今日は休みだった。図書館に行き、そこで沼野充義の本を何冊か借りる。あとは邵丹『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』という本が面白そうだったのでそれも借りた。最近のぼくの関心は、こうしたぼくたちが使っている「言葉」そのものに関する問題に向かいつつある。異論があるかもしれないけれど、ぼくは人間とは「言葉」なくしては生きられないと思っている。そして「言葉」というものが基本的に自分と他人をつなぐブリッジ(橋)の役割を果たすものである以上、ぼくたちは孤独に自分の世界に閉じこもって生きることはできないとも思う。仮にぼくたちが引きこもらざるをえないにしても、「言葉」を通して物事を捉えたり考えたりする以上はぼくた…