人は、わからないものをそのままにしておくことが苦手だ。空白があると、そこに線を引きたくなる。沈黙があると、意味を置きたくなる。 死は、回路が行き場を失う場所に近い。見たことがない。戻ってきた人もいない。確かめようがない。それでも私たちは、そこに川を流し、光を置き、裁きの場面を描き、あるいは安らぎの庭を想像する。 なぜだろう。 それは、恐怖を減らすため、というより、回路を閉じないためなのかもしれない。 生きている身体は、つねに未来へ伸びようとする。まだ起きていないことを予行し、構造を与え、筋道を作る。それができないと、回路は宙に浮いたままになる。 死は、その宙吊りにされた問いのようなものだ。だか…