国際プロレス

(スポーツ)
こくさいぷろれす

昔あったプロレス団体。
1967年、日本プロレスから退いた吉原功とアメリカで活躍していたヒロ・マツダによって、大阪府立体育会館で旗揚げ。旗揚げシリーズは解散が決まった東京プロレスとの合同興行として行われ、当時東京プロレスの社長だったアントニオ猪木も参戦した。

「人間風車」ビル・ロビンソンの招へい、日本初の金網デスマッチ、他団体に先駆けた主力日本人選手同士の対戦、AWAとの提携など、特色ある話題も提供したが、人気は伸び悩み経営も徐々に悪化。長年1981年8月9日北海道羅臼町大会を最後に崩壊と思われてきたが、2007年10月発売の雑誌のインタビューでマイティ井上の話によってその後も数回興行が行なわれていたことが明らかになった。
その後、ラッシャー木村・アニマル浜口・寺西勇が「はぐれ国際軍団」として新日本プロレスに乗り込んだ。

1994年10月16日の東京・後楽園ホールにおいてユニオンプロレスにより「国際プロレス」の名が復活した。

1997年、元国プロの鶴見五郎の手により「国際プロレス・プロモーション」が旗揚げされた。

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