なんのきのはなとはしらずにほひかな 貞享5年(1688)2月の作。『笈の小文』には「伊勢山田」、『真蹟集覧』には「外宮に詣ける時」とそれぞれ前書があり、伊勢神宮参拝の時に詠まれたものと思われる。もちろん、西行の「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(『西行法師家集』)が踏まえられている。 神域から溢れる清気を花の香に重ねながら、そこに分別や名前(言葉)を超えた万物の化育を司る神の恩沢を感じ取っている。西行の歌がやや観念的なのに対して、芭蕉の句では、「花」の香に「物の微」を求めて「情の誠」に通じるものがあり、そこに神の気吹も伝わってくる。まさに「造化随順」による詩境がそこに立…