沼田小早川氏の一族。官途名は民部丞、民部大夫。忠義の子で茂遠の孫。兄に清忠がいる。惣領家とは異なる立場をとっており、元弘の乱では兄とともに後醍醐天皇に味方し、建武の乱以後は南朝方として戦った。 元弘の乱 高山城の戦い 野美城合戦 参考文献 元弘の乱 元弘の乱において、沼田小早川氏惣領家は幕府方として京都六波羅に参陣。一方で、頼平とその兄の孫太郎清忠は、後醍醐天皇に味方していた。 元弘三年(1333)五月六日、平孫太郎(小早川清忠)は伯耆国船上山の後醍醐天皇から、京都へ発向して合戦の忠を致すよう命じられる(「小早川家文書」3)*1。翌五月七日、足利高氏らによって京都六波羅は陥落した。 同年五月二…