中学高校時代には「野球など馬鹿にもできる」と高を括って陸上競技に転向していたが、東京大学に入ると、本屋敷錦吾遊撃手の俊敏さに強く惹かれ、対立教戦もしばしば神宮球場で観戦した。 わざわざ三塁側の最前列に陣取り、すでに佐倉一高出身だと知っていた長嶋選手が打席に立つと、「この千葉の山猿!」と大声で罵倒したものだ。その何度目かの大声に振り向いた長嶋選手と、ふと視線が交わった (ように思う)。まだ20歳になったばかりのわたくしたちは、衆人環視のもと、たがいに瞳を交わしあうほどの特殊な仲だったのである。 ――蓮實重彦「長嶋茂雄さんを悼む」(『朝日新聞』2025・6/13) コールバーグの「道徳性の発達と道…