「 」「・」「 」 「ない」ものに気づく、「ある」ものに目を向ける 「ない」ために目立つ 一人称の代名詞が省かれている 「 」から「こちら」へ 「 」と「こちら」から「俺」へ ストーリーでも内容でもなく、書かれてそこにある言葉の身振り タイトル、title、肩書き、カタギリ 消える「俺」、再び出てくる「俺」 「 」「・」「 」 たとえば、私が持っている新潮文庫の古井由吉の『杳子・妻隠』(1979年刊)に見える「・」ですが、河出書房新社の単行本では『杳子 妻隠』(1971年刊)らしいのです。らしいと書いたのは、現物を見たことがないからです。ネットで検索して写真で見ただけです。 私は「・」がなかっ…
それは強烈な個性ではなかった。なるほど強烈な個性はまわりの人間たちを、異和感と屈辱感によってだけでも、かなり遠くまで引きずって行くことができる。実際にそんなこともあった。 (古井由吉『先導獣の話』(『木犀の日』所収)講談社文芸文庫p.22) 違和感、異和感 『杳子』における異和感と違和感 杳子、《ヨウコさん》 名前 谷崎潤一郎作『瘋癲老人日記』 異、違、移 移和感 違和感、異和感 「いわかん」といえば違和感と書くのが一般的ですが、異和感という表記もあります。 古井由吉の作品では「異和感」という表記で統一されている気がします。たとえば、『槿』(講談社文芸文庫)だと p.10、冒頭で引用した『先導…
小学生になっても自分のことを「僕」とは言えない子でした。母親はそうとう心配したようですが、それを薄々感じながらも――いやいまになって思うとそう感じていたからこそ――わざと言わなかったのかもしれません。本名を短くした「Jちゃん」を「ぼく」とか「おれ」の代わりにつかっていました。 さすがに学校では自分を「Jちゃん」とは言っていませんでした。恥ずかしいことだとはちゃんと分かっていたようです。人ごとみたいに言っていますが、当時のことはあまり覚えていないのです。いずれにせよ、あえて「ぼく」とは口にしなくても話はできます。日本語の特徴ですね。 こう書いていてはっとしたのですが、いまでも自分のことを一人称で…
文芸作品そのものを読むよりも文芸批評を読むほうが好きでした。大学生時代はちょうど文芸批評の全盛期みたいな雰囲気があり、従来の印象批評の本が相変わらず続々出版され、フランス製のヌーベルクリティックとか英米加製のニュークリティシズム、そして日本でも新批評と呼んでいいような本や論考があいついで上梓されたり雑誌に発表されていました。 つぎつぎに紹介される斬新な手法に興奮したのを覚えています。 印象批評については忘れましたが、新しいタイプの批評の書き手を思いつくままに挙げれば、ガストン・バシュラール、ジャン・リカルドゥー、ロラン・バルト、ジョルジュ・プーレ、モーリス・ブランショ、マルト・ロベール、ノース…
私には「文字を読む」ことが途方もなく難しい行為に思えてなりません。見るのではなく読むことが、です。たいてい見ているのです。見てしまうのです。 読んでいると、文字を追いながら、文字以外の何かを思いうかべたり、思いえがいたり、思いおこしたりしている自分に気づきます。文字を追っていると、文字を読んでいるというよりも、その文字、文字列、センテンス、文章の向こうを見ている気分になることもざらにあります。 こういう状態を「読んでいる」と言うのにはためらいを覚えずにはいられません。ここではなくどこかにいるとか、こっちではなくかなたを見ているという感覚。 あと、私には文字が顔に見えることがあります。人の顔とい…
ある文章について思い出そうとしているのですが、なかなか出てきません。自分にとってはとても大切な意味を持つ文章なので、書き進めながら何とか思い出してみます。 まずはその文章の前提というか、背景となる話から書きます。 ヨーロッパのある国に、日本映画、それも 一九三〇年代から五〇年代に撮られた作品が好きでたまらない女性がいました。その女性が日本からその国の大学に留学して文学を研究している男性と恋愛関係になり、結婚しました。 これは想像ですが、ふたりの仲を取り持ったのは映画だと思います。なにしろその男性の映画好きは度を越していました。現在もそうです。半端じゃありません。 「自分より映画を愛している他者…
「ワンパターン」は褒め言葉 作家が書くときの癖 繰り返し出てくる光景や身振り 他人の家に入る 共振する身振り 書いてあることを読まずに、書かれていないことを読んでしまう 作品と作家を超えて共振する身振り 「似ている」に依存する 関連記事 「ワンパターン」は褒め言葉 語弊はありますが「ワンパターン」は褒め言葉だと思います。いま頭にあるのは、水戸黄門や笑点ではありません。 ユーミン、みゆき、サザン、陽水、小室の楽曲は聞いて何となく分かるとか、スティーヴン・キング 、みゆき、漱石、龍 、春樹の小説には同じような場面や人物が繰り返し出てくるとか、ニナガワ演出のお芝居は見てすぐに分かったとか、スピルバー…
ガラスになぞる 写、射、斜、車、シャ、射る、入る Sにとって極端な場合には相手は物(比喩)でもいい なぞる、なする、さする、なでる 文章を読んで覚えるむずむず感 ガラスになぞる 透明ではなく透明感のある文体として、川端康成作『雪国』の冒頭近くの文章を挙げてみます。特に取り上げたい例は、主人公の島村が、曇った汽車の窓ガラスに指で線を引く場面なのです(……) ――汽車の中で主人公の島村が左手の人差し指をいろいろ動かしたり、その指にまつわる記憶にふけったり、指を鼻につけてその匂いを嗅いでみるという、かなりエロティックな描写(猥褻な感じさえする)の後に、向かい側の座席の女(娘)が窓ガラス(手で押し上げ…
「AとB」と書いてあると、AとBのあいだに何らかの関係を見てしまいます。さもなければ、「と」で結ばれているはずがない気がするからでしょう。 ロミオとジュリエット、ピンクとグレー、『男と女』(Un homme et une femme)、女と男、Ebony and Ivory、存在と無、存在と時間、ハリー・ポッターと賢者の石、蜜蜂と遠雷、北風と太陽、点と線、美女と野獣、老人と海、スクラップ・アンド・ビルド、トムとジェリー どこかで見聞きしたペアだと、そのペアが何であったかで決まる気がしますが、それでも分からない気がする場合もあります。「存在と時間、点と線って、どういう関係かな?」と考えこむ人もい…
「SとM」と書くと両者のあいだに反対の関係を見ることが多いように、「AとB」というぐあいに「と」でつながれたもの同士を反意語や対立関係にあるとみなすのが一種の紋切り型になっている気がします。 「と」をめぐっての、この辺の話は、蓮實重彦先生経由ジル・ドゥルーズ先生のご意見を参考にしています。 以下は「AとB」というふうに、よくペアとして口にされたり文字にされる二つの言葉についての個人的な意見および感想を述べたものです。長いので、読むというよりも、ざっと目を通していただくだけでかまいません。 (1)AとBは、「反意語」というよりも、むしろ「表裏一体」であるらしい。 (2)AとBは、「反意語」という…
新潮の蓮實重彦の新作を読んだが、前作とおなじくひとつも面白くなかった。これはこのまま二郎サーガとして続けていく感じなんだろうか。それともまさかの芥川賞狙いの続編か。おれ様とかけっけっけという笑い方とか主人公の内面キャラが痛々しくて読むのがきつい。ある種のなろう小説のノリに近い痛ましさを感じる。岡田利規の新作戯曲も載っていたので読んだがこちらはめちゃくちゃ面白かった。SFシチュエーションの設定がすごくいい。人間に切れる人型ロボットのくだりは往年のダウンタウンのコントに近い可笑しさがあった。 前回『アル中女』はおしゃべりのない『銭湯』に近いといった感じに乱暴にまとめてしまっていた。どっちも酒飲んで…
原作 VS 映画化作品 原作の文字を映像により具現化するだけでたるのなら、それは「映画化」ではなく単なる「映像化」であると思っているし、それは優れた映画とは言えない、映画には原作と違う語り口があって然るべきであり、それが映画的なものであるべきであり、あまり本を手にしない人たちに向けてストーリーを伝える絵本であってはいけないのだ、原作にあるシーンを単に映像にして羅列しているだけの映画は負けとして勝敗表にしてみた、、、 ● オズの魔法使い/フランクボーム ー オズの魔法使/ヴィクターフレミング ○ 怒りの葡萄/スタインベック 引き分け 怒りの葡萄/ジョンフォード ○ そして誰もいなくなった/アガサ…
蓮實重彦はこう述べていた。 《白い山羊髭をたくわえた晩年の肖像写真や広く流布された「小説の神様」神話にもかかわらず、志賀直哉の言葉には不気味な若さがみなぎっている。彼が漱石のような現代の古典とならずにいられるのも、理不尽なまでの無謀さがあるからだろう。実際、均衡を逸したその不透明感が読むものを惹きつけてやまない。未知の作家として志賀直哉を読みなおす贅沢を許してくれるのも、まさにそれなのだ。》(「志賀直哉全集内容見本」1998) しかしながら、かならずしもいわゆる“志賀直哉神話”がわれわれの読むことをさまたげてきたのだとはいえまい。むしろ、その強烈な作家像の衰退、あるいは黄昏とも見えるうすらぎこ…
9月13日の昼過ぎ、今日都内のホテルで、大江健三郎のお別れの会が開かれたというニュースをX上で見た時、あっ私は呼ばれなかったんだという悲哀が突き上げてきた。衝撃を受けつつあちこち調べてみると、大江についての本を書いた榎本正樹は呼ばれたが行かなかった、高原到も呼ばれたが仕事があっていけなかったとかポストしており、かなり幅広く呼ばれたらしく、もしや蓮實重彦も呼ばれなかったのではと思ったが呼ばれていたようだし、私がパージされたのは明白で、私は衝撃のため二日ほど仕事が手につかなかった。 そこで私は「眠れる森の美女」の舞踏会に呼ばれなかった魔女のごとくタタリ神となって以後は語るが、近年、大江健三郎は中産…
「知」的放蕩論序説 作者:蓮實 重彦,渡部 直己,菅谷 憲興,スガ 秀実,守中 高明,城殿 智行 河出書房新社 Amazon 東大総長をやめた蓮實重彦がスガ秀実、渡部直己ら最良の聞き手を前に大学、思想、映画などの現在と未来を縦横に語った痛快無比・話題騒然の「読書人」連続インタビューを一冊に集成。 1 大学をめぐって2 文学と映画をめぐって3 思想と歴史をめぐって
は じ め に この粘土版の文字は、ソクラテスや釈迦が現われる約1200年前、紀元前1750年頃の古バビロニア時代に、人類文明発祥の地とされるメソポタミアで書かれたものです。現在、ロンドンの大英博物館に展示されています。 ここには、いったい何が書かれているのでしょうか。大昔の人が考えた神や宇宙についての真理や、考古学的な価値のある古代人の知恵なのでしょうか。 発見した歴史学者は、そうした高尚な内容を期待したかもしれません。それが、楔くさび形がた文字を1文字1文字解読してみると、こんな内容であることがわかりました。 「店に『いい銅の延べ棒を渡しますから』と約束されて金を払ったのに、ひどいのをつか…
5時起床 富山のT氏に関するメルマガを執筆配信朝トレ今日は8kウォーキング+タオルで上半身筋トレ帰宅後、のこりもので朝食+越乃寒梅グラス2昼寝午後はピアノ、資料集め自宅には塚本無線の監視カメラ2台あるが木曜日からアラート通知が全く来なくなった。記録もされてない。おかしいなと思ってマイクロSDカード入れたり、再起動したり、あれこれしたがだめ。あ!と思ってスマホアプリを更新したら問題なく稼働(汗確かにアプリの更新を最初にすべきだった。人間というのは問題を複雑に考えすぎる結果、間違ったことをするのだ。解消すべき問題は目の前にある、それが見えてない。反省。すべては表面に生々しく露呈されている。それを見…
蓮實養老 縦横無尽—学力低下・脳・依怙贔屓 作者:蓮實 重彦,孟司, 養老 哲学書房 Amazon 映画評論家、文芸評論家、フランス文学者、そして前東大総長という肩書きを持つ蓮実重彦と、『唯脳論』などで知られる、おそらく日本で最も有名な解剖学者であり、定年の2年前に東大を「捨てた」養老孟司による対談と講演をまとめた1冊。「学力低下」や「言葉と実体」、「偏愛と真理」といったテーマを、プラトンからフーコー、ドゥルーズ・ガタリを引き合いに出して語りつくす。「改革、改革」と喧しい世の中だが、本書の著者2人が深くかかわる大学もまた「改革」の気運にのみ込まれている。そして「大学改革」について語るとき、必ず…
活動の網羅は不可能であり主要なイベントのみに限る(それすら多々漏れあり) 2020年(令和2年)57歳 1月 NHKドラマ「ハムラアキラ」劇伴 1.18 ペペトルメントアスカラール 高崎 2.5 「菊地成孔の映画関税撤廃」(blueprint) 2.10 菊地成孔プレゼンツ モダンジャズ・ディスコティーク新宿 菊地成孔,sayaka(DJ) ROMANTIC BABALU 新宿ピットイン 3.5 濱瀬ELF 3.16 菊地成孔プレゼンツ/私立ペンギン音楽大学DJ PARTY vol.2 青山ZERO 4.3 NHKラジオ 高橋源一郎「飛ぶ教室」ゲスト(番組テーマ曲作曲) 東京都知事について発言…
雨。 NML で音楽を聴く。■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第五番 op.27-5 で、ヴァイオリンはヒラリー・ハーン(NML、CD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十一番 op.110 で、ピアノはヴァレリー・アファナシエフ(NML、CD)。たいへんにすばらしかった。さすがはアファナシエフ。■ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第一番 op.78 で、ヴァイオリンはクリスチャン・フェラス、ピアノはピエール・バルビゼ(NML)。ブラームスは古くさくてダサいのに、何でわたしはこんなに好きなのだろうな。田舎者だからかな。聴いていてホロリとさせられた。バルビゼは青柳いづみこさんの師匠で、フェラ…
No.1ゴダール ゴダールは、暗闇のなかの人生と色のなかの人生を媒介なく衝突させる。暗闇は高慢な理性を遠くに行かないようにするためにあり、色は説明の不在な豊穣さが羽撃くようにするためにある No.2 ゴダール 『気狂いピエロ』のロケーション地はポルクロール島。囲まれない映画の歴史と同じ大きさをもっていました No.3ゴダール 『映画史』のゴダールの考えでは、収容所の映像なき映画の歴史は決定的な映像を持っておらず破綻しているが、失われた公理を求めるように、モンタージュによって収容所を再構成できると考えた。映画は過去に介入しなければいけない。水をかける映像こそはユダヤ人を救い出す No.4ゴダール…
9時半起床。まだまだ寝足りないが明後日にそなえて早起き。階下に移動し、歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。風呂あがりの母から、(…)が今日朝の散歩でたくさん歩いたと聞く。めずらしくうちの裏手のほうまで回ったらしい。 冷食の焼き飯を食す。食後のコーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年8月20日づけの記事を読み返す。それからEvernoteにログインし、2009年10月分の抜き書きを手作業でPagesのほうにコピペする。記録されていたのは『小説から遠く離れて』(蓮實重彦)、『死の棘』(島尾敏雄)、『幻想図書館』(寺山修司)、『現代詩文庫 …
夢のなかで舐達麻のBADSAIKUSHといっしょに見覚えのない部屋にいた。周囲にはAPHRODITE GANGの面々とおぼしき匿名的な人物らもいた。たぶんみんなでジョイントをまわしのみしていたのだと思う。場面が(…)小学校の音楽室に転じる。そこでもこちらはBADSAIKUSHと一緒にいた。しかし他の面々は見当たらない。教室内にはほかの人間の気配もあったが、それが小学生なのか、それとも大人なのか、よくわからない。BADSAIKUSHが教室の片隅を舌打ちしながら指差す。(…)学院の教室にあるのとおなじ監視カメラが設えられている。われわれが大麻を吸っていたこともこれでバレたわけだ。教卓ではない、児童…
屍より腐臭たちこめる夏、皆様はいかがお過ごしでしょうか?(無い季節の挨拶) 最近の僕は市場で母を拾い、隣人を殺し、裏切りに味をしめていました。 あとは新作を観るお金が無く、旧作の映画を観てばかりいた。60本程度を観た気がする。前置きはこの位で。
四時、パッキリと目が覚めてしまった。トイレに行ったが眠気はやってこず、どうしたことか、と思いつつ寝返りを打ったりヒツジの頭数的なことをやってみたりしたが、やはり眠れない、と思い悩んでいたらいつの間にか寝たようで、五時四十分起床。 この三連休はフルに休むことにした。午前中は掃除、読書。しかし今朝がた眠れなかったせいかがこの時間になって眠気を引き起こしたようで、一行読んでは居眠り、というひどい有り様。一時間で1ページしか読めなかった。 午後は長めに昼寝。おかげである程度しっかり読むことができた。 夕方は妻と外出。ウレシカでミロコマチコの絵本原画展。ミロコさん、南の島への移住でさらにパワーアップして…