理解すること3 神は全能。人間は不完全。ここから信仰を考える必要があります。 聖書は神の言葉であるが私たちは人の言葉しか持っていない。さらに神の言葉だからと聖書を持ち出すときその解釈に人の言葉を使っている。 理解を目指す心の作業において心が連動しているかどうかが重要である。 理解することは辻褄を合わせることではない。辻褄合わせは多く自分に納得を強いて分かったという思い込みに至っている。恐ろしいことに、それを自慢することさえある。 理解は辻褄を超えたところにあり共感という情緒的解放感を伴うゆえにそこから活力と説得力が生まれる。 同じ言葉を言っても聞いても心にあるものも受け取るものも人と時と状況に…