1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバルのラーキンスタジアムで行われた1998年FIFAワールドカップ・アジア地区第3代表決定戦、サッカー日本代表がイランとの激闘を制し、初のFIFAワールドカップ出場をつかんだ試合。
アジア最終予選での日本代表は、韓国、アラブ首長国連邦(UAE)、ウズベキスタン、カザフスタンと同じB組。1位であれば無条件で本大会出場、2位はA組2位とのプレーオフを争う。初戦のホーム・ウズベキスタン戦は勝利、2戦目のアウェー・UAE戦を引き分けとした。そして迎えたホームの韓国戦では、山口素弘の芸術的なループシュートで日本が先制すると、加茂周監督は呂比須ワグナーに代わり秋田豊を投入して守備固めを図った。しかしこの消極的な采配が試合の流れを変え、終盤韓国に立て続けにゴールを許して逆転負けを喫した。続くアウェーのカザフスタン戦を引き分けると、日本サッカー協会は加茂監督を更迭し、ヘッドコーチの岡田武史を監督に昇格させてテコ入れを図った。アウェー・ウズベキスタン戦、ホーム・UAE戦を2戦とも引き分けとして、一時はW杯出場を絶望視される状況となったが、フォーメーションを中盤がダイヤモンド型の4-4-2に変更するなどの戦術変更が功を奏し、ラスト2試合のアウェー・韓国戦とホーム・カザフスタン戦を連勝。辛くもB組2位でプレーオフ(アジア第3代表決定戦)に進出した。
第3代表決定戦のイラン戦では、前半39分に中田英寿のスルーパスに反応した中山雅史のゴールで日本が先制。しかし、後半開始直後にコダダド・アジジに同点ゴールを決められ、更に後半14分にアリ・ダエイのゴールで逆転を許した。
だが、後半18分、岡田監督は三浦知良と中山のツートップに代えて城彰二と呂比須を投入。後半30分に中田からのクロスを城がヘディングで同点ゴールを決め、2-2として延長戦へ。ここで岡田監督は延長前半開始から北澤豪に代えて俊足の岡野雅行を起用する。しかし、岡野は決定的な場面でシュートを打たず中田にパスをしてしまうなどチャンスを何度か潰してしまう。そしてPK戦突入かと思われた延長後半13分、中田がミドルシュートを放つと、相手GKが弾いたボールを岡野が押し込み、ゴールデンゴールで死闘を制した。日本は「ドーハの悲劇」を乗り越えて悲願のW杯初出場を果たした。
岡田武史