元禄15年9月2日。井野口六郎左衛門へ18石3人扶持鉄砲打足立伴右衛門を預ける。仲間の正木関右衛門・四宮元右衛門が引き連れる。調べには国用人都筑弥兵衛・目付蘿木丹左衛門・五十人目付谷雲八があたる。偽手形のことかと。また、少し前仲間木村奥之介のところに盗みが入ることがあった。奥之介が甲賀へ行って留守の内の間であったが、この盗みも伴右衛門とも。とても困窮していた。
元禄11年3月14日。勘定奉行取田次郎左衛門手代の福井彦六が次郎左衛門の判を偽造したことで、評定場の牢に入る。御先手足軽13人がこれを警固する。偽手形などが300両程あったと。後に獄門となる。13と8つの子どもがあり、母に暇乞いをして牢に入ると。
元禄6年8月4日。中間小頭後藤喜右衛門が牢に入る。この喜右衛門は大博打打ちの棟梁であった。この者と関係のあったものは全員調べられる。偽手形もやっていたと。
元禄5年1月24日。偽手形、小椒頭巾(すりや泥棒)の事件で、札の辻(高札をたてた辻)には黄金10枚がかかったと。
貞享元年10月。近頃、小右衛門が偽手形で八木治右衛門から金を借りて行方をくらます。福嶋の関所で自殺したので、すぐに死体を取り寄せる。玄道ならびに弟、そのほか請け合いの輩は町へ預けられる。玄道は小出玄徳の聟のため少し間遠慮となる。