一条天皇の皇后である中宮定子が住んでいたとされる二条宮跡に、最近になってこのような碑が建てられた。 清少納言もここに通っていたのかもしれない。 話題のドラマ「光る君へ」では出番がなくなってしまったが、一条天皇の心は中宮彰子に傾いてしまったようだ。また、ここから南に下がった場所には東三条殿があり、道長の姉詮子が一時住んでいたとされる。 1000年も前にここに誰が住んでいたと分かるところがいかにも京都らしい。我が家は、平安時代には高倉小路大炊御門小路と呼ばれた場所に位置しているが、どの貴族が住んでいたかは定かではない。多分、調べればわかるのであろう⁉mfujino706.hatenablog.co…