1873年(明治6年)に明治政府が行ったる土地・租税制度の改革。土地の私的所有を認め、地価の3パーセントを金納としたが、江戸時代の年貢収入額を維持する高額地租であり、軽減を要求して各地に農民一揆が起こった。この改革により日本にはじめて土地に対する私的所有権が確立したことから、地租改正は土地制度改革としての側面を有している。
開かないのは金庫だけではない 先日の実家の整理の話の続きです。 鍵が掛かっていて開けるのに苦労したのは金庫だけではありません。 金庫の横にこんな木箱が置いてありました。 子供の頃に見た記憶がありますが、その当時でもかなり古いものだったような記憶があります。 これも鍵がかかっているようで開きません。上の方に鍵穴らしきものがあります。 鍵がどこにあるかまったくわかりません。 木製なので鋸を使って力ずくで開けることに。 10分ほどで何とか開きました。 保険の領収書などがぐしゃぐしゃに入っていました。 引き出しから古文書らしきものが・・・ 木箱の一番上は引き出しになっています。 引き出しを空けると古文…
今回の参考資料・引用元は 山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行 P239(6行目)~P240(4行目)「地租改正」 https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history 冒頭文で時代を特定 近代化政策を進めるうえで、・・・ 前の単元の「・・・と並行して」やこの単元の「・・・うえで」という言葉が、時代の特定のカギとなります。 近代化政策。廃藩置県や四民平等もそうですが、この後に出てくる殖産興業や文明開化もそれに含まれます。むしろ後者のほうがメイン内容。「先立つものはカネ」とばかり、ここに挿入したのでしょう。 時期は、18…
こんばんは!かるぅです。 今日はまた朝から蒸し暑い日でしたね。 窓からは青空も見えていて、気分だけは涼しげでした。 今日は夏期講習前最後の塾があります。 午前中はその勉強をしていました。 「講習」なので普段の授業よりも僕が話すことが多くなりそうです。 10日間連続なので、のどを壊さないように気をつけます。 のど飴はたくさんあるので、毎日なめとく(笑) 数学と理科で2教科任せていただいているので、十分に体調に気遣って頑張ります。 さて、今日の朝はレッドパージについて紹介しました。 まずはこれについて話します。 概要はツイートにある通りなのでそちらを確認下さい。 このレッドパージが始まったのは19…
「地租改正って何?」 「江戸時代から続く税はどうなったの?」 「明治時代の税金について知りたい」 この記事をご覧の方はそのようなことをお考えかもしれません。 地租改正とは、土地の所有者に地券を発行し、地券で定められた地価の3%を現金で納税させる仕組みです。 政府は地租を主な財源とし、江戸時代から続く様々な雑税をいったん廃止。 その上で、煙草税や醤油税、酒税などを制定し全国民から幅広く徴税しようとしました。 こうして集められた税の多くは軍備拡張などに使われました。 今回は、地租だけでなくあまり知られていない明治時代の税金についてまとめてみます。 今と昔の税の違いについて知りたい方は是非読んでくだ…
「日本の土地制度はどんなふうに移り変わった?」 「公地公民って何?」 「荘園とは?」 「太閤検地のポイントは?」 「地租改正とは?」 このページをご覧の皆さんはそんな疑問を持っているかもしれません。 日本では公地公民制度が出来上がって以後、荘園制度、太閤検地(一地一作人の原則)、地租改正と時代に合わせて土地制度が移り変わりました。 今回は日本の歴史に大きな影響を与えた公地公民や荘園、太閤検地、地租改正の重要ポイントについてわかりやすくまとめます。 税や経済に興味がある方は、こちらの記事もどうぞ! kiboriguma.hatenadiary.jp kiboriguma.hatenadiary.…
ネットで調べ物をしていたところ、以前撮った表札の目撃情報が載っていた。 撮った時は、何の旧町名か解析できず、そのまま放置していて、いつの間にか撮ったことを忘れていた。①大森區山王二七八一 発見日 2021年1月9日 風化していてわかりにくいが上部に「大森區」と右書きで刻まれている。②区名の上部が壊されていたり、町名が削られていてほとんど解読不明だが、上部に「大森區」の下の部分だけ右書きで書かれているように見える。 発見日 2021年5月27日 発見場所から「大森區山王」のものと思われる。③大田区になってからの旧番地のもの 発見日 2021年5月27日 ④大田區が右書きで、区が旧字体の區になって…
「縄文と神道」から読む日本精神史 (テンミニッツTV講義録 3) 作者:田口 佳史 ビジネス社 Amazon 最近、なにかと話題の「縄文」文化の本。歴史ってどんどん塗り替えられていくんだね。日本ってスゴイなあ。日本人って昔からそうだったんだね。(^^) 「10MTV講義録第3弾。世阿弥、松尾芭蕉、石田梅岩、西郷隆盛、松下幸之助・・・躍動する生命力、清明心、安堵、勤勉。私たちが本当に大切にすべきものとは?現代人の悩みこそ、「伝統精神文化」を忘れたがために生じている「アイデンティティ」の危機である」そのエッセンスを紹介しよう。 ・私は「森林・山岳・海洋・島国国家」としての日本の地理的特性をふまえた…
威風堂々(上)-幕末佐賀風雲録【電子書籍】[ 伊東潤 ]価格: 1980 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 大隈重信は藩校で朱子学と佐賀伝統の「葉隠」の教育に反発して改革を訴える。黒船来航の時期とも重なり、老公鍋島閑叟に受け入れられて、藩教育は実学に舵を切った。同時に尊皇派の「義祭同盟」に副島種臣、江藤新平、大木喬任、島義勇、久米邦武らと参加した。大隈は蘭学から英語へと必死に修得し、そこから憲法や独立宣言などにも触れる。 長崎に留学すると、岩崎弥太郎や坂本龍馬との交流で、交易の必要性と、尊王攘夷により時代の変化を感じ取る。老公閑叟の通訳で同席した大隈は、佐賀で蒸気機関を開発して諸藩に売る目論み…
20240929 「住まいは『マッカーサー元帥の別荘』を改築」作家・北方謙三さんが語る人生の十字路とは《前編》 川上未映子 - Wikipedia 北方謙三 - Wikipedia 限定拡大版!北方謙三(作家・#1319) | TVer 河内長野市 - Wikipedia 【HD高画質】ぶんまわし 河内長野 だんじり 上原 高向下町 高向中町 高向上町 南河内だんじり祭 令和6年 2024年9月29日 - YouTube 愛媛のローカル番組が“全米”放送 きっかけは23年前のある事故(2024年4月27日掲載)|南海放送NEWS NNN 【FULLGAME】高校女子選抜 vsイチロー選抜【Se…
以前、自分の祖先についていろいろと調べてみた。 その過程で、東京都に籍を置いていた、父の母の母のいた家*1に、昭和初期に婿入り*2した、兵庫県出身の曽祖父の詳細を知った。 その曽祖父は、自分の父と生きた年代が被っている*3くらいで、どういう人だったのか、父や父方の祖父母からたまに話を聞いていた。兵庫県の南西部の田舎から東京に移り住み、働きながら大学を出て*4、戦後に商売もそこそこ成功させていたらしい、立派な人だと聞いていた。 その曽祖父の出生時の本籍地について、父方の姓の戸籍を遡っていく上で確認でき、どんなところで生まれ育ったんだろうと若干の興味が湧いていたため、少し時間があったタイミングで伺…
2024年7月から「長久手の地名」に関する学習会が、長久手市郷土史研究会―史跡ガイド委員会の月例会で始まった。 2024年7月「仏ヶ根、武蔵塚、城屋敷」、8月「鴉ヶ廻間・東浦・香桶・先達」、9月「下権田・大久手・丸根・菅池」と11の地名を学びました。 先ずは『長久手合戦』の戦場になった、「(旧)長湫―長久手古戦場公園」周辺の地名から開始です。 長湫の地名 明治維新直後(1873)新政府により地租改正が行われ、徴税のための土地台帳を作る目的で、それまでその地域(小字)で伝承されてきた地名をもとにした名前(小字名)を付けた字域決定の作業が行われた。明治8年(1876)頃には、長湫90・岩作67・前…
沖縄における空き家と位牌 1. はじめに 2. 位牌祭祀が民衆に定着したのは百年前 3. 私的所有権の誕生と位牌祭祀の民衆化 4. なぜ位牌に執着するようになったのか 5. ヒヌカンに代わった位牌 6. 神話的ヒヌカンと歴史的位牌 7. なぜ位牌を移すことができないのか 8. まとめに 1. はじめに 津堅島で民宿を営んでいる「津堅島@オジーの残した民宿」からツイッター(X)に 〝【島の過疎化が進む理由】なにかいい解決方法はないものか...🥺〟という悩みが寄せられました。津堅島への移住希望者は多いが、空き家が多いにもかかわらず空き家には位牌が残されていて賃貸がむつかしいということです。 htt…
『令和の米騒動』なんていう言葉が飛び交いました。 気候変動だ、減反政策だ、外国人需要だ、南海トラフ地震だ・・・ 様々な要因はあるでしょう。 さて、今回は日本の米事情のウラ側を歴史から学んでいきましょう。”米”だけにアノ国が関係しています♪ 寄生地主制 地租改正 土地は個人の物 GHQの改革 共産主義に対抗 MSA協定 食の欧米化 減反政策 まとめ 寄生地主制 少し日本史の勉強からしましょう。 大昔は主に農業で生計を立てるわけですな。 まず力があるのは土地持ち、この人が”地主”です。 一方で土地を持っておらず、生産手段のない人たちを”小作人”という使用人として働かせて米を作らせていました。 寄生…
旧篠ノ井市 街道は、千曲川を渡った先で長野市に入ります。長野市の最初の街は、篠ノ井というところ。この街は、かつては、篠ノ井市という独立した自治体でした。資料を見ると、この自治体は、1959年に市政が敷かれ、1966年には長野市になりました。この間わずか7年という、短命な市であったわけですが、篠ノ井は、多くの人が知っている、名の通った街なのです。 そのわけは、おそらく、篠ノ井駅にあるのでしょう。JRの路線を見ると、名古屋駅から塩尻駅へ、そして、塩尻駅から東京駅へと繋がっている中央本線。この路線を通る特急は、塩尻駅を経由した後、篠ノ井線を利用して、松本駅、あるいは、長野駅までその先線を延ばしていま…
前回の日本評論社「農村更生叢書」で思い出したのだが、実は以前に古書目録で、やはり同社の青木恵一郎『日本農民運動史』全六巻を見つけ、入手していたのである。これは昭和三十四年から三十七年にかけて刊行され、三十六年には時代を表象するように、毎日出版文化賞を受賞している。それも後押ししてか、版を重ね、送られて来たのは四十五年第三版だが、大学図書館らしきところの放出品で、蔵書印が消された、函無裸本である。そういえば、 『近代出版史探索Ⅶ』1264でふれた松永伍一『日本農民詩史』も全五巻、同様の判型、大冊で、やはり昭和四十五年の毎日出版文化賞を得ている。 これらの「農民」文学運動の大部の研究書や著作が刊行…
当地区の出身で、初期の県議会議員を務めるなど、明治時代の地方政界に活躍された人物に飯尾丑吉氏(嘉永6年〈1853〉生まれ、没年不明)という方がいらっしゃいます。 飯尾丑吉氏(『自治団体之沿革 : 伝家之宝典』[兵庫県之部],より) 氏が当地区のご出身とわかったのは、下の資料によってでした。 『兵庫県会日誌』1〔明15〕. 国立国会図書館デジタルコレクション 明治12年(1879)の2月から3月にかけて、兵庫県では初の県会議員選挙が行われました。当時、加東郡(現在の加東市と小野市域)の定員は2名(明治29年以降は1名)で、高瀬藤次郞(現・加東市吉馬)井上眞九郎(現・加東市沢部)のお二人が当選され…
前回、江戸三十三観音第29番札所高野山金剛峰寺東京別院、第30番札所一心寺、第31番札所品川寺、番外札所海雲寺に訪れながら品川方面をめぐった。今回は第32番札所世田谷山観音寺に参拝しつつ世田谷方面をぶらぶらしようと思う。 1.世田谷山観音寺 2.三軒茶屋 3.松蔭神社 4.世田谷代官屋敷・世田谷区立郷土資料館 5.豪徳寺 6.世田谷八幡宮 初回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 前回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 1.世田谷山観音寺 今日は三軒茶屋駅からスタートだ。 三軒茶屋駅 三軒茶屋駅から国道246号線を南西に進み…
町内会の本を出したことがあるので、住民団体の講演会などに招かれることがある。その時に「町内会ってそもそもどういう歴史を持っているんですか?」と聞かれることがある。 あるいは「戦争の時の『隣組』が起源ですよねえ」と同意を求められることもある。 だけど、これらに答えるのは実はぼくの手に余ることなのだ。 それこそ、研究者がその問いについての答えを膨大な時間や手間を使って発表し続けているテーマなので、おいそれと答えるわけにはいかないものである。 例えば近代以前にあった村の自治のしくみを町内会の「原型」とみなすかどうか。それによって起源をいつにするかが全然変わってくることは理解してもらえるだろう。 とは…
子どもの頃、明治生まれの祖父母たちが、地区内の人を指して「ガンジの○○さん」とか「ヒガシワラの○○さん」などと言っていた記憶があります。今思うと、井上だの田中だのと同一の苗字が20~30軒もあるわが地区では、所在地(小字)(1)を付けて呼ばないと、その人が特定出来にくいということから、そのようにしていたものと思われます。小字を意識するのは、年に一度固定資産税の課税明細書が送られてきたときに、「加東市山国字花折○○○番地」などと書かれて入るのを見るときです。田んぼを見に行ったついでに、近くで現在建設工事が進行中の新公民館建設現場に立ち寄ったとき、下のような掲示がなされており、一帯が「字東原(ヒガ…