戦国時代の中国は斉の国の公族。戦国四君の一。本名は田文。 宰相となるなど権勢を誇り、食客三千人を数えた。史記孟嘗君伝の主役。
秦に出かけてうっかり捕まりそうになったが、「鶏鳴狗盗」で脱出に成功。 斉に戻って宰相となるも、王に疎まれて魏に逃亡、昭王に仕える。その後、燕の楽毅によって斉は滅亡寸前に追い込まれるが復興し、孟嘗君も帰国。 自立して薛で諸侯となり、紀元前279年頃そこで没する。
別にいいんですけどあの「食客三千人」の表紙としては不気味ではありませんか。 ネタバレします。 「食客三千人」の逸話はさすがに知っていたけどその生い立ちに驚いた。 斉は薛の領主・田嬰は多くの側室を持ち四十余人の子供がいた。その側室のひとりが五月五日に男子を出産した。 主人の田嬰は「五月五日は厄除けの日。この日に生まれた子は親に害をなすという」と言って生まれた子を殺せと命じるのだ。まだ横たわっている母親が「お慈悲を」と言っても「ならぬ」と言って去る。 何と惨いと歯噛みする思いだが従順そうに見えた母親が「心配することないのよ。私が殺したりするもんですか」というのには笑った。 中国女性は強い、というべ…
うっかり画像を消してしまったのでリライトしています(。・ω・。) 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 世に逢坂の関は許さじ まだ夜が明けないうちに、鶏の鳴きまねでだまそうとしても(函谷関の関守はともかく、あなたと私が違うという)逢坂の関は(通すことを)決して許さないでしょう。利口な関守がおりますよ。 百人一首でも知られています。 この歌は、枕草子「頭の弁の、職に参りたまひて」の中に出てきます。 頭の弁が、中宮様の居る部屋に参上なさって、(私と)話などしていらっしゃった時に、 「世がすっかり更けてしまった。明日は天皇の物忌みなので、籠もらなければならないから、丑の刻になってしまったならば不都合で…
ウクライナが、かつてのソ連の中でも、重要な位置付けだったことは想像に難くない。 チェルノブイリ原発があり、核兵器が配備され、不凍港があったわけで、立地からも、今回の問題の発端となったように、西側陣営との最前線に位置している。 ソ連崩壊時には、戦闘機などの軍事兵器を多く引き継ぎ、世界第3位の核兵器保有国になったことから、瞬間的な軍事力はかなり高かったと聞く。 核兵器を手放した稀有の国であるが、代わりに得た安全保障というのは、たかだか数十年しか効果がなかった、ということか。 また、ウクライナが手放した未完の空母が、中国に買い取られ、現在の空母・遼寧となっているのも有名だ。 とはいえ、ソ連がウクライ…
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 世に逢坂の関は許さじ まだ夜が明けないうちに、鶏の鳴きまねでだまそうとしても(函谷関の関守はともかく、あなたと私が違うという)逢坂の関は(通すことを)決して許さないでしょう。利口な関守がおりますよ。 百人一首でも知られています。 この歌は、枕草子「頭の弁の、職に参りたまひて」の中に出てきます。 頭の弁が、中宮様の居る部屋に参上なさって、(私と)話などしていらっしゃった時に、 「世がすっかり更けてしまった。明日は天皇の物忌みなので、籠もらなければならないから、丑の刻になってしまったならば不都合でしょう。」 とっおっしゃって参内なさった。 その翌朝、蔵人の詰所の…
孟嘗君。 過去に読んだことがある気がすると思って、さくっと検索をすると、見つかりました。 matypoyo.hatenablog.com ほうほう、面白い。面白いと思った本を12年くらいたってから、すっかり忘れて購入してましたね。そして、読んだと思った感想もまったく同じと。。。 過去のを見直すと、宮城谷昌光さんの本読んでたと思ったのに、感想をぜんぜん載せてないですね。休憩期間に読んだものが多かったのかも。 こういうパターンがあるのを考えると、10年くらいたった本をもう一度読み直したら面白く読めるのかも。そして、違う感想を持つのかもしれないですね。 戦国時代って、複雑すぎるのと、秦に集約されてい…
今日は7月7日七夕の日、と言っても新暦ですから丁度梅雨の真っ盛りの中です。 今年の関東地方の梅雨入り宣言は、気象庁が仲々発表しなくて、それまでにかなり雨の日も多く、晴れて気温が結構高かった日もあり、下手すると梅雨入り宣言のタイミングが無い年になるのか、と若干危惧していましたが、6月14日に宣言が為され、それ以降結構雨の日が多くなって、最近では物凄い豪雨が全国(北海道は)的に襲ってくる日が続きました。従って浸水、がけ崩れなどの被害は後を絶たず、特に熱海温泉の土石流の被害は、目を覆う程の大災害となってしまいました。亡くなられた人々、影響、被害を受けられたすべての人々には、お見舞いの言葉をどうかけた…
孟嘗君田文の物語も最後、壮年期からを描きます。 なお、この辺りからの田文については他の史書や思想家の書にも描かれることが多くなり、有名な鶏鳴狗盗や長鋏帰らんかの挿話などあちこちで目にするものですが、かえってそれが宮城谷さんの創作意欲を少々妨げたのか、これまでほどの活き活きとした活躍が見られないかもしれません。 田文は30歳となりました。 洛芭を妻にという希望は持っているのですが、洛芭が秦に向かったその時に商鞅(公孫鞅)が新たな王に討たれるという事件に遭遇し、逃れたものの我が子を見失ったまま周の白圭のもとに身を寄せていたのでした。 また、父の田嬰も洛芭の身の上は知っており、旧斉王家の血筋であると…
孟嘗君田文の物語も田文が20代から30歳ほど、ようやく?主人公として活躍します。 田文の初陣ともなった魏との戦いは孫子の策略により大勝となりました。 孫子は表に出なかったためそれは田忌将軍の大手柄となったのですが、斉の国内では残っていた宰相の鄒忌が国王に繰り返し田忌を讒言していたため、国王は田忌の謀反を疑うようになっていました。 それを察知した孫子は田忌将軍に軍を都の臨淄に攻め込ませ一気に君側の奸である鄒忌を討ち取るよう進言しますが、田忌はそれを断り軍を備えずに臨淄に戻ったためまんまと鄒忌に討たれ楚の国に亡命します。 そしてその頃、田文とも数奇な運命で結ばれていた隻蘭が斉王を暗殺しようとする陰…
孟嘗君田文の物語、田文の養父白圭の戦いもクライマックス。 そして田文もようやく少年となり実父母の秘密に触れていきます。 孫子を救い出し、斉の外交使節田嬰に匿ってもらったのですが、反乱を企む一味との決着を付けなければいけません。 その一味の全容もようやく明らかになります。 首領かと思った龐涓は公孫頎の指令のもとに動いていたのみでしたが、実はその裏に現魏王の兄弟の公子緩がいました。 公子緩は父王在位のころは父から可愛がられ後継者になるとも思われていたのですが、その後父の気が変わり現在の王が即位、公子緩は趙の国に逃れたのでした。 それがかねてから狙っていた陰謀をようやく動かそうとしていました。 それ…
孟嘗君田文の物語その2。とはいえ田文はまだ幼児。 主人公はその養父である風洪です。 義弟となった公孫鞅にその師の尸佼を迎えに行くよう頼まれた風洪は衛の国の濮陽に向かいます。 尸子は弟子が国政を預かる地位まで登れば自ら赴いてそれを手伝うと約束していたのでした。 しかし風洪が濮陽の尸子の住まいと言われる場所に着くとそこの人物から尸子は今はおらず趙に行ったとか楚に行ったとか言われ、それに従い風洪はあちこち歩きまわります。 それは嘘ではなかったものの、実際には尸子は濮陽に居ました。ただし公孫鞅の使いが来たと感じた尸子がすぐに秦に旅立つと残す弟子たちが路頭に迷うと思い、時間を稼ぐための方便であり、それを…
中国戦国時代の「戦国四君」の一人として有名な孟嘗君田文の物語です。 歴史背景は、周王朝初期に太公望の子孫が封じられた斉の国は長く姜氏の君主が続いていたのですが、春秋期に陳国より亡命してきた貴族が徐々に力を増し、戦国時代になって姜氏の君主に取って代わり、田氏の君主の国としてしまいました。 物語の主人公田文の父の田嬰は君主の弟で有力者でした。 しかし追いやられた姜氏の君主の家臣だった人びとは野に下りながら田氏の政権に反抗していました。 田嬰が気まぐれに手を付けた侍女が妊娠したので妾としましたが、それで生まれたのが田文でした。 しかしその誕生日が五月五日だということで、田嬰はその子を殺せとその母青蘭…
ᕱ୨୧ᕱ 由A、故B。Aであるので、それでBだ。介詞「由」 尾生與女子期於梁下、女子不來、水至不去、抱梁柱而死。(「盜跖」『莊子』) 荘子の尾生、好き。尾甲の祖かもしれない。 故曰:或勞心、或勞力;勞心者治人、勞力者治於人;治於人者食人、治人者食於人:天下之通義也。(「滕文公上」『孟子』) 勞心者は精神労働者、勞力者は肉体労働者 静岡新聞「読者文芸」投稿窓口、毎月最終火曜日 鳳凰>鸑鷟(がくさく) 貸錢者多不能與其息(「孟嘗君列伝」『史記』) 息=利息 田舎や地方都市で活動することの難しさは田舎地方都市に価値を判断する決意がないこと。価値を判断する能力はあるはずなのに。 だから首都圏や関西圏か…
『孟子』梁恵王章句上(七章) ○白文から意訳し、私見を述べています。 (2024年7月16日から 7月28日更新済み ) 7−1、齊宣王問曰:「齊桓、晉文之事可得聞乎?」 斉の宣王はいう、今日は斉の桓公、晋の文公のことを聞きたいものだ。 「宣王は名君だ、父の威王も名君であり、二代続いて善政を行った斉は諸侯の覇王として覇権を握り続けている。孟子と面会して、過去の覇王のことを尋ねるのも当たり前と言える。 個人的には宣王の父、威王に興味深い。王位を継いでから、その能を隠し、腐敗した官僚を成敗し、有能な正義の官吏を登用する時代劇のようなエピソードは、威王が只者ではないことを明らかに示している」 【人名…
紀行で出てきた歌。 夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るともよに逢坂(あふさか)の 関は許(ゆる)さじ 夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は決して騙そうとしても許しませんよ。要は孟嘗君の食客のひとりがうまいこと鶏の鳴き真似をして、関守に夜が明けたと勘違いさせて通過したという史記のエピソードから歌を作っている。よに=決して。百人一首№62、清少納言。 歌を贈られた行成は逢坂は 人越えやすき 関なれば鶏鳴かなぬにも あけて待つとかと返した。いえいえ、逢坂の関なんて取り締まりが甘くて、鶏が鳴く鳴かないに関係なく、…
こんにちは、あとりです♥️ 『祇園祭、曳き初めツアー』に行ってきました。(24年7月12日) (寺本雅貴、才蔵さんのFacebookから抜粋) 寺本雅貴、通称「才蔵」さんの『祇園祭、曳(ひ)き初(ぞ)めツアー』に参加しました。 24年7月12日、13時地下鉄四条駅集合。 そこから「函谷鉾(かんこぼこ)」へ移動しました。 「函谷鉾」の名は、中国戦国時代の名将・孟嘗君(もうしょうくん)が、夜中に函谷関(かんこくかん)で、家臣に鶏の鳴き真似をさせて関門を開かせ脱出したという故事に由来しています。 (写真分かりにくいです、すみません。) 鉾頭の三日月と山形は山中の闇を表していて、真木の中ほどには孟嘗君…
范雎 平民から超大国秦の宰相まで上り詰め、キングダムでも大活躍の蔡沢に地位を譲って華麗に引退した『范雎』は、知略だけでなく処世術にも優れた賢人でした。長らく小説「史記」や「十八史略」、横山光輝先生の漫画「史記」で『范雎』のエピソードを読んでいましたが、最近「蒼天航路」の作者である王欣太先生の「達人伝」で『范雎』のエピソードを読み大きな納得感がありました。 中国は歴史が長いし、国は広いしで名宰相が多すぎますね。ダメ宰相も多いですが。。。軍師と宰相は近い部分がありますが、今回は宰相ということで晏嬰、管仲、孟嘗君、商鞅、蕭何、馮道、王安石、耶律楚材、王導などなど。歴史に名を残し、自国を強固にした宰相…
小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』を読んだ(再読)。 チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学 作者:小川 さやか 発売日: 2019/12/15 メディア: Kindle版 内容は紹介文の通り、 香港のタンザニア人ビジネスマンの生活は、日本の常識から見れば「まさか! 」の連続。交易人、難民、裏稼業に勤しむ者も巻きこんだ互助組合、SNSによる独自のシェア経済…。既存の制度にみじんも期待しない人々が見出した、合理的で可能性に満ちた有り様とは。閉塞した日本の状況を打破するヒントに満ちた一冊。 というもの。 2020年の「紀伊國屋じんぶん大賞」の5位を得ているの…
宋江(そうこう/sòng jiāng) ※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。 ※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。 ※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。 ------------------------- 『水滸伝(水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng sh…
終末トレイン#6 ゾンビ編始まるの巻。池袋探索隊仲間割れ。池袋に行って行方不明になった友人の夢を小バカにしたのは「行くな」の裏返しだと思うがそれにしてもなぁ。しかし7G事件の概要が見えてこないのがよくわからん。とはいえ、ここまで来たら中途半端だし、クライマックス付近で明かすのかも。もうちょっと補助線を用意してくれてもよさそうなもんで、ドラマ部分はちょっと個人的には物足りない。 死神坊ちゃん#28 舞踏会だけど…。なんかトラブルなり事態の進展とかあるのかと思ってたんだけど、おそらく次回以降の種まき段階っぽい。まぁぼんやり眺めている分にはこんなもん。 Lv2チート#5 王国の危機に役立たずだった勇…
太史公曰、吾嘗過薛、其俗閭里率多暴桀子弟、與鄒・魯殊。問其故、曰「孟嘗君招致天下任俠、姦人入薛中蓋六萬餘家矣。」世之傳孟嘗君好客自喜、名不虛矣。 (『史記』巻七十五、孟嘗君列伝) 『史記』太史公によれば、かの賓客を多数集めた事で有名な孟嘗君の領地であった薛では、孟嘗君が招き入れた連中の影響で治安が大変悪くなっていたのだという。漢武帝の頃も続いていたということになる。 「6万余家」ってことは人口なら10万以上になると思うんだが、反社会的勢力の類がそれだけ一都市に集まったのだとしたら、何世代も経っても影響残っておかしくないかもな・・・。