推しという言葉について。 その語感はポップだが、かなりの深度を備えているように思う。 人によっては、推しは己という存在を成り立たせている重要なエレメントだったりするだろう。 もしかしたら自分自身はもちろん、肉親や身近な友人よりも大切な存在かもしれない。 私はとあるアスリートをそっと推している。 「そっと」というエクスキューズを添えているのは、私は執着心が強く、のめり込みやすいタイプだからだ。 下手をすると、危ないファンになってしまう。 あくまで「そっと」推す。これが私の推し活の鉄則である。 だからこのエントリでも推しの名前は出さない。 さて。 私の推しはアスリートなので、結果を厳しく問われる。…