居酒屋などせわしい駅前にゴマンとあった。しかし勤めを終えて帰宅するのだからそこで足止めを食らうこともなかった。時には勤務先の駅の周りで呑んでもう出来上がっていることもあった。が駅前の呑み屋には何度か娘と二人で行ったことがある。こんなとこもあった。飲みに行こうよ、そう僕は娘を誘った。すると彼女も偶然!と言った。誘おうとしていたという。 高原の地に引っ越してきたのは五月だった。住み慣れた横浜を離れ新たに建てた家だ。転居は脳外科の病棟でひらめいた。脳腫瘍を取り朦朧としていた時に甲斐駒ケ岳を前にしたこの地が浮かんだ。頭のガンだ。余命がどれほどか。会社は早期退職をしていた。生活は何とかなるだろう。ならば…