2月2日に元瀬戸蔵館長の武藤氏による昔の瀬戸の話、その中に忠魂碑があった。日露戦争に従軍された方が建設されたという。明治43年の話だ。瀬戸ペディアには、瀬戸川と一里塚川との合流点に建てられたものが、すぐ横の記念橋駅の場所に移され、さらに昭和17年に御亭山(おちんやま)に移された。戦争が激化していくこの時期に移動したのは武藤氏も分からないと言う。 また瀬戸の忠魂碑と同じ形の碑が名古屋の広小路にもあったようだが、別の場所に移転されている。ともに熱田兵器製造所製とあり同じ場所でつくられた。造られた当時は、戦意高揚のシンボルだったんだろうが、平和のためのシンボルになってほしい。愚かなことは繰り返しては…