正徳5年12月28日。近頃、巾下で気晴らしで放火した者が町へ預けられる。具足屋彦十郎の借家に。
正徳1年11月15日。1日とこの日の広井飯沼安之右衛門のところでの放火は安之右衛門の姉の仕業で、召仕の男との密通が原因であった。姉を押し込め置くと云々。
宝永5年9月7日。亥刻(午後11時)、九十軒町で辻雪隠1つが燃える。放火であった。藁萱の中に塩硝などがあったと。
元禄10年閏2月26日。曇。触がある。伊勢参宮の際、道中や伊勢で行いの良くない御家中の輩がいるとの風聞が御耳に入り、甚だ不届きなことだと思われた。今後このような者があれば御詮議を行うようにと厳しく命じられたので、その旨を肝に銘じ固く慎むように。閏2月。近頃、付火があると知らせがある。町では厳しく備える。夜になって帰る者があれば提灯を灯して帰らせる。侍であっても町の中では順々に提灯を灯させる。