Stanislav Bunin (スタニスラフ・ブーニン) ピアニスト
1966年モスクワに生まれた。 1983年パリのロンティボー国際コンクールで優勝。 1985年第11回ショパンコンクールで優勝。若くして高名な賞を受賞したため、日本では「ブーニン・ブーム」とも呼べる現象が起きた。 1988.6.16ソ連から西ドイツへ亡命。
1971年のアメリカ映画「恐怖のメロディー」(Play Misty for me) 「恐怖のメロディー」はサイコスリラー映画 「恐怖のメロディー」のあらすじと予告編 ブーニンも好きなエロール・ガーナー デイブの自業自得とも言えないか ロバータ・フラックの「愛は面影のなかに」 「恐怖のメロディー」はサイコスリラー映画 クリント・イーストウッドの監督デビュー作品「恐怖のメロディー」を初めて観た。いやぁ、まったく期待していなかったが、なかなか面白かったよ。 確かにサイコスリラー映画でハラハラドキドキもさせられたが、クリント・イーストウッドのジャズ好きが全面に出た映画だった。 1970年代のモントレー…
非常に残念です。 残念過ぎて、腰肩が痛くなっています。 (注:いつもの事です。) 私的には超有名なピアニスト、ブーニンさんが、11月に、港区赤坂のサントリーホールでリサイタルを開催する、とのこと。 そして、6/10の10時からチケットがオンラインで 発売開始されるとの情報がありました。 平日10時は、勤務中。なので、昼休みにチケット購入アプリを開いて、ブーニンさんのチケット購入に向けていざ!…と。 予定枚数終了 …チーン… は、早い!販売開始から、僅か2時間ですよ? いくら、元ショパン国際ピアノコンクール優勝者とはいえ、ガチガチのクラシック界の方、ですよ?しかも、随分表舞台から遠ざかっていた御…
ブーニン(Bunin)とルイサダ(Jean-Marc Luisada) ブーニンの背中を押したルイサダ 失敗を乗り越えて大きくなったルイサダ 角野隼斗をベタ褒めするルイサダ 天才も努力家もすばらしい ブーニンの背中を押したルイサダ きのう「スタニスラフ・ブーニン~天才ピアニスト 10年の空白を越えて」を視聴したときの記事を書いたが、そのなかでもうひとつ、フランス人ピアニスト、ジャン=マルク・ルイサダについて書けなかったので、その続き。 1985年のショパンコンクールでブーニンは優勝、ルイサダは5位だったので、いわば二人は若き日のライバル同士ということになる(ちなみに4位が小山実稚恵)。 番組の…
NHK「スタニスラフ・ブーニン~天才ピアニスト 10年の空白を越えて」 あのブーニンブームは何だったのか? 1985年のショパンコンクール後のブーニン 感動を与えられる美しい演奏を願うブーニン 夫人の栄子さんの愛と献身 あのブーニンブームは何だったのか? 1月1日に放映されていたらしい「スタニスラフ・ブーニン~天才ピアニスト 10年の空白を越えて」をNHKオンデマンドで視聴した。 ブーニンと言えばもう、1985年のショパンコンクールだろう。 今から思えば、当時の聴衆の熱狂ぶりはあれは何だったんだろう、という騒ぎだった。 聴衆というより、若い女性といったほうがよいかもしれない。 私も当時、年齢的…
NHKテレビ1チャンで13:05から『スタニスラフス・ブーニン復活への軌跡』を放送中です。
クロード・ドビュッシーの肖像 3人の先生からレッスンを受けたドビュッシーの「アラベスク1番」 最初の先生には冒頭2小節の特訓を受けた 2人目の先生からはミクロ的練習を勧められた 3人目の先生は井口版と安川版の違い 小川典子さんの動画がためになる! 3人の先生からレッスンを受けたドビュッシーの「アラベスク1番」 今のところ、自分が弾けるクラシックピアノ曲で、「いちばん好きなピアノ曲は?」と聞かれたら、間違いなくドビュッシーの「アラベスク1番」と答えるだろう。 しかし大人になってから再開したピアノレッスンで、3人の先生からこの曲をレッスンしていただくとは思わなかった。 おまけに人様の前、ホールで弾…
先日それぞれのIGSにアップしてた3人をネイサンが投稿してくれてます。 View this post on Instagram A post shared by Nathan Chen (@nathanwchen) www.instagram.com ミントオレオをプレゼント ミントオレオってコレですか⁇ 確かに配色はミントだわ😄 やっぱりリンクにいるネイサンはメガネなしで短髪でカッコ良し💖 The 2023 Stars on Ice tour will bring together figure skating superstars of today and tomorrow! Olympi…
アクセスが急増した記事 このブログは各カテゴリー複数「テーマ」による「雑記ブログ」だ。 でもアクセス数獲得を狙って作ったブログではない。 むしろ「アクセスを稼げないネタ」=「あまり読んでもらえない記事」をあえて集めている。 また、時々「日記」や「コラム」的な記事も格納している。 設定が「ジェンダーフリー」なので、同じ属性の読者に対する「共感」をベースとしたアプローチもしていない。 prerougolife.hatenablog.com 以前失敗したブログのように毎日「常駐」してコメント欄を埋め尽くす粘着的な人も来ない。 ここ最近のアクセスは約8割が検索サイトからで、そのうち約9割が「ブーニン」…
1985年のショパンコンクールでのブーニンの圧勝 ブーニンと一緒に弾くことを思いついた ブーニンのエレガントさがやっとわかった 体験レッスンでダメ出しされた、インテンポでない演奏 独学が悪かったのではなく、そのやり方がまずかった 1985年のショパンコンクールでのブーニンの圧勝 1985年のショパンコンクールで弱冠19歳のスタニスラフ・ブーニンが圧倒的な支持を得て優勝したとき、私はクラシックピアノから若干遠ざかったところにいたので、世間の騒ぎようを「ふふん」といった目でみていた。 きのうまでクラシックピアノに爪の先ほどの関心も寄せなかった人々が「ブーニン、ブーニン!」と大騒ぎだったのを横目で見…
3連休最終日の7月18日月曜日、漸く晴れた海の日のこの日は、三軒茶屋までやってまいりました。 初めて来ました昭和女子大学人見記念講堂です。 長らく演奏活動を中断されていたスタニスラフ・ブーニンさん9年振りの公演が、ここで開催されます。 www.nipponartists.jp クラシックにあまり詳しくない方々でも、辻井伸行さん、フジ子・ヘミングさん、清塚信也さん、高嶋ちさ子さん達に次ぐくらいに知名度が高いアーティストではないでしょうか。(一定以上の年齢限定かと思いますが。外国人だと故カラヤンさんぐらい?) 日本中を大変なブームに巻き込んだ衝撃の第11回ショパン・コンクール優勝からもう37年にな…