漢の初期の戚《せき》夫人が 呂后《りょこう》に 苛《さいな》まれたようなことまではなくても、 必ず世間の嘲笑を負わねばならぬ人に 自分はなるに違いないと 中宮はお思いになるのである。 これを転機にして 尼の生活にはいるのが いちばんよいことであるとお考えになったが、 東宮にお逢いしないままで姿を変えてしまうことは おかわいそうなことであるとお思いになって、 目だたぬ形式で御所へおはいりになった。 源氏はそんな時でなくても 十二分に好意を表する慣《なら》わしであったが、 病気に托《たく》して供奉《ぐぶ》もしなかった。 贈り物その他は常に変わらないが、 来ようとしないことは よくよく悲観しておいで…