世界はヒロシマを覚えているか(4)「ヒロシマの根拠、南京の根拠。

記事番号:4717 (1998年08月19日 10時59分36秒)
世界はヒロシマを覚えているか(4)「ヒロシマの根拠、南京の根拠。」


日出ずる国の若者さん。

アメリカのスミソニアン博物館というところで原爆展というのが開かれましたよね、その時原爆投下作戦に携わった退役軍人の人たちが原爆投下後の惨状を写した写真、つまりおどろおどろしくて地獄のような光景の写真ですね、そのような写真を展示するな!と言ったらしいです。


私は彼らの気持ちは「国の為に戦った俺達の行為が、一見して蛮行と取られてしまうような展示はやめてくれ!俺達はあくまで国の為にやったんだから・・・」と私は思いました。この事柄はあくまで原爆を落したという事実を認めている上にたって行われた抗議であると思うのです。


ですから当事者がこのような認識をもって抗議をしている以上、無かったと考えるのは無理があるように思えるのです。


南京攻略に参加した日本軍の元兵士も、虐殺の事実を認めていますよ。例えば、次のような本が出ています。


『私記 南京虐殺』(正、続)曽根一夫、彩流社1984
『一召集兵の体験した南京大虐殺―わが南京プラトーン東史郎、青木書店、1987
『南京戦史資料集』(I、II)南京戦史編集委員会編、偕行社、1989、93
南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』小野賢二・藤原彰本多勝一編、大月書店、1996


東史郎氏の『一召集兵の体験した…』は当時の従軍日記をもとにしたものですが、同書に登場する同じ連隊の元兵士から名誉棄損で訴えられました。東京地裁は元兵士に関係する部分について「記述に客観的証拠がない」として名誉棄損を認めたものの、(南京攻略時に)「多数の捕虜や非戦闘員が殺されたことはおおむね否定しがたい事実」と述べています。現在は東京高裁で係争中です。


それにしても、60年前に書かれた日記はそれ自体もはや歴史的資料と言うべきであって、その個別的記述について現在の基準で「客観的証拠」を求めること自体が、歴史というものを知らないがゆえの誤りだと、私は思います。


『南京戦史史料集』を出版した偕行社は、旧日本陸軍の将校たちによる親睦機関であり、月刊誌『偕行』を発行しています。同書は『偕行』に寄せられた証言を集めたものです。同誌の編集部は当初、南京大虐殺を否定する意図から証言を募集したようですが、連載が進むにつれて、逆に虐殺の事実を認める証言が多数寄せられ、虐殺の事実は動かしがたいものになりました。編集部は南京での大量虐殺の事実を認め、「この膨大な数字を前にして、暗然たらざるを得ない。……弁解の言葉はない。旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深くわびるしかない。まことに相すまぬ」と謝罪しました。ただし、虐殺者数の面でかなり身びいきな縮小化を図っている点で問題は残ります。

さらに原爆投下が行われた時のアメリカ側が撮ったフィルムを以前NHKで流していました、そしてアメリカが「そのフィルムは日本が捏造したものだ」という抗議をしたという話もききません、だからあの放送はやらせではないと思い原爆が投下されたのは本当だったんだと思いました。


南京虐殺の惨状をとらえたフィルムも存在します。当時現地に滞在していた米聖公会のジョン・マギー牧師が撮影したもので、南京周辺の侵攻時の模様や、病院に収容された犠牲者の様子などが収録されています。


このフィルムの原本は91年にアメリカで発見され、それをもとに毎日放送が「フィルムは見ていた−−検証・南京大虐殺」というテレビ番組を制作・放映しました。さらにその番組は「第3次家永教科書訴訟」で証拠として採用され、92年に東京高裁の法廷でビデオ上映されました。


95年にはアメリカで、このフィルムに元日本軍兵士や被害者の証言、家永三郎、吉見義明、渡部昇一など百人近いインタビューを加えたドキュメンタリー映画天皇の名の下に」が製作されましたが、NHKは「刺激的すぎる」と放映を断ったそうです。
                 (http://www.bekkoame.or.jp/~ymasaki/in.htm


あともし原爆がなかったのなら死者がでないと思います。ケロイドになる人もいないと思います、原爆ドーム張りぼてにならなかったと思います。そして多くの人たちが原爆症にだってならなかったと思います。リトル・ボーイやファットマンなんていう爆弾の存在を知ることもなかったと思うし、長浦天主堂が吹っ飛ぶこともなかったと思いました。


南京虐殺によっても、多数の死者が出ました。いまだに当時の傷痕を体に残し、後遺症を抱えている人もたくさんいます。幸存者(幸いに虐殺を免れた人)も、まだ1000人以上が生きており、事件を証言しています。


もしあなたも機会があったら、ぜひ南京大虐殺紀念館を訪れてみてください。紀念館には多数の写真や生存者・目撃者1700人の証言に加え、紀念館建設中に掘り出された多数の人骨も----同館は虐殺現場の一つである江東門に建てられました----展示してあります。


中国政府は従来、帝国主義者と人民は別、日本人民も侵略戦争の被害者である、というタテマエをとっており、「中日人民の友好」のために日本の侵略の歴史にはつとめて触れないようにしてきました。


ところが82年の教科書問題や相次ぐ政治家の妄言で、日本に南京大虐殺を否定する人々がいることに中国側は驚きました。85年に紀念館が作られたのは、歴史をないがしろにしようとする者に対する警告です。


そういえば、87年に韓国の独立記念館が作られたのも、教科書問題がきっかけでした。まことに皮肉なことですが、日本政府が侵略の歴史を隠蔽しようとしたおかげで、私たちは学びの場をいくつか持つことができたわけです(本当は日本がきちんと侵略歴史資料館を作るべきですが)。

それと出所のあきらかになっている写真の数々はつっこむ余地のない原爆があったといわざるを得ない証拠であると思います。


南京大虐殺に関しても、出所の明らかになっている、突っ込む余地のない写真は存在するのですが……。長江河畔を埋めたおびただしい死体の写真も、「あれは正規の戦闘で死んだ兵士だ」という具合に否定していけば、いくらでも疑うことは可能でしょう。


しかしそんな真贋論争以前に、写真という技術にはもともと決定的な限界があるのだということを認識しておくべきでしょう。それを示す具体的な事実を一つあげておきます。


原爆投下当日の広島の爆心地の模様を伝える写真は、実は一枚もないそうです。当日撮影された写真は、中国新聞のカメラマン松重美人氏が撮った5枚だけ。爆心地に最も近いものでも2.2キロ離れた御幸橋の派出所付近のものです。松重氏は、その時の心情をこう記しています。

派出所の前から橋の歩道には、猛火の中を逃げてきた火傷を負った人たちが群れをなしていた。頭の髪は焼け縮れ、背中も腕も足も、顔もやけて黒焦げ。(中略)応急手当てを施す臨時救護所は、まさに地獄絵図である。


「ここを写真にしよう」。カメラに手をかけたがシャッターが切れない。断末魔の生死をさまよう、大勢の人の目が私を見つめている。「水をください、助けてください」。呻きの声をしぼって哀願する、動く気力もない母親にすがりつく幼子。目をあけないわが子を横抱きに、助けをもとめ泣き叫ぶ母親。シャッターを切るには、あまりにも残酷。写せない!


橋の中央あたりまで帰ったが、「この大惨事に一枚も撮らなかった」ではすまされない職務の重みに、帰りかけた足が止まった。(中略)目前に見る地獄の光景も写真にすることを求められる報道班の肩書がある。被災者には申しわけないが撮ろう。派出所前へ引き返し、詫びる思いでシャッターを切った。(中略)あまりの惨状に、都心での写真は撮れなかった。


     ----『戦争と庶民』第三巻「空襲・ヒロシマ・敗戦」(朝日新聞社)より----


そういえば、スーダンで飢え死にしかかった子供をハゲワシが狙っている現場を撮影してピューリッツァー賞をとったカメラマンが、「写真を撮る間になぜ助けなかったのか」という非難を浴びて、自殺したこともありました。


写真を撮るという行為は、それほどにメンタルな、暴力的な行為なのです。なぜならそれは常に「見る者--見られる者」「持てる者--持たざる者」という権力関係を前提にしているからです。


一枚の写真が人の心を動かすことは、確かにあります。しかし私は、何でもかんでも写真に撮ればいいとは思いません。またそれが歴史の真実を伝える決定的証拠だとも考えていません。


ヒロシマの現場写真を見て、「本当はこんなものではなかった。これはウソだ」という被爆者もいます。確かにそうでしょう。写真からは、人の焼ける臭いや、炎の熱さ、火傷の痛みは伝わってこないのですから。写真では本当の人間の悲惨を伝えることは不可能なのです。


「写真がないから根拠がない」といって歴史的事実を疑う人は、写真が、撮る者の意志のあらわれ(=表現行為)であることを知らない人なのでしょうし、死にゆく人を前にしてシャッターを切ることに何も感じない神経の持ち主なのかも知れません。


次に核兵器が使われた時は、もはや一枚の写真も残らない可能性もありますが、その時にもあなたは、「写真がないから」といってその事実を疑うのでしょうか。


こうして見ていくと、おそらく日出ずる国の若者さんが南京大虐殺を疑う根拠は、次の一点に尽きると思われます。

今のところ私は南京で国家の方針として虐殺が行われたハズが無いという人達の存在を知っているのですがのですが、日本に対する原爆投下の事実がなかったという人を知りません。
このことがらが原爆投下の事実を否定するのは無理があることなんだな、と私に思わせる原因の一つです。


「虐殺が行われたハズが無い」というセリフは、映画「プライド」の東條英機を思い出させますが……。それはともかく、そういう人の存在を理由に南京大虐殺を疑うのは、非科学的な態度です。あなたは、疑う人がいれば疑うし、疑う人がいなければ信じるのでしょうか。


結局、私にはあなたを納得させることは不可能なようですね。なぜなら、私には「ハズがない」という人々をこの世から消し去ることはできませんから。また、仮にそれが可能だったとして、「誰も疑う人がいないから」という非合理的な理由であなたが南京大虐殺を信じても、何の意味もないからです。


一つ気になったので確認します。あなたが「国家の方針として」という語をわざわざ挿入したのは、国家の方針によらない虐殺はあった、という意味でしょうか。

私が生粋の日本人といったのは単に私が混血とかじゃない混じりっけなしの日本人であるよ、という意味です。ちゃんと父母の故郷に帰って過去帳を検分し、四代まえまでに外国人の血が入ってなかったことを確認したので、それに基づき私は自分のことを純粋な日本民族であるという意味において「生粋」と表現したのでした。


あなたがいう「日本人」とは、「日本民族」のことですか。
日本にはアイヌウィルタ帰化した朝鮮人なども、日本国籍を持って住んでいます。ウチナーンチュ(沖縄人)の中には、自分たちは日本民族ではないと自覚している人もたくさんいます。その人たちのことを、日出ずる国の若者さんは何と呼んでいますか。「外国人」ですか。


過去帳というシロモノを私は見たことがないのですが、それには民族名も書かれているのでしょうか。古来から日本列島には朝鮮半島や大陸から多くの人が渡ってきたことは歴史的事実ですが、4代より前のご先祖にはそうした人が含まれている可能性はないのでしょうか。4代続けて日本に生まれ育ったことが「生粋の日本人」の条件なら、いま日本で生まれ、育ちつつある在日朝鮮人の子どもたちもみな「生粋の日本人」ということになりますが、そういうことでしょうか。


「生粋の日本人でよかった、私は日本人として生まれたことを誇りに思う」とタイトルに書かれていますが、何がよかったのでしょう。「生粋の日本人」でなければ何か悪いことでもあるのでしょうか。

しかし米津さんに対する私の質問は別にどうというものではありません。ただ単に米津さんが日本人か、はたまた在日かどうかを知りたかっただけの話です。深い意味はありません。


あなたは常日頃から、私以外の人にも「日本人か在日か」と質問しているのでしょうか。


そんなことはないでしょう? このボードにあなたは何度か書き込みをしていますが、私以外の人にそんなことを訪ねたことは一度もありませんよね。なぜ私が「日本人か、はたまた在日かどうか」を知りたいのですか。


世の中には、発すること自体が差別である質問があるのです。
はっきり理由を教えていただけますか。


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