やはり、どうあっても、オーディオが必要である。音楽なしの生活をすると、パッケージされた作品を聞きたくなる。作り手が、聞き手にある効果をもたらすようにつくっているので、聞けば何かしら効く。そういうものだ。 軍歌のようにつかえるというだけでも、音とは本来、おそろしいものだとおもう。祭祀にしてもそうで、ややもするとマインドをコントロールされてしまう。わたしは、あやつられすぎないように、自分で音をあやつる訓練をしようとおもって楽器をはじめた側面もある。効いているかは定かではない。 これもあたりまえといえばあたりまえだが、ひとがつくらないと生まれないフィーリングもある。野山を歩いているだけでもチルはでき…