中山幸雄デジタルノート

中山幸雄デジタルノート



2018-07-17

村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(2000/新潮文庫2002)




2013年から17年にかけて

NHKラジオで放送された英語学習番組「英語で読む村上春樹」

初年度後期(2013〜14年)に沼野充義講師が取り上げた作品が

「かえるくん、東京を救う」だった(英訳:Jay Rubin)。

この作品を含む6作の短編集『神の子どもたちはみな踊る

(2000/新潮文庫2002)を読む。


神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)


1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から5年後に発表され、

6編に登場する人物はいずれもどこかでこの地震に関係している。

読後の空白感がなんとも言えない余韻を残す連作だ。

例えば冒頭に収められた「UFO釧路に降りる」はこんな風に終わる。


   小村は気持ちを静め、部屋を見まわし、

   それからもう一度枕(まくら)に頭を埋めた。

   目を閉じ、深く息をついた。

   ベッドの広さが夜の海のように彼のまわりにあった。

   凍(い)てついた風の音が聞こえた。

   心臓の激しい鼓動が骨を揺さぶっていた。


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   「ねえ、どう、遠くまで来たって実感が少しはわいてきた?」

   「ずいぶん遠くに来たような気がする」と小村は正直に言った。

   シマオさんは小村の胸の上に、

   何かのまじないのように、指先で複雑なもようを描いた。

   「でも、まだ始まったばかりなのよ」と彼女は言った。


最後の一行がなんだか怖い。

小村と女はきょう釧路空港で知り合ったばかりで、

その夜、当たり前のようにベッドを共にする。

なにが始まったばかりなんだろうと想像すると、

あまり楽しそうでない近未来が浮かんでくるのだ。


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(僕が持っている文庫はJohn Gallカバーデザインのバージョン)


(お風呂でJay Rubinの英文を朗読すると気持ちいいですよ)

2018-07-16

青木祐子『これは経費で落ちません!』(集英社オレンジ文庫、2016)




通勤で使っている私鉄K線の

ドア横ステッカー広告でも確か見た記憶がある。

紀伊國屋書店本店で平積みになっていて

人気があるんだなと実感した。

青木祐子『これは経費で落ちません!〜経理部の森若さん〜』

集英社オレンジ文庫、2016)を読む。



腰巻きの惹句が面白い。


   だいたいの社員は、

   入社するとすこしずつずるくなる。


主人公はこう紹介されている。


   森若沙名子(もりわか さなこ)、27歳、彼氏なし。

   入社以来、経理一筋。

   きっちりした労働と、適正な給料。

   過剰なものも足りないものもない、

   完璧な生活をおくっている、はずだった。


名子天天(てんてん)コーポレーション経理部に勤務している。

もとの社名は天天石鹸。

石鹸や化粧品を作るところから発展した会社である。

経理部女性担当者に視点を定めたところがよかった。

物語にさほどの悪人は登場せず、

気楽に読めるのがいい。

既に4巻まで出ていてシリーズ累計25万部突破。



『風呂ソムリエ天天コーポレーション入浴剤開発室』が

本編からスピンオフで誕生。

森こさちによるコミカライズ連載が

2018年1月号から「Cookie」で始まった。

作者・青木祐子は『ぼくのズーマー』で2002年度ノベル大賞受賞。

才能を発掘した編集者と二人三脚で

このヒットシリーズを生んだのかな。

2018-07-15

佐藤優『十五の夏(下)』(幻冬舎、2018)




58歳の作家/大学教授・佐藤優の原点が

15歳の佐藤優にあることがとてもよく分かる。

1975年夏、筆者15歳の時の

東欧ソ連42日間の旅の記録だ。

佐藤優『十五の夏(下)』(幻冬舎、2018)を読む。


視覚とメモで記憶するという佐藤の筆は

細部の具体性が驚異的だ。

こんな描写がサラリと出てくる。


十五の夏 下

十五の夏 下


   小学校1年生の夏休みのことだ。

   父親に「優君、一緒に銀行に行くか」と言われて、

   団地の横を6時13分に出る朝一番のバスに乗って、

   大宮駅から東北本線に乗って、上野まで行った。


   当時、父は富士銀行小舟町(こぶなちょう)支店に勤めていたので、

   普段は京浜東北線上野まで行って

   営団地下鉄(現在の東京メトロ銀座線に乗り換える。

   その日は、「こっちの方が旅行の雰囲気が出るので、

   東北本線に乗ろう」と言って、

   父は東北本線の上りホームに僕を連れていった。


   当時の大宮駅は、空襲の後、廃材で作ったままだったので、

   ひどくみすぼらしかった。

   柱にも古くなった線路が使われていた。

   もっとも翌年に埼玉国体国民体育大会)があるので、

   京浜東北線のホームは改装され、東口には駅ビルが建築中だった。

                          (pp.287-288)



中央アジアの旅—サマルカンド、ブハラ、タシケントの件が

下巻で一番面白かった。

僕はこの地域を旅したことはないが、

映像、会話、現地の砂埃や汗までが目に浮かぶようだった。

その後、佐藤が在モスクワ日本大使館勤務のとき、

中央アジア民族問題の第一人者となっていったのは

この旅がきっかけだったように思える。


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(同居人が角煮を作ってくれたので、さっそく丼に)


佐藤が旅を終え、県立浦和高校のクラスに戻ったとき、

級友たちのほとんどの反応は黙殺だった。

嫉妬である。


   ソ連東欧旅行について尋ねたのは、

   クラスでは豊島君だけで、それ以外は文芸部員だった。

   豊島君が、「みんなほんとうは、佐藤の経験に強い関心を持っている。

   しかし、誰も何も聞かないだろう」と言った。


   「どうして」

   「わからないか。羨ましいとともに悔しいんだよ」

   「どうして」

   「みんな海外には行きたいと思っている。

   だけど、そんなことを許してくれる両親はいない。

   莫大な金がかかる」


   「みんなそんな風に考えるのか」

   「浦高生とはそんな連中だよ」

   「豊島は違う。どうしてか」

   「それは僕にとって佐藤がほんとうの友だちだからだ。

   僕だって羨ましいと思う。

   それ以上に、佐藤がユニークな体験したことが嬉しいんだ」

                           (pp.421-422)


豊島君のような友だちを高校時代に持てたことが

15歳の佐藤の幸運であり、人徳だろう。

上下二冊がいずれ文庫になり、

日本の10代に幅広く、末長く読まれる旅行記となることを願う。


初出:

「星星峡」2009〜10

「ポンツーン」2014〜17

上記を加筆修正し、上下巻に二分冊


十五の夏 上 (幻冬舎単行本)

十五の夏 上 (幻冬舎単行本)

先生と私 (幻冬舎文庫)

先生と私 (幻冬舎文庫)

(中学時代から県立浦和高校に進学するまでの自伝小説)

(同志社大学神学部時代の自伝小説)

2018-07-14

石牟礼道子『魂の秘境から』(朝日新聞出版、2018)




僕たち日本人が喪失した不知火海と人々の暮らしが

目に浮かび、音に聞こえるようだった。

石牟礼道子『魂の秘境から』(朝日新聞出版、2018)を読む。


魂の秘境から

魂の秘境から


朝日新聞全国版掲載7回分の1編「なごりが原」を偶然読み、

石牟礼が美しい文章を書く作家だと知り、本書を手にした。


   祖父の松太郎は石屋の家業を破産させたあと、

   釣りで暮らした人であったが、

   幼いわたしを小舟に乗せて不知火海に漕ぎ出すと、

   大(う)まわりの塘(とも=土手)を眺め渡して、

   「なごり惜しさよ」とつぶやいたことがあった。


   今生の別れでもあるまいに、絞るような声であった。

   なごりという言葉は、波が去ったあとに残るものを指す

   「波残(なみのこ)り」からきたとも聞く。

   波あとに浮かぶ泡沫(うたかた)のような人間の身にも、

   もの懐かしさがふと胸に迫ることがある。

                   (pp.223-224)


全編が夢と現の間に漂うような文章である。

通奏低音のように音楽が流れている。

2018年1月31日掲載「明け方の夢」が絶筆。

同年2月10日、熊本市にて逝去。享年90。


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(p.193より引用/写真:芥川仁)


やがて文庫版になることがあったら

一冊購入して手元に置き、音読してみたい。

芥川仁(あくたがわ じん)の写真が

石牟礼の文章に伴走し、想像力をかき立てられる。


初出:

朝日新聞西部本社版(24回分) 2015〜17

朝日新聞全国版(7回分) 2017〜18


苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

2018-07-13

他者と共存できるほどに「いい加減」でいる




スクラップブックから

朝日新聞2018年7月10日朝刊

寄稿 高村薫(作家)

精神世界 無関心な私たち

オウム事件 言葉にする努力を放棄


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7月6日、教団・オウム真理教の元教祖松本智津夫ほか

6名の幹部の死刑執行された。


   しかしながら、どんなに異様でも、

   オウム真理教は紛れもなく宗教である。

   それがたまたま俗世の事情で犯罪集団と化したのか、

   それとも教義信仰に導かれた宗教の犯罪だったのかは、

   まさにオウム事件の核心部分であったのに、

   司法も国民もそこを迂回(うかい)してしまったのである。

   (略)


   それでも、いつの世も人間は

   生きづらさを和らげる方便としての信仰を求めることを

   止(や)めはしない。

   オウム真理教が私たちに教えているのは、

   非社会的・非理性的存在としての人間と宗教を、

   社会に正しく配置することの不断の努力の必要である。


人間が信仰を求めるのは

生きづらさを和らげる方便だと高村は指摘している。

だとすれば、どれほど非合理的であろうと、

他人の目には滑稽に映ろうと

方便が幅広く許容されている社会の方が

よほど住みやすいだろう。


「正しいこと」はとても恐ろしく、

他者共存できる程度に「いい加減」でいられることは

人間にとって案外必要な素養であるように思える。

高村の論調は「正しく」聞こえるのだが、

心の深い所に届かない正論として僕には響いてしまった。

なぜだろうか。


アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

(1995年地下鉄サリン事件の深層に迫る、村上春樹の価値ある仕事)

2018-07-12

池上彰『知の越境法 —「質問力」を磨く』(光文社新書、2018)




金曜日に務めを終えると、

月に一度か二度、紀伊國屋書店新宿本店に行く。

平積みの本、本棚の本、書店員のPOPなどを眺めながら

店内を何周かそぞろ歩きをし、

小遣いで買える範囲の本(主に文庫、新書)を何冊か仕入れる。

Amazon公立図書館では見つからない本に出会うことがある。


池上彰」「越境」「すべては"左遷"から始まった」。

三つの言葉に気持ちが引かれ、購入し、読んでみた。

池上彰『知の越境法 —「質問力」を磨く』(光文社新書、2018)。



池上が現在の池上にどうやって「越境」していったか、

そのきっかけとなった「事件」を率直に書いている。


   私はNHK入社後、松江、呉での勤務を経て、

   東京の社会部で10年勤務しました。

   その後、キャスターとして「首都圏ニュース」を5年、

   「週刊こどもニュース」のお父さん役を11年担当。

   その間、早くキャスターを辞めて、

   解説委員になりたい、と思っていました。


   NHKでは、毎年、人事考課表に

   今後の異動希望先を書く欄があります。

   私はそこに毎年「解説委員希望」と書いて出していました。

   すると、あるとき廊下で解説委員長に呼び止められたのです。


   「君は解説委員になりたいという希望を出しているけど、

   それは無理だな。解説委員には何か一つ専門分野がなければ。

   君には、専門分野がないだろう」

   NHKでの人生設計が潰(つい)えた瞬間でした。

                       (pp.16-17)


淡々と書いてはいるけれど、

上から目線のエリート気取り(事実、エリートなんでしょうけど)の

解説委員長の姿が目に浮かびます。


一読者としては、むしろ幸運な事件でした。

池上が解説委員にならなかったお陰で、

その後やむなく「越境」することになり、

僕たちに身近な池上彰が誕生したのですから。


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本書にはすぐに実行できる、

具体的な助言も随所にあります。


   それと、人の話を聞くときは、

   必ず相手と斜め45度になるように座ります。

   これはとても大事なことです。

   正対するとまるで経営側と労働側の

   労使交渉になってしまいます。

   インタビューは

   別に喧嘩をしに行っているわけではないので、

   話しやすい環境を作ることが大事です。

   (略)


   もう少し関係を深めたいと思ったら、

   お互いが斜めに座る。

   これが相手の本音を引き出す角度です。

   正面になると、人間はやはり鎧をまとってしまうのです。

                       (p.214)


以前から僕もなんとなく実行していましたが、

プロフェッショナルのインタビュアーもそうなんだな

と確信を持ちました。


池上チームが「越境」というキーワードを発見した過程は

「おわりに」にあります。


   人生では、さまざまな場面で

   高い壁に行く手を阻まれることがあります。

   そんなとき、真正面の壁を越えるのではなく、

   真横に移動することで、壁のない道が見つかることがあります。

   これを私は「越境」と名付けました。


   人生の越境ばかりでなく、

   「知の越境」というのもあるはずです。

   専門分野に閉じこもることなく、

   さまざまなジャンルに飛び込んでいく。

   いわゆる「専門家」ではない視点から、

   新しい発見も生まれるはずです。

   (略)


   古川さん(引用者注光文社編集担当)、

   木村さん(同:取材・構成)と

   何度も話し合っているうちに、

   「越境」というキーワードが誕生しました。

                     (p.256)


「越境」は将棋で言えば、

香車ではなく桂馬のような動きを連想しますね。

このキーワードの発見が本書を俄然魅力的にしました。


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(大王「僕は越境なんかしないで、閉じこもりたい派です」)


編集担当: 古川遊也(光文社

取材・構成: 木村隆司


2018-07-11

BBC作成図が状況を簡潔に伝えてくれた




6月23日午後から、

タイ北部チェンライ郊外タムルアン洞窟に閉じ込められた

少年・コーチ13名が7月10日夜全員救出された。

事件が発生し、18日目のことだった。


状況を理解するために

BBCが作成した2枚の図が簡潔で分かりやすく

とても役立った。


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   少年らはそれぞれ2人のダイバーに付き添われて出発。

   水が深くたまった場所では、

   濁って視界がほとんどきかない中を、

   導線として敷かれたケーブルを頼りに潜水で進む。


   狭いところは空気ボンベを背負ったままでは通れず、

   いったん外してダイバーに預け、すり抜ける必要もあるという。

   所々で空気ボンベを交換しながら進む。

   これに備えてダイバーらが、

   数十メートルおきに水中に換えの空気ボンベを設置してきた。


   途中、アップダウンや通路が狭くなった場所もあるといい、

   熟練のダイバーでも数時間はかかる。


                (2018年7月10日朝日新聞朝刊より)


騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編


この図を見ながら僕は

村上春樹『騎士団長殺し』第2部

主人公が不思議な通路にはまり込み

あわや絶望しかけたシーンをまざまざと思い出した。


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このプロジェクトに協力し、13名全員の救出に成功した

チームメンバー全員に深い敬意を払う。

人間が肯定的な気持ちと持てる技術を結集すれば

これほどのことができるとみなさんは証明してくれた。


救助隊に参加し落命した元海軍ダイバー、

サマン・グナンさん(38)のご冥福を慎んで祈りたい。

合掌。