現させたメイ・パンに感謝したくなる。

本作が始まったとき、あ、この映画はビートルズはもちろん、もしかしてジョンの曲すらかからないのか? と身構えたが、さすがにジョンの曲は問題なかった。このような映画が実現したのは、オノ・ヨーコが大概高齢になり、コントロールが緩くなったところもあろう。

本作でジョン・レノンの解放された姿を見れたように思うが、結局のところ、この人の身勝手さというかろくでもなさも改めて感じたというのが正直なところ。ワタシは表現者とその表現は分けるべき主義の強硬な支持者なので、ジョン・レノンの作った音楽に対する愛は基本的に変わらない。ただ上に書いたように、自分の中での評価のし直しは必要だと思った。

そして、メイ・パンについて好奇の視点からでない、本人の証言を中心にした本作のような映画ができたことは、彼女の名誉のためにもよかったと思う。

ルハ・ベンジャミンも新刊でTESCREAL批判をしていたのか

books.macska.org

実は「TESCREALふたたび:AGIが約束するユートピアはSF脳のディストピアなのか?」を書いていたときに、プリンストン大学のルハ・ベンジャミン教授の「ケンドリック・ラマーやヤシーン・ベイのヒット曲みたいにこの論文をずっと待ってた!」という反応を取り上げようと思ったのだが、ルハ・ベンジャミン、日本では知名度ないしな、と諦めていた。

その彼女の新刊 Imagination: A Manifesto(表紙デザインがインパクトある……)でやはり TESCREAL を批判していたんだ。

著者がとくに警鐘を鳴らすのは、技術の進歩による問題解決を目指すテクノユートピア主義や、はるか未来の人類のためと称していまここにいる人たちを見殺しにする長期主義倫理など、いわゆるTESCREALと呼ばれる思想群。これらの思想が形を変えた新優生主義を抱えたイマジネーションであることを指摘する本書は、短いながらテクノロジー社会論と人種主義を専門とする著者ならではの力作。これからも注目していきたい論者の一人。

Ruha Benjamin著「Imagination: A Manifesto」 – 読書記録。 by @emigrl

やはり「テクノロジーと人権」についてちゃんと書かれた本が翻訳されないといけないと思うのだが、彼女の本の邦訳は難しいんでしょうね。

そういえばルハ・ベンジャミンといえば、ガザにおけるイスラエルの大量虐殺と親パレスチナ派の学生への弾圧を非難していたが、先月末には学生14人とともにプリンストン大学のクリオ・ホールを占拠したというのに驚かされた。行動派ですな。

アンディ・グリーンバーグ『Tracers in the Dark』(とそれに続く新作)の邦訳を出す出版社はありませんか?

wired.jp

ひと月前の話で恐縮だが、この記事を読んで、「アンディ・グリーンバーグの『Tracers in the Dark』、やはり邦訳は出ないのかねぇ」とつぶやいたところ、まさかの著者から「興味のある日本の出版社をご存じだったら紹介いただけるとありがたいんだが!」という返信をいただいてしまった。

アンディ・グリーンバーグというと、ロシアのサイバー戦争の内実に迫る『サンドワーム ロシア最恐のハッカー部隊』の邦訳が昨年出ているが、その彼がその次に出した Tracers in the Dark に興味ある日本の出版社ありませんか?

その内容は、実は Wired.jp で一部読める。

正直、クリプト+犯罪がテーマの本は邦訳が出にくいようで、難しいかなとは思う。

「シルクロード」を取材したニック・ビルトン『American Kingpin』21世紀最大の詐欺をやらかした「クリプトの女王」についてのジェイミー・バートレット『The Missing Cryptoqueen』も邦訳は出ていない。

実は、7月にはアンディ・グリーンバーグの新作 Lords of Crypto Crime が出る。書名をみる限り、新作のテーマもクリプト+犯罪のようだ。

「Wi-Fi」は何の略か? 話は簡単ではない

この話は前にも何かで読んだことがあったと思うが、「Wi-Fi」は何の略か? という話が Mental Floss に出ていた。

Wi-Fi は無線 LAN の登録商標の名前なんだから、Wi-Fi の Wi は wireless の略にきまっている。で、「Wi-Fi」と聞いて連想するのは、音響機器に関する用語である「hi-fi」だ。これはは high fidelity の略なんだから、「Wi-Fi」の Fi は fidelity の略で、つまり「Wi-Fi」は wireless fidelity の略で決まり! 簡単な話である。

……というわけではないようだ。オックスフォード英語大辞典にも、「この言葉が wireless fidelity の短縮形と後に合理化されたというのは正しくない」と明記されているとな。

Wi-Fi」は何の略でもない、というのが正しいらしい。これは Wi-Fi Alliance の創設メンバーである Phil Belanger も認めている

もう少し正確に書けば、確かに Wi-Fi Alliance の前身である WECA のメンバーは Wireless Fidelity というキャッチフレーズを考えたが、これは無線 LAN の利用者を混乱させただけで、それにつながる言説を取り下げたということらしい。

というわけで、「Wi-Fi は何の略でもない。頭字語でもなく、それ自体には何の意味もない」が答えということだ。

……そういえば、ワタシは20年以上前に Wardriving HOWTO を訳していたな。

WirelessWire News連載更新(TESCREALふたたび:AGIが約束するユートピアはSF脳のディストピアなのか?)

WirelessWire Newsで「TESCREALふたたび:AGIが約束するユートピアはSF脳のディストピアなのか?」を公開。

個人的な事情で恐縮だが、今回は書いている間に寝不足の問題を抱えており、それは残念ながらこの文章にも影響を及ぼしている。文章の精度もあるし、何より文章のタイトルがイマイチである。

実は最初、ゴールデンウィークの間に今回取り上げた論文を訳そうかとぼんやり思っていたのだが、そんな馬力は今の自分にはない。その代わりといってはなんだが、今回は一つの論文を手短に論じただけで、この狂った長さになってしまった……。我ながら異常としか言いようがない。

それだけ長く書いても、書ききれなかった話がいくつもあるので、少し書いておく。

まず、ゲブルとトーレスの論文の謝辞にダグラス・ラシュコフの名前があり、「テクノ楽観主義者からラッダイトまで」で TESCREAL の話からラシュコフの『デジタル生存競争』(asin:B0C8MB9J7F)につなげたこととの符合を感じた。

そして、この論文を収録した First Monday の2024年4月号全体について触れておくと、TIME 誌が AI 分野でもっとも影響力のある100人に選んでいたアベバ・ビルハネが二つの論文に著者として名前を連ねていたり、その片方の「形而上学的、倫理的、そして法的にロボットの権利の嘘を暴く」に、こないだ紹介した『ブラックボックス化する社会』のフランク・パスカーレも著者に名前を連ねている。

なにより、この特集号のすべての論文に共著者、協力者として、ダナ・ボイドが10年前に立ち上げたテクノロジーの社会的影響について研究する非営利団体である Data & Society のメンバーがクレジットされている。つまり、この号は完全に Data & Society 主導ということ。

ダナ・ボイド自身は2022年に President を辞しており、昨年には Board Member からも外れているが、この人はこの10年、3人のお子さんを産み育てながら、Data & Society を大きくしたことになる。すごい話である。この団体のメンバーの活動は注目しておくとよいでしょう。

あともう一つ、今回の文章で名前を挙げながらあまり語れていないエリーザー・ユドコウスキー、並びに彼が立ち上げた LessWrong については、2018年(!)に木澤佐登志さんが書いた「人工知能はロシア宇宙主義の夢を見るか? ――新反動主義のもうひとつの潮流」がひたすら面白い。さすがにこれまで盛り込むことはできなかった。木澤佐登志さんは、もちろんワタシとは立場も志向も違うが、当時も今も氏が書くものがすこぶる刺激的なのは変わりがない。

こっそり本文に紛れ込ませたが、レイ・カーツワイル『シンギュラリティは近い』(asin:B009QW63BI)の続編が来月出るぞ!

『ポストトゥルース』の著者による偽情報、誤情報への姿勢を学べる邦訳が2冊続けて出る

yamdas.hatenablog.com

今年のはじめに書いたエントリだが、ここで新刊を紹介した、『ポストトゥルース』(asin:4409031104)の邦訳があるリー・マッキンタイアの本の新たな邦訳が先月、今月と立て続けに2冊出るのを知る。

といっても、今回邦訳が出たのは、上のエントリで紹介した本ではなく、その前に原書が出ていたものである。

まず、先月に『「科学的に正しい」とは何か』ニュートン新書から出ている。これは『ポストトゥルース』の次に原書が出たものである。

 科学と科学ではないものを分けるものとは? 研究の不正や捏造があってもなお,科学を信頼できる理由とは? 世界的ベストセラー『ポストトゥルース』の著者が贈る,現代人に必須の科学論。

「科学的に正しい」とは何か | ニュートンプレス

そして、今月末に『エビデンスを嫌う人たち』国書刊行会から出る。これは彼の前作にあたる。

彼らはなぜエビデンス(科学的証拠)から目を背け、荒唐無稽な物語を信じてしまうのか? 
その謎をさぐるべく、神出鬼没の科学哲学者は陰謀論者の国際会議に潜入し、炭鉱労働者と夕食を囲み、モルディブの海をダイビングする……。
はたして科学否定論者は何を考えているのか? 
知りたくない事実に耳をふさぐ人たちに、どうやったら事実を受け入れてもらえるのか?

エビデンスを嫌う人たち|国書刊行会

いずれも科学的とは何か? どうやってそれを受け入れてもらえるかという問題意識に貫かれているのが分かる。やはり、信頼なき時代、偽情報についての本が求められているということなのだと思うのだが、ただ、見る情報がすべてデマかもしれない状況というのはツラいものがあるわなぁ。

エビデンスを嫌う人たち』については横路佳幸氏の解説が国書刊行会の note で全文公開されている

肩をすくめる絵文字「¯\_(ツ)_/¯」をコピペできる(だけの)サイト……ってなんじゃそりゃ!?

copyshrugemoji.com

One Click Shrug Emoji Copy というサイトだが、肩をすくめる絵文字「¯\_(ツ)_/¯」をコピペしたいときに使える……というか、それ以外に使いようがない。

この「¯\_(ツ)_/¯」だが、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2017年版)」で紹介した The Ambivalent Internet: Mischief, Oddity, and Antagonism Online の表紙に使われているのをみて、この絵文字って英語圏でも通じるんだな! と驚いたのを思い出した。

そして、こんなサイトができているということは、それだけこの絵文字が認知されているということでしょうね。

なるほど、Urban Dictionary の404ページでこの絵文字が表示されるのか。というか、Urban Dictionary には「ツ」が項目になっているのな!

ネタ元は kottke.org

マイケル・ペイリンが、北朝鮮、イラクの次に旅行番組で赴いたのはナイジェリアだった

www.theguardian.com

今ではモンティ・パイソンよりも旅行番組のプレゼンターとして知られる(という枕詞を書くのも何回かの)マイケル・ペイリンだが、北朝鮮イラクに続いて、Channel 5 の旅行番組でナイジェリアに赴いたとのこと。

しかしなぁ、モンティ・パイソンのメンバーでもっとも若いマイケル・ペイリンも80代を迎えており、昨年には、15歳のときに出会って恋し、その後結婚して57年(!)連れ添ったヘレン夫人を亡くしている。旅行番組どころでなくてもおかしくないのだが、Guardian のインタビューによるとマイケルは、この番組の旅は彼女を亡くして数か月しか経ってなかったが、この番組の仕事が自分を再生させてくれたとまで語っている。

前々回の北朝鮮、前回のイラクに比べて、今回のナイジェリアは現地で出会う人がとにかく陽気でエネルギッシュだったので、マイケルも元気をもらったという感じのようだ。

しかし、ナイジェリアの人たちとの邂逅は楽しいものばかりではなく、英国の植民地主義の罪を彼になじる女性も出てくるという。

ナイジェリアといえば、ChatGPT の語彙にナイジェリアが関係しているらしい話が少し前に話題になったばかりである。さすがにそんなところまで垣間見れる番組ではないはずだが、日本でも放映されないかな。

例によって彼の旅行番組は書籍化もされるようだが、刊行はずっと先の見込みである。

Across Nigeria

Across Nigeria

Amazon

そうそう、マイケルが主役をはった映画『ジャバーウォッキー 4Kレストア版』Blu-ray が出るんだね。思えば、テリー・ギリアムの監督作では、これだけ未だ観てないんだよな。

ポール・オースターとルー・リードが1995年に行った対談をはじめて読んだ

www.dazeddigital.com

先月末、米国を代表する小説家であるポール・オースターが亡くなった

その追悼として、ポール・オースタールー・リードが1995年に行った対談記事が公開されていたので読んでみた。

正確にはポール・オースターニュージャージーの生まれ育ちらしいが、二人とも生粋のニューヨーカーのイメージがある。年齢ではルー・リードのほうが5歳年長で、彼は2013年に亡くなっている

この二人の最大の接点というと、オースターが脚本を書いた映画『スモーク』の続編というか姉妹編の、彼が共同監督を務めた『ブルー・イン・ザ・フェイス』にリードが出演し(役名は「ヘンな眼鏡の男」)、アドリブで独特のニューヨーカー哲学(?)を滔々と語っていることになる。

対談だが、まずオースターが「一生かけて音楽をやることになると思ったのは高校時代?」と聞くと、ルードが「違うね! 俺は君みたいなことがしたかったんだよ。作家になりたかったんだ。ちゃんとした作家だ」と答えていて微笑ましい。

その後、若い頃に生活費を稼ぐためにやっていた仕事の話になり、オースターは数えきれないほどの仕事をやったが、「キャリア」と呼べるものは何もなかったと述懐している。若い頃にやった仕事で興味深いものとして、1970年にハーレムで国勢調査員の仕事をしたときのことを挙げているが、そのときの体験が『スモーク』(というか、その元である「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」)のエセルおばあちゃんの元になっていることに数日前に気づいたという。

オースターが国勢調査員としてドアをノックすると、ほぼ盲目の老婦人が部屋に入れてくれた。彼女は部屋の明かりを消したままだったが、人を中に入れたので明かりをつけ、「あなた、黒人じゃないじゃない!」と声をあげた。そのときオースターは、自分がこの部屋に初めて入った白人なのを悟ったという。

その後も貧乏暮らしの話の流れで、オースターが1970年代後半に深刻な危機にあったことを語ると、リードもやはり70年代の半ばから後半にひどい危機に直面した話をしている。もっともその時点でリードは「ロックスター」だったわけだが、マネージャーと金のことで揉めて裁判沙汰になった件で、これに彼はかなりダメージをくらったらしい。

もちろんその後二人とも貧乏からは離れたが、そうなるとこれから不運に見舞われるのではないかと不安になることをオースターが話すと、やはりリードも同調する。スターリング・モリソンの死もあり、(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの)ロックンロールの殿堂入り後に同じような心境になったという。パティ・スミスにそのことを打ち明けたら、「その場に入れない人の分も、あなたには倍楽しむ義務がある。それは大変なことだけどね!」とアドバイスをもらったと語っている。

このように紹介しているときりがないが、最後にポール・オースターが語るハーヴェイ・カイテル評だけ紹介しておく。

ハーヴェイ・カイテルはセルアウトしていない数少ない有名俳優だ。彼が出演している映画が皆良いというわけではない。けれども、彼はそれでよいと思っているし、心から楽しそうに映画に取り組む。私は彼のそうした決断をとてもリスペクトしている。

カイテルは、『スモーク』、『ブルー・イン・ザ・フェイス』、そして後にオースターが監督した映画『ルル・オン・ザ・ブリッジ』のすべてで主演を務めている。上の引用の最後の「決断」とは、映画も役柄も気に入らないからと、カイテルが300万ドルの出演料の仕事を断ったことを指している。

さて、個人的にはポール・オースターといえば、最初に読んだ『幽霊たち』と『鍵のかかった部屋』がとにかく鮮烈だったが(『ガラスの街』は柴田元幸の翻訳で読めるのを待ったので、同時期には読んでいない)、一番好きなのはやはり『ムーン・パレス』だろうな。

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2024年版)

さて、私的ゴールデンウィーク恒例企画である「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」の季節である(過去回は「洋書紹介特集」カテゴリから辿れます)。

以前から書いているが、このブログは一度の更新で5つのエントリを公開するのを通例としており、そうするとそのうちひとつくらいは洋書を紹介するエントリを紛れ込ませることができる。そのおかげで、この一年ブログで紹介してきた洋書をまとめるだけで、今回も全38冊(ワオ!)の洋書を紹介できるわけだ。

ご存じの通りの円安の進行のせいで、これから翻訳書の刊行にブレーキがかかるのかもしれない。それは大きな損失だと思う。また先日ある場所で、日本のネットユーザがますます海外の情報に目を向けなくなったという話が出たのだが、翻訳書が減少したら、その傾向にも拍車がかかるかもしれない。面白そうな洋書を知ったら取り上げることで、その傾向に抗いたいのである。

まぁ、これは毎年書いていることの繰り返しだが、洋書を紹介してもアフィリエイト収入にはほぼつながらないのだけど、それでも、誰かの何かしらの参考になればと思う。

既に邦訳が出ていたり、またこれから出るという情報をご存知の方はコメントなりで教えていただけるとありがたいです。

ケヴィン・ケリー『Excellent Advice for Living: Wisdom I Wish I'd Known Earlier』

ケヴィン・ケリーの本はだいたい邦訳が出ているが、『消えゆくアジア』に続いてこちらも難しいかなぁ。自己啓発書として割り切って出せばよいと思うのだがどうだろう。

そうそう、彼は今月も73歳の誕生日に73個の有益なアドバイスを公開している。

セルヒー・プロヒー(Serhii Plokhy)のウクライナ

いやぁ、↑のエントリを書いたのが昨年5月で、次の「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」エントリ(つまりこれ)を書く頃には、彼の本は少なくとも一冊は邦訳が出ているに決まっていると思い込んでいたが、出てないですな。これはまったくの予想外。なにか問題でもあるのだろうか?

セルヒー・プロヒー教授は昨年に2カ月ほど北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターに特任教授として滞在しており、そのときのインタビュー記事が「ウクライナ戦争と北方領土 ハーバード大・プロヒー教授の視点」全3回にまとめられている。

Scott J. Shapiro『Fancy Bear Goes Phishing: The Dark History of the Information Age, in Five Extraordinary Hacks』

法哲学者が語るサイバーセキュリティというアングルがユニークなので、これは邦訳が出てほしい本である。『情報セキュリティの敗北史』と同じく小林啓倫さんあたりに話がいってないものか。

Cynthia Carr『Candy Darling: Dreamer, Icon, Superstar』

キャンディ・ダーリングの評伝と聞けばかなり興味あるのだが、それこそ↑のエントリでも触れた、彼女の人生が映画化でもされないと邦訳は難しかろうね。そうか、今年は彼女の没後50年なんだね。

New York Times に掲載された書評を読むとやはりシビアな内容を思わせるが、晩年のテネシー・ウィリアムズが、彼の舞台に出たキャンディ・ダーリングに失礼なことを言う粗野な客を「レディになんてことを聞くんだ!」と一喝した話が泣かせる。

ロマ・アグラワル(Roma Agrawal)『Nuts and Bolts: Seven Small Inventions That Changed the World in a Big Way』

これは『世界を変えた建築構造の物語』(asin:4794226047)に続いて邦訳が出るに決まっているが、そういえば WIRED の「THE WORLD IN 2024」特集に彼女は「修理する文化が復活、電子機器の分解・修復が権利となる」という文章を寄稿している。

ジェフ・ジャービスJeff Jarvis)『The Gutenberg Parenthesis: The Age of Print and Its Lessons for the Age of the Internet』

ジェフ・ジャーヴィスの本はだいたい邦訳が出ているが、これはどうさねぇ。彼も今年70歳になる。これあたりが最後の著作になるかもしれんわけだからね。

Ben Smith『Traffic: Genius, Rivalry, and Delusion in the Billion-Dollar Race to Go Viral』

昨年は BuzzFeed News 元編集長として日経に敗軍の将は兵を語っているが、ベン・スミスは2011年から2020年までおよそ10年間 BuzzFeed News の編集長を務めた人で、その後も New York Times に移ったと思ったら、Semafor を起業したりと、つまりはこの20年ばかり米オンラインジャーナリズムの中心にいた人である。これは面白いに決まっている。

イアン・ブレマーやウォルター・アイザックソンといった著名人が推薦の言葉を寄せている。

彼が起業した Semafor は資金調達の面でも人材の面でもかなり恵まれたスタートをきったが、それでもこのご時勢、ジャーナリズムをビジネスにするのはなかなか大変そうだ

ワグナー・ジェームズ・アウ『Making a Metaverse That Matters: From Snow Crash & Second Life to A Virtual World Worth Fighting For』

またしても彼は悪いタイミングでメタバース本を出してしまったとみる向きもあるだろうが、何度も書くようにワタシはメタバースはまだまだ伸びしろがあると思っているので、彼の本は今年後半以降に邦訳が出るくらいでちょうどよいと思うのだがどうだろうか。

今回は Second Life に特化していない、メタバースの歴史を網羅している本みたいなので。

Will HermesLou Reed: The King of New York』

正直、またルー・リードの伝記が出る意味あるの? と懐疑的だったが、この本のかなり評価が高くて驚いている。まぁ、ワタシは例によって牛歩の歩みでアンソニー・デカーティス『ルー・リード伝』を読むしかないわけですが。

ジョナサン・タプリン(Jonathan Taplin)『The End of Reality: How Four Billionaires are Selling a Fantasy Future of the Metaverse, Mars, and Crypto』

WirelssWire News 連載復活後にもっとも評判をとった文章の原動力となった本なので、これは邦訳が出てほしいところ。

実は、この本の前に書いた、彼がボブ・ディランが後のザ・バンドを連れたツアーのロードマネージャーだった頃から、マーティン・スコセッシの『ラスト・ワルツ』や『ミーン・ストリート』、そしてヴィム・ヴェンダースの『夢の涯てまでも』などの(エグゼクティブ・)プロデューサーを務めた時代の回顧録の邦訳『マジック・イヤーズ:魔法があった』asin:B0CT3B99F7)が今年出ていてのけぞってしまった。

グレッグ・ルキアノフ(Greg Lukianoff)、Rikki Schlott『The Canceling of the American Mind: Cancel Culture Undermines Trust and Threatens Us All—But There Is a Solution』

これは前作に続いて邦訳が出ると思うのだが、下で紹介するジョナサン・ハイトの新刊の邦訳とセットになりそうな気がする。

ブライアン・マーチャント(Brian Merchant)『Blood in the Machine: The Origins of the Rebellion Against Big Tech』

この本について、WIRED が2回も取り上げていること自体驚くべきことである。言うまでもなく「ラッダイト」とは現在は「軽蔑的な悪口」なのだが、果たしてこれの邦訳が出て、その認識がいくらか変わることもあるでしょうか。

ジェフ・トゥイーディー(Jeff Tweedy)『World Within a Song: Music That Changed My Life and Life That Changed My Music』

Wilco でもコンスタントにアルバムを制作しながら、3冊も本を出すのだから、もはや執筆も余芸ではない。Rolling Stone のインタビューを読むと、ボン・ジョヴィの悪口書いているのか(笑)。あと彼の本と構成が似ているボブ・ディラン『ソングの哲学』を読んで少し失望したとな。

Sarah Lamdan『Data Cartels: The Companies That Control and Monopolize Our Information』

著者の名前で検索してもほとんど日本語記事で言及されているものがないので、邦訳は難しかろうね。それでも The Anti-Ownership Ebook Economy と同じく訳されるべき内容だと思うんですよ。

サーストン・ムーアSonic Life: a Memoir

やはり前妻キム・ゴードンと同じく邦訳出るかというのが興味あるところだが、そういえば彼はちょうど新曲を出したばかりだった。

割といいじゃん。

ベン・メズリックBen Mezrich)『Breaking Twitter: Elon Musk and the Most Controversial Corporate Takeover in History

映画『ダム・マネー ウォール街を狙え!』が公開された後となっては今更という感じなので、一足飛びでイーロン・マスクによる Twitter 本の邦訳を期待したいが、また下に書くが似た題材の本がいくつも控えているので、どれが出るでしょうかね。

Jeff Horwitz『Broken Code: Inside Facebook and the Fight to Expose Its Harmful Secrets』

特に日本では、もはや「Facebookファイル」も今や昔の話になりつつあるので難しいだろうが、これは邦訳が出るべき題材だと思うわけですよ。詐欺広告が放置され続ける国である日本では特に。

ティーブン・ジョンソン(Steven Johnson)『The Infernal Machine: A True Story of Dynamite, Terror, and the Rise of the Modern Detective』

原書が来月発売なのでまだどの程度の出来というのも分からないのだが、彼の本ならやはり来年以降に邦訳出るんですかね。個人的には、彼が Google でどういう仕事をしているのかというところだったりする。

Lol Tolhurst『Goth: A History

この本は、「元キュアーのロル・トルハーストによる」のほうよりも、純粋な「ゴスの歴史本」のほうで需要があると思うので邦訳を期待したいところ。

それはそうと、現在のトルハーストとは関係ないが、15年以上出ていないキュアーの新譜はまだ出ないのかな。

ジェフ・コセフ(Jeff Kosseff)『Liar in a Crowded Theater: Freedom of Speech in a World of Misinformation』

ジェフ・コセフは、米国海軍士官学校サイバーセキュリティ法部門准教授で、法律+テクノロジー(サイバーセキュリティ)に専門がまたがるという意味で、↑で紹介しているスコット・シャピロにも通じるところがある。これからそういう人材が求められるんだろうなぁ。

それはそうと、自分のエントリで紹介した他の本も含め、偽情報、誤情報にどう対応していくかを説く本は重要と思うのよね。

Anne Currie, Sarah Hsu, Sara Bergman『Building Green Software』

ワタシは知らなかったのだが、Green computing という項目は昔からウィキペディア英語版にあったのね。しかし、Green Software という言葉は目新しいものであり、それって昔の組み込みプログラミングな感じ? よりも認識を前に進めるためにこの本の邦訳は必要かと思うのだ。

そうそう、この本の共著者3人がこの本について語り倒す全5回のシリーズ動画があるのを知ったので、そのパート1をはっておく。

ケリー・ウィーナースミス(Kelly Weinersmith)、ザック・ウィーナースミス(Zach Weinersmith)『A City on Mars: Can We Settle Space, Should We Settle Space, and Have We Really Thought This Through?

近年、イーロン・マスクジェフ・ベゾスといったテック大富豪による宇宙進出、宇宙移住についてのニュースを見ることが多く、あたかもそれが我々の生きてる間に他の惑星への移住が見られるくらいに思ってしまいそうなるが、そうした意味でこの本は大事な話を扱っていると思うわけですよ。

おそらく来年には邦訳が出ると思うが、それを手がけるのは著者らの前著と同じく化学同人か、それとも早川書房か。それまで本についての情報は、公式サイトをあたってくだされ。

Kyle Chayka『Filterworld: How Algorithms Flattened Culture』

著者のことは WIRED でたまさか名前を見かけるライターという認識だったが、ちょうど「WEIRDでいこう! もしくは、我々は生成的で開かれたウェブを取り戻せるか」を書いたばかりだったので、その符合に驚いた次第。邦訳が出るまで、この本についての情報は著者のサイトの公式ページをあたってくだされ。

ローレンス・レッシグ、Matthew Seligman『How to Steal a Presidential Election』

ローレンス・レッシグの米国の選挙制度に対する危機意識は伝わるし、本当に今度の大統領選挙ではこの本で危惧する問題が災いする可能性が十分にあるのは頭の痛い話だが、米国の選挙事情に依るこの本の邦訳は例によって難しいでしょうな。

クリス・アンダーソン『Infectious Generosity: The Ultimate Idea Worth Spreading』

NHK「スーパープレゼンテーション」やってたのも2018年3月末までだったし、今では TED のことをあまり知らない人も多いのかな。TED のプレゼンテーションスタイルも揶揄の対象になったりし、その神通力はもはやないけど、だからといって TED 自体が無意味とかワタシは思わないのよね。

ジョナサン・ハイトThe Anxious Generation: How the Great Rewiring of Childhood Is Causing an Epidemic of Mental Illness

ジョナサン・ハイトの新刊は早くも批判がビシバシ寄せられており、それに著者が反論しているが、このあたりの Z 世代の問題については、昨年ノア・スミスも書いていたが、「スマホ悪玉論」で先んじたジーン・トゥウェンジは、かつてハイトの共同研究者だったことが WIRED の記事で触れられている。

邦訳は間違いなく出るとして、その際には本書に寄せられた批判を踏まえた解説をつけてほしいところ。

Tom Taulli『AI-Assisted Programming』

これの紙の本、Amazon で1万円超えてるで……。

それはそうと、今回調べてみて、一年以上前にこの本の誕生を予見していた人がいるのを知ってのけぞった。これに続く本もこれから本格化するのだろうな。

ネイト・シルバー『On the Edge: The Art of Risking Everything』

8月に出る本なので、その出来は分からない。これがポーカーの話に終始した本ならノーサンキューだが、テック系のリスクテイカーについての記述もかなり多そうなので、彼の巻き返しに期待したいところである。

アーヴィンド・ナラヤナン(Arvind Narayanan)、Sayash Kapoor『AI Snake Oil: What Artificial Intelligence Can Do, What It Can't, and How to Tell the Difference』

この本だけ、まだ電子書籍のページができていないので、紙の本をリンクしている。とにかくアーヴィンド・ナラヤナンという人は、現代コンピューティングにおける重要な話題をビシバシ押さえている人なので、この人の動向から目が離せないのである。

既にゴールデンウィークは始まっているが、皆さん、楽しい休暇をお過ごしください。

澁川祐子『味なニッポン戦後史』をご恵贈いただいた

澁川祐子さんから新刊『味なニッポン戦後史』集英社インターナショナル)をご恵贈いただいた。

澁川さんからは前著(後に『オムライスの秘密 メロンパンの謎』(asin:4101206813)として文庫化)もご恵贈いただき、「集合知との競争、もしくはもっとも真摯な愛のために」という文章を書いている。そしてその後、澁川さんにお願いして、渋谷のちゃんぽんの美味しいお店に連れて行ってもらったりした(てへっ☆)。

さて、本書はサイゾー連載に大幅な加筆・修正を行い、新章を書き下ろしたものだが、塩味、甘味、酸味、苦味、そしてうま味という五つの味覚に加え、何度もブームが寄せては引く辛味、そして第六の味覚として有力視されている脂肪味を通し、味覚と社会の接点をつなぐことで戦後日本の食のありようと社会の姿を浮き彫りにすることを目指す「ニッポン戦後史」である。

ワタシは脂肪味が新たな味覚として有力視されていることも知らなかったくらいだが(やはり、コク味ではないんですね)、やはり著者と同年代なので、同じ時代を共有して生きてきたことによる分かる感じが多い本だった。そして、それがない若い世代の人が読んでも、そうした共感とは別の新しい発見がある本だと思う。

本書はなんといってもインパクトのある帯が印象的だが、これは単なるギミックではなく、「うま味」についての第一章で書かれる味の素の受容と忌避の歴史が、戦後日本における味覚と社会の接点の典型的なサンプルだからだ。

味の素に関するくだりを読んでいて、村上龍の『長崎オランダ村』で、長崎の餃子店で鍋の底に大量の味の素があるのをみて、語り手が子供の頃、それこそごはんにも味の素をかけて食べていたことを思い出す場面が浮かんだが、彼の世代が子供の頃は中華料理だけでなくいろんな料理の味の調整役として重用されていた味の素は、「化学」の先進的で良いイメージにより化学調味料と呼ばれ、その後一転してその呼称が安全性をめぐる不信をまきおこしてしまう。

この「化学(人工)」と「自然」の対立は、塩味についての第二章でも、「専売塩」「化学塩」と「自然塩」の二項対立として書かれており、同じような構図が本書を通じてでいくつか見られる。

自然食、自然栽培といった言葉があるように、言うまでもなく食と「自然」との相性はいい。私も含め多くの人は、自分の口に入るものが工場内で水と光を管理されて生産されるより、大自然の景色のなかで育まれている景色を好むのではないか。たとえそこに実態はなくとも、言葉から喚起されるイメージ、その背後にある物語に人は弱い生き物なのだ。(pp.208-209)

この化学不信と自然信仰には、冷静に見ればそれぞれツッコミどころがあるのは明らかである。が、やはり口にするものは時代の気分ではっきり売り上げに変わりが出るし、今生きる自分にしても、そうした「気分」と無縁と言い切れるわけはない。

脂肪味についての第7章における「バターvsマーガリンから始まった善悪二元論」にもあるように、我々は科学の進歩にも振り回されてきたわけで、後から俯瞰してみればただ滑稽かもしれないが、それもその時代に生きた証とも言える。

そして、一貫して食を通じて欲望に忠実な人間の姿も見てとれる。

 カロリーを直接想起させる砂糖や炭水化物は排除されがちな反面、体にいいとされる果物や野菜には甘さを追求してやまない。それは、もはや強迫観念に近い健康志向の現代にあって、罪悪感なしに「甘い=うまい」を享受したいという、身勝手な欲望の発露なのかもしれない。(pp.95-96)

本書にも著者の安易な「良い逸話」に飛びつかないストイックさが出ているが、各章がそれぞれの味覚を題材としたストーリーテリングのうまさが出ているようにも感じた。

今の自分の食生活に慣れすぎて、ともすればそれがずっと前からあったように思い込んでしまうところもあるが、前述のバターvsマーガリンではないが、食の常識はいつの間にか変わっていたりする。かつてスパイスに似た存在だった油を日常的に使ってもらうために「一日一回フライパン運動」が1960年代に呼びかけられたことなど、知らなかった逸話も本書にはいくつもあり、そうした意味でもためになった。

「シリコンバレー随一のヴィランにしてカリスマ」ピーター・ティールの伝記本の邦訳が出ていた

yamdas.hatenablog.com

2年以上前のエントリになるが、そこで紹介したマックス・チャフキンによるピーター・ティールの伝記『The Contrarian』の邦訳『無能より邪悪であれ ピーター・ティール シリコンバレーをつくった男』が今月出ていたのを知る。

原書は「逆張り屋」という意味だが、邦訳は「シリコンヴァレー随一のヴィラン(悪役)でカリスマ」なピーター・ティールに相応しい(笑)邦題がついたものですなぁ(版元のサイトに個別ページがまだできていないのはなんで?)。

しかしさぁ、「シリコンバレーをつくった男」っていくらなんでも盛りすぎだろ。マーガレット・オメーラ『The CODE シリコンバレー全史 20世紀のフロンティアとアメリカの再興』を読めば(いや読まなくても)、ティールが生まれた時点でシリコンバレーは既にテックセクターの集積所だったことが分かるっての。

それはともかく、なにしろ「逆張り屋」なんて原書タイトルの本ですから、ピーター・ティールという今やシリコンバレーを代表する「テック・オリガルヒ」の、一筋縄にいかない、時に明らかに矛盾しているように見える彼を批判的に論じる本書が出てよかったと思います。

原書は2021年に出ているので、その後3年ばかり経っているが、彼の場合、あまり人目を引くタイプではないので、その点、イーロン・マスクと異なり、落差は少ないだろう。

禁錮25年をくらった仮想通貨業界の元寵児サム・バンクマン=フリードを描くマイケル・ルイスの新刊の邦訳が出る

yamdas.hatenablog.com

昨年秋に紹介したマイケル・ルイスの新刊だが、一年足らずで邦訳が出る。さすがベストセラー作家!

暗号資産取引所 FTX の創業者であるサム・バンクマン=フリードが新作の主人公だが、先月彼に禁固25年の判決を下された

マイケル・ルイスも本書でサム・バンクマン=フリードについて好意的に書いている部分が批判されていたと思うが、彼もまさか自分の取材対象が7つの罪で有罪くらうとは思わなかっただろうし、『Bad Blood』のような本とは成立過程が違うわけで。

クリス・ディクソンは、クリプト界隈を「暗号資産カジノ」とそうでない人達に線引きして「ブロックチェーンにいま一度チャンスを」と訴えるわけですが、米国政府が「史上最大の金融詐欺のひとつ」と表現した犯罪の裁判がばんばん報道されるなど、一般に目立つのほうは「カジノ」のほうの方々ばかりなのだから、まぁ、なかなか難しいと思います。

「暗号資産カジノ」のせいで、サム・バンクマン=フリードが推していた効果的利他主義とやらも一緒に評判だださがりな感があるが、そのあたりの評価はこれから妥当なところに落ち着くのでしょう。

パスト ライブス/再会

いやぁ、画の美しさが印象的だった。子供時代の主人公二人がデートで遊ぶ二人が顔を出すオブジェ、それとあの恐竜みたいなヤツとか、そして女の子家族が北米に移住してからもカットの美しさをところどころに感じた。

そうそう、坂の町と呼ばれる長崎で生まれ育ったワタシにしてみると、子供時代の二人が学校からの帰途のぼっていく坂道、そして、坂道の途中、女性の家の前で別れるところのカットもなんとも良かったな……と思いきや、あの家の前のカットが最後に一瞬だけ出てきたときは、映画館で一人あっと声をあげてしまった。

本作について話の大筋は知っていたが、ここまでほとんど韓国語の映画だとは思ってなかった。ようやくアメリカ人も1インチの字幕の壁を受け入れたのだなと勝手に感慨深いものがあった。

本作のストーリーについて、ワタシが書くことは特にない。本作で主人公の二人を分かつのは、いうまでもなく米国と韓国の距離であり、お互いそれぞれの人生を歩んだ時間なわけだが、なまじ Skype なんかでつながれてしまう残酷さが出ていた。

バーで主人公の男性と女性の夫が二人だけになる場面で、ジョン・ケイル"You Know More Than I Know" が流れる。前にこの曲が映画で使われていたのは『パーム・スプリングス』だったか。アイランド時代のジョン・ケイルの曲が使われる映画に悪いものはないのだけど、本作でのこの曲は、夫側の心象を表現したものと受け取った。

そして、クライマックス、女性が住む家から韓国に帰る男性を見送り、そして戻っていく横移動のカット! あれだけ緊迫感のある横移動を観たのは『ROMA/ローマ』以来だった。

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